表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/54

第四部 8

第四部 8


 式典前に手渡されたプログラムには、「在校生代表送辞 2年B組 佐賀はるみ」と印刷されていた。

「在校生代表送辞。二年B組。新井林健吾」

 訂正の放送がなされた後、新井林健吾が威風堂々脇から壇に上がった。周囲からはやはりざわめきが広がり、中には「あら、女の子じゃなかったの」と囁く父母の声も上から聞こえてきた。

「りっちゃん、知ってた?」

 静まり返る直前、南雲が上総に尋ねた。

「一応な」

 予定では三分程度で終わるはずだと聞いている。原稿は新井林が用意したのか、それとも佐賀が書いたものを読み上げるのか、それはわからない。もっとも新井林の「正々堂々」たる言動を知っている上総としては、おそらく前者のくくりであろうと見積もっている。さすがに本条先輩のような派手な演技なんぞは見せないだろう。ただ新井林の場合、いろいろな場面において、大勢の前で演説をぶつことが多々あった。緊張して声が上ずるなんてことはない。たぶん誰も、あいつがしくじるなんてありえない。

 上総は両手を膝に置いたまま、背を引いて壇上の新井林健吾を見上げた。


 新井林は送辞の細長い原稿を開き、机に広げ、マイクに覆い被さるようにして、

「三年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます」

 まずは無難に祝いのことばを述べた。さっと顔を二階席に向けた。

 呼吸ひとつおいて、

「本来ならば、ここで青潟大学附属中学生徒会長である佐賀さんからお預かりした原稿を読み上げるところでありますが、本日は予定を変更し、あえて僕なりの言葉で卒業生のみなさんへのメッセージを伝えさせていただきます」

 いきなり新井林は机の上に広げた原稿らしきものを、さっとひっくり返した。

 両手をマイク挟むようにしてとんと突いた。

 いきなり目をぱちぱちさせている先生たちが、それでも身動きできずにいる。

 ──新井林、あいつ、根回ししてないのか!

 上総は桧山先生の姿を探した。どうやら口を半開きにしつつも、やはり教師らしく落ち着いた様子だった。ということは、もしかしたら桧山先生にだけ話をしておいたのかもしれない。また桧山先生も新井林の意気に共感し、応援して送り出したのかもしれない。

 その音を拾い、一瞬マイクがハウリングした。掛け声が上総の後ろ側、二年生男子席の方からかかった。

「よっしゃ、健吾、いいとこ見せてやれ!」

 女子席からは拍手が沸いた。そこから伝染するかのように、一年、三年席、そして二階の父母席を合わせて嵐のように館内を覆った響き。頭に降り注ぐ拍手になぜか、身体がこわばってきた。背中から心臓あたりにその感覚を受け止めた。新井林ひとりの言葉でもって、なぜここまで、空気がふくらんでいくのか。熱くなるのか。

 ──あいつなんで、俺に挨拶しにきたんだろう。

 今朝、新井林が上総に対して示した、後輩としての凛とした姿。

 壇上で言葉を発しようとしている新井林に、上総は目を瞑りたくなった。もちろん、目を閉じず、そのまま新井林の即興送辞を受け止める準備をした。  

「僕は在校生代表として、この場を借りて、卒業生のみなさんに伝えたいことがあります」

 評議委員会において、何かの意見を口に出す時と同じく、新井林健吾は両手を机の上におき、身体を支えたまま前かがみとなった。視線は三年生席を指している。心なしかその目は、中央通路端に席を置く上総の方に向けられているような気がしてならなかった。

