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第四部 7

第四部 7


 赤と白のリボンでふわりと花のようにあしらったコサージが手渡された。胸章の一種なのだけど、青大附中の卒業生は毎年これを使用するのが伝統だった。少し華やか過ぎて男子には抵抗があるのだが、青大附属の生徒である以上しかたない。本条先輩の時は答辞を読み終えた後に胸からそれを引きちぎり、いきなり三年生席にむけてブーメランよろしく放り投げた。

 ──きっと本条先輩、あの時投げた花、ちゃんと前から計画して細工していたんだな。

 自分でブレザーの胸ポケットにつけながら、上総は去年の式を思い出していた。

 ──でないと、こんなに軽い花、あんな遠くまで飛ぶわけないじゃないか。誰があのコサージ、拾ったんだろう。先輩のファンだった下級生女子が数人、飛びついてきたというのは覚えているんだけどな。誰だろう。

 あの時の大騒ぎは、一種のコンサート会場そのものだった。ただそれでいて本条先輩は会場を混乱させようとはしていなくて、ちゃんと他の同期評議たちに指示して、落ち着かせるように手はずを整えていた。それゆえにあれだけのおふざけも最後はしっかと締まり、前代未聞ながらも思いの深い卒業式として記録されたはずだ。

「立村、今日はお前の晴れ姿だな」

 いきなり天敵・菱本の声にはっと顔を挙げた。

 菱本先生がにっと笑って見下ろしていた。むかつくこの姿勢。上総は座っていじいじと安全ピンと格闘している。その側でりゅうとした背広姿の菱本先生はくやしいくらい男前だった。普段のだらだらしたトレーナーとチノパン姿とは全く異なるものだった。おそらく杉本梨南が今日の菱本先生を見たら、ためらうことなく褒め称えるに違いない。だんだんいらいらしてくる。なんだかやたらと斜めになるのはなぜだろう。

「期待しているぞ。みんなな」

 お説教は卒業式終わってからひとくさり、また打ち上げ会で本格的なのを一本、用意してきているらしい。貴史経由の噂でちらと聞いた。今はまだ、ひとりひとりにねぎらいの言葉を掛けつつ、三年間のぎっしり詰まった思い出の三年D組をかみ締めているに違いない。知ったことか。

 ──俺はあんたの顔をもう二度と見ないですむだけでラッキーだと思ってるさ。

 もちろん口には出さず、返事もせずに、上総はコサージつけに専念している振りをした。

「おおい、清坂」

「はーい」

 その場に立ったまま、菱本先生は美里に声をかけた。

「ちょっとこっちに来い」

「なんですか?」

 手でさらに「こいこい」と呼び寄せると、それ以上は何も言わずにまた別の生徒に話し掛けはじめた。目の前から消えてくれることが上総にとっては一番嬉しいことなので無視したまま、上総は安全ピンをさらに指先に差した。痛いけど表情に出さないようにするのは、子どもの頃から慣れている。


「立村くん、ちょっと来て」

 美里が上総の席に立ったまま、そっとささやいた。

 たぶん、あの雪の放課後以来、口を利いたのはこれが最初だろう。二週間以上経つとすでにいろいろな出来事も、少しだけ凍って匂いも打ち消されている。一時期は全身から炎が滾りそうだった美里の表情も、今はすっとさっぱりした二次元の絵に戻っていた。上総にとっては接しやすい雰囲気でもある。立ち上がった。

「何か、用?」

「後ろの方に来て」

 他の連中もなにかれとしゃべりあったり、サイン帳に書き込みをしあったりと、三年D組としてやるべき仕事を片付けていた。隣の南雲は東堂とふたり、何か抱き合ったりいきなりポーズ取ったりして写真撮りしたりしているし、貴史は金沢の完成させてきたクラスポートレートを観ながらなにやら批評していた。偉そうに見えるが口は出さない。上総がひさびさに美里と二人、ロッカーの前に移動しても誰も反応する者はいなかった。

「ちょっと花、貸して」

 言うが早く、美里は上総の手からコサージをひったくった。指がちくっとまた痛んだ。

「そのまま、じっとしてて。手、下ろして」

 目を上総のブレザーポケットに移して、美里は心もちかがみこむ格好になりながら、コサージを上手につけてくれた。上総がつけようとするとどうしても斜めに曲がってしまうのに、美里が手早く直すとあっという間に出来上がってしまう。

