シブヤの街
結局30分くらい歩いて、「街」に着いた。
手持ちのノートに地図を書いてルートを書いておいたから、戻ることもできるだろう。 もっとも、戻って何があるかっていうと、何もないけど。
思ったよりすぐに着いたのは意外だったけど、経路中でいくつもいくつも分岐があったため、なかなか自分1人で到達するのは難しかっただろう。
僕はテイミングモンスターであるクモに「街の近くで過ごしてろ」と命令しておいた。聞くかどうか不安だったけど、離れると着いてこないので、まぁ大丈夫なのだろう。
街は「シブヤ」と呼ばれている。由来は都内のあの街だよね。きっと。
シブヤは袋小路に部屋がいくつかくっついている場所に作られている。行政を担う部屋、酒場、自警団の事務所、一番大きな部屋が市場。もう1つは「オアシス」と呼ばれているポイントで、その他は適当な生活区画らしい。
普通の住民は、シブヤ自体には住んではおらず、シブヤから徒歩数分のエリアに住んでいる。30分くらいかかるところにいたカリナは少し変わり者なのかもしれない。シブヤには自警団があり、周辺の治安を守っている。
シブヤの通路の中心には遠吠えをするような体勢をした狼の像があり、像の前足の間から始終水が湧き出している。おしっこじゃないだろうな。
なるほど、いつでも水が確保でき、部屋がいくつか隣接しているこの場所は、人の拠点としてちょうどよい塩梅だろう。
「初でしょ? まずはギルドに登録しないとね」
この街では、街の運営組織のことを「ギルド」と呼んでいるらしい。ちょっと異世界転生ものっぽいかな。
街の中の一番の奥の部屋に案内される。ここが「ギルド」と呼ばれる場所の中心地らしい。入って左側のところに粗末なカウンターが用意されていて、そこに受付の女性がいる。
「久しぶりー! カリナ。今日はなにか用があったのかなー?」
「リカ。久しぶり。この連れの…この子が最近来たらしくって。登録、お願いできる?」
「登録ー…? あぁ、最近は久しぶりね。あぁキミ、ここに名前とか書いてもらえるかなー?」
受付の女性に促されて、名簿を確認する。
ボードとその上のルーズリーフ。そこにボールペンで手書きで枠線が引かれ、表が作られている。
「氏名」、「性別」、「出身」、「職業」、「備考」…。列はこれで全てだ。
「出身以外は書くのは任意でいいけど、知り合いがこの世界にいるかもしれないなら、『備考』欄に、なにかわかるキーワードを書いておくといいんじゃないかなー」
「探してくれたりするんですか?」
「……別に積極的に探さないけどねー、名簿は他の街とも時折交換しているから、気づいた人がいたら尋ねてくれるかもしれないしー」
「わかりました」
僕は、その他全ての項目を埋めて…、「備考」欄には元々の学校名と、事故にあった年月日を書いておいた。
「そうそう、そんな感じでいいよー。マスター、新規登録いっちょうー!」
受付嬢さんが部屋の奥に向き直って叫ぶ。
見ると、部屋の奥では椅子に座って本を読む1人の長身の青年がいた。大学生くらいの年齢だろうか。
彼は、声を聴くと神経質そうな小ぶりのメガネを少し押し上げる仕草をして、僕を見つめた。
「あぁ、新参さんだね。リカ、名簿を見せてくれる?」
受付嬢さんから名簿を受け取ると、またメガネを直す仕草をして名簿を見つめる。
……この人、こんなにメガネ直さなくていいだろ…。
「この人がこの『シブヤ』のマスター。一応、町長みたいな人かな? 癖はあるけど、いい人だから」
脇にいたカリナが小声で言う。
「ようこそ、高城くん。ま、あんまり来たくはなかったかもしれないけど」
「……」
「でも、少なくともここでしばらくこの周辺で暮らして、ここのことをもっと知るといい。それからのことは、君次第さ」
そこで、会話が終了となってしまった。
……あれ、チュートリアル的な何かを期待してたんだけど。大ハズレ?