「僕たちは、もっと早く、あなたたちと真剣に、すべてにおいて話をしたかったと後悔しています」

 佐賀はるみが生徒会長として用意したとは思えない「送辞」を、新井林は全身刃にし、寄らば斬るぞの気合を滾らせ、語り始めた。

 先生たちもみな、見守る方を選んだようだった。やはり本条先輩の前例があってこそだった。


「僕は主に評議委員会において、それを感じてきました」

 言葉をとぎらせながら新井林は続けた。

「一年の頃から僕は、この学校がぬるま湯につかった退屈な場所だと感じてきました。評議委員会に参加し、たくさんの先輩たちと接する機会を得て話をするたびに、どうしてみな本当にやりたいことを見つけ出そうとしないのか不思議でなりませんでした。それが青大附中のカラーだとしたら、僕はそのいいかげんなカラーを塗り替えたい、そう思って今まで評議委員会に携わってきました。そして、それはある程度、成功していたと思います」

 ──確かにな。今では「青大附中スポーツ新聞」来年から部活動化されるし。

「がむしゃらに青大附中の評議委員会、およびこの学校をよくしたいという思いで僕は走りつづけてきたつもりでした。それについてこれないように見えたたくさんの生徒たちに怒りを覚えたこともありました。また、全く考え方の違う先輩たちを軽蔑したこともありました。ですが、今になり、僕は激しく後悔しています」

 ──何をだよ。

 後悔するようなことなんて、していないじゃないか。

 新井林はすっと、通路側男子席向きに身体を向けた。ほんのかすかな角度だった。

「きちんと、僕は先輩たちと、腹を割って話すことを求めるべきだった、それを先輩たちが卒業する直前まで気付かなかったことに、僕は憤りすら感じています」

 堅苦しくも、また一方で正直すぎる語り口に、上総は戸惑っていた。いつもの新井林が口にするようなことでは決してない。男子同士でここまで本音を話そうとするのもふつういない。もちろん、全校生徒を前にした送辞として、はたしてこれがふさわしいものなのかどうかもわからない。なぜこんなに、感情を吐露しようとするのだろうか。しらじらしいお祝いの辞でなぜ、まとめようとしないのだろうか。

 新井林は一呼吸置くと、今度はぐいと、顎を引き背を伸ばした。原稿を読む気配はなかった。


「僕がこの学校で今学んでいることは、自分の正義がすべて正しいわけではないという、大変簡単な真理です。僕自身、この学校に入ってからたくさん考え方の違う先輩たち同輩たちと出会い、いろいろとぶつかり合ったりもしてきました。最近だと、生徒会と評議委員会を通じての激しいやり取りなど、僕にとっては納得いかない考え方をも、受け入れざるを得ない場面に直面したりもしました。しかし、それは僕が一方的な考え方しかできなかったから、理解できなかっただけであって、もっとたくさんの見方を学ぶことができていれば、もっと理解し合えたのではないか、そう思えてならないのです」

 ──一面的な考え方、か。

 まるで自分に向かって言われているような言葉だ。自意識過剰と笑われそうだ。上総は新井林の言葉をもう一度理解しようと勤めた。いつのまにか隣に戻って来ていた貴史が、たいくつそうにふくらはぎのところを掻いていた。

「正しいことは必ず守られなければならない、そう思い込んでいた僕でしたが、評議委員会で出会った幾人かの先輩たちによって学んだことがあります。僕にとって真実がひとつであっても、見方と考え方と経験が違えば、また新しい考え方が生まれてくるということです。そしてそのことを理解するために、僕は先輩たちと戦うよりも、もっとしなくてはならないことがあったのに気付いたのです」

 ──なんだよそれ。

 ちくちく、心臓のところが刺されるような痛みがある。季節はずれの蚊のようだ。

「それは、先輩たち、あなたたちともっと、話をするべきだったということです」

 一秒黙り、また続けた。

「考え方が違う人、善悪自体の認識が異なる人、たくさんの人がいる中で、僕はひとつの真実だけを信じてつっぱしってきました。しかしそれによって、全く違う真実を持った人を蹴散らしただけなのではないかとか、もしかしたらこれから先全く考え方の違う人たちと出会った場合、ただその人たちを無視したり軽蔑したりしていけばいいのかとか、いろいろなことを考えました。僕にはまだ、その人たちとどう接していけばいいのかとか、そういう人たちとどうやっていい関係を結んでいけばいいかとか、まだ理解できていません。そういうことを、僕はもっと、たくさんの場において、先輩たち、特に評議委員会の先輩たちに教えを乞うべきだったと、今更ながら反省してます」

