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第四部 5

第四部 5



 ポットに差し湯してもらい、また紅茶を注ぎ直してもらった。

 ウェートレスからティーカップを受け取りながら、上総はもう一度轟さんの方を見た。

 どうも、おかしい。うまく言えないのだが、なんとなくいつもの轟さんではないような気がする。近江さんの言葉がだんだん効いて来て胸がつまりそうなのを、上総は紅茶を口にすることで忘れようとした。飲み込んですぐに、轟さんの攻撃を見守った。


「私も、ここで聞いたことをおおっぴらにするつもりはないし、小春ちゃんがしたこともやはり悪いことには変わりないからこれ以上突っ込む気もない。けど、小春ちゃんが怒った理由くらいは想像つくんじゃないの。本当のことをなぜ言う必要があったわけなのか、私はそれを知りたいのよ。湊さんが小春ちゃんのせいで追い出されたのはよくわかったし、近江さんと相性の合う子だったってことも理解したわよ。ただね、あんまりにも出来すぎじゃないの? 私の推理が正しいならばこれって、生徒会ぐるみの『犯罪』って言ってもおかしくないよ」

「犯罪?」

 ふたりが口を揃えて「違うでしょ」といわんばかりの顔をする。轟さんは大きく頷いた。

「生徒会長さん、あなたはまず最初に、杉本さんと勝負付けを済ませるためにありとあらゆる手段をとったわよね。あなたのお得意な『証拠』は一応、私の方にあるけど、それを言うつもりはないわよ。たぶん次期評議委員長さんのご事情もあるだろうしね」

「証拠ってなんでしょうか?」

 またも開き直る佐賀はるみだが、もしかしてこれは本気でそう思っているのかもしれない。全く戸惑う気配もない。

「それは女子同士のやりとりで片付ければいいことよ。でもね、ずいぶんなことじゃないの。生徒会を通じてまず、杉本さんをE組からB組に戻そうと働きかけて、ただでさえ居心地の悪い場所に戻して、優越感たっぷりにいろいろと面倒を見ようとするわけ? これってふつうの女子だったらたまったもんじゃないと思うけども」

「轟先輩のような強い方にはたぶん、梨南ちゃんの状況がおわかりにならないと思います」

 またもつっぱねる佐賀はるみ。しかし上総に対して話した時とは違い、全く激していない。

「私が強い、ね。そう思われて光栄よ。そうしたら先生たちからも他の生徒たちからも、佐賀生徒会長は凄い凄いと褒め称えられるわけよ。まあ、今でも高い評価を与えられているってことよね。ついでに杉本さんをかばう立村くんを叩きのめせば誰も文句は言わないってわけ」

「叩きのめしてなんて、そんな。私はただ、梨南ちゃんのことを安心して任せられるのは立村先輩しかいないと」

「安心してかよ」

 大嘘つきやがって。そう言いたいのだが「アルベルチーヌ」内のお上品なムードには不釣合いな言葉でもある。上品というよりも、成金っぽさという方が近いと上総は思う。

「立村くんは少し黙ってて。とにかく佐賀生徒会長率いる生徒会が、そこまでやる理由ってどこにあるわけ? いくらなんでも、佐賀さんがかつての復讐を杉本さんにしたいんだったら、それは生徒会の外でいくらでもやればいいじゃないの。なぜ、立村くんや評議委員会、それに近江さんを巻き込んだわけ? 天羽くんを叩きのめして、自分の彼氏が次期評議委員長になるのに立場がなくなるようなことするわけ?」

「ずいぶん誤解してるわよねえ、私は巻き込まれているわけじゃないわ」

 めんどう臭そうに茶々を入れるのは近江さんだった。さっき轟さんに言いたいことをすべて言い放ったせいか、もうどうでもいいという態度だった。この人は何事においても本気になるということがないんじゃないだろうか。銀のフォークで残りのケーキを食べ終えると、紙ナフキンで丁寧にクリームを拭い、包んで畳んだ。

 轟さんはじっと近江さんに向き直った。

「気づいてないの?」

「気づくってなにを?」

「近江さんも、生徒会の駒にされてるってこと、気づいてないのかってことよ」

 ──ちょっと待て、どういうことだよ。

 いくら黙っていろといわれても、そういうわけにはいかないではないか。

 上総は轟さんに質問を投げかけた。

「それ、どういうことだ?」

「つまりね、こういうことよ」

 ゆっくり深呼吸し、轟さんは残りの紅茶を一気に飲み乾した。気合付けだ。

「佐賀さん、あなたも気づいてないかもしれないけど、あの風見って子、なんであんたにいろいろ吹き込むのかよく考えてみなさいよ。佐賀さんがしていることはね、要するにみんな、あの風見さんって女子がたくらんでいることであって、それ以上の何ものでもないわけよ。どうしてそんなに言うこと聞いて、操られているのか、それが不思議よね」

 ──風見?

 思い出したくない名前だった。風鈴によく似た横広がりのきっちりした髪の毛を振り振りしつつ、あの時上総の過去をすべて暴いた、二年の女子の苗字。

 上総は言葉も出ないまま座っていた。ウェートレスが皿を下げていった。

「ついでに言うけど、この場所を指定したのも、風見さんの仕業じゃないの?」

「『アルベルチーヌ』を、ですか?」

 さすがに佐賀も少し驚いたのか、口をかすかに尖らせた。

「そうよ。私が近江さんと佐賀さんに直接話をしたいと申し入れた時、ふつうだったら学校の中か学食か、せいぜい『リーズン』あたりにするのが普通よね。人にいくら見られたくないからといって、こんなお茶が七百円近くもする中学生のお財布にやさしくない場所、指定しないよね。もちろんあんたたちおふたりにとってそのくらいはたいしたことないのかもしれないけど、私や立村くんがこういうところで支払えるだけのお金、持っているかも想像できなかったわけなのかな。さっきの杉本さんの話ならいくらでも頭が回転するくせに、どうして私たちのお財布のぬくもりには興味を持たなかったんだろ。違和感ありありよね」

「轟さん、それどういうことだよ」

 訴える意味がわからず、上総は問い掛けた。

「つまりね、立村くん。このふたりも操られてるってことよ。この半年近く、私たちは、二年の風見って子の手玉に取られて右往左往していたってわけ。しかも、おめでたくもその傀儡になっちゃった佐賀さんがそのことに気がついていないのよ。もっとも私がそのことに気がついたのはつい最近だし、今更どうしようもないけど」

「傀儡ってなんですか?」

 佐賀のぽわんとした問いを轟さんは無視した。

「辞書を引いて調べなさいよ。近江さんが言う通り、湊さんって子が小春ちゃんを嫌っていて逃げ出したのも事実だろうし、佐賀さんが杉本さんの面倒をみなくちゃって思ったのもまた嘘じゃないでしょうし。そんなのはどうでもいいのよ。ただ、なんでそこまで風見さんは評議委員会を嫌ったわけなのかな。そうだ、立村くんを一方的に攻撃して評議委員長から下ろそうとしたこともあったわよね。まさか立村くんを叩きのめすため? それもちょっと違うよね。なんか、風見さんって人、人を混乱させて楽しんでいるって気がするんだけど、違う? それに最後は」

 言葉を切った。ぐるりと周囲を見渡した。

 明らかに浮き上がっていることを、自覚するかのように身震いした。

「『アルベルチーヌ』だか、指名したのは私を追い詰めるためでしょう?」

「そんなことありません!」

 あわてて否定する。近江さんも続ける。

「さっき言ったじゃないの。私たちここ好きなのよ。それだけよ」

「でも、勧めたのは風見さんじゃないの。ここだったら私みたいな貧乏人が萎縮してしまい、びくついて何も言えなくなるに決まってるからってこと、思ってたんじゃないの」

 轟さんは、息もつかせず言い放った。

「対等な場所だったら私もいくらでも文句言えるけど、こういうお上品でお財布の中身が心配になるようなとこだったらびくびくしちゃうから、何も言えなくなるだろうってことで。しかも最後には、立村くんまで連れてきたわけ?」

「いやそれはたまたま」

 上総が思わず口を挟もうとすると、轟さんは激しく机を揺らしつつ続けた。

「ほんと、女子のやりそうなことよね。敵ながらあっぱれよ。風見さんによろしく伝えておいてちょうだいよ。先輩たちを翻弄して、同輩たちを利用して、いったい何が楽しいのかって、一度さしで話してみたいわよ。そんなにいじくりまわしたいならなぜ、生徒会に立候補しなかったのか、その理由も知りたいところだけど、そんなの私には関係ないわよね。佐賀さんも近江さんも、ふたりともまだ気がついてないようだし、この調子だとこのまま利用されっぱなしだと思うけど、いいかげん目を覚ましたらどう?」

「被害妄想もいいかげんにしなさいよ。轟さん」

 また眠そうな声で、片手では佐賀の肩に触れ、もう片方の手をテーブルの端にかけ、近江さんが言い放った。

「私、利用されたなんて思っていないけど。ただ、もしそうだとしたら轟さんの方が策にはまってしまっているんじゃないのかしら」

「策?」

 問うたのは轟さんではなく、上総の方が先だった。佐賀は黙って近江さんを見つめていた。

「風見さんのことなんて全然話になんか出てきてないじゃないの。それなのに勝手に妄想を膨らませておいて、自分がこの場所に似合わないもんだと決め付けてることを白状しているようなものだもの。轟さん、誰も『アルベルチーヌ』にふさわしくないなんて、言ってないのにどうしてそう思うわけなのかしら。もちろん、お茶もお菓子も、『リーズン』とかから比べたらかなりの差があるけども。それにね、委員長?」

「なにか?」

「委員長って、こういうところ、来慣れているでしょう?」

 上総は答えなかった。轟さんの不利になる発言は一切したくなかった。近江さんは