「ごめん」

「こういう時は、ありがとうでしょ」

「ありがとう」

 たしなめられるのもまた、いつものことだった。

 さっぱりとした口調もまた、変わっていなかった。

 ふと、何かを言わねばならないような気がした。

「清坂氏」

 そそくさと自分の席に戻ろうとする美里に、上総はもう一度繰り返した。

「本当に、ありがとう」

 美里は背を向けたまま、片手を挙げて了解の意を伝えてきた。そのポーズは本条先輩か、また貴史と同じものだった。


 曖昧なまま、美里との付き合いも自然消滅しようとしている。

 このことだけが、まだ上総にはひっかかりとして残っていた。

 美里はあの、生徒会がらみの大騒ぎを引き起こした日に上総に、

「もし別に好きな人が出来たら、自分の方から立村くんを振る」

 と言い放った。その言葉を軸にして、上総は自分なりに現状維持をしつづけることを選んだ。つまり、

「清坂美里と立村上総は現在付き合っているけれども、近い将来清坂美里に別の彼氏が出来て別れることになるだろう」

 というシナリオをこしらえたわけだ。たぶんそれは現実となるだろうし、それまでは無理に波風立てなくてもいいだろう。美里がそれを望んでいるのならば、上総は黙ってそれに従うのがベストだろう。

 ──付き合い、なんて言葉、なければいいのに。

 何度思ったかしれない。「付き合う」という言葉、それさえなければ上総はこんなに混乱をきたさなくたってすんだのかもしれない。「友達でいる」ことと「付き合う」こととを隔てる川は、どうしてこんなに深いのだろう。

 ──恋愛感情なんて言葉、なくなればいいんだ。そうしたら。

 上総は自分の席に戻る途中で、奈良岡彰子が楽しげに男子たちのサイン帳へひまわりイラストでメッセージを書き込んでいる姿を目に留めた。南雲があれだけずたずたに傷ついているのをどこまで理解しているのかしれないが、少なくとも彼女には「友情」と「恋愛」がイコールで繋がっていて、それは奈良岡の体型と同じようにずんと揺らぐことなく残っているのだろう。

 ──みんな大好きだよ! 私の友だちはみんないい人ばっかり! 奈良岡彰子

 その一行で済ませられる彼女の思考。少しうらやましく思った。

 ノート一冊に書き尽くせないくらいの溜息を隠している南雲の本心を知るだけに。


「卒業生のみなさんは、廊下に整列してください」

 校内放送が流れた。卒業式の開始時間は十時からで、その前に下級生たちが入場し終わっているはずだった。その後、卒業生の父母たちが体育館を見下ろす格好で吹き抜けの場所に席を取り、三年生たちが入場してくるのを待っている。もっとも卒業式といったって、附属高校に入学するだけと割り切って、最初から来ない人も多いと聞く。

 ──だから来なくていいって言ったんだよな。

 今朝の口げんかの原因はそこだった。母がなぜわざわざ家に泊まりにきてまで卒業式出席に拘るのか、理解できなかった。そのことをきっちり説明して、来なくていいと言い放ったとたん母に火が回り、機関銃攻撃されたというわけだ。最後は父が割って入りしかたなく早朝の登校となったわけだが。はたして両親はどのあたりにいるのだろう。やはり、上総が壇上で英語の答辞を読み上げるのを面白げに眺めて、駄目出しをするのだろうか。くさくさする。

「出席番号順だぞ、わかっているな」

 しつこい。よくわかっている。何度も予行練習でそうやったじゃないか。

 うんざりして菱本先生をちらと眺めた時、ぴんときた。

 ──あの野郎、もしかして、さっきもか。

 美里にいきなり声をかけて上総の方へ呼んだのは、もしかして。

 ──あいつの企みだったのかよ。

 よく考えれば、「もう放っておいてあげるから」と約束してくれた美里が自分の方から近づいてくるようなことは、たぶんしないはずだった。それをわざとらしくそうしむけるとは、天敵・菱本、最後まで上総と戦うつもりのようだ。

 ──まったくどいつもこいつもな。

 余計なことを考えるよりは、菱本先生の暑苦しい善意にいらだっている方が気も紛れる。上総は男子列の一番うしろに並んだ。前には貴史が立っていた。特に何かを話すこともなく、男女一列ずつでそのまま階段を降りていった。


「それでは卒業生入場です。拍手でお迎えください」

 体育館奥からかすかなアナウンスが流れている。これは放送委員会の担当だった。以前は評議委員会がすべてまかなう形となっていたのだが、上総が評議委員長だった頃にそのあたりの業務を放送委員会に一任するようにしたはずだった。天羽が特に仕事を取り返したわけでもなさそうなので、そのままになっている。