 評議委員会、という部分で、少しスピードを落とした。ほんのわずか、上総が気付く程度だった。


「本来ここでは、みなさんのご卒業をお祝いすべき挨拶を行うべきでした。それをあえて代役の僕が変更し、好き勝手なことを発言してしまったことに対しては、会場すべてのみなさんにお詫びします。ただこれだけはどうしても言っておかねばならないと思ってます」

 そろそろ締めの合図だろうか。新井林は一気に言い放った。

「三年生の先輩たちに、僕はまだまだ学びきっていないことが山のようにあります。ですからこのまま拍手で見送るようなことは決してしません。かといって青大附中に戻って来てほしいとも思いません。僕たち下級生たちはこれから、青大附中をよりよくするために盛り上げていこうと心に決めていますが、先輩たちからもっと聞きたかった話、学びたかったところを僕たちの方から押しかけていって、とことん腹を割って話をさせていただきたいと思ってます。この学校が附属でよかったと、僕は心から思ってます。今、気がついたことは遅すぎるといえば遅すぎますが、でも、あえて僕は先輩たちにこれから、たくさんのことを学び合いたい、そう思っています。ご卒業おめでとうございます、そしてこれからも、どうか僕たちと一対一で向かい合い、正々堂々と本音をぶつけ合える関係でいてください。僕達下級生たちも遠慮はしません。これからも、よろしくお願いします。在校生代表、二年B組、新井林、健吾」


 マイクに頭をぶつけそうなくらいの礼を深深とした。天から地から、嵐のような拍手と二年生サイドから「健吾かっこえー!」「新井林、男だ、決めたな!」などなど、ふたたびコンサート会場の乗りが甦った。二階席ではオペラ会場のアンコールを求める客のような顔して、「ブラボー」とか叫んでいる父母もいる。何かを勘違いしているようだった。はたしてあの集団の中に、我が父母は混じっているのだろうか。

 

 ──完璧だ。

 上総は拍手をしながら、腹から溜息をついた。

 隣で貴史が、振り返ってきたC組の男子を相手になにかしゃべりかけているが、聞き取れなかった。新井林が壇上で丁寧に、読まなかった送辞をたたみなおし、それをマイク脇に置いた。真正面を向いたまま、正面の階段から下りてきた。体育館最奥をじっと見つめつつ、茶色いじゅうたんを少しだけ歩き、ふと立ち止まった。三年男子席に少し寄るような形で、B組のあたりだろうか。藤沖の席が空いているのが斜め右に見えた。

 新井林が真正面から視線を、じっと上総に向けた。三年D組男子席、最後尾。

 上総と一点のずれもなく視線をかち合わせた。

 拍手のざわめきが一瞬、はたと止んだ。

 直立不動の姿勢をとったまま、新井林は上総に九十度、体を曲げて一礼した。一秒、確かに動かなかった。その後静かに背を伸ばすと、そのまま二年男子席へと戻っていった。


「立村、ずいぶん、やるじゃねえか」

 くいっと肘でつつかれた。我に返った。新井林が礼をしている間からたった今まで上総の中で体内時計が止まってしまったようだった。貴史がにんまり笑って親指を立てている。

「苦労したかい、あったじゃねえか」

「そんな、違うだろ」

 瞼の奥にまだ、新井林の凛とした眼差しが残っている。なぜ、あんなことをしたのか、わかるようでわからない。感じてはいるのだが、それを正確にあらわす言葉を、上総は知らない。気付かないのか貴史はさらに言いたい放題つぶやいている。

