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第四部 12

第四部 12


 三年D組の教室前に立った。廊下にももれてくるはしゃぎ声でもって、いかに打ち上げが盛り上がっているかがよくわかる。扉は前も後ろも開けっ放し。他クラスの連中が出入りするかと思いきや、どうやらD組オンリーの盛り上がりに徹しているらしい。入ることはできないだろう、想像はつく。

 コートを羽織ったまま、上総は後ろの扉に近づいた。できるだけ姿を隠していたいところだが、そんな都合のいいことが通用するわけもない。すぐに発見された。

「立村くん!」

 よりによって相性の悪い女子に見つかったものだ。片手にクッキー、片手に紙カップを持ってうろちょろしている奈良岡彰子と鉢合わせしてしまった。

「どうしてさっさと帰ったの? 先生が心配してたよ。早く入ったほうが」

 その声で一瞬静まったのは女子たちのざわめきだった。次によってきたのは我らが下ネタ女王・古川こずえだ。つかつか近づいてくるやいなや、予告もなしに額をはたかれた。

「あんた、さっさと入って、食うもの食いなさいよ。どうせ朝ろくに食べてこなかったんでしょうが!」

「余計なお世話だ」

 この人にはいくらでも言い返せるのに、奈良岡に対しては思いっきり無視してしまう。自分でもバランス悪い受け答えだと感じるのだが、しかたない。

「まあよかったよね、これで全員揃ったし。せっかくだしね」

「あれ、南雲は?」

 ちらと覗き込むと、南雲も帰る帰るといっていながらしっかり残っている。

 これはどうしたことだろう? 結局逃げたのは、自分だけだったということか。南雲は東堂を相手に、やはりケーキにかぶりついていた。まだ上総に気がついていない様子だった。

「彰子ちゃんがね、愛の力で説得したのよ。愛よねやっぱし」

「羽飛はどこにいるかな」

「羽飛? 呼ぼうか? そんな過保護なこと、誰がやるってのよ! ほらさっさと行きな!」

 こずえに無理やり腕を取られ、上総は引きずり込まれてしまった。絶対に越えたくなかった一線。また空気が静まった。

 菱本先生がカンガルーのぬいぐるみの後ろから顔を出した。

「立村、戻って来てくれたか!」

 ──あんたのためにじゃないさ。

 罵りたいのを耐えた。お菓子の匂いがする教室の中を上総はぐるりと見渡した。

 さっきまで盛り上がっていたはずなのに、一気に黙りこくる女子たちの七割方。

 卒業式典直後の生ぬるい嫌悪感がじわじわと伝わってくる。

 責めるわけではないけれども、なんでいるのか?と問いただしたい顔で、女子たちがみなにらんでいる。身体がこわばった。動けなかった。頬に涙が残っていないだろうか。慌ててこすった。

 ──なんのために俺はここに来たんだ。ばかみたいだ。なんで、血迷ってしまったんだろう。

 背を向けようとした。言い訳で言いつくろうとした。

「あの、忘れものを取りに来ました」

 そんなものない。予定を変更して、すぐに飛び出そう。貴史への言葉なんて、電話でも、手紙でも、それで十分だ。美里にも。足をもときた方へ戻そうとした時だった。


「先生、悪いけどさ、俺と美里、これから立村と三人で、打ち上げやりに行くんだ。ということで、お先に抜けさせてもらうわな。あとでそのあたり、よろしく」

 貴史が美里を伴い、前の扉から顔を出した。すぐに入っていって、菱本先生に頷きながら告げた。いきなりざわめく教室内。奈良岡がきょとんとした顔をして、

「あれ、でもそれは」

「姐さん、本当に申し訳ないんだがさ、残りの司会は予定通り、南雲とふたりで組んでくれねえかな。よろしくたのむわ」

 有無を言わさぬ口調ではあった。後ろで美里が両手を合わせて「お願い!」としている様子を見ると、打ち合わせしていたようにも見える。動けないまま上総は貴史の言動を追っていた。一歩、下がった。室内で暖かいはずなのに、体育準備室の中と同じくらい震えがきた。