「あの、なにか説明していただけたりとか…ないんですか?」
「マスター」と呼ばれた人物は座ったまま僕を上目使いで見て言った。
「なにか、興味あることはあるかい?」
「マスター、もう少し説明してあげてもいいんじゃない? あと、『備考』欄にも情報を書いてもらってますからー! そこからわかることとかー!」
受付嬢さんが助け舟を出してくれた。
「うーん、まぁ、そうだね…。ここはなんとなく助け合いのために必要な人が集まっているだけだからね。最低限のことはそこのカリナから聞けばいいだろうし」
「……私がやるんですかそれ」
カリナさんが「正直ちょう面倒」みたいな反応をした。一応、ここまで一緒に行動して、それなりに打ち解けたつもりだったので少し気落ちした。
「…あとは…、あぁ、備考欄か。あぁ、うん、これは…、見たことあるような気もするな」
マスターが席を立って後ろの本棚に向かう。机の後ろには複数の本棚が並んでいて、多くの本がある。
マスターはその中から一冊の汚い薄い束を取り出して、パラパラとめくる。
「あぁ、これこれ…」
「何かありましたー?」
受付嬢さんが素っ頓狂な感じで反応する。
「えっと…、この佐原さん。『佐原 珠希』さん。学校名が一緒だね。知ってる人かい?」
マスターが古い名簿の中の1つの人物を指して言った。
「佐原…サハラ…」僕の中で名字がまわる。えーっと…、クラスにそんな女子がいた…な。話したことはないけど。
「はい。クラスメイトだと…、思います」
「あんまり親しくはなかった感じかな。…もうここに登録したのは数年前だから、どうなっているかわからないけど、生きているとしたら周辺にいるかもしれないよ。注意してるといいかもね」
マスターは「生きているとしたら」と言った。この世界は、「死んでいても普通」な世界だということを感じる。
「数年前…?」
カリナが少し不思議そうな反応をした。確かに、同じ事故でここに来たのなら僕と同じタイミングなのが自然なのかもしれない。
「不思議かい?」
僕たち2人の怪訝そうな様子に気づいて、マスターが聞いてきた。
「えぇ。同じタイミングじゃないんだな、と…」
「そうだね。わりとレアケースかもしれない。ただ、この世界は不思議なことがいっぱいだからね。理由はわからないし、調べようもない。会ったら聞いてみるといいよ」
マスターはこういうことには慣れているのだろうか。サラッと流されてしまった。
「あぁ、そうそう、何か特殊なスキルとか、モンスターとか、アイテムとか、その他貴重なことがわかったら報告してくれないか? 例えばその、佐原さん? が君より早くここに来ていた理由、とかね」
「マスターは、この世界の謎を解き明かそうと必死なんですよー」
受付嬢さんが微笑んで言う。
「この世界の謎を解き明かすのは我々の義務さ。ライフワークといってもいい。我々は、我々の独自でこの世界のルールブックを作っていかなければね」
「……ここにはある程度情報が集まっているから、知りたいことがあったらいつでも来るといい。知の扉は、誰にでも開かれている」
「……こういうことを語るときだけ、元気なんですよー…」
受付嬢さんが、少し呆れたような顔して言った。
ともあれ、これで「シブヤ」のギルドに登録が完了して、僕も晴れてシブヤの一員となったようだ。
「……もう少し、新人の面倒を見てくれると助かるんだけど。いっつも人任せ…」
カリナが愚痴をはく。正直、こんな綺麗な人に邪険にされると、高校時代の扱いを思い出してちょっと寂しい。
「カリナさん、えっと…、これからどうしましょう?」
「『カリナ』でいい。ここ、年上も年下もないから」
「…わかりました」
「あと、丁寧語もいらない」
「とにかく、ここで生きるのに最低限のことは教えてあげる」
最初は冷たい印象も受けたけど、カリナは基本親切だ。僕が生きるために必要な知識を教えようとしてくれる。僕は、異世界で幸運にも出会った親切な先生に頭を下げて言った。
「お願い。カリナ」