黎明の遊戯5
銀行員の成瀬さんがそれに気づいて、データを落としたのか。
マネーロンダリングが実際に行われているのなら、暴力団関係者が関わっている可能性もある。
銀行内の取引先データは消されているかもしれないが、このデータを元に調べれば誰が資金洗浄の中心となっているかはわかるだろう。
「……警察に通報する」
俺に出来るのはそのくらいだ。
メアリもそのつもりだったのか頷いてくれた。
「実はもう、警察を呼んでいるんです」
いつの間にかメアリの後ろに眼鏡の男が立っている。
男は警察手帳を取り出すと、それを開き俺に見せた。
「警視庁の張本です」
スーツの襟元には赤バッジ。捜査一課の刑事らしいことが窺える。
成瀬さんの事件を捜査している刑事なのかもしれない。
「実はこの図書室にいる人全員、刑事さんなんです。万が一、USBメモリやアイハラ先生に危害が及ぶといけないと思って」
勉強していた学生や、本の管理をしていた司書がやって来て俺に頭を下げる。
どうやら本当に警察関係者ばかりのようだ。
気を張っていた俺は拍子抜けしてしまう。
というか、メアリは本当にこの大学の学生なのだろうか。
「私はただの大学生ですよ」
見透かしたようにメアリが笑った。
その後で刑事たちが彼女のパソコンごとUSBメモリを回収していく。
ただの女子大生がこうも警察を動かせるものなのだろうか。
疑問に思ったが、世の中聞かない方が良いこともあるだろう。
知ってしまったら後戻りはできない……そんな予感が俺の頭を過る。
「なぁ、メアリ……君をモデルに小説を書いてもいいか?」
「いいですよ。私なんかでよければ喜んで」
駄目で元々の提案はすんなり受け入れられてしまった。
許可も取れたので、来月締め切りの短編は彼女をモデルにした探偵で行こう。
それがメアリと出会った証になる。そして、成瀬さん……北原真代への供養にも。
メアリと大学前で別れた俺は、そのままどこにも寄らずに家に帰った。
パソコンに向かって原稿を書き始める。
ネタ帳やプロットも作らず、ただ思うままに書き出していった。
一段落して、テレビをつけるとニュース番組がやっていた。
成瀬さんの事件の犯人が捕まったようだ。
同じ銀行の行員で、マネーロンダリングを主導していた男らしい。
男に資金洗浄を依頼したと見られる暴力団関係者も、その件について取り調べを受けているようだ。
俺やメアリが事件に関わったことは一切報道されず、ニュースは終わった。
俺は、メアリをモデルにした短編小説『女子大生探偵マリー』を書き終え、原稿データをメールに添付して送信した。
もちろん、モデルにしたのはメアリだけで、事件は新しく作っている。
何とこの『女子大生探偵マリー』がヒットし、俺は心新たに推理作家として少しずつ書いていけるようになった。
短編作品だったにも関わらず、シリーズで長編を書くようにと編集部から言われたくらいだ。
成瀬さんの事件から半年以上が過ぎた日。
俺は『女子大生探偵マリー』の検本が届いたので、その一冊をもって墓参りに来た。
成瀬さんの眠る墓……北原は彼女の旧姓で、結婚して成瀬になったらしい。
ただ、その結婚もうまくいかずに事件前から別居中だったという。
そんなこともあり、北原家の墓に彼女はいた。
花と線香をあげて、手を合わせる。
その脇にそっと検本を置かせて貰った。
――成瀬さん、俺の小説を読んでくれてありがとう。これからも書き続けるよ。
目を閉じて心の中でそう伝えた。
風が吹き、辺りの木々を揺らす。
空耳かもしれないが、『こちらこそ、ありがとう』という声が俺の耳に届いた気がした。