 ふたりは上総をじっと見つめた。

「立村、行くぞ」

 貴史が真正面まで近づき、そっと肩を抱くようにした。とたん、震えが止まった。感情よりも身体が貴史に従った。

 美里も頷くと上総の後ろにつき従うような格好となった。その様子は伺えなかった。上総は貴史に導かれるように、そのまま廊下へと連れられていった。三年D組の生徒としての出入りは、これで最後、それにしては互いにあっさりした別れだった。

「りっちゃん、あとで電話するよ」

 南雲のおだやかな声がかかった。

 いったん立ち止まり、上総は振り返らずに頷いた。

 

「羽飛、あのさ」

「もういい、わかってる」

 気がつけば、貴史との背丈は顔の半分近く差がついていた。もちろん高いのは貴史の方。入学式の頃はほとんど同じくらいだというのに、どうして三年でこんなに差がついてしまったのだろう。上総が何かを言おうとするたびに、貴史が制した。後ろにいるはずの美里も何も言わなかった。生徒玄関で靴を履き替え、貴史に付き従うように三人歩いていった。

 何度も歩いた道のはずだった。珍しくもない三人の下校風景。

 ただ、違っているのは三人とも何も話そうとしないことだった。

「学生食堂に行くか」

 後ろの美里に呼びかけるようにする貴史、それにさらりと答える美里。

「そうだね、それがいいね」

 会話はそのまま続かず、また三人、歩いていく。

 青空に舞った雪はすでに止んでいた。大学へ向かう路なりに、つぼみだけが桃色の桜の木が並んでいた。確か入学して二日目くらいに記念写真を撮ったのもここのはずだった。

「貴史、ここ、少し花、咲いてるね」

 いきなり美里が、濃い目の桜が開きかけた木に近づき、くるっと上総たちの前に立ちふさがった。

「あんれま、雪降ってるのに、ごくろうなこった」

「あれ、知らないの? この色の濃い桜ね、毎年咲くのが早いんだよ」

「俺たちが入学した時もそうだったか?」

「そんなの見てないよ、知らないよ」

 相変わらずの軽いのりでのトークが続いた。まだ美里は上総の方を見ようとしなかった。目が合いそうになると、さりげなく逸らした。いつのまにかその、ほころびかけた桜のところで三人、立ち止まった。


