もしもまた明日、今日が続くとして。
「秘密基地が作りたいな」
ぽつん、と08が呟いた。テレビの視聴を続けながらのひとことだったが、別に、見ていたのは秘密基地に関するものではない。女の子が変身して悪者を退治するような、そういう系統のアニメーションだった。
わたしは飲まれもしない紅茶を軽く揺すってから08の手前に運ぶと、よく考えもせずにいいね、と答えていた。
テレビの向こうでは女の子が決め台詞である「ずずいっとお縄につきなさいっ!」を、壮大なBGMと共に流したあとだった。
それからわたしたちは急いで仕度を整えて、家を出た。もう入ってくる人もいないから、鍵は掛けなかった。
「秘密基地って、作ったことがないから、セオリーがわからないよ」
「だいじょうぶ、任せて。こないだ見たアニメーションで、秘密基地のことやってたから」
「どうやって作るの?」
「まず、場所を用意しないと」
「どこに作るの?」
「地下」
「地下なんて、どこにあるのさ。今から掘ると、間に合わないよ」
「じゃあ、近場にしよう」
「だから、どこに」
人気も何もなくなった住宅街を、手を繋ぎながらとことこと歩いていく。わたしは家政婦型アンドロイドだからとことこ、なんて軽めの擬音だけれど、戦闘型アンドロイドである08は、動くたびに、身体中に仕込まれたからくりがかしゃかしゃと鳴った。
どこがいいかな、と08。
「86は、どこかいいかな、ってところ、ある?」
「ないよ。わたしは、ただ、08についてきただけなんだから」
わたしは人びとと生活を共にする用途のアンドロイドだから、人工皮膚であるエピテーゼが身体中に貼りつけられているけれど、08はその限りではない。
戦闘型アンドロイドである彼女は、いろいろな兵器を身体に仕込む代わりに、必要のないものは一切排除された。
わたしには当たり前にある皮膚も爪も、人工毛髪も衣服も彼女には必要とされなかった。まあ、アンドロイドというのはそういうものなんだけれど。必要のないものは徹底的にデリートされる。排除されて、人様のための行動をプログラミングされて、徹底的に。
わたし、こと、正式名称Type-House-keeper-BBSPAPDTT-00066786と、08こと正式名称Type-Combat-POPORRQKLL-66957008が出会ったのは、一月と十日の八時十七分二十七秒前のことだった。
家の近くのゴミ処理場で、ゴミみたいな格好で寝そべっていたのを見たのが、始まりだ。
そのとき戦闘型のアンドロイドを見たのは初めてだった。
というか、そもそも、この近辺に戦闘型なんて剣呑すぎるロボットは置いていない。この辺りは高級住宅と銘打っているだけあって、治安の良さは折り紙つきだ。そんな区域でも、今は、誰ひとりと人間は見当たらないのだけど。
どうして08がそこにいたのかはわからない。そこのところを、わたしは訊いたことがなかったし、08も語ったことがなかったからだ。
人間はそういう過程を大事にするものだとは聞いたけれど、わたしたちアンドロイドにとって重要なのは、今ここに、わたしと、08がいることだけだ。
「ねえ、86」
家を出て、十分と四十三秒が経過した辺りで、感情のない声で08が呼んだ。
声を掛けることなく、わたしは08を見た。08はわたしではない方角を向いていた。
「秘密基地、あそこにしよう」
そう言って08が指を差したのは、何の変哲もない、小さな公園だった。
もう長いこと、遊ぶ人も手入れする人もいなくなった公園。
ぼうぼうに伸びきった雑草に、きいきいと小刻みに揺れるブランコ。ぞうさんの形をした滑り台の上は、泥やら何やらでいたく汚れている。砂場と、それから半円の、ドーム状になった遊具。雨風は凌げそうだ。わたしたちにそれを凌ぐ必要はないのだけど。
誰からも忘れられてしまったみたいな、小さな公園だった。
くすり、とわたしは笑った。
08は笑わなかった。
「秘密じゃないじゃん」
「秘密だよ。だってもう、誰もここには来ないんだから」
「そうだけど」
ああ、人間たちはどこへ行ったんだろう。
もう逃げられる場所はどこにもないと言うのに。
家を捨てて、どこに行ってしまったんだろう。
明日、世界は滅亡すると言うのに。
「声、ひびくね」
「うん、ひびく」
「落とす?」
「ううん、だいじょうぶ」
ドームに入ると、思った以上にそこは狭かった。もともとは人間の子供たち用に作られたものなんだから、当たり前だ。
