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ブリヤートとトルコ

 さて何故ブリヤートはC2Cがやや多いのか?これに関してC2Bもいるからややこしい。ただしモンゴル高原では同程度、緯度的な位置づけでは皆無に近いC2Cの方が割合が高い。スキタイ後に初期に移動したC2系はC2Cだったのではないか?と見ている。N系はスキタイが来る前からいる。むしろスキタイのモンゴロイドの混血はバイカル湖ではN系だと予想できる。モンゴル高原はまた違うと見ている。


 匈奴とともに行動したC2はC2Cが多かったのじゃないか?ただこれ西方ではじゃC2Cが多いのか?と言うと全く違う。今のモンゴル国のようにC2Bも同様に多い。それに自然に見ればモンゴル帝国とモンゴル国の割合は似てたのじゃないか?となる。後の清がややこしいのだ。清がC2Bなのでその影響なのかな?と思うから。


 C2Bは女真、C2Cは蒙古なんて単純な話じゃない。C2b1a3 (C-M504) これが女真系だが、これ中東欧州にも出る。清がそこまで行ったのか?ありえない。C2b1a2(C-M48) しかも他のツングース民族に多い。この系統はモンゴルに多いが、せいぜい中央アジアどまりで、清の影響程度で語れる。女真系ほど逆に世界中に広がってる。これは蒙古族=C2Cなんて単純な話じゃない。女真はその中の1グループに過ぎないって事になる。


 逆転の発想で、モンゴルじゃないトルコや匈奴がバイカル湖にC2Cを偏らせた原因だと見てる。だがC2系の分布は世界規模ならC2Bの方が広い。これはモンゴル帝国だけじゃせつめいしにくい。もちろんC2Cもえこんな所に何故いるの?ってグループがあっておそらくモンゴル帝国。ただ過去フン、マジャール、モンゴル、セルジュークトルコ。欧州中東まで広がったなら大きく分けてこれだけの移動があった。どちらかと言えばC2Bの方が、トルコモンゴルに共通してると思う。


 C2Cはモンゴル帝国を無視すれば、内蒙古グループだと言える。そのグループの中でバイカル湖に最初に向かったグループは?これは歴史の中で分からないと思う。


 バイカル湖にスキタイ後に住んだグループは狩猟採取もしていたグループになる。これはツングース的。もしかしたらこのグループは中心でないかもしれない。遊牧民としてならやはり匈奴とともに行動していたトルコ系がスタートになると思う。謎の民族としておくのが一番良いのかもしれない。おそらくバイカル湖の2番目のベースとなる狩猟採取はC2B系。ツングースが東に来たから移動してきた。バイカル湖の最初の集団は、バイカル湖に向かって東方に広が寄るように分布していたらしいので、C2Cがこの移動をしたらやや北方に位置する後の蒙古系しか考えられない。


 蒙古は突然歴史に出てくるけど、室韋に関しては源流について言われていて、ちょうどバイカル湖の東方の民と一致する流れになる。その後、分散した室韋がそれぞれの場所でモンゴル系になって遊牧民化して歴史に登場する。この期間がすごく長い。初期狩猟採取で北方に食い込むC2Cって点も良く似ている。蒙古は最後まで東に残っていたグループになる。


 スキタイ直後に来た狩猟採取のグループはその後の分散を考えると室韋のさらに前身である可能性は高い。室韋は国のようなものがあってつけられた民族名なので、その地域には当然同じグループの先祖系が住んでいた可能性があり、その一派がバイカル湖に移動した可能性はある。


 内モンゴルのグループが行った可能性が無いのか?ならこれが歴史に残っていればほぼ決定になる。鮮卑が過去モンゴル高原を支配してて、その時ってのは考えられるけど、期間が短い。それに鮮卑の支配は新しい。匈奴が元気な時代になる。檀石槐(後漢末期の鮮卑族)この人物になる。ちと時代がズレル。


 言語的には分からないが、初期のグループは謎の東北部の狩猟採取であっても、その後来てハプロに偏りを作ったのかも。その候補としてはやはり内モンゴルが良い。その後騎馬民族の漢民族を閉じ込める場所に使うので、やはり騎馬民族の流入が合ったとみるべきだから。ただ檀石槐支配地域バイカル湖には食い込んでない。


 地図的には匈奴しか思いつかない。決定打にはならないが、中国王朝は東方系Q系なのだが、匈奴は西方系かもしれない。ただ混ざってて決定的とはとても言えない。匈奴のルーツが元は中国北方じゃなくて西方にあったとされる。チベット族の羌がそれになる。秦の先祖はO2だが、西の蛮族といわれるのはひょっとしたら、チベット族と行動をともにしたM134の系統かもしれない。周人の多くもこれに当たるから。


