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第一部 5

第一部 5



 E組で天羽や難波と再び顔を合わせるのも鬱陶しい。杉本と話もしづらい。上履きに履き替え、上総は二階の生徒会室へと方向転換することにした。

 まだ四時半だ。生徒会長・藤沖はいるだろう。

 引き戸を軽く叩き、指先で細く開いた。すぐに答えが返ってきた。

「よお、立村、なんか用か」

 隙間からのぞくと、男子連中が三人ほど椅子を占領し、瓶のコーラ一本に群がっているのが見えた。そのうち窓際の一番奥は生徒会長・藤沖勲ふじおき・いさおの指定席だった。シャツを真中まで開き、足を組んでくつろいでいる。いかり肩と筋肉が、ちらりとシャツの間からのぞいていた。毎朝毎夕、小型のダンベルで身体を鍛えている成果だろう。

 目で合図だけして、上総は藤沖の隣にパイプ椅子を無理やり滑り込ませた。二年の書記と副会長ふたりとも男子だった。評議委員長に敬意を表し、ふたりともスペースを快く空けてくれた。

「今日は男子しかいないんだな」

「さっぱりするだろ」

「でもそろそろ生徒会の改選もあるし、女子たちに手伝ってもらわないとまずい時期じゃないのか」

「毎年恒例の信任投票で決まるしな。それなりに準備の真っ最中だ」

 藤沖はのっぺりした面のまま、ねむたそうに答えた。

「それなりにってさ」

「誰が立候補予定かを、ありとあらゆる情報網をもってチェックしてるぞ、生徒会長の権限でな」

 もっと藤沖が、評議委員長の上総に接近して根掘り葉掘り聞き出そうとしても不思議はない。なのにつっこんだ話を意外としてこない。なぜなのか。藤沖のクラスは三年B組、難波と一緒だし、そのあたりで情報を得ているのだろうか。評議委員長もたいしたことないということか。

「難波からいろいろ話、聞いてるのか」

「天羽が黙っててもしゃべってくれるぞ」

 ──やっぱり天羽か。

 会話が傷に染みて痛い。

 上総は素早く話を逸らした。聞きたいことは山ほどあるが、まずは藤沖本人のしゃべりやすい話題から持っていこう。

「そういえば藤沖、今でもお前、例のモットーは変わってないのかな」

「ああ?」

 両腕を組み、藤沖は機嫌よく笑った。いつもと同じ言葉で答えた。

「全校一丸となって応援できる集団を作り上げる。その要となる応援団を俺の手で一から作り上げる。俺の目標は変わるわけねえだろ」

 単純明快、藤沖現生徒会長の一貫したモットーだった。


 青大附中で野心を抱く生徒のほとんどは、まず委員会に入って足場を築く。  

 藤沖はそのあたり、全く考えていなかったらしい。

 委員会に入って中途半端な活動をするよりも、まずは「応援団設立」に向けての有志を集めること。そしてリーダーシップを学ぶこと。

 この二点に絞込み、藤沖はすべての活動を「応援団設立」に結びつけた。

「予定では二年の春をめどに応援団結成を行う予定だったんだがな。思いっきり計算違いがあっただろ。せっかくなあ、自分たちだけではなく大人たちの許可が不可欠だから、そのあたりの準備も抜かりなく行ったのになあ。話を通すためにはまず教師受けも良くしなくてはならないだろ。腹から響くドラ声も必要だろ」

「じゃあ、今でも発声練習やっているのは、そのためか」

「二年に入ったら一気に部活結成の嘆願書、出すつもりだったんだ。まずはそれまでにだな、顔売っとかねばならねえだろう」

 弱小運動部を奮い立たせ、運動部関連の行事に無関心な連中を奮い立たせるためのリーダー性も欠かせない。もちろん評議委員会を代表とする委員会連中にも、ことあるごとに協力を依頼することも忘れてはいなかったようだった。上総が藤沖と話をするようになったのは、こいつが生徒会に入る前からだった。