わたしたちは中腰になりながらドームに入って、ドームの中だと、しゃがまざるを得なかった。
「いよいよ、明日だね。隕石が落ちるの」
「よその国では、もうとっくに落ちてるんだよ。ここが、ちょっと平和的すぎるんだ」
08は、戦闘型として作られているぶん、いろんな国へ行って、いろんな知識を持ってくる。家の中のことしか知らないわたしには、ちょっと羨ましい。
「とうとう、明日か。わたしたちが壊れるのも」
「壊れない可能性もあるよ。隕石が、私たちの上に落ちるとも限らないから」
「そうかなあ」
「人間は、いろんなものがないと生きられないけど。酸素とか、食べ物とか。私たちは、ほら、内蔵メモリがあれば生きていけるから」
そうだけど、とわたし。持ってきたかばんを、片隅に寄せる。
「でも、人間がいない世界は、きっとつまらないよ」
「……そうだね。私たちは、人間のために作られたから」
人間のために作られたもの。
だから、今から、人のいない世界で暮らせと言われても、きっとどうしたらいいかわからない。
しばらく黙って、08は、自分のかばんから中身を取りだした。わたしもまた、かばんを開けた。
秘密基地には、自分の大切なものを持っていって、大切にしまいこむものらしい。おそらく08はタイムマシンと覚え違いをしていると思うが、特に何も言わず、わたしは言う通りにした。
次々と、かばんから中身を取りだしていく。前の主人にもらったヘアブラシ。長いこと我が家に置いてあったフレーバーティー。冷凍庫に眠っていたアイスクリーム。主人の奥さまが大切にしていたオルゴール。最後には、主人のご令嬢からもらったこんぺいとうの瓶詰めを。
「食べ物ばかりだ」
横から見ていた08が言った。
「だってもう、食べる人もいないから」
ここで一緒に、眠ろうかと思ったのだ。
わたしたちに、食事は必要ないのだから。
「そういう08は、何を持ってきたの?」
「うん。いろいろ」
そのいろいろの内容を訊いているわけだが。わたしは08の手もとを、ひょっこりと覗きこんだ。
08は昔の文明が好きだ。その嗜好からもわかる通り、持ってきていたのはずいぶん古めかしいものだった。
どこにも繋がらないスマートフォンに、携帯ゲーム機、指定した時間に音楽を鳴らすという時計に、小さなUSBメモリという代物。そして、最後に取りだしたのは、携帯ラジオだった。
「…………最新機種だね、珍しい」
本当に、08が新しいものに手を出すのは珍しいことだ。
どれだけ便利な世界になったとしても、世の中には08のように、『アナログ』の代物に興味を持つ人間はことのほか多い。そういった人間のニーズに応えるため、今でも『アナログ』な仕事に就いている人間は多かった。
この携帯ラジオも、イヤーカフスラジオが流行っているなかに作られた、最新のモデルであった。
「どこにあったの? こんなもの、うちにはなかったはずだけど」
「ゴミ捨て場。最初は壊れてたんだけど」
わたしたちはその出生ゆえか、機械にはめっぽう強い。わたしが有り合わせの部品でオーブンやら、オルゴールやらを直すたびに、わたしの主人は「自分の子供を宥めすかすみたいなもんなんだろうなあ」と紅茶片手に笑っていた。子供のいないわたしには、意味がよくわからなかった。
「見てて」
と言って、08はラジオのアンテナを伸ばすと、つまみやらスイッチやらを操作し始めた。もう放送している局などはないだろうに、何をやっているのだろう、といささか困惑する。
と、奇跡的に、どこかがヒットしたらしい。ざざざ、という雑音のあとに、聞き慣れた声。
『ーーーー……じ、…………て、……隕石流星群降下推測時刻まで、残り、十二時間となりました。こうして、まだ機能し続けていられることを、我ながら不思議に思います』
「わたしだ」
その声は、もう何十年と聞き慣れたアンドロイドの、BBSPAPDTTの0006タイプの声に間違いなかった。
つまるところ、わたしの声だった。
びっくりでしょう、と、08。
「昨日、見つけて、直してから、ずっと、二時間ごとに流れているんだ。この放送。どれぐらいからやっているのかわからないけど」
もう、長いこと、ラジオだのテレビだのは機能していない。生きている人間も、生きていない人間も、ロボットもアンドロイドも、正しく稼働しているところを見なくなった。この『わたし』だって、本当は家政婦型なのだから、正しく働いてはいないことになる。
しばらく黙って、わたしは『わたし』の声を聞き続けた。
