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少女のちから

少女は何も知らなかった。

自身の名前も、出自も、ここに至る経緯も。


少女は何も持っていなかった。

自分を証明するものも、記憶も。


日用品の使い方は知っているが、使用後の洗い方は知らなかった。

貨幣を使ってモノを買う概念は知っていたが、貨幣の区別がつかなかった。


ヨウゼンは少女が相当高い身分であると判断した。

「証明するものを持っていないのは、持つ必要がないのだ。

貨幣を知らないのも、炊事・洗濯がわからないのも、

その必要がない立場と考えていいだろう」


そのように子供たちへ説明をするが、問題は少女をどうするかだ。

自国の上層部へ働き掛けて、少女を返すなり預けるなりするべきだろう。


世捨て人のように隠遁している彼にとって、神奪の国の姫かもしれない者を

拾ったと喧伝することは、決してプラスにはならない。

国の中枢部には彼を快く思わない者も少なくないのだ。


それは彼女にも言えることだろう。

自身のあらゆる記憶を消された上で、どうやって解くかも知れない繭に

包まれて流されてきた。


何かから逃れる過程で記憶を失ったのか、記憶を消されて追放されたのか。

どちらにしても少女にも敵対軸が存在する。


「さて、どうしたものか」

ヨウゼンは呟き、3人の息子に少女の処遇を聞く。


カナメは少女を神奪の国へ戻すべきと論じた。

彼女が逃げてきた可能性がある以上、追っている側が主流派であれば、

匿うことは二国間での軋轢となりかねない。


トウマはこの地から逃すことを提案した。

追放された可能性もあることから、この地からさらに遠くへ逃すのだと。


ヨウゼンは、何も言わないソータに水を向けた。

ソータは真顔で答えた。

「かあさまなら何と言うかなって考えてた」


皆が一人の女性の顔を思い浮かべる。

ちょっと変わり者で、とても優しく、とんでもなく強かった彼女のことを。


-まぁ、家族が増えたわね!-


3人はどっと笑いだした。

「言うなぁ、絶対言うだろうな」

「絶対何も考えてないよな」

「真剣に考えたのが馬鹿みたいだ」


彼女の記憶が薄いソータだけ首を傾げる。

そんな彼の頭にヨウゼンが手を置く。

「お前はとても良いことを言った」


さらにポンポンと叩いて、続ける。

「決まったな。とりあえず記憶が戻るまでだが、彼女は家族として処遇する」


「となれば、呼び名を決めないといけませんね」

カナメはまるで猫を拾ったように言うが、実際本人が名前を覚えていないのだから仕方ない。


「そういえば、あの子はどうした?」

トウマはキョロキョロと辺りも見渡す。

「鍋の火を見てもらっている」とソータが言い、呼んでくるよと続けて台所へ向かった。


廊下を小走りに駆けながら、そういえば何て声を掛けたらよいのか思案していていた

ソータだが、台所の有様を見て、ささやかな悩みは吹き飛んだ。


鍋の湯が煮えかえっているのを何とかしようとしたのだろう。

鍋の番をしていた少女は、ツル形状の取っ手に木のおたまを通して、鍋を持ち上げていた。


当然その動きは危険きわまりない。

鍋のバランスを崩さないように、テーブルに向かって集中して歩いているが、彼女は気づいていなかった。

木のおたまは、本来の目的に沿わない使い方に耐えられず折れかかっていた。


少女がさらに一歩進んだ瞬間、木のおたまが耐えきれず折れた。

その上、そのことに驚いた少女がつんのめった。

落ちていく鍋に頭から突っ込んでいくように。


ソータは既に動いていた。

少女の傍に飛び込んで、彼女の体を両手で支える。

さらに鍋が床に落ちる前に、つま先で鍋を受け止めた。


しかし、さすがに湯の入った鍋をつま先で止めることができないと判断したソータは

足首に収まる鍋を思い切り蹴り上げた。

中空に飛んだ鍋は、内部の湯を花開くようにまき散らす。


ソータは少女を抱えて床を蹴り、先ほどまでいた廊下に飛び込もうとした。

そこには既にトウマが右手を伸ばしていた。

ソータもまた、右手を伸ばしトウマの手を掴む。


トウマは持ち前の怪力で二人を引き寄せると、そのまま廊下に奥へ投げ飛ばす。

その先にいたヨウゼンとカナメは飛んできた二人を受け止めた。


「大丈夫か?」

「平気か?」

ヨウゼンとカナメが抱きかかえた二人に声を掛ける。


「ごめん・・・なさい」

震える声で少女が謝罪する。

ヨウゼンはその声を無視して、ソータを見つめる。


ソータは小さな声でつぶやいた。

「ごめんなさい」

「お前はこの子に、鍋を見ろとしか指示しなかったのだろう?

湯が湧いたら呼んでくれるのが当たり前だと思っていたのだろう?

だが、それはお前の当たり前であって、この子の当たり前ではない」


ソータは頷きで答える。

ヨウゼンは反省しきりのソータの頭を撫ぜた。

「言葉を尽くすことを怠るな。それにしても」


「見事な体捌きだったな」

トウマが話に割って入る。


「小兄さまありがとう」

ソータは顔をゆがめて応えた。

その表情をみたカナメは、ソータの足首に目をやる。

「大変だ」


ソータの右足の甲は真っ赤になっていた。

煮立った鍋を足で受け止めたせいか、そこは真っ赤になっていた。


「すぐに冷やそう」

しかしヨウゼンの指示を無視するように、少女はソータの赤くなった部分を

自らの両手で隠すように押さえだした。


「手を放すんだ」

ヨウゼンは少女の肩に手を置いた。

少女はフルフルと首を振り、それでもソータの甲から手を離そうとしなかった。


力づくで引き剥がそうと動き出したトウマをカナメが引き留めて、

桶に水を汲むように指示した。

納得いかない顔のトウマを送り出して、カナメは3人の元に戻った。


「いいのですか?このままで」

カナメがヨウゼンに問いかけた。


火傷を悪化させない対策は、とにかく冷やすことに限る。

手当の言葉通り、手を当てた程度では悪化こそすれ改善するはずもない。

それでもヨウゼンは彼女を止めようとはしなかった。


トウマが桶を持って戻ってきたころ、ようやく少女はその手を離した。

当初見たソータの甲は真っ赤になっていた。

少女が手を離すと、その部分の赤みは二回り小さく、さらに薄くなっていた。


「大丈夫か?」

「痛くないか?」

二人の質問に対して、ソータは少し赤みの残った甲をポロポリと掻いた。

「ちょっとかゆい」

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