「立村くん、さっきのカメラ、持ってる? ちょっと貸して」

 黙りつづけている上総の前で、初めて美里が口を切った。

「カメラ……?」

「ほら、さっき教室で記念撮影したじゃないの。その時に私、渡したよね」

「ああ、あれか」

 二回シャッターを押し、すぐに鞄か何かにしまいこんだはずだった。開けて探すとすぐに見つかった。インスタントカメラのレバーだけ巻きなおし、美里に手渡した。

「ありがと。じゃあさ、貴史、ちょっとあんたどきな」

「すげえ言い方だなあ。ったくお前もぜんっぜん、女っぽくなんねえなあ。優ちゃんの方がずっと」

「それ以上言ったら、即座に雪の中に蹴り飛ばすからね」

 文句言いつつも貴史は上総の隣から離れた。なんだか頼りない気持ちが沸いた。

「立村くん、そこの木のところに立って」

「なんで?」

「撮ったげるんだから」

 なんでだろう? きょろきょろと上の桜と貴史の顔を交互に見やってしまった。美里が片手で「だめだめ、動かないで」と合図を送ってくる。真正面だった。

「ほら、さっき立村くん、写真の中、入らなかったでしょ」

「別にそれはそれで」

「うん、クラス写真は無理に入らなくていいよ。立村くん入りたくないこと、わかってるからね。ただ、なんとなく」

 貴史に視線を送りつつ、美里は頬にふたつえくぼをこしらえ、一言一言切りながら言った。

「立村くんは、こういうとこで、ひとりで、撮ったほうがいいなって、私が思ったの」

 言われた意味がすぐに飲み込めず、ただ直立不動の態勢を保った。美里の言葉はまだ続いた。

「私も、そうしてほしいんだ。今私が撮ったら、今度は立村くんが撮って。で、貴史は私が撮ってやるから」

 すぐに貴史の茶々が入った。

「なんで俺だけ『撮ってやる』なんだ? すげえ差別」

「うるさいわね。あんたはどっちにしても写真に写りたがり野郎だから」

 しばらく美里と貴史の間で漫才じみたやり取りが続いた後、とうとうシャッターを押す瞬間が来た。

「じゃあ、立村くん、そのままでね」

 フラッシュらしき白い光が、外の光に紛れてちらりと走った。


 とたん、さっきからどろどろと泳いでいたあふれ出そうなものが、つつっと流れて落ちた。

 思わず貴史を探した。

「はとば」

 はあ?とばかりに肩を竦め、にやにやしながら近づいてきた貴史が、ぴくっと引きつるのを上総は間近に見た。

「りつ、むら、お前」

 それ以上は何も言わせなかった。いつものように自分をコントロールしようとも思わなかった。まるで女々しいと馬鹿にされてもそれでよかった。美里が近寄ってくるのを背中で感じる。女子の前でみっともないくらい泣きじゃくるなんて、金輪際したくなかったことだった。

 貴史の肩に右手を置こうとし、もう片方の手から鞄を取り落とした。

「羽飛、ありがとう」

 反対側の肩に額を押し付けたまま、上総はその五文字だけを何度も繰り返した。喉が詰まり、言葉が出なくなりそうでも、舌先でなんどもつないだ。ありがとう、ありがとう、ありがとうと、それだけを呟き続けた。

「ったく、何だよお前、もっと早く言えっての、なあ」

 笑いでごまかそうとする貴史の声が、どことなく低く穏やかだったのに、思わず甘えていた。しばらく上総はそのまま、貴史に抱きつくかっこうで、そのままでいた。


「立村くん、行こう」

 しばらく時が経った。美里がくぐもった声で、上総に囁いた。隣にいるのだろうか。ぬくもりを感じた。顔をあげ、慌てて目をこすった。同年代に泣き顔をさらけ出すなんて小学校時代以来かもしれなかった。照れくささも交じり、美里から目をそらそうとした。留めた。

 美里の頬にも伝わるものが確かにあった。貴史が空を見上げているのは照れ隠しだろうか。

「私たち、もっかい、友だちとしていっしょにいられるよね? 立村くん?」

 頷いた。美里にも伝えておかねばならないことだった。

「清坂氏が、それで、よければ」

「よくないわけ、ないじゃない! もう、ばかなこと言わないでよ!」

 怒った風に口を尖らせた。それでも潤んだ瞳は隠そうとしなかった。

「付き合うとか付き合わないとか、そんなのどうでもいいよ! そんなことより、こうやって三人でくだらないことやって遊んでいるだけで、私いいもの。貴史、あんたと同じだよね、そうだよね」

「俺は優ちゃんと……」

 涙ぐんだまま美里は貴史を音がなるほど頭をぶった。

「一生やってなさい! もう、こういうお馬鹿は置いといて、さあ、早く行こうよ!」

「行く?」

 美里は上総の腕を取った。いきなりで抵抗する余裕がなかった。貴史もにやっと笑うだけだった。

「生協の食堂に行こうよ。ほら、三年前と同じく! そこで、仕切りなおそうよ!」

「ああ、なるほどな」

 貴史が腕を組みうんうんと頷いた。上総に親指立てて、すぐに方向転換した。

「てなわけで、卒業式二次会開始だ! さあ立村、今日はとことん語ろうぜ。付き合えよ」

 ふたたび肩を組まれた。引きずられるように上総は、学生食堂に向かい歩き始めた。

 

