少女は名を得る
「治癒のちから・・・」
「というには少し物足りないがな」
カナメの言葉にヨウゼンは冷静に応えるが、内心は舌を巻いていた。
確かに北の国には、神奪者と呼ばれる異能を持つものがいるとは言われていた。
しかしヨウゼン自身はその力を見ることはなかった。
20年前に北の国が他国の内乱を鎮めるために出兵した際ですら、
神奪の力は見せずじまいで終わった。
そのせいか今では、神奪という言葉はおとぎ話と同義となっていた。
伝説の業というには物足りないが、いえ傷を癒すというおとぎ話レベルの事象を目の当たりにして
ヨウゼンは神奪の存在を認識せざるを得なかった。
「どうして、直せるってわかった?」
トウマが桶をソータの横に置いて、少女に尋ねる。
少女はキョトンとした顔をして、フルフルと首を振った。
わからない、という意味だろう。
「体が覚えているってことか。ソータ、乗せるぞ」
カナメが桶から布巾を取り出して絞ると、わずかに赤みの残るソータの甲に乗せた。
「すごいね。痛くなくなったよ」
ソータが声をあげると、少女ははにかむように微笑んだ。
その日から少女はフォスター家の一員となった。
皆は彼女をパラと呼ぶようになる。
名づけ親はヨウゼンだ。
本来は癒すという意味のもっと長い単語だったが、略されてパラとなった。
パラは記憶がない以前に何も知らない娘だったが、フォスター家で生活することで
急速に生活に必要な知識を吸収していった。
ただ武芸に関しては、手を出そうとはしなかった。
ソータたちが訓練する場には、治療を目的でついてはくるが、
参加を促されても、首を横に振るばかりだった。
理由を尋ねると、少しの沈黙の後に答えた。
「嫌いだから」
争いが嫌いなのか、暴力が嫌いなのか、武器が嫌いなのか。
彼女自身にもわからなかったが、嫌悪感はぬぐえなかった。
「カナメは弓を撃つのが、好きなの?」
膝を抱えて座るパラは、練習中のカナメに問いかけた。
それはやや棘があるニュアンスで、殺すのが好きかとも受け取れた。
「好き・・・ねぇ・・」
カナメはパラに顔を向けた状態で、矢を放つ。
的を見ずに射たにも関わらず、矢は木の的に突き刺さる。
カナメは髪紐をほどいて、後髪を開放する。
そこだけを見ると、女性のようだ。
弓を脇に置いて、パラの横に腰を下ろす。
「パラは嫌いなんだね?」
「質問に質問を返すのは良くない」
パラは抗議した上で続ける。
「嫌い。武器を持つ人も使う人も」
「でもそれは・・・」
「わかってる!」
彼女は説明を試みるカナメに食いつく。
「馬鹿な事言ってるって。武器なしで獣は狩れないし、
盗賊から身を護れない。でも・・・」
怖いの、とパラは自分の膝に顔を埋める。
少しの沈黙の後。
「私も怖いんだ」
カナメは空を見ながら続けた。
想像するだけで手足が震える。
自分を殺そうとする敵が至近距離まで近づいてくる。
相手を斬って、自分も斬られる。
私はトウマやソータのようにはなれない。
練習では何とかなっても、多分実戦では無理だろう。
そんな自分でも弓なら大丈夫だった。
「弓なら・・・さ」
カナメは脇に置いた弓を手に取って語る。
自分の味方が傷つけられる前に敵を倒すことができるかも知れない。
敵が近づく前に制圧できるかも知れない。
脅すだけで誰も傷つけずに済むかも知れない。
パラは顔を上げて、カナメを見ていた。
「カナメも怖いの?」
「みんな怖いよ。ソータだってね」
多分バンも、とカナメは今は亡き弟を想った。
「トウマも?」
「・・・・」
カナメは笑顔で何も答えない。
何事にも例外はあるということだろう。
「私にもできるかな」
「パラは向いていると思うよ」
カナメは弓をパラに持たせて続けた。
「弓は残酷だけど、優しい武器だからね」