「あの新井林をだぞ。敬語遣わせてな、『さん』で呼ばせてな、最後はきっちりこうやって礼させたんだぞ。こりゃあ上出来だと思うんだけどなあ」

「違うよ、ただ評議委員会の先輩だったから」

「だったらなんで天羽に挨拶しなかったんだ?」

「天羽はA組の先頭だから」

「だからお前は最後までガキのまんまだっていうんだよ。ったく、先が思いやられるぜ。古川じゃねえけどお前、お坊ちゃまのまんまだなあ」

 ──勝手にガキ扱いするなよな。

 今日は卒業式だ。自分の出番も近い。だから文句も言わず、黙って流す。

 上総は内部の胸ポケットにしまいこんである二通の英語答辞を、そっと押さえた。コサージはまだ、ずれていなかった。


 やはり新井林には、かなわない。

 去年の自分を思い起こすと、その答えしか出なかった。

 本当だったら自分が、本条先輩に対してそうすべきだったこと。

 本条先輩がずっと、上総に求めていたこと。

 結局上総は、多くのものを失って初めて、そのことに気付いた。自分の稚拙な自尊心にかこつけて、頼るべき時に頼らなかった、それゆえの結果が今の自分だ。後悔はしてない。でも、もし一年前の自分に、新井林や天羽と同じく振舞えるだけの器量があればと思わずにはいられない。さっき証書授与の三拍子でよぎったものが、新井林の言葉と一緒に甦ってきた。

 ──俺はやっぱり、あいつには、かなわない。

 なぜか悔しさはなかった。ただ、とつとつと、言葉がよぎるだけだった。

 ──新井林がもし、おしかけてきて俺と突き詰めて話をしたい、そう言ったら、きっちりと受け止められるだろうか。あの完璧な新井林に。俺の欲しいものをすべて持っている後輩に。こんなどうしようもない馬鹿先輩に対して、礼のできるあいつに。

上総はもう一度、唇をひきしめた。まだ誰もいない壇上を見上げた。

 

 少しざわめきが残っている段階で上総は席から離れた。次の次が自分の英語答辞となる。すでに左端に並べられた椅子には、藤沖が腰掛けている。両手を膝に置いたまま握り締め、心を落ち着けようとしている様子だった。元生徒会長なのだし、こいつも壇上で話をするのはなれているはずだ。緊張しているのだろうか。

 話し掛けるわけにもいかず、上総は胸の隠しポケットから、答辞を取り出した。二枚重なったのを藤沖に見られ、ちらとけげんな顔をされた。言い訳する必要がないのが救いだった。

 正直なところ、藤沖の読む予定の原稿はありきたりの内容だった。いわゆる、先生たち、および父母への感謝をさらさらと述べたにすぎないものだった。藤沖の国語能力でいくともっときちんとした内容を書くことができると思うのだが、おそらく何らかの圧力がかかったのだろう。もしかしたら上総の英語答辞で訳をこしらえるため、あえて易しい文体にする必要があったとか、そういった兼ね合いもあるのかもしれない。

 ──さて、俺はどうする。

 女子席側で上総はまず、三年A組女子の一席が空いているのを確認した。西月さんの分だ。やはり来なかったのだろう。次にB組女子の真中らへんに目をむけた。轟さんが上総の方にちらと視線を送り、親指を立てて笑ってくれた。こちらも頷いた。もっと後ろ側をみやると通路側に近い席で霧島さんがなぜか、髪の毛を長くたらしたまま座っていった。胸元のコサージを覆うくらいの長髪で、少しウエーブがかかっている。少し俯き加減だった。最後に女子席、D組に目を向けようと思ったが、下手に視線がかち合うとまずいのであえて見ないことにした。