 A組から順に、男女一緒に入場となる。茶色のじゅうたんの上をきっちりと整列したまま歩いていき、それぞれの席についた。D組も特段問題なく、男女別々、それぞれ両翼となる形でおさまった。

 上総の席は、卒業生席際奥で、かつ通路側すぐ側だった。後ろを振り返らなかったので確認はしなかったが、たぶん杉本が壇上から向かって斜め後ろ左の女子席に混じっているはずだった。


 校歌斉唱、校長挨拶、青潟市教育委員長挨拶、その他何人かの挨拶が続いた後、ようやく卒業証書授与となる。去年もそうだったのだが、細かい挨拶関係はまず生徒の集中力が続いている最初の方にまとめてしまい、後半は青大附属独特の明るいのりで盛り上げていこうという趣旨らしい。今回上総は英語答辞の関係もあり全く情報を得ていなかったが、貴史や美里たち卒業証書授与役の連中はいろいろ集まって相談をしていたらしい。そして何かをたくらんでいるらしい。去年のようにお笑い一発芸をかますわけではなさそうだと、今朝話してはいたのだが。観客として上総も興味がないわけではない。挨拶の後、十分程度の休憩が入り、終わった後貴史も美里も戻ってこなかったところみると、何か考えてはいるようだ。

 A組、天羽と近江さんも見当たらない。

 B組、難波と轟さんもいない。

 C組、更科たちも。

「ねえねえ立村、羽飛たち何やるか聞いてる?」

 「はひふへほ」の順番でいくとちょうど斜め前となる古川こずえが振り返って尋ねてきた。

「さあ、古川さんの方こそ聞いてないのか」

「それがさ、内緒なんだって。美里も教えてくれないしねえ。あっそっか。あんたも知らないってことになると、本当に誰も知らないんだねえ。公開本番なんてあるわけないし」

「古川さん!」

 声を尖らせてしまう。ここはまずいだろういくらなんでも。ひとつ席を置いて南雲がにっと笑いかけてきた。


「卒業証書、授与。三年A組」

「はい!」

 体育館入り口から天羽のでかい返事が響いた。戸はかすかに空いているのだが、天羽たちの姿は見えなかった。ふつうに入ってくるのならばまる見えのはずなのに。わざわざ半開きにして姿を隠し、返事だけしているというところにぴんときた。少しざわめく気配が体育館内に漂った。A組連中の他、みな興味津々といった風に腰を浮かせている生徒もいる。なによりも上から覗き込もうとしている、あぶなっかしい父母たちの姿が怖い。降って来たらどうするんだ。

「さてはもしや」

 ひとつ置いた席で南雲が上総に近づき、つんつん肩をつついた。

「りっちゃん、言わなかったけどさ、そういえばうちの規律の後輩たちがさ、天羽たちに呼ばれていたのは気付いてたんだよなあ」

「規律がか」

 上総は確信した。これは絶対に、ひとつしかない。

 ──天羽、そして羽飛が組むとしたら!

「えー? ということはさ、南雲、規律委員会が絡んでるってことだともしかして」

「そういうこと」

 上総が答えを囁こうとした瞬間、答えが全員、身をもって現れた。

 館内大爆笑と同時に、あふれんばかりの拍手が彼ら、彼女らに降り注いだ。

 慌てて上総も手を叩いた。こうきたか。


 A組、天羽は若草色の着物に同色の羽織姿で登場した。その隣には制服のままでいながらも洗面器ほどもある太鼓を打ち鳴らしながら、それでも機嫌よさげに寄り添う近江さんの姿があった。太鼓持ちを気取っているのだろうか。さすがに近江さんまでおそろいの和服姿というのには無理があったのだろう。天羽の片手には棒らしきものが握られていて、さらに懐からは白いものが畳み込まれている。

「天羽らしいな」

「落語家さんって感じだわよ。天羽、なっかなかやるじゃん」

「よくもまあなあ」

 こずえと南雲がこくこく頷きつつ、さらに後ろの二組目を興味深げに観察した。

「B組は、あれ、あのコートどうしたのさ! 立村、あんたのじゃないの?」

 上総もB組コンビの仮装姿にしばし言葉を失った。そりゃそうだ。

 ──あれ、俺のコートだろ!