 上総の眼からみても藤沖はえらかった。先輩たちの後ろ盾がない中で、「青大附中応援団」を作るためにだけ勉学に勤しみ、委員でないにもかかわらず自らクラスを団結させるため努力を惜しまなかった。

 生徒会役員でもないのにわざわざ自分から手伝いに通っていたのも、どのように「長」として振舞うか学ぶためだった。あとは応援団設立書の提出時期を待つだけのはずだった。

 全身全霊でがんばる姿を生徒会役員や教師たちの脳裏に焼き付けた結果、藤沖の「応援団設立」根回し計画は裏目に出てしまった。しかたのないことだろう。成績よく、リーダーシップも完璧、そんな人材を教師たちが見逃すはずがない。二年春の評議委員クラス改選において、難波より藤沖に票が流れ、あやうく男子評議が入れ替わるかもしれないという事態を引き起こした、B組第二の男を、そのままフリーにするわけもない。

「一年、そろそろ任期も終りに近づいているし、改めて聞くけどさ。藤沖、どうして生徒会長に立候補した?」

「応援団長の気合よりも、生徒会長のお言葉が、今のところ全校応援させやすいってことに気が付いたからに決まってる。青大附中はそういう学校だからな」

「もう応援団には未練がないのか」

「高校入ったらですぐに応援団設立申請を出す。生徒会長やっておけば、顔も広くなるし、先生がたとも話が早いだろ? 俺の三年間はそこに費やされていたのさ。ほら、立村、もっと飲め」

 コーラ瓶を指差した。となりの二年ふたりがこくこく頷く。

 燃える生徒会長・藤沖勲。あっぱれである。


 三年同士の会話に入っていけなくなったのだろう。

「おつかれさましたー」

 二年副会長と二年書記はかばんをぶら下げてさっさと生徒会室から出て行った。片手を挙げて見送った後、藤沖は半分近くのこったコーラを上総の目の前に、どんと置いた。

「まあ、飲めや」

 人が口をつけたあとのビンから飲むのはなんだかいやだ。上総は目をつぶり息を止めて一口飲んだ。口元がべとっとしているようで気持ち悪かった。

「今の段階で立候補予定者は決まっているのか。例によって生徒会内の持ち上がりで今年も決まるのか」

「それはねえなあ」

 前からその話は聞いていた。確認の意味で尋ねたまでだ。

「あいつらが今度部活優先にしたいって言い出してな」

「さっきの二年役員たちか」

「まあしょうがねえよなあ。あいつら運動部だろ。ハードルで地区一位とか、全国大会に向けての水泳強化選手になるとかなったら、快く送り出すのが男だろう」

 藤沖の場合、運動部の連中には甘い。さすが応援団長志願だ。

「そうなると、生徒会長はどのあたりになるんだ。藤沖も言ってただろ? 女子を生徒会長にはしたくないってさ」

 順当に行けば、現在二年副会長の渋谷名美子あたりが妥当だろう。女子だがそれなりに仕事もできるし、教師受けも決して悪くないと聞いている。ただ藤沖から聞く限り、あまり性格のよろしくない女子という印象を持っていた。かなり偏見が入っているだろうし、その辺は割り引いて考えるようにはしていたが。

 藤沖はコーラ瓶を取り返しながら、あごをひくりとさせ頷いた。

「次期評議委員長が新井林だろ。ばりばりの体育系野郎だ。嘘いつわりのねえあの性格はまんざら悪くねえが、あいつとうまくやっていくのはやっぱり、それなりの男子でないとまずいだろうな。渋谷なんか口先ばっかで何にもできやしねえ。男を馬鹿扱いして見下すくせに結局は尻拭いが男子連中といういつものパターンだぞ。新井林も、馬鹿女子を相手にしてぶっちぎれるのはいやだろう。俺もその辺きちんと人を見ているつもりだ」