  貴史と美里、初めて友だちになってくれたふたり。

 こんな他愛のないやりとりだけでいい、それが上総のほしかったものだった。

 本当はふたりとも、上総から欲しいものがたくさんあるはずなのに。

 それは絶対に返せないものなのに。

 それでも、ふたりは上総に、友だちでいようと言ってくれた。

 ──中学入学のあの頃から、やりなおそうと言ってくれた。

 いとおしさも、熱い友情も。

 何一つ満足に返すことのできない自分に。


「清坂氏、言い忘れてた」

「なあに?」

 何気なく問い返された美里に、上総は、まっすぐ目を見つめて告げた。美里にそうするのはかなり勇気がいる。杉本梨南に対してはにらまれても全く怖くないのに。

「三年間、ありがとう」

「違うでしょ、これからもよろしく、でしょ」

 胸のコサージを直してくれたのと同じような言葉を、美里はあっさり返してきた。

 貴史に聞かれているのも全く照れなく、美里は続けてささやきかけてきた。

「立村くんがこれから誰を好きになっても、つきあったとしても」

 かつて何度も、美里の口から発せられていた言葉だった。

「私と貴史は、絶対に嫌いになんてならないからね。立村くん、大好きだよ」

 そこまで言うと美里は勢いよく学生食堂に向かい走り出していった。

 聞こえぬふりをしていたのか、貴史が口笛を吹く。


 先に駆け出していった美里と、それを追いかける貴史。 

「さ、いくぞいくぞ、辛気くさいことは抜き抜き、立村、ほらほら」

「そうだね、貴史、今日は特別にお小遣いもらってるんでしょ。おごってくれるよね!」「たかるのかよ、こいつ」

 二人の相変わらずの切り返し合いを、今の上総は素直に笑って見ていられた。

──清坂氏、今はまだ、想ってくれる気持ちに対して、友だちとしてしか答えることができない。それは俺がまだまだガキだからだ。けど、いつか俺が大人になったら、きちんと伝えるべきことを伝える。それまで時間がかかるかもしれないし、清坂氏の期待した答えを出すことはできないかもしれない。もしかしたら別の女子を選んでしまうかもしれない。けど、

どんな結論に達しても俺は清坂氏のことを嫌いにはならない。嫌いになんてなるわけがない。生まれて初めてできた友だちを、嫌いになるわけないじゃないか!

 カフェテリアの隅で席取りに成功し、手をふる二人組を追いかけながら上総は、言えずじまいだった言葉をそっと繰り返した。


 上総はカフェテリアテーブルの窓辺から、もう一度中学校舎を眺めた。

 そこにはまだ、杉本梨南がいる、新井林健吾がいる、その他たくさんの縁をもらった後輩たちがいる。

 反対側の高校校舎には美里が、貴史が先頭切って突っ走っている。他の同学年の連中がいる。先輩たちがいる。上総自身も、あと二週間後にはそこの住人になる。

 新井林が送辞で語ったように、これから後輩たちとの繋がりは切れることがないだろう。杉本梨南に関しても、また同じことだろう。同じものを見つめている杉本と上総自身。本当だったらそこにこもっていたかった。でも、そういうわけにはいかない。

 雪が解け、桜が満開となり、英語科で関崎と再会し、藤沖や片岡と険悪な関係を続ける日々がやってくる。英語科担任となる麻生先生ともこれからなにやら不吉な予感がする。だけど、立ち止まるわけにはいかないのもわかっていた。貴史が、美里が、そして周りの友だちがみな、上総より早く大人になっているのを見れば、追いかけないわけにはいかない。

 早く追いつかねば、いつか杉本梨南が助けを求めてきた時に救うことのできる男にはなれない。

 美里の一途な想いに誠実なイエス・ノーを出す人間にはなれない。

  

「清坂氏」

 上総は先にお菓子とお茶を持って帰ってきた美里に声をかけた。

 出入りしている大学生たちがけげんな顔をして上総を見た。無視して続けた。

「さっき言ってたことだけど、俺も、同じだから」

「え? どういうこと」

 答えず、上総は手を差し伸べた。握手の意志はなかった。ただなんとなくそうしたくなっただけだった。美里がそっと同じように手を差し伸べるのと同時に、後から戻ってきた貴史もにやにやしながら手を出した。

「もう一度、心機一転、ニューディール政策、巻きなおしってとこだ。高校編第二幕、開く、ってな。立村、いいか、ほら、よっしゃ!」

 貴史の派手な掛け声に笑いを堪えきれず、思わず顔がほころんだ。

 今日笑ったのはたぶん二回目だろう。

 三つ巴。三人の右手が重なり合った。


 ──羽飛、そして清坂氏。俺を好きになってくれたこと、嬉しかった。ありがとう。

 ──だから、早く、大人になる。ふたりに、追いつく。

 

 貴史と美里、相変わらずのはしゃぎ声を聞きながら、上総はふたりへの答辞を、胸内でそっと読み終えた。

 これから三人だけの、入学式典が始まる。


                         ──終──



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