 B組、難波は上総がふだん使用している例の「シャーロック・ホームズ風とんびのコート」をしっかりまとい、ご丁寧にもこげ茶の帽子と杖を持ち、パイプを口にくわえたまま天羽の後ろを歩いている。寄り添うのはもちろん轟さんなのだが、こればかりは普通の黒いスーツにやはり黒い帽子。ふだんの格好で皮の鞄を持って卑屈な格好で追いかけて歩いている。戸惑うものの、すぐにキャラクターは判明した。

「轟さん、ワトスン君だな」

「これは二重丸! ナイスアイデア!」

 天羽の格好には疑問を呈していた南雲も、B組コンビの設定には拍手にボーナスを加えていた。

「仮装ときたらな、難波にさせなくちゃ嘘だよねえ、りっちゃん」

「だけどなんで俺のコートがあそこにあるんだよ!」

「推理はあとあと、ほら、C組もきたよ」

 こずえに促されて、少し離れたところから現れたC組カップルをまた眺めやる。どうやら、一組目が壇上に上がるのを見計らって二組目が中に入る、というタイミングを決めているらしい。きわめてきっちりとおさまっているのが笑える。

「あれって、なんだいったい」

「難波の真似なんだろうけど、ねえ」

 いや、シャーロック・ホームズではないだろう。

「なんであいつ燕尾服なんか着てるんだ?」


 C組、更科は小さい身体によくぞ見つけてきたというような燕尾服をまとい、頭にはシルクハットを載せ、ご丁寧にそれを脱ぎお辞儀をした。一緒に連れ歩いているのはもちろん、後期限定女子評議委員だった阿木さんなのだが、彼女も大柄とはいえない姿なのに肩を丸出しにしその上に白いショールを羽織らせてもらい、しずしずと歩いている。壇上に向かうところで曲がる時に観察した。どうもかなり長いドレスを無理やり引きずっているようだ。誰かの貸衣装であることに間違いはない。

「マイフェアレディってとこっすか」

「その辺はノーコメントで」

「悪いけど更科があの格好だと、チャップリンだよね」

 古川こずえの名言に、上総たちだけではなく他の連中もこらえきれず椅子をひっくりかえす寸前になりつつ笑いこけていた。C組連中のひゅうひゅう声が高まり、それ以上の会話が不可能になってしまった。

「さて我らがD組は? 聞いてないの? ほんっとにあんた!」

「聞いてねえよ、だってあいつら秘密主義なんだぜ」

 自分のクラスだというのに南雲の関心度は一気に下がったらしい。両腕を組みそれでも「お手並み拝見」とつぶやいたまま椅子にもたれた。すでにA組、B組、C組の二人組は壇の前で横一列に並んでいる。さて、C組の「マイフェアレディ」と「チャップリン」が定位置につき、最後に我らがD組の登場を待つのみとなった。まだ興奮さめやらぬ館内に、いきなり笛の音色が響き渡った。放送委員会をおそらく使ったに違いない。スピーカーからだ。

 ぴーひょろ、ぴーひょろ、ぴーひょろろ。

「おい、あれってもしかしてさ」

「もう三月だってのに、あいつらいったい」

 現れたD組コンビの姿に上総はぽつっと呟いた。

「なんで獅子頭なんだ」


 D組、羽飛貴史、という前に現れたのはお正月の獅子舞用獅子頭を被って、くるくる回りながら入場してきた謎の生物だった。緑の布に渦巻きの紋らしきものが染め抜かれ、何者かが動かしているのはわかる。貴史が入っているというのは想像がつく。しかし、いくら奴の背が百八十センチ近くあるとしても、まさか入り口に頭をぶつけそうなほどたっぱがあるとは思えない。休憩時間中に三十センチ以上伸びるなんてことは、考えられないし考えたくもない。

 獅子は何度か頭を振るような仕種をし、しゃがみこんだり立ち上がったりと忙しい。とりたてて何かをするわけではないのだが、かっくんかっくんと首を振るだけで場が盛り上がる。D組連中ほぼ総立ち、拍手喝采の中で上総だけが座り込んでいた。

 ──清坂氏はどこだ?

 貴史がD組クラス男子代表とすれば、美里が女子代表のはず。その美里がいないということは。

 いきおいよく壇上前のじゅうたんを駆け抜けていき、向かって左端の位置につくと、獅子は頭をもう一度派手に振り、「どうも、どうも」と挨拶を父母たちにした。と同時に、さっとその獅子が小さく丸まった。一頭が、分割された。赤い頭を外し、ひょいと貴史に渡したのは確かに美里だった。貴史が自分の肩をもむような仕種をし、妙に笑いを誘った。

