一筋の光を
「エルスター第一区画No.1069が施設内から脱走した。総員、警備態勢を強化し、出口を塞げ」
けたたましく鳴るサイレンが鼓膜を刺激し、少年の鼓動は今にも爆発しそうなほど速くなっていた。
それは迫り来る何かから逃げるように走っているせいだが、“やってはいけないこと”をしていることに対する緊張や武者震いのせいでもあった。
精一杯走るその少年の額に流れる一粒の汗は、サイレンの赤に染まっていた。
それは、明白に少年の心の内を写していた。
「No.1069。逃げても無駄だ。既に逃げ場はない」
冷たく響く女性の声に、一切の感情は篭っていない。
決められた文章を読み上げているように聞こえる。
しかし、少年の心は揺らがない。
少年は使命感を感じさせる逞しい表情で、外へと繋がる通路を進んで行く。
無論、全て勘である。
「いたぞ! レーザーは最低出力にセットしろ。痺れさせる程度にしておけ」
あまりにも無計画であるが、少年の足取りに迷いはない。
まるで出口を知っているかのような目をしている。
後方にいる複数の保安官に姿を見れられた
が、特に気にすることなく少年は入り組んだ通路を進んで行く。
「逃げなきゃっ」
少年に向かって放たれるレーザーは今のところ見事に全て外れている。
保安官と思しき者たちは徐々に数を増していった。
「なぜ当たらない‼︎」
保安官たちは目を凝らしているが、激しく点滅するサイレンが邪魔となり、うまく照準を合わせられないのだろうか。
しかし彼らは一応訓練課程を終えた兵士であり、レーザー銃には照準補正機能が標準搭載されている。
「ん? おい、なんか曲がっているように見えないか? 避けているみたいに_______」
相手の保安官に言葉を断ち切られ、動揺が走る。
「見ろ。統合軍だ」
後ろを振り返ると、連邦統合軍のパワードスーツ兼軍服を着用した軍隊が進行しているのが見えた。
「即刻退散しろ。この件は連邦軍の管轄になった」
保安官の顔には困惑と疑問が生まれたが、連邦軍と名乗る者たちの戦闘服を見るや否や、颯爽とその場を離れていった。
「ありゃ、魔装部隊じゃねえか。俺らが下手に逆らったら、免職は免れねぇな」
「こちら連邦独立魔装連隊第502小隊。対象を視認した」
連邦独立魔装連隊。
連邦軍の誇る最強の軍事魔導師集団であり、他とは独立した連邦最高司令部直属の特殊部隊である。
統合宇宙軍や惑星地上軍にも魔導師の部隊は存在するが、彼らは皆、戦略級及び決戦級の魔導使いであるため、特別な待遇を受けているのである。
しかし、ここで一つの疑問が浮かぶ。
なぜ、たかがひとりの少年の脱走で、エリート部隊が出動するのだろうか。
「対象の動きは、どう見てもこの施設を熟知しているものだ。各員、送られたマップで迅速に処理しろ」
見事に統率された動きは、施設の保安官には見られなかった洗練されたものだった。
「A班は第1保安扉、B班はC棟連絡通路、C班は訓練室へ行け。挟み討ちだ」
その頃、少年は迷路のような道を走り抜けたが、行き詰まっていた。
施設の唯一の出口である第1保安扉には辿り着いたものの、開けるには職員の生体情報が必要だった。
逆に言えば、ここまで辿り着けたのが奇跡である。
その時、通路の奥から強大な何かが迫っているのを感じた。
音といえばサイレンと微かに聞こえるサーキュレーターの音であるため、何かの正体は第六感で感じるものだった。
「奴は当訓練施設における1類機密情報を保持している。外部への流出は避けねばならん」
そう言うのは、この少年訓練施設の長であるグータム・バルトである。
少年訓練施設とは名ばかりで、その実態は幼少期から従順な労働者を育てる施設である。
少年達の出身は主に孤児や捨て子などで、幼い頃からエルスターの収容施設に閉じ込められる。
彼らの将来は、主に軍人である。
ここは士官学校などではないので、好成績を残しても精々兵卒が関の山である。
「機密とは言っても、訓練兵の訓練記録や検査情報ぐらいしか載ってないが、ちょっと興味深いことがあってね」
グータム施設長は、小隊長サムスの横に立ち、にやりと口角を上げた。
現役の兵士を思わせる端整な肉体は、小隊の兵士とも張り合えるレベルだろう。
「んで、君たちを呼んだんだ」
小隊長サムスは、明確には不快感を示さなかったものの、専用のヘルメット越しにグータム施設長の横顔をまじまじと眺めながらこう言った。
「ふん、随分と安く見られたものだ」
グータム施設長は怒りを露わにするわけでもなく、宥めようするわけでもなく、言葉を続けた。
「その情報っていうのが________」
施設長の言葉は、風圧とは違う体全体を数センチ程持ち上げるような衝撃と、突然訪れた停電によって止められた。
唐突に、執拗なサイレンの光が消え、その場に緊迫感を持たせていた音が消えたため、一斉に不穏な空気が流れ込んできた。
サムスは、眉間にしわを寄せ、なんとなく胸騒ぎを覚えた。
静寂を切り裂いたのは、サムス小隊長の言葉だ。
「状況報告。……どうした、応答しろ」
小隊長は隊員へ通信を試みるが、ぷつぷつとノイズが聞こえるだけだ。
「隊…長………」
唐突にノイズが耳を叩き、思わずサムスは頭を振っていた時、直後一人の隊長と通信が繋がった。
その隊員は、保安扉に向かっていたはずのA班所属だ。
「どうした。何があったと言うのだ」
またもノイズが走る。
しかし、サムスはある違和感を覚える。
魔導技術が取り入れられたこの通信機は、この近距離であれば電波障害に見舞われることは、ほぽない。
「……です! ま……す! 強力な魔導反応………ただの……ではありません! 」
サムスはその言葉を聞いた時、刮目した。
突然、ただならぬ恐怖と畏怖の念が襲ってきた。
惑星や恒星、否、銀河や宇宙のような、とてつもなく強大な存在と対峙している気分に陥った。
まさに絶対無比。
毛穴という毛穴から異常な量の冷や汗が出る。
黒い手が貪り食べるように体の隅々を侵し、やがてそれはケムシやムカデ、ミミズにケムシなどといった気色の悪い蟲たちに姿を変えた。
「お前が悪いんだ。全て、お前が」
謎の声。
サムスの目にはあの光景が浮かんだ。
世界が闇に支配され、恐怖しか感じることの出来なくなる不浄の世界を。
全身が地獄を体感する。
虫酸が走り、今にも死に至りそうな悪寒がサムスを支配した。
「か……は………」
渇いた悲鳴は、静寂の世界にこだました。
しかし、闇は永遠には続かない。
サムスは暗闇に一筋の光を見い出した。
「こ…れは……! 」
やがて光は、暗澹たる世界を包んだ。
光の世界は、闇に堕ちかけた体をゆっくりと抱擁した。
光の手がサムスを抱き上げ、気づけば涙が出ていた。
赤子のように抱かれたサムスには、人々の笑い声や夢に満ちた世界を見た。
それはまさしく希望の姿である。