「卒業生代表答辞、三年B組、藤沖、勲」

 マイクで名を読み上げられた藤沖は、すっと立ち上がり、静止した後、きちっと足をかけて回り壇に上がった。すぐに答辞の原稿を開こうとする手の動きを見せた。さっきの新井林と同じような目線で二階席を見上げ、次にまた一階席を見渡した。心臓がまた、ちくりとしてきたのは気のせいだろうか。上総も息を飲み見守った。何かが起こりそうだ。

 ──まさかと思うが藤沖、新井林に釣られてなんてことないよな。

 上総の予想は、卒業式典関連に関していえば、すべて完璧に、当たっていた。

「在校生のみなさん、先生、および父母のみなさん!」

 こんな読み始めではなかったはずだった。藤沖もやはり、答辞原稿を見ず、マイクをいきなり片手に持ち、大きく深呼吸をした。その音を拾って、さっきの新井林よりもひどいハウリングの音が響いた。

「先ほどの在校生代表、新井林くんの熱く激しい言葉に、僕は本来自分がすべきことに気がつきました。今日話すつもりでいた答辞の原稿は、本日ここに納めて帰ります。今日は僕なりに、新井林くんを含めたくさんの人たちの前で、本当の意味での答辞を述べたいと思います。諸先生には、ご迷惑をおかけします。申し訳ございません!」

 口から流れ出した言葉に嘘はなかった。上総が手元に持っている、英語の日本語訳とは全く異なる内容が藤沖の唇から流れ出し、しっかりとマイクで受け止め、体育館全体に響き渡っていった。もはや誰も驚かない。これが青大附中の卒業式。来賓も父母も、もちろん教師たちもみな、藤沖を見守り応援しているのが伝わってきた。


「僕はこの青潟大学附属中学に入学してから三年間、たくさんの思い出を作りました。何よりも思い出に残っているのは、ほぼ二年半関わってきた生徒会活動につきます。今だからいえますが、僕にとって生徒会というのはいわば応援団を作るための足がかりのようなものであり、そこにすべてを費やすだけのエネルギーは持っていませんでした。ですが、偶然生徒会にかかわり、たくさんの人たちとの出会いによって、僕はかけがえのない友情と学びを得ることができました」

 さすが生徒会長、いつもの全校集会と同じ乗りだった。腹から堂々と声を出しつつ、決してマイクに余計な音を入れずに話している。

「僕が入学した当時、生徒会はいわば、先生たちの御用機関と呼ばれていました。つまり、先生たちの言うことだけをそのまま素直に実行するだけの存在と蔑まされていたのが、現状でした。また、すでに卒業された先輩たちが培った委員会活動の歴史に押しつぶされ、生徒会はなかなか自立できない状況にありました」

 否定はしない。評議委員会に全権を乗っ取られていたようなものだ。それにしても藤沖は何を言い出すつもりなのだろう? なんとなくいやな気分がするのは、上総がまがりなりにも評議委員だからだろう。

「僕は最初、青大附中に応援団を設立するつもりで生徒会に関わりました。しかし、生徒会の活動を通じ、本来全校生徒のために活動すべき生徒会や委員会活動がただ一部の生徒たちのサークルとして成り立っていることに危惧を覚えました。部活動で本来行われるべき内容を、青大附中では委員会が受け持っていました。委員会は一クラスに二人ずつ、となると本当に参加したい生徒が零れ落ちている可能性もないとはいえません。それは生徒会も同じです。役員選挙で落ちてしまえばそれまでです」

 藤沖はしばらく、青大附中独特の生徒会および委員会活動について語りつづけた。すでにそれだけで予定の時間を軽くオーバーしている。喋り出したら止まらないタイプの男ではないのだが、やはり、新井林の送辞で火がついてしまったのだろう。観念するしかない。

 ──まあいいさ。これが青大附中なんだしさ。俺はやりたいことをするだけだしさ。

 最初から上総は、人前でばれてしまうようなパフォーマンスなんてするつもりはない。誰にも気付かれないように読み上げるだけだ。ことは、その後だ。

 

