強き者は弱き者を見下すべし
信じ難いような現実でも、一ヶ月も経てば見て見ぬふりをする事も慣れてしまう。
そして自分自身の立場と、世界の理不尽さも。
二クラス合同で訓練場を使った実技授業。定められた魔術を教師の前で順々に発動する、言わば小テストのようなもの。
ギーアは下を向いて目立たぬよう、目を付けられぬようにコソコソとしている生徒を複雑な気持ちで見ていた。
三組にいる赤目の持ち主はギーアとミリナだけだから、彼は違うクラス、四組の人間ということ。
くすんだ茶に近い金の前髪で目元を隠しているが、顔をちゃんと見れば髪の合間から赤い色がチラリと見えるのが分かる。
彼もまた、そうなのだろう。自分の立場に諦めきって、抗うことすらしない。
猫背を丸めて極力見られないようにしている様は、同情を誘うものだった。
「嫌なら来るの止めればいいじゃん」
以前そう言ったギーアに向けて、ミリナは小さく首を振った。
「そう簡単に休めるものじゃない」
「だとしても、仮病なりあるだろ」
「この学院に通うのは、義務だから、それを放棄するのは責任が伴う。仮病で休めばどうなるかは、明白だよ。
……それに学院が卑赤を通わせてるのは、見せしめみたいなものだから」
その時は彼女の言うことの半分も分からなかったギーアだが、数日後に嫌でもその意味を知ることになった。
彼の言うとおり仮病で学院を休んだ生徒が、学院へ強制送還されてきたのだ。
「嫌だぁぁあ!! 行きたくないっ! 帰してくれ! 行きたくないぃ!!」
手足を拘束され、警備隊に囲まれてなお、助けてくれと泣きながら縋るその姿に、ギーアはこの悪意の根深さを思い知った。
学院に入学して卒業する事が義務なのではない。通う事こそが義務。課された責務なのだ。
それを犯すことは、人間ならまだしも、人の皮を被っただけの劣等種ごときがあってはならない。
惨めな姿をせせら笑う周囲の生徒に薄ら寒いものを感じながらも、ギーアはその光景を目に焼き付けていた。
悪辣極まりない差別意識も、世界がそれを是とするならば、それは正しい行為なのだと。
悲傷に叫び、朽ち果てそうな心で泣く声を聞きながら。ギーアは強く手を握りしめた。
「次、そこのお前」
一人一人と習った魔術を行使するという授業で、こんな所でも自己満足の平等主義の文化を持ち上げる王国内では、いくらそれが不可能だとしても参加を拒否できるはずもなく。
相変わらずの態度で顎をしゃくる教師を後目にギーアが的の前に立つと、明らかな嘲笑が周りで起こった。
「見ろよ、赤持ちの劣等種が高貴な魔術を使うってよ」
「無理に決まってんだろ。あいつら魔力もねーんだもん!」
「魔術も使えない欠陥品! 生きる意味なんてないくせに、早く死んじまえよ」
好き勝手に言う。けれど全て事実なのでギーアは黙って言葉を受け止めた。
ちなみに、ミリナも同じクラスだが女子は一クラス跨いだ先で行っているので、この場にはいない。女は男ほど直接的に手を出さない分、陰湿な口撃をするから、少しだけ不安に思っていたりもする。
それよりも、今は目の前の授業である。
今回課された行使すべき魔術は火矢という、初歩的な炎魔術だけだ。今までの生徒でもできなかった生徒なんていない。卑赤を除けば。
「どうした、まさかこんな簡単な魔術すらできないのか?」
分かっているくせに、頭部の禿げかかった体格の良い教師は小馬鹿にしたように言った。
その態度にギーアは一瞬、その頭を切り飛ばしてやろうかと思ったが、瞬時に踏み止まる。そして小さく頭を下げた。
「すみません、できないです」
「おいおい、嘘だろ。まさかできない奴がいるなんて思わなかったから、別の試験なんて用意してないんだが」
白々しく、大袈裟に肩を竦める教師。
顔を見れば怒りが抑えられないと思ったギーアはそのまま深く頭を下げた。
教師がふん、と鼻を鳴らす。
「まあいいだろう。人間モドキに魔術なんて高度な技術が使えるわけもないからな」
勝手に満足したのか、さっさと行けとばかりに手を振る教師の顔を極力見ないように、ギーアはその場を離れた。
こういう奴は自分より下の人間を見て優位に立ちたいだけだ。一々気にする必要も無い。
ふぅ、と息を吐いて女子の方に目を向けると、ミリナはまだのようで一人手持ち無沙汰に立っているのが見える。
ここは彼女を待つべきだろうが。ギーアは逡巡する。
何となく、同じクラスで同じ赤目だからとずっと行動を共にしているけど、四六時中一緒にいる必要は無い。教室に帰るくらい、と思ったところでギーアは思い直した。
自分がよくても、ミリナは恐らく一人になりたがっていない。
移動する時も、昼食を食べる時も、帰る時でさえ彼女は一人になろうとせず、何かと理由をつけてギーアを傍に置こうとする。その理由をギーアは、周りに目をつけられないようにする為だと思っていた。
いくら卑赤とはいえ、女子一人の時と比べて男と一緒にいる時では手を出しにくいのだろう。
別に彼女の為に待ってやる必要も無いのだが、ギーアは訓練場を出た入口近くでミリナを待つことにした。
