ユーリィ⑤
「!」
瞬間、リリティアは紅色のケープを払い退け、瞳を光らせて祝福を集める。俺と彼女を包み込んだ柔らかな蒼い光が弾けるのと同時に、扉の向こう側から『彼女』は出てきた。
『……たしか、筆頭侍女長だったな』
リリティアが小声で言葉を紡ぐ。
『うん……筆頭侍女長ユーリィ。俺にとっては作法の先生でもある人だ』
俺は頷いて……同じように小声で返した。
彼女は俺が産まれるよりずっと前から長いこと城に務めている、侍女たちの頂点だ。
白髪を頭の後ろで結って丁寧に丸めており、背筋が伸びている姿は誰よりも凛としている。
王とも直接話をする立場で、メルセデスからも食料品の管理をしていると聞いていた。
だから――俺は彼女がここにいても驚かなかったんだ。
『む、こっちに来るぞ』
『リリティア、ここ』
俺たちは通路の壁際、少しだけくぼんだ場所にぴったりと身を寄せる。
こっちの姿は見えないし声も聞こえないはずだけど……思わず息を潜め気配を殺した。
まあ、自分の心臓の音がうるさいのは完全に別の要因だな……。
無駄に冷静な自己分析をした俺の前を、ユーリィは姿勢を乱すことなく通り過ぎていく。
『行くぞリヒト』
俺たちは彼女の後を付けることにした。
******
土を掘り進んだような道を行く足取りに迷いはなく――やはりと言うべきか、ユーリィが向かったのは礼拝堂だ。
扉が閉まる前に身を滑り込ませ、俺とリリティアはユーリィの様子を窺う。
彼女は礼拝堂の正面にある玉座の前で立ち止まると、静かにそれを見遣った。
……なんだろう。すごくつらそうに見えたんだ。
会ったこともない俺が言うのは変かもしれないけど、俺たち王子王女と接するなかで、一番母親に近い存在が彼女だと思う。
俺たちを優しく、厳しく見守ってきてくれたのがユーリィだった。
だから俺は決めたんだ。彼女がなにを知っているのか。話をすべきだよな。直接。
『リリティア。俺の聖域、解いてくれるか』
『む』
『ダガーがあるし脅すこともできるだろうけど。……可能ならそれはしたくないんだ。直接話をさせてほしい』
『わかった。しかし変な動きがあれば躊躇うなよリヒト。お前になにかあっては――――すべてが終わりだ』
リリティアはそう言うと、ぽ、と瞳に光を宿す。
俺はリリティアに頷いて……背後からユーリィにそっと近付いた。
「……なにに祈っているんだ、ユーリィ」
「!」
彼女にしては珍しい反応だった。
大きく体ごと跳ねるようにして振り返ったユーリィは、黒い双眸を丸くする。
翻る長いスカートの裾には皺ひとつなく……彼女のきっちりした性格が滲み出ていた。
「リヒトルディン王子――⁉」
「はは、こんなところで出会うとは思わないよな。……少し話でもどう……いや、ええと……私と少しお話でもいかがでしょうか」
俺はユーリィに叩き込まれた所作を精一杯駆使してお辞儀をしてみせた。
彼女はそのあいだに姿勢を正しており、いつもの落ち着いた表情で微笑んでくれる。
「……少し腰を折りすぎですよ。……なにをお話しましょうか」
「ありがとうユーリィ。――座ろう」
俺は長椅子へと彼女を誘う。ユーリィは頷いて静かに腰を落ち着けると、俺を見た。
彼女の黒い瞳が俺になにを求めるのかはわからない。
でも――どこかほっとしているように見えたんだ。
俺がユーリィの隣に座ると、俺を挟んで反対側にリリティアが座る。
ちらと目配せを交わし、彼女が頷いたのを確認してから俺は口を開いた。
「……ユーリィ。なにに祈っていたんだ?」
最初に口にしたのと同じことを問い掛けると、ユーリィは小さく息を吸う。
「……私の知る、アンデュラム王に」
アンデュラム王。それはいまこの国を治める俺の父親だ。
ユーリィも普段はただ王とだけ呼んでいたし、名前を聞いたのは久しぶりに思える。
それが……少し引っかかった。
「――私の知るって……どういうことだ?」
「……それは少し複雑ですね。ご説明は難しいかと」
「ん……じゃあ――王ってどんな人? ユーリィは俺の母親を知っているかな」
「!」
明らかな動揺がユーリィの瞼を震わせる。
同時に、膝の上に組まれた彼女の指先に、きゅ、と力が籠もった。
「リヒトルディン王子……質問を返すことをお許しいただけますか。あなたは、どうしてここにいらっしゃったのですか?」
それでも声には一切の動揺を感じない。ここがユーリィのすごいところだ。
俺は少し考えて……口にした。
「アルがさ、禁忌を調べているの――ユーリィは知っているか?」
「……ええ」
「この地下に磔にされた女の子がいることは?」
「正確には『いた』……でしょう」
ユーリィは吐息のような声でこぼすと、玉座を見詰めて続けた。
「――やはりあなたはご存知なのですね、リヒトルディン王子。アルシュレイ王子とともに消えてしまった彼女を」
「うん。ユーリィも知っているんだな」
「はい。この地下を歩くことは多かったので」
「俺は彼女とアルシュレイのためにここにいる。これで答えになるか?」
ユーリィは、今度は驚かなかった。ゆっくりと視線を下げ、頷く。
「――もし彼女を匿っているのであれば迂闊ですよ、リヒトルディン王子。ほかの侍女が騒いでおりました、ラントヴィー王子があなたに女性の服を届けていると」
「あぁ……あれはなぁ……俺のせいじゃないと思うんだけど」
思わず顔を顰めると、視線を戻したユーリィは唇の端を少しだけ持ち上げた。
「ラントヴィー王子が珍しい書物を集めていることも存じております。彼はアルシュレイ王子とは違う視点で『禁忌』を見ていましたね。私を咎めるとすれば彼だろうと思っておりました」
「咎めるって――なんのことだ?」
首を傾げると、ユーリィは「ふうー」と息を吐き出して肩の力を抜いた。
「これは侍女の戯れ言です。少し長くはなりますが――あなたはそれをわかったうえで聞かなければなりません、リヒトルディン王子。いいですね?」
「――はい」
俺は背筋を伸ばす。ユーリィは「いいお返事です」と言って話し始めた。
夜分です、よろしくお願いします!




