ユーリィ④
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翌日。アルシュレイの横で目を覚ました俺は目元を擦り――顔を顰めた。
甘いような、苦いような、鼻を突くような――異様な臭い。腐臭がしたんだ。
「…………」
翳した左手、手袋の縁から覗く肌が変色しているのを見て……初めて実感する。
――俺、本当に呪われているんだな。
冷静でいられたのはまだ微睡んでいたからかもしれない。
この分だと、一カ月もあればかなり腐敗が進むはずだ。俺とアルには、あとどれくらいの時間があるんだろう。もしそれまでに呪いをどうにかできなかったら――?
考えながら……体を起こしてアルを見た。
眠り続ける親友は穏やかな寝息を立て、微笑んでいるかのように柔らかな顔をしている。
アルシュレイが王になるならこの国は安泰だ。
何度も聞いた台詞で、俺も何度も思ったことだけど……それが脅かされているんだって実感した途端、体の芯がすぅっと冷たくなった。
それに、アルだけじゃない。ソファで無防備な寝顔を晒しているリリティアだって同じだ。
間に合わなかったらどうなる? またひとりで呪いを封じることになるのか?
――いや、そんなことは許さない。絶対に。
彼女は誇り高き白薔薇。孤高の華だってことは見ていればわかる。
だけど俺は、そんな彼女を自由にすると決めたんだから。
「うん――大丈夫、なんとかなる。いや――なんとかする、そうだよな」
両手を握り締め、小さく口にした言葉は決意の表れだった。
まずは墓荒らし。物騒な言い方だけどこれが絶対条件だ。
王がどうしてアルシュレイを襲ったのかも調べないとならない。
王に対して俺がどう動くか……それを決めないといけないときが絶対にくるはずだからな。
俺からすれば、父親でもある王は遠くから眺めるだけの存在だ。
考えれば考えるほど王がどんな人なのかわからない……そんな奇妙な感覚がある。
会わないことが異常だとは思っていなかったし、いまもピンとこないけど……きっとそれもこの国の腐敗の一部なんだろう。
俺は深呼吸をしてベッドから下り、ぐーっと体を伸ばす。
カーテンから薄く透ける朝の光と少し冷たい空気、起きだした鳥の鳴き声や人の気配。
五感が刺激され、ああ生きているんだな……なんて噛み締めてから、俺はソファで眠る白薔薇に声を掛けた。
「よし――やるか! とりあえずリリティア。手袋の補修してくれないかな。臭いんだけどさ」
眠そうなリリティアは「むぅ」と唸って毛布に顔を埋めてから――「なんだと⁉」と、すぐに飛び起きてくれた。
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呪いは進行する。
リリティア曰く本来は浄化によって消えるそうだけど、いまはアルの呪いを共有し、かつ地下の扉を塞ぐ黒瑪瑙の棘にも命を使っているためにかなりの負荷が掛かっているらしい。
まあ最初から「このままでは死ぬ」と伝えられていたしな。
「王たちは命を削る恐怖から穢れを生むこともあったのだ……」
悲痛な面持ちで言うリリティアに、俺は笑ってみせた。
「そっか。なら、俺が楽観的だったのは運が良かったな」
「……ふ。そうだな。それにいまはできることが見えた。お前の言うとおり『なんとかなる』はずだ」
つられたように微笑む彼女に、心が温かくなる。俺は少し長くなった手袋を右手でなぞった。
◇◇◇
侍女がどのような行動をしているのかをラントヴィーとメルセデスに確認してもらうことにして、俺とリリティアは再び地下に潜った。
今日は弁当も水も準備万端。ちなみに、大量の菓子とドレスも当然のように届いたんだけど――どうするんだろうな、あれ。
俺の護衛任務に付いているガムルトは訝しんでいたけど、心配しないでほしいと伝えたら大きく頷いてくれた。頼もしい奴である。
ついでに菓子を分けたら――顔はわからなかったけど――嬉しそうだった。
……新しく造られた通路は石を積んだものではなく、硬い土を掘ったものだ。
所々柱のような金属で補強はしてあるんだけど……心許ない気もする。
けれど松明の代わりに光り苔がびっちりと詰まったガラスの筒がいくつもと置かれており、明るさには困らない。灯りとしてこの苔は優秀だと思う。
……そして。
「よし、ここから先がまだ見ていない場所だな」
昨日作った地図を思い起こしながら――ちゃんと荷物には入れてあるんだけどな――俺が言うと、リリティアが驚いた顔で振り返った。
「うん? リヒト、覚えたのか?」
「ああ。なにかあっても迷わないようにと思って」
「ほう、いい心掛けだな。斥候術を学んでいるだけあるではないか」
「はは、そうだろ? ……まだ立体的に捉えるのは苦手なんだけどさ」
言いながら、俺は頭のなかに立体的な地図を描き出してみる。
中央片と呼ばれる王の住まう塔とそれを囲む四枚の花片に見立てた建物。それをさらに五枚の花弁に見立てた建物がぐるりと包む城――その地下深く。
リリティアが磔にされていた部屋の上が礼拝堂で、いまはそこから伸びた枝分かれする通路の先だ。
どれくらい深くにいるのかはさっぱりわからないけど、たぶん方向で言えば中央片から離れ、第七片か第八片に向かっているんじゃないかな……。
「……あ、そうか……」
俺はそこで思わず口にした。
「どうした?」
リリティアが訝しげな顔をして、俺を覗き込む。
「この先は侍女たちのいる片だから、もしかしたらその下が王族の隔離場所なんじゃないか?」
応えると、リリティアは「ふむ」と唸って顎に手を当て、天井を仰ぐようにして逡巡した。
「厨房も第七片にあったな。食事を誰にも知られず運ぶなら確かにいい配置だ。――ただ、礼拝堂までは距離がありすぎる。使っているのは隔離された王族かと期待していたが、違うかもしれんな」
昨日と違ってここまでは時間を掛けずに来られたので、まだ余裕がある。
枝分かれした箇所も多かったからな、調べないとならない場所は多いはずだ。
俺たちは慎重に、かつ足早に通路を進んで……大きな部屋に出た。
土壁が剥き出しになった洞窟じみた部屋には、俺たちが来た通路のほかにもう一本の通路と、閉じられた扉がある。
鉄でできた重そうな扉は赤錆で変色しているが、地面を擦った痕がはっきりとわかった。
最近も動かしているのだろう。
「ここら辺はもう第七片あたりかな?」
聞くと、リリティアは頷いた。
「そうだ。第八片寄りにいる」
「……リリティア、どのあたりか正確にわかるんだな」
「地下はすべて把握している。神世のものと言われていて、有事の際の避難通路としても機能していたからな。重要な場所で繋がっていないのは玉座のある部屋くらいだろう。だから新しい通路とはいえ大体の感覚は掴めるというわけだ」
「確かに玉座のある部屋には階段を隠す場所がなさそうだな……鏡もないし」
思わずこぼしたそのとき。
ギギ、と。扉が震えた。
今日はお休みなのでこんな時間に更新!
本日もよろしくお願いします。




