ラントヴィー③
◇◇◇
幼い頃から、ラントヴィーには人とは違うものが見えた。
蒼く美しい光で描かれた文字、隠された書物、隠された絵画。
しかし、ラントヴィーにとってそれは口にしてはならないものだった。
なぜなら、その文字が、書物が、絵画が、恐ろしかったからだ。
――其は誰が息子か。
――其は呪われた王を知るか。
――この国は呪われて朽ちる。女神などいない。
その多くに描かれているのは、白銀の髪と蒼い瞳を持つ一族をめちゃくちゃにした残虐なユルクシュトル王と、その後、王になった者たちの話だ。
王が代わるとその世代の王女たちは地方の有力者や他国に嫁ぐとされていたが、実際は違う。
――どこかに隔離され、王族の血を引く者同士でのみ契りを交わすのだと隠された書物が教えてくれた。
そして王はそこで育まれた者から何人かの妃を選び、次の王子、王女が産まれるのだ。
ラントヴィーは自分にもいるはずの母親と一度も会ったことがない事実に震えた。
王となった者と同世代の王子たちは代々王を助ける役に付くはずなのに、いなくなった王子たちもいることを知り愕然とした。
自分も含め、王子、王女たちがそれを疑問に思っていなかったことが恐ろしかった。
――それが当たり前のように教えられてきたのだ、ずっと。
だから。ラントヴィーは……蒼い黒髪と明るい翠の瞳を持つ第五王子リヒトルディン=ヴァルコローゼが心底憎かった。
彼が自分たちのような白銀の髪と蒼い瞳を持つ一族をめちゃくちゃにした、残虐な王の亡霊のように見えたからだ。
『出来損ないめ』
『お前には女神の加護がない』
ほかの王族たちによるリヒトルディンへの愚行を、誰よりも歓迎していたのはラントヴィーだった。
しかし……第一王子アルシュレイ=ヴァルコローゼだけは違う。彼だけはリヒトルディンを庇ったのだ。
才に溢れた敬愛する兄がそうするのは何故だろうと思ったが、やがて未熟な子供から成熟した大人へとなるにつれ、ラントヴィーは気付く。
リヒトルディンは折れることなく、どの王子にも平等に接していた。あまつさえ、心底彼を憎んでいたラントヴィーにすらにこにこと話し掛けてくる始末。
それだけではない。誰よりも民に寄り添い、誰よりもアルシュレイの信頼を得ていたのだ。
違う、と思った。自分がやるべきことはリヒトルディンを憎むことではないと。
そのとき、ラントヴィーは初めて己のやるべきことを見つけた。
ユルクシュトル王と白薔薇に関する書物を各地から集め、本当の歴史を探ることである。
クルド商会はそのために利用したが、商流の勉強は国の状況を知るのにも役立った。
アルシュレイが王になるなら支えようと思うのは、なにもリヒトルディンだけではない。
ラントヴィーも志を同じくしていたのだ。
そうしてラントヴィーは白薔薇の存在を知り、己が見ていたものは術を使える歴代の者たちが残した希望の欠片なのだと悟る。
多くの書物は役に立たなかったが、それでもいくつかは『本物』であり、穢れと呪いの存在はラントヴィーを震え上がらせた。
どうやら城の地下深くに呪いが封じられていることも知り、それは同時に白薔薇の術を修得するきっかけとなったが、調べるうちにラントヴィーはさらに疑問を持つ。
――なぜ、いまの王が白薔薇の一族の血を濃くしようとするのだろう? 呪いのことも白薔薇のことも、まったく伝わっていないのに。
王になるときに、なにか歴史の話に触れるのだろうか?
それともそこで白薔薇の術を習うのだろうか?
なんにせよ歴代の王たちが皆、その在り方に疑問を持たなかったとは思えない――。
きっとこの国では、なにか恐ろしいことが起きようとしているのだとラントヴィーは焦っていた。
その矢先に、第一王子アルシュレイが襲撃されてしまったのである。
◇◇◇
ラントヴィーはそこまで話すと、まるで自分を落ち着けるかのように紅茶をひとくち呑んだ。
彼はそのまま「ふー……」と深く息を吐き出して、リリティアを真っ直ぐ見る。
「君はまだ若い。地下深くに封じられているはずの呪いは誰が封じている? ……それとも、もう溢れてしまったのか?」
リリティアはそれを聞くと、ラントヴィーの視線を真っ向から受け止めて肩を竦めた。
「――そこから齟齬がある。封じていたのは私だ。私はユルクシュトルがまだ第一王子であった頃、贄とされた白薔薇だからな」
「……! なんだと?」
「リヒト、私のことを――お前から話してくれるか」
リリティアが急に話を振ってくるので、俺は唇を結んで頷いた。
自分で口にするのは、やっぱりつらいのかもしれない。
「……アルシュレイが倒れていたのを見つけたのは、侍女が言うとおり俺なんだ」
俺は口を開いて、ひとつひとつ話した。
半身が腐敗していたアルのこと。地下に逃げたこと。
リリティアに触れた瞬間、彼女は目覚め、呪いを封じる扉が開きかけたこと。
俺を器として呪いを集約し、それとは別に俺とアルの命を繋げて扉を封じていること。
「――にわかには信じられんな。君が……ユルクシュトル王の時代の白薔薇だとはさすがに思っていなかった」
ラントヴィーは静かにそう言いながらも、首を縦に振る。
「しかし俺には君の術が本物であるとわかる。存在をぼんやり感じる程度だが、リヒトルディンの傍に君がいると気付いたときは衝撃だった」
「彼女は本当に黒瑪瑙の像だったんだ。……だからいま、アルは眠ったままだし、俺の左手は呪いの温床――『腐敗』しているんだよ――」
俺が紅色の手袋が嵌まった左手を握ったり開いたりすると、ラントヴィーは目を閉じて小さくため息をつく。
「だいたいはわかった。……では、次はアルシュレイが襲われたときのことを話そう。騎士の話では、アルシュレイが襲われたあの夜はどの階も誰ひとり通らなかったはずだ。ところが、俺は見ているんだ――アルシュレイを訪ねる『神聖王国ヴァルコローゼの王』を、この目で」
「……王、だと?」
リリティアがぴくりと白い指を震わせ、ゆっくりと瞬きをした。
「――ふむ。第一王子とやらが襲われたと報告があったであろうに、なんの音沙汰もないとは如何なものかと気にはなっていたが」
俺は――その返答にごくりと息を呑む。そういえば、リリティアが言っていたっけ。
『王子が襲われたと聞いて王はなにをしている? 顔すら見にこないつもりか』と。
こんばんはー!
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