自分が置いていったせいで彼女が怪我をしたら寝覚めが悪い。それだけの理由だ。
壁に寄りかかって中を窺うと、ギーアが待っているのが見えたのか、ミリナが小さく手を振るのが見えた。片手を上げて返すと少し嬉しそうにする様子に、ギーアは複雑な表情で眉をひそめた。
(友達、か……)
打算的な相手と、流されているだけの自分。
それが本当に友人と言えるのか、友達付き合いなど知らないギーアには分からない。
「おい、そこの赤目クン」
と、挑発的な声にギーアは目を向ける。
何が面白いのか、ニヤニヤと笑う男子生徒達には見覚えがあった。名前は知らないが、同じクラスの生徒だ。
三人でギーアを囲うように立つ彼らは、一様に小馬鹿にしたような表情を浮かべている。
「お前、さっきの何?」
真ん中に立つ生徒がせせら笑いを浮かべながらギーアの顔を覗き込んできた。思わず不快さに目を細める。
「何、って?」
「とぼける気かよおい! お前が魔術も使えずに逃げ帰った話だよ!」
男がそう言った途端、他の二人がゲラゲラと笑い始めた。
なるほど、とギーアはため息を吐きたくなるのを押し留めた。こいつらは自分を馬鹿にして楽しみたいだけなのだ。
ちらりとミリナの方を見ると、彼女も気になるのか、チラチラとギーアの方を見ている。それに心配ないと小さく首を振ってやる。
見るからに喧嘩もした事がないような奴らだ。大した事にはならない。
それが伝わったのかは分からないが、ミリナは頷いて返す。
「『すみましぇん、できないですぅぅ!!』」
「あははははっ、馬鹿みてぇ! ひーっ」
「なっさけねぇなあ! 男なら魔術の一つでも使ってみろよ!」
(……うるさい)
そんな変な声は出していないし、そんな事でマウントをとる人間の小ささに呆れる。
馬鹿でかい声に辟易として、ギーアは我慢していたため息を零してしまった。
しまった、と思った時にはもう遅く。
腹立たしい笑い声を上げていたはずの生徒達は、耳ざとくため息を聞き咎めたのか、嫌らしい笑みを浮かばていた顔を不満そうに歪めた。
「お前、何ため息なんかついちゃってんの?」
馬鹿にされたと感じたのだろう。事実彼らを下に見ていたギーアは否定できない。
面倒な事になったと顔を伏せるギーアを、生徒達はふつふつと感じる怒りのような感情を顔に浮かべている。
「何か言えよ、おい」
「人間様が話しかけてやってんだぞ? それとも言葉も分かんねぇのか?」
「調子乗ってんじゃねぇぞ、赤持ちのくせに」
「大体いつも女とつるんでさ。恥ずかしくねぇのかよ」
「下等種族には恥もないんですかね」
煽るような物言いにも無反応なギーアに業を煮やしたのか、一人が無造作に肩を掴んだ。
さすがに煩わしくて睨んだギーアを、肩を掴んだ生徒が鼻で笑う。
「汚い目で見んじゃねぇよ、薄汚い赤持ちめ」
ぴくり、と反応した。それに調子に乗っていい募ろうとした男子生徒だが、すぐにその顔が恐怖に引き攣る。
「な、なんだよ、卑赤のくせに……!」
常に死と隣合わせで生きてきた人間の眼光は、ぬくぬくと平和な家庭で育てられてきた人間に受け止められるものではない。
ギーアから漏れ出た殺気に後退りした男は、しかしそれを誤魔化すように殴りかかってきた。
見るからに場馴れしていない、あまりにも遅い攻撃。
ギーアは冷めた目でそれを見つめると、拳が頬を打つ前に手首を手で捕まえた。みしっ、と骨の軋む音。
「ぅぐっ、は、離せ、よ!」
痛みに歪める顔を面白くもなさそうに眺める。やはり快楽の為に人を傷付ける気持ちなんて分かりそうにない。
手を離してやると、男子生徒はその場に蹲った。大して力も入れてもいないのに。人間様が、聞いて呆れる。
反抗された事にか、はたまた弱者にやり返された事にか。
距離を置いてどうしたらいいのかとこちらを見る二人を一瞥して、何かを言われる前にその場を後にする。
校舎への連絡通路を歩きながら、ギーアは先程のやり取りを思い出して歯噛みした。
──面倒な事になった。
本当に。
あのまま流してしまえたなら、アイツらも直ぐに飽きてどこかへ行ったはずだ。なのに。
馬車の上から見下ろす目が、いつまでもギーアを追いかけて来る。“薄汚い赤持ち”と罵る言葉が彼を縛って離さない。
忘れたつもりで、もう気にもしていないはずなのに。
「大丈夫?」
はっとして思い切り振り返ったギーアの目に、いつも通り、全く無感動に見つめるミリナの姿。走ってきたようで、少し息が上がっているのが意外だった。
ギーアは自分があまりに冷静さを失っていたことに気がついて、目を伏せた。
「別に、なにも」
「……ギーアが言うんなら、それでもいいけど」
でも、とミリナは続ける。
「さっきのは、あまりよくなかったと思う」
「……だろうな」
「あの三人だけじゃなくて、結構、色んな人が見てたし」
ミリナのギーアを見る目からは、心配するような感情が透けて見える。
それを安心させてやるようにギーアは笑ってみせた。
「大丈夫だ、俺は強いから」
あんな奴らにやられた所で、どうともしない。
何故なら、自分は強いのだから。
けれどその心に反して、ギーアの心は薄暗い不安を感じていた。