 青大附中内のいわゆる「大政奉還」。

 生徒会に評議委員会が、学校の中心部としての権限を「譲り渡す」ということ。

 上総の計画では合同でやろうという案だったはずだが、佐賀はるみ生徒会長の下で全権争奪に近い状態になった事実。全校生徒のどのくらいが知っているのだろうか。藤沖も勢いづいているとはいえ、かなりごまかしつつ語っていた。生徒会が生徒会らしく、自分たちの意志で動くことができるようにするために、委員会の上層部と相談し、全員手と手を取り合い、

「参加したいメンバーがみな、いろいろな形でやりたいことに没頭できるよう、僕は精一杯の努力をしたつもりです。もちろんそれがすべて正しいとは思えません。ですが、今の僕にはこれが出来る限りのことだったと、言い切りたいと思います」

 とりあえず、聞いてはくれているようだ。上総ひとり、いじけたくなるのをこらえている。

「さきほど、新井林くんは僕たち三年生に向かい、『もっと腹を割って話をしたかった』という強烈なメッセージを残してくれました。自分自身を振り返ると、出来る限りのことをしたとはいえ、下級生のみなさんにそこまで真っ直ぐ向いていたかどうかは疑問です。おそらく、新井林くんもそのことを訴えたかったのでしょう。どうだよな、新井林?」

 いきなり藤沖が呼びかける。新井林の顔は上総の席からは伺えなかった。

「今、この場で僕、藤沖勲は、この場にいる全校生徒、および父母のみなさん、および先生たちに誓います。そして新井林、お前も聞け!」

 拳を振り上げ、ゆっくりとそれを開き、「選手宣誓」のポーズを取った。

「この三年間で語りきれないことがあるのなら、俺は正々堂々、受けて立つ! いつでも追いかけて来い。そして、その時は俺たち卒業生一同も、さらにパワーアップして後輩たちを迎え入れ、とことん腹の底まで語り合うことを、誓います。三月十五日、卒業生代表、藤沖、勲」

 

 繰り返された拍手だけではない。その奥からさらに猛獣の吠えるような声が低く聞こえてきたようだった。足を踏み鳴らす生徒もいる、その奥にはさらに二年全員が総立ち状態だった。男子席端の来賓たちも、先生たちも、みな藤沖に向かい惜しみない拍手を送っていた。もちろん二年B組男子全員も、率先して立ち上がっている。難波が気合一発、

「藤沖、よくやった!」

 感極まった声で絶叫している。

 ──難波、あいつあんな事する奴じゃないのに。

 やはり真中の段を降りて藤沖が席に戻ろうとするのをB組男子たちはみな、握手と背中のたたきあいでもって迎えていた。藤沖もまた、ああいう風な迎え入れ方をされるタイプの男ではなかったはずだった。少し照れくさそうに笑いつつ、握手に答える藤沖。

 ──誰もが、みんな、大人なんだ。

 上総はそのざわめきから完全に離れたところで座っていた。生徒代表の答辞はあと自分だけだった。英語答辞の原稿を膝に置いたまま、上総は二年生の女子席にそっと目をやった。ここから杉本梨南の姿を見つけ出すことはできなかった。が、顔を戻す拍子に三年D組女子席中央に位置する美里と、完璧目が合った。周囲の盛り上がりとは珍しく離れたところで、美里も上総に唇一本結んだまま、頷いてくれた。

 ──ありがとう。それから、ごめん。

 胸のコサージに手を触れ、すぐに上総は立ち上がった。騒ぎを静めるのにまた時間がかかりそうだった。しかしマイクでのアナウンスはその雰囲気を一掃してくれた。


「英語答辞、卒業生代表、三年D組、立村上総」


 溜息のような、どことなく曇った雰囲気が館内全体に漂うのを感じた。

 二通の答辞原稿を片手に、上総は舞台脇の階段を踏みしめた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