 重かったんだろう、きっと。

「なるほどね、ふたり、一組」

「そんな露骨にクールに言わないでもいいでしょうが、ねえ、立村もそう思うよねえ」

 上総は黙って頷くだけにとどめた。貴史の肩に肩車してもらって、獅子の頭を振りつづけられるような奴は、青潟中どこを探したってひとりしかいやしない。


派手な演出の授与者入場に先生たちも苦笑いしつつ拍手を送ってくれていた。

 憤って「やめろ!」とかわめく大人もいなかった。

 誰も、ヒステリックに「どういう教育してるんですか!」なんて叫んだりしなかった。

 

「それでは、卒業証書授与に参ります。代表の生徒は壇に上がってください」

 場が落ち着いた後、厳かにマイクで促され、八人はそのまま校長先生のいる壇の上に昇った。一組ずつ前に出て行き、拍手とともに全員分の卒業証書を受け取るのだ。

 ──もし、俺が何ごともなく評議委員長のままでいたとしたら。

 ──英語の答辞なんてやることにならなかったとしたら。

 これからの卒業証書授与は自分の役割だったはずだ。まちがっても今のような仮装入場なんて演出を考えたりはしなかっただろう。できるだけ無難に終わらせるよう心を砕いたことだろう。しかし、誰がこんなこと思いついたのだろう?ここまで考えてふと、上総の記憶にちらつく蝶のようなものを見た。

 ──これってもしかして、おととしの、全校集会の時の、あれか?

 左の耳に神経を集めた。もちろん感じることはない。ただ確かに二年女子の中で、杉本は座っているはずだし、あの場面をしっかり見守っていたはずだ。同じくじゅうたんをしいた体育館の中でスポットライトを動かしながら、二年前の六月、上総は杉本梨南から新井林健吾と佐賀はるみを巡るいざこざについて初めて打ち明けてくれた時。新井林が佐賀をエスコートし、その手に騎士のごとくかがみこみ、口付けをした姿をふたりで見つめたはずだった。そう、杉本が企画した青大附属中学ファッションショー。その場にいた天羽たちが今こうやって、焼き直してくれたのがその場面。

 ──杉本、見ていたろうか。

 振り返ることもできず、上総はそれぞれのクラス代表が証書を受け取っていく姿を見つめ続けるだけだった。やがてD組まで終わり、特に目立った一発ギャグを放つこともなく終わろうとした寸前、天羽と貴史がいきなりすすっと舞台のど真ん中に進み出て、

「では、みなの衆、まずは卒業を記念して、三本締めと参りますか、ではみな起立!」

 先生たちの驚きなんて全く無視したまま両手であおった。貴史も一緒に手を叩きながら、

「先生たちも、お父さん、お母さんも、どうぞご一緒に! ほらほらほらほら、みんな立てよな」

 相変わらずの明るい声でもって、二階席に呼びかける始末だ。爆笑と同時にがらがらと椅子を押しやる音が響き渡った。しかたなく上総も立ち上がった。なんだか空気が明るくふわふわしていく中、自分だけが重たいままだった。

 天羽がふたたび、音頭取りに戻った。そういうことになっていたのだろう。

「では、お手を拝借、いよーおっ!」


 ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃん

「よおっ!」

 ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃん

「いよっ!」

 ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃん


 交互に合いの手を入れる天羽と貴史。手締めをしている間にいつのまにか他の代表たちも集まって来ている。美里も、近江さんも、みな揃っていた。みな楽しげに笑いあい、時折手を振っていた。難波だけがポーズを取って意味不明の笑いを取っていたけれども、おそらく本人は気付いていないだろう。明るく笑顔なのはやはり更科だった。シルクハットをなぜか二階席に向かって放り投げた。たぶん、誰か受け取り役の人がいるのだろう。

「ありがとうございましたあっ!」

最後の締めはやはり天羽だった。

 

 今回、本当は天羽に卒業生代表の答辞を読ませるという話があったらしい。前回の答辞が本条先輩だったこともあり、評議委員長を代表にするのが筋ではという意見が通っていたからだった。しかし天羽は何か考えることがあったらしく、あえてそれを断り卒業証書授与代表を選んだ。なぜなのか理解できなかったけれども、今この手締めを見せてもらってすべて納得した。天羽は、この瞬間にすべてをかけていたのだ。きっと。

 ──あいつらしいよな。

 上総はゆっくりと両手を打ちならした。


 ──天羽は後期評議委員長であることよりも、三年間A組の男子評議だったことが一番の誇りだったんだ。俺なんかと違って、評議委員長の座になんて、あいつ、拘ってなんていなかったんだ。だから、なんだ。


 卒業式典はまだまだ続く。次は在校生代表の送辞のはずだ。二年男子席から人が動く気配がした。予想通り、新井林健吾が右端の通路に出て、桧山先生と何か話をしながら待機していた。

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