『皆さんは、只今、どういう状況に置かれていますでしょうか。わたしは、正直、二時間ごとに放送を流すのはちょっと疲れました』
アンドロイドに似つかわしくないことを言う。アンドロイドなのだから、疲れる、も何もあったものじゃないだろうに。
でも、わたしも最近、ちょっとアンドロイドらしくないことになっている。
08が変なことをするたびに笑ってしまったり、アンドロイドらしくないぽかをやらかして、それに泣きわめいてしまいたくなったり、かと思ったら、スキップをしたくなったり、昔懐かしの音楽を鼻歌してみたり。
変なことになっている。
故障してしまっているのかもしれない。でも、わたしの製作者はもう既にいないし、わたしはわたし自身まではさすがに直せない。
アンドロイドにアンドロイドは直せない。
変に自我が入っているから、妙なふうに改造されたら困るから、と製作者は言っていた。意味はよくわからない。
『でも、己で始めたことでありますから、やり遂げます。誰かひとりでも、わたしの放送を聞いてくれるなら、やめる選択はありません』
ラジオ向こうのわたしも、故障をしてしまっているのだろう。だから、こんな妙なことをやっている。わたしは、この向こうのわたしのことを思うと、何だか変に、胸がすくような、頭の中がくっきりとするような心地になった。
あとついでに、やっぱり、泣きたくなった。人間の子供みたいに、駄々を捏ねてみたくなった。どうしたことだろう。
「隕石が落ちたら」
今までむっつりと黙りこんでいた08が、唐突に物を言う。
「もしここに隕石が落ちてきたら、ひとつ残らず、私が撃ち落としてあげる」
「…………」
「守ってあげる。86のこと」
08が顔を向けてくる。彼女にはエピテーゼが貼られていないから、表情というのがない。丸く縁取られた輪郭の、『メカメカしい』顔つきだけがそこにある。
「そっか」
とわたしは言った。その08の言葉だけで、頬が勝手ににっこりとしてしまう。困ったな。いま故障してしまうと、わたしを直す人なんて誰もいないのに。
「じゃあ、どうしよう」
「?」
「もしも08が隕石をぜんぶ撃ち落として、わたしたち、明日も普通に機能していられたなら、どうしようね。何をしようか」
「…………」
08は、こっくりと俯いてしまった。しかしそれもまた一瞬のことで、すぐに、顔を上げてわたしを見る。
「私は、人の役に立ってみたい」
「……わたしたちは、そもそも、人の役に立つために生まれた存在なんだけど」
「そうじゃない」
と、ぶんぶん08は首を降った。
「今まで、私は人を殺してばかりだったから。今度は、人を治してみたい」
「…………」
「私、明日、隕石が降り終わったら、いろんなところに行くよ。いろんな区域に行って、いろんな国に行って、それで、生き残っている人の、役に立ってみる」
「…………」
「私たちはアンドロイドだから、ちょっとやそっとじゃ壊れないし、疲れたりもしない。だから、だいじょうぶ。人間を、治したい、と思う」
その言葉に、わたしはやっぱり泣きたくなった。
アンドロイドは涙を流さない。そもそも、流すとして、何を流すと言うのだ。オイルくらいしか、出てこないと思う。いやオイルだって流れない。ひと昔前の、それも一世代は昔の、旧型だってもうオイルは使わないというのに。
「86は」
「……うん?」
「86は、何がしたい? 隕石が降り終わったら」
まるでもう、08はすでに隕石は取るに足りないものと決めつけてしまったみたいだ。もう、撃ち落とす気満々である。
無理に決まっているだろうに。確率で考えてみてほしい。わたしたちアンドロイドの十八番だろう、そういうのは。
彼女は、とても優秀な戦闘型アンドロイドだったのだろう。だからそんな、自信満々でいられる。だから、そんな、ぼろぼろになっても、まだ。
まるごと欠けた、頭部の左部分。
なくなったまま見つからない右腕。
メカメカとしたメタルの色をしたボディには、ところどころ、見つからない部品がある。
そこにはぜんぶ、戦闘型アンドロイドの要とも言える、銃とか、ミサイルとか、そういう、兵器が仕込まれていた。
ぜんぶない。
なくなってしまっている。
アンドロイドにアンドロイドは直せない。
彼女が機能していられているのは、ひとえに、内蔵メモリがまるごと無事だからだ。
内蔵メモリ。
人間で言う、わたしたちの、脳みそ。
それがあるから、わたしたちは、『わたしたち』でいられる。
「ねえ、08」
「うん」
