主役が退場する物語
四畳半の畳張りにちゃぶ台一つ。
ちゃぶ台に向かい合って座る俺と神様。
ここに来るのは2回目だな。
前回の違うのは、俺の姿がソーマ・フォスターであることだ。
『フミノは旅立っていったよ』
神様は湯飲みに入った茶をすすっている。
「そうですか・・・」
『伝言がある』
神様が湯飲みを置いた。
ソータ・・・神様から聞きました。
私について負い目があるなら、それは無用です。
あなたは奪ったと考えている2週間は、きっと後悔と無念でしかなかった。
それをあなたが、とてもすばらしい一日に変えてくれた。
共に泣き、笑い、かけがえのない時間を過ごせた。
誰もが人生の最後に望む一日をあなたがくれた。
私はあなたに逢わずに逝きます。
逢えばきっと連れて行きたくなっちゃうから。
『家族のことをよろしくね。あなたの母より』
俺は苦笑いで応える。
神様の外観で、かあさまの声で遺言を聞かされるとは。
でも俺の中にあるしこりのようなものがストンと落ちたような気がした。
だが・・・
「それでもケジメはつけるよ」
『儂の話を聞いていたか?』
「・・・違うんだ」
交換条件でも贖罪でもない。ただ・・・
俺は胸に手を当てる。
「俺は、こいつにちゃんと悲しんでほしいんだ」
後悔とか罪悪感とかは一切なしで、大切な人を亡くしたことを
純粋に嘆いてほしいんだ。
それには・・・
「俺の意識はあってはいけないんだ」
『そうか・・・だが、君もまたソータであることを忘れないでおくれ』
分かっている。
俺の意識は分解されて、ソータとして一つになる。
神様の手が伸びて、俺の頭をくしゃりと撫でる。
『また会おう。いつか君の長い人生が終わったら』
「ん・・・」
眩い光が、俺を包んで、俺の物語は終わった。
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月の光が差し込む森を歩く。
ヨウゼンは自分が何故そこへ向かっているのかわからなかった。
あの日、家族で泉から戻る道のりで妻は息絶えた。
自分の背中で冷たくなっていく彼女の感触は生涯忘れないだろう。
火葬をし、家の傍に墓を建てた。
そこには彼女の遺灰が埋められている。
ヨウゼンは家で眠っている子供たちを思う。
子供たちは皆泣いていた。
いや、一番下のソータだけは泣いていなかった。
思えば彼は、泉にいたときから妻と距離を取っていた。
自分と同じく理解していたのだろうか。
もう彼女は命数が尽きていたことを。
病に倒れる前と同じように過ごせた奇跡的な時間を
他の子供たちのために譲っていたのだろうか。
ヨウゼンもまた、彼と同じく涙を流すことはなかった。
自分にそのような資格があるはずもない。
この国で、家を守るためにあらゆる手管をつかった。
家を潰されたもの、命を失ったものは数知れない。
家族と離れ離れになったものもいるだろう。
彼女が言う通り、私を恨むものは多く、隠遁したから
許されるような話ではない。
だからといってむざむざ殺されてやる道理もない。
まして家族を狙うとあれば・・・
ヨウゼンは身体の内側から湧き出す黒い感情をごまかすように
右手に力を込める。
手の中にある袋が、悪意に染まる自分を鎮めてくれる気がした。
彼は、落ち着きを取り戻すと周辺の変化に気づく。
森の動物の咆哮だろうか、風に乗って高い声が聞こえる。
目的地が近づくにつれて、その声は明確に聞こえるようになった。
子供の泣き声だが、自分の知らない声だ。
月の光に照らされた泉に到着し、ヨウゼンが目にした光景に驚きを隠せなかった。
そこには、家で寝ているはずのソータがいた。
しかも彼は泉の中央付近にある岩に立って泣いていた。
その鳴き声と姿に、矢も楯もたまらず、泉に飛び込んでいくヨウゼン。
泉に腰まで浸かってしまうが、ものともせずにソータの元に向かう。
ソータはヨウゼンの姿に気づくと、泣きながら訴えかけた。
「どおさーまー、かあさまがー・・・」
そこから先は何を言っているのかわからなかったが、
ヨウゼンはソータに向けて両手を差し出した。
ソータはヨウゼンの胸に飛び込んでも、泣くのをやめなかった。
その姿にヨウゼンもまた溢れ出るものを止めることはできない。
「大丈夫だ、大丈夫だぞ」
彼自身涙を流しながら、ソータを抱きしめて、頭を撫で続けた。
彼は、今やっと失ったものの大きさを実感していた。
ヨウゼンはソータが落ち着くと、手に持っていた袋の中身を見せた。
そこには一握り程の灰があった。
「かあさまだよ」
かあさま、とソータはつぶやくとまたしゃくり上げはじめた。
「泣くな」と言って、ヨウゼンはソータの頭を撫ぜる。
ヨウゼンにとって驚きだったのは、ソータが話し始めたこと以上に
年相応いや、それよりも幾分幼い反応を示すことだった。
彼の知っているソータは、何を考えているかわからないところのある子だった。
そして時折とても大人びた態度を見せる子でもあった。
ヨウゼンは手の中の灰を泉に向かって撒いた。
自分が何故こんなことをしたいのか、向かっている時はわからなった。
しかし今ならわかる。これは自分だけの別れの儀式だ。
「ソータ、ここはかあさまが一番好きな場所だよ。ここでお別れをしよう」
撒いた灰が泉の落ちて消えていく。
二人でさよならをして、帰路についた。
帰り道、眠ってしまったソータをヨウゼンが背負う。
あの時のフミノの最後を思い出す。
「さよなら、かあさま・・・」
ソータが寝言でつぶやいた。
ヨウゼンは万感の思いを込めてつぶやいた。
「ありがとう、フミノ、さよならだ」