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思い返すはお風呂の中で

「まさか、カラなんて・・・」

フミノ=フォスターは浴槽の前で子供を抱いて茫然としていた。

ヨウゼン=フォスターは確かに、風呂に湯を張ったとは言っていないが

浸ってなんぼの風呂なのだから、張ってくれても良いではないか。


「そういうところがあるのよね」

一つ溜息をついたあと、子供を網かごに入れて浴槽の端にある

2本の石筒へ手を伸ばす。


右の石筒の蓋を外すと勢いよく水が浴槽へ流れ出す。

続いて左の蓋を外すと、今度は熱湯がこぼれ落ちるように

浴槽へ注がれていく。


徐々に溜まっていく湯をみながら、フミノがまず考えたのはヨウゼンのことだ。


時々風呂を指示しながら、湯を入れないような抜けたところがあるが、

本質的には知謀の人だ、知をもって自身とフォスター家を守ってきた。


この風呂のアイデアも彼のものだ。

井戸からくみ上げた水が2本の石管をを通して浴槽に注がれる。

その内1本は釜と繫がっていて、湯になって注がれる。


仕組みは一度聞いてみたが、さっぱり理解できなかった。

熊との遭遇戦でもヨウゼンがいなければ、自分もこの子も死んでいた。


温めの湯が半分ほど溜まったのを確認すると、水を止めて

子供を抱いて湯につかった。


それでも、と肩まで湯につけた子供の姿をみてフミノは思う。

(あの人がいなくても、この子を守ろうとしただろう・・・)


自らは温い湯に鳩尾までしか浸かれていないため肩から胸が冷える。

その冷えは数時間前のことを思い起こさせる。



雨が降っていた。

目の前には熊がいて、その足元に伏している人間の下半身を喰らっている。

既に死んでいるのだろう、その体はピクリとも動かない。


そのままゆっくりと立ち去れば、離脱は確実だった。

ヨウゼンと目配せを行う。何をするべきかは明白だ。


フミノは心で詫びながら、ゆっくり右足を後退させかけた。

足が止まったのは、フミノの目があるものをとらえたからだ。


喰われている遺体の上半身が何かを抱えていた。

(子供だ!)

泥にまみれているが、確かに小さい子供が見える。


それでもフミノは判断を変えるつもりはなかった。

食事中の熊に近づくことは戦うことと同じだ。

そもそも子供が生きているかどうかも疑わしい。


戦場で生きてきた彼女は知っている。

【救いたい】と【救える】は同じではない。

そこを見誤ることは自身の死に直結する。

見切ることで、見捨てることで自分を守ることがあるのだ。


今がまさにその状況にある。

間違いなくヨウゼンも同じ考えだろう。


フミノはもう一度右足を後ろに下げる。

そのつま先が地についた瞬間、彼女の中で声がした。

護れ、と。


次の瞬間、彼女は熊に向かって飛んでいた。

彼女らの存在が完全に意識の外だった熊は、突然の乱入に硬直していた。


フミノは死体の元にたどり着くと、抱えられた子供を引きはがそうとした。

だがそれはできなかった。

彼女には突然子供が宙に浮いて近づきてくるように見えた。


(生きて・・・いたの?)

死体と思っていたものが子供を手渡そうを手を伸ばしていたのだ。

受け取るフミノの手は震えていた。


生きたまま喰われていた彼女は、最後の力で子供をフミノへ手渡した。

「そ・・ぉ・・た・・・ぁ・・・・」

末期の息でそれだけ告げると、糸が切れたように泥に落ちた。


フミノが受け取ったものは熱の塊のようだった。

(生きてる・・・)

だがその実感を噛み締めている時間は与えられなかった。


「フミノ!」

ヨウゼン=フォスターの声が彼女を現実に引き戻す。

熊の右手が襲い掛かっていた。


間一髪躱して、バックステップを繰り返し距離を取るフミノ。

その間に剣をぬいたヨウゼンが割って入り、熊と対峙した。


ヨウゼンの背に守られる形となった彼女は、自分の懐にある

熱の塊が急速に冷めていくのを感じていた。


塊に手を当てて泥をよけると、真っ白な顔が出てきた。

血が通っていないかのように白い。


直感的に理解できた。

この子には時間がないと。


護るためには戦うしかない。

あの一歩を踏み出した瞬間に覚悟はできていたのだ。

この子を護るために今戦うのだ、と。


雨はいつの間にか止んでいた。



「ソータ・・・」

この子の名前なのだろうか、託した者の最後の言葉。

風呂の湯はフミノの胸元まで増えていた。

子供の顔が彼女の豊満な胸に乗っているように見える。


この気持ちは何なのだろうか。

自分の子供たちへと同じくらい熱い想いが胸に広がる。


数多くの者を見捨て、同じくらい殺してきた自分が

たった一人の他人の子を救いたいと希っている。


自分が託されたのは、想いそのものかもしれない。

自らが生きながら喰われても、なお我が子を案じる想い。

強烈なシンパシー。


「起きなさい、ソータ」

目を覚まさない子の髪を撫でながら、声をかける。

託したものの想いと託されたものの想い、その2つに

あなたは答える義務がある。


万感の思いとは裏腹に、穏やかに声をかける。

「起きなさい、ソータ」


ソータはピクリともしない。


フミノは嘆息して天井を見上げた。

彼女は目を閉じて、決意する。

(諦めるものか)


何日でも、何週でも、何か月でも、何年でも。

この子が死んでいないなら、私は諦めない。


「私は諦めが悪いんですからね」

頭を戻して、目をつむったまま宣言する。


そして目を開いたフミノは・・・

ソータと目があった。

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