「どうしてここを、秘密基地に選んだの」
「綺麗だから」
08の言葉は、いつも、端的だ。
端的に、思ったことを、ぜんぶ言ってくれる。
「この区域のなかで、ここが一番、綺麗だったから」
わたしは頷いた。
「うん」
わたしは言った。
「そうだね」
わたしは知っていた。
「とても綺麗だ」
08がここを選んだ理由。
きっと、わたしが08でもここを選んでいた。
誰からも忘れられてしまったみたいな、小さな公園。
だからこんなに綺麗でいられるのだろう。
瓦礫も落ちていない。
地面がひび割れて、いたく歩きにくくなったりもしない。
遊具も壊れていない。
焼けただれていたり、ぐちゃぐちゃにつぶれた人が倒れていたりもしない。
こんなに綺麗な場所を見ると、家には、帰りたくなくなってしまう。
今まで、わたしが綺麗に保っていた家。
ガラスというガラスが割れた家。
家具や雑貨類がぐちゃぐちゃになってしまった家。
人間が住み続けるには、大変な家。
かつてはわたしの主人だった人や、その家族が、今なお転がっている家。
「わたしは」
08が反応する。
「わたしは、わたしに会いに行ってみたいな」
「明日?」
「うん」
「この、ラジオの86?」
「うん」
どこにいるかは知らない。今まで、ラジオの放送局がどこにあるかなんて興味がなかったから。
かつては使えた検索ベースも、雑音がひどいし、たまに恨み言なんかも聞こえて、嫌になるから、もう使わないことに決めている。
だから、ラジオの向こうにいるわたしに会えるのがいつになるのかは、計算が得意なわたしたちでも、ちょっとわからない。
けれどもしまた明日、今日みたいに、『今日』が続くのなら。
それなら、会いに行ってみたいな、と思う。会いに行って、ちょっとだけでも、話してみたいなあ、と。
ふうん、と08は言った。
「私も、ついていっていい?」
「08、人助けに行くんじゃないの」
「差別はしない主義なんだ。人でもロボットでも、私は助けるから」
「じゃあ、途中までは、一緒に行こうか」
「うん」
「明日、隕石が、降り終わったら……」
「……うん」
わたしは笑った。
08も、なんとなく、笑ったような気がする。
笑ってくれていたらいいなあ、と思う。
わたしと一緒に、故障してくれたら、もっといいのに、なんてことを……。
『…………世界は変わってしまいました。どこもかしこも、些細なことでいさかいが起きて、当たり前のように、道の真ん中で人が死んだりして……』
目を瞑る。
ドームの中の映像は遮断されて、真っ暗になった。
真っ暗な視界のなか、隣に手を伸ばす。
『昔のアニメーションで見た、世紀末、とは、このことを言うのでしょう。もはやこの世の中に、平和な場所などありません。ラジオを聴く余裕も、世界にはないのです』
手を握る。
感覚なんてないはずなのに、握られたそれを、あたたかいな、と思う。
壊れた証拠なのに、この感覚を、いいな、と思う。
真っ暗な視界。
真っ暗な世界。
『それでもわたしは、この放送を続けたいな、と思います。誰かひとりでも聞いていてくれるなら、続けていたいな、と。どうしてそう思ったのか、判然とはしません。ただ、続けていられるなら、続けていたい、と。その感覚のまま、これを続けています』
「ねえ、08」
「うん」
「自分から言ったんだから、隕石、ぜんぶ止めてね」
「うん」
「有言実行だから」
「うん」
「それで、隕石が止んだら、まずは、西の方にでも行ってみようか」
「うん」
「西の方に、すごく高い塔があるから。こういうラジオって、高いところでやるんでしょう」
「うん」
「道中、機能を続けている人間がいるかもしれないから、声を出しながら行こう」
「うん」
「機能している人間がいたら、助けなきゃね……」
「うん」
「ねえ、08……」
「うん」
「楽しいね……」
「うん」
「こういう話、すること、なかったもんね……。一月も、一緒だったのに……」
「うん」
「楽しいねえ……」
「うん」
「…………」
隣の気配が動いて、ぎゅう、と抱きしめられる。
全身に広がるあたたかさが、何だか、ひどく、くすぐったかった。
うん、うん、と08は、言葉を続けていた。
まるで、わたしの言いたいことを、ぜんぶ、わかっているみたいだった。
やっぱり、くすぐったかった。
『十分が経過しました。そろそろ、この放送も一旦休止したいと思います。それでは、皆さん、また一時間と五十分後に。さようなら』
そして、ラジオから音が止んだ。