 匈奴は内モンゴルからモンゴル高原に支配領域を広げたように見える。ただ早い時期からQはモンゴル高原に出ている。ただその系統が東方なのか?西方なのか?は分からない。中原周りの小さな領域だったと中国について書いた。私の感覚だと外モンゴル=モンゴル高原を指すのだが、どうも違うようだ。歴史の中でモンゴル高原について書かれたモノはどうやら匈奴の登場までイマイチみつからない。


 匈奴の前にモンゴル高原に向かった遊牧民と言うと赤狄。このグループが居る。これは西方集団の可能性がある。当時の北は西から来たグループが東に進んで成り立ってしまう。逆に北に向かって進んだグループなので後の時代と流れが違う。中々Cのグループとして良いグループなのだが。


 匈奴と同じく古トルコ語の可能性が示唆されている。何故西方集団が言語が東方なのか?で。混血のせいかもしれない。そもそも匈奴でQに東方と西方の系統2つあって確定できないと書いた。Rの存在が分からないが、西方起源はQが多いので、大体Qじゃないか?と見てる。それ以外なら文句無くN。Cはならうーん西方の勢いが強いのでちとCは考えにくい。東に行けばごろごろしてるのだが。


 C2を広げた可能性はある。後の領土拡大で中国東北部をかき回すので、それでモンゴル高原に内モンゴルのC2Cを運んだ可能性はある。トルコの広がり方はやはりC2Bだと感じる。モンゴル帝国までC2Cはまた無いと出ない気がする。C2Cはせいぜい中央アジアで止まってしまう。


 チンギスハンはおそらくC2Bか、それ以外だと思ってる。C2Cに子孫が多い系統がいるのだが、それは、名も無きO2のM134と同じで特に理由は無いのかもしれない。ミトコンドリアイブも同様に。世界的拡散が圧倒帝にC2Bが上。それはモンゴル帝国だけの影響じゃない。あくまで可能性として。C2Cはモンゴル帝国の拡大で混じって広がった以外はほとんど西方への移動を感じない。


 これが世界中に王族を残したチンギスハンの遺伝子だととても思えない。1600万人の子孫は多分違うと思う。低頻度で世界中に広がっていて、データ的に余程詳しく見ないと出ないならそうかもしれない。C-M407、可能性としてはモンゴル帝国の末裔のカルムイクとブリヤート人をふくむこのグループだと思う。


 C2Cの広がりを見てると、トルコ系にはC2Cはあまり強くなかったと想像できる。世界中で広がったC2Bは、明らかにモンゴルとトルコの影響で、もし、モンゴルだけじゃなくてトルコにも豊富にC2Cが含まれるなら、もっとC2Cが世界中に広がっている。これは歴史が古く何度も西方に向かったトルコの方が増えたからだと見ている。そこに高い割合でC2Cが含まれていたならC2Cももっと広がっているからだ。


 そうなると、初期のトルコ系からはとてもじゃないがバイカル湖のC2Cの偏りを生んだ系統だと思えない。トルコのベースは早くからコーカソイドと混血したNだと見ている。歴史的にも西方への遊牧、騎馬民族として広がったのは大体がトルコ系。それには早い時期からコーカソイドの住む地域に進出してることが理想。C2Cは中国はプロだといえなくも無い。これがC2Cは子孫の数だけは多いが、世界的な広がりを持たない原因。


 C2Cに1600万人もの増え方をするのは当たり前で。大半中国だからってのがオチだと見ている。じゃ何故低頻度なら世界中で見つかるか?ならチンギスハンじゃなくて、一緒にモンゴル帝国に参加したC2Cの名も知れないM407系統の子孫ってだけでしょ。今のモンゴルのハプロから当然この系統も参加してる。


 トルコ系のC2系の中心はおそらくシベリア東部のC2B系がモンゴル高原に流れ込んだものだろうと見ている。おそらく、モンゴル高原から南下したグループが内モンゴルに広がって突厥の広がりによってパミール高原を越えたと見ている。


 普通にC2Bもそれなりに出るので、C2Cのバイカル湖の偏りはやはり蒙古族と祖先を同じくするグループだと思われる。蒙古族が広がったんじゃなくて、それとハプロを同じくするものが蒙古族が広がる時代よりずっと前にバイカル湖に遊牧ではなく狩猟採取によって到着したと思われる。


 騎馬民族によって増えたならどうも古い時代はトルコ系が優勢だったのが気になる。後に騎馬民族化した蒙古系の先祖が偏って住み着いた可能性もあるけど。


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