「そんなに渋谷さんって、面倒な人なのかな。俺も話したことないからなんとも言えないけどさ」

 直接話したことがないので、藤沖の主観に頼るしかない。

「面倒ってか、なあ」

 瓶を片手で持ち上げ、藤沖は残りのコーラを一気に飲み干した。

「何かあると『それは私がやりました』『あれは私たち女子が片付けました』の連発だ。実際運んだのは男子なんだ。少しは『男子たちに手伝ってもらいました』とかな、『男子たちのおかげでここまでできました』くらい言え。難波もまあ、そのあたりぐちゃぐちゃ言ってるぞ。頭の悪い女子にはむかつくってな」

 難波の場合対象はひとりに絞られている。そのことを藤沖は知っているのだろうか。

 ──お互い「男を立てない」態度にむかついているんだな。

 藤沖は指先で鼻毛を抜くような真似をし、ちっちと舌を鳴らした。

「それなら会長はこの前聞いた通り、やはり難波たちが推してる、一年の霧島で決まりそうか。ほら、C組女子評議の弟」 

「たぶんそうなるだろう。ただ、やっぱり一年だ。もう少し別の候補も見ておきたいところなんだが」

 難波と更科が以前から、霧島さんの弟……通称キリオ君……に接近し、いろいろと話をしていることは聞いていた。成績もいいし、顔も女子受けするし、今のうちから生徒会長として活動してもらえれば、今後の青大附中も安泰だろう。水鳥中学も、現在の内川会長が任命されたのは一年の秋だったと聞く。上総もそれほど心配はしていなかった。

 ただ、天羽たちにも話した通り、霧島弟のやる気有無だけが心配だった。藤沖のように先生方から担ぎ出されてそのままオーライというパターンもないわけではない。だけど本人が本当は引っ込んでいたいタイプだったら、かえって悲劇が待っている。そのあたりの読みはきちんとしてほしいと思う。今のところ、難波と更科から聞いた限りその心配はなさそうだ。

「ま、どっちにしても渋谷に威張られるよりましだ。渋谷もあきらめて、霧島ぼうやに取り入ろうとしている様子だし、それほど心配はないだろ。あとは新井林との相性だが」

「生徒会長が一年なら、いくら新井林でもきついことも言わないと思うよ」

「心配するな。俺がちゃんと押さえておく」

「押さえておくといえば、あのさ噂なんだけどさ」

 上総は口篭もりながら尋ねた。やっと本題に入ることができる。

「二年から別の候補が挙がっているという話、聞いてないか」

「杉本のことだろ、やっぱり気になるか、立村」

 うっとおしげに返事が返ってきた。

 迫り来る「黒船」杉本梨南への対処準備が終わっているわけか。

 おそらく藤沖も、上総と杉本との繋がりを気付いているだろう。天羽が情報を流しているくらいだ。「うちの評議委員長が、早く切れって言ってるのに、あの馬鹿女にこだわってやんの。もう頼むよ藤沖ちゃーん、立村に一発、がつんと気合入れてやってくれよお」そのくらい言いかねない。用心深く続けた。

「駒方先生あたりが立候補を勧めているらしいとは聞いているんだ。杉本本人は何にも言わないけどさ。でも、生徒会としてはそれ、困ること、だよな」

 文節を不自然に区切ってしまった。藤沖は首筋をかきながら黙って話を聞いている。

「俺も正直なところ、杉本に生徒会の雰囲気は合わないような気がするんだ。ほら、一年の頃、評議委員会で見てきたからさ。性格もつかんでいるし」

「俺は杉本がどういう女子か知らんが、生徒会向きでないというのは立村も納得してるんだな」

 ずばり突っ込まれた。上総はうつむいた。まずい。こういう時に飲み物があればごまかせるのに。

 藤沖は首のひっかき傷が浮き上がるくらい強く掻いた。

「まだ渋谷の方が、大人の前では礼儀正しくすること知ってるとは思う。杉本は新井林といろいろあってE組送りだろ。最初から問題外だろう」

「いや、それはいろいろ事情があるんだよ。」

「かばうのは立村、お前だけだ」

 決め付けられた。上総は右手を堅く握り締めたまま聞いていた。

「俺が男尊女卑思想の持ち主だとか言って罵倒する奴がいるが、よく考えてみろ。評議委員長も、規律委員長も、それから生徒会長も。主だった『長』はみな男子だろうが。感情に流されないで、やるべきことはしっかりやってくれる女子がいるのなら、俺は喜んで生徒会長の席を譲るぞ。たとえば、そうだな、うちのクラスの轟とかだな」

「理解できるような気がするよ、それ」

 轟さんが男子たちから密かに評価されているのは本当だった。

「ただヒスばかり起こして、自分らの価値を高めるためにだけ騒ぎ立てる女子だったら、最初から相手にしたくない、それだけだ。立村、そのあたり、どう思う。評議委員長として杉本という女子は、生徒会でやっていく資質があると思うか」

「それは」

「他の連中はみな、杉本を裏で立候補させないようにしてくれと頼み込んでくる。どうせ落ちるのが見え見えだから、立候補させてやれという奴もいる。だがそれを裏工作であれやこれややらかしていたら生徒会の役割なんてなくなるんじゃないのか。委員会ならまだしも、生徒会だけは正々堂々と民主的なやり方で役員を決めたい。俺は本心、渋谷に生徒会長をやらせたくないとは思っている。だが他の連中がそれでいいなら文句は言わん。それは杉本という女子に対して同じだ」

 上総の顔を正面から見据えて、藤沖は次の言葉に間を置いた。

 

「生徒会では毎度のことながら信任投票で人員が埋まるように準備していく。外部から立候補がないという前提で、やりたい連中をまずは内枠から固めていく。だからもし杉本が立候補したらどの役でも決戦投票ということになるだろう」

「当選の可能性は、低いよな」

「立村、いいか。男子なみに根性がある女子なら、俺は喜んで生徒会に迎え入れる。全校生徒の前で、たったひとり落選なんていう恥ずかしい状況をを受け入れられるような女子だったら、『男尊女卑主義者』の俺も杉本に対する見方をたぶん変えるだろう」

 藤沖は言い放った。さっきまで眠たげだったまなざしがすっきり目覚めていた。

「逃げも隠れもしない。堂々と勝負に来いと伝えておけ、立村」


 しばらく違う話でお茶を濁した後、上総は生徒会室から出た。もうだいぶ外の空気も冷たくなっていた。

 藤沖の言葉を信じるならば、すでに杉本梨南の生徒会立候補は可能性大として受け取られているのだろう。そのために信任投票の準備にみな勤しんでいるというわけだ。

 ひとつだけ救いなのは、生徒会役員たちが杉本の顔を見ただけで追い払おうとは思っていない、その点だけだった。できるだけ異物が近づかないように予防はするけれども、来たら来たで受け入れる覚悟はありそうだ。もちろん、そうならないために上総もできることはしなくてはならないだろう。そのための準備をしなくてはならない。延び延びにしているあの言葉を、早く美里に告げねば。上総はさっきまで握り締めていた手を、ゆっくり広げた。指先がほんのり赤かった。

 ──E組に行ってみるか。

 三十分くらい藤沖としゃべっていた。いつものように難波が霧島さんと一戦交えていたとしても、そろそろ終結している頃だろう。天羽や更科もよけいな付き添いをせずにさっさと帰っていればいいのだが。霧島さんも、上総が昼休み様子を見た時はしょんぼりしていたけれど、天敵・難波を相手にすれば言いたいことも言うだろう。気力喪失状態の霧島さんを元気づけるためには、劇薬代わりの難波が効果的なのかもしれない。

 一階まで階段を下りていこうとして、踊り場で立ち止まった。

 首筋に冷たいすきま風が吹き抜ける。

 さっきは天羽に、今は藤沖につつかれた鋭い痛みがのどもとに走る。

 ──感情に流されないで、やることはしっかりやってくれる女子。

 もし「長」となる条件だとしたら。

 ──俺には、評議委員長になる資格なんて、最初からないんじゃないか。


「おい、だからこっち向け、俺の方を見ろって言ってるだろうが!」

 階段一段目に腰掛けているのは、ふたつに髪の毛を分けた女子の頭だった。見覚えがある。昼休み、霧島さんがしていた髪型と一緒だ。上総は手すりの陰に隠れた。

「なんか言いたいことあるだろうが! お前、こういう時いっつもわめくだろ。男尊女卑がああだとかこうだとか、なーんもわかんないこと、ずっとしゃべりつづけるだろうが!」

 返事はない。大声の主が青大附中の誇る難波ホームズだ。顔を見なくて声だけでわかる。

「E組なんかに隠れてねえで、顔を出せって言ってるだけだろうが! 霧島、お前な、お前が馬鹿だってことはみんなわかってるんだ。今更お前が言い訳しなくたって全校生徒がわかってるんだぞ。今更隠すことねえだろ! 評議の連中だって、みんなそんなこと知ってるんだ。それが証明されたからって、逃げ隠れするなんて汚ねえぞ!」

 ──難波、それはまずい。

 仲裁に入るべきか。迷った。上総は隠れている方を選んだ。

「お前が評議から抜けるとしたって、まだ二ヶ月も任期、あるんだぞ。生徒会役員選挙の準備だってあるんだぞ。お前が突っ立って座ってるだけで十分やることあるんだぞ。人手ないんだぞ」

 責めているのは難波なのだが、全く霧島さんの返事がない。

「それに後期の女子評議、誰になるかわからねえけど、そいつになにをやればいいか教える仕事だってお前、あるんだぞ! 霧島、お前ひとりでもの投げ出して、馬鹿の二度塗りしてどうするんだ。この馬鹿が」

 ──難波。いくら「愛の裏返し」ったってこれはまずいよ。

 こういう時、割り込むはずの天羽と更科の姿もない。

 だから難波はひたすらエキサイトしているのだろう。

 ──やはり、止めに入るべきか。

 迷っているうちに難波の口調がさらに猛々しく響いた。

「いいか、お前、評議委員なんだぞ! 二年半も評議委員やってるんだぞ! どんなにそれが長い期間か、お前だってよくわかってるだろうが!」

 返事はない。座り込んだ霧島さんの後姿は全く動かない。ただ項垂れている。

「だから、今から来い、俺が今日の委員会の内容、全部説明してやる。どうせ明日の朝、更科が全部やってくれるだろうが、お前ひとりなんも知らないわけにはいかないだろうが!」 しばらく、間。その後、いきなり声音が変わった。

「お前なんで、なんも言い返さねえんだよ」

 悪口三昧、罵声の嵐。一瞬やんだ。

「なんか言えよ!」

 やはり答えはない。難波の声がかすれたように聞こえた。

「だから、霧島、いいかげんしゃべれよ、しゃべれって言うんだ!」

 霧島さんの両肩に手を置き、難波が前かがみになり、激しく揺さぶっていた。かくんかくんと揺れているが、霧島さん特有の罵り声は全く聞こえない。

 上総は息を殺し、霧島さんの横顔をのぞき見ようと心した。

 ちらりとのぞいたその表情に、かつての激しさは全く残っていなかった。昼休みに西月さんや杉本と一緒にいる時と同じく、あきらめきった風に遠くを眺めている。

 対照的に難波の顔は遠目からもゆがみこわばっていた。いつものきどった「シャーロック・ホームズ」姿はどこにもなかった。

 霧島さんは揺さぶられるままでいた。ふたつに分けた髪の束が前、後ろに揺れた。がっくりと難波が、両手を肩に乗せたまま項垂れた時、霧島さんはその手を軽く一度、二度と払いのけた。すっと立ち上がった。かつての霧島さんからは聞いたことのない、深みのある声で、

「私、もう、青大附中にいてはいけない人間だからかかわらないだけよ」

 それだけ言い残し、玄関の方へ向かっていった。

 難波ひとり、階段前に立ち尽くしていた。


 上総はもと来た階段を昇り、反対側から降りることにした。

 もし今の難波と同じ状況に置かれたら、誰にも見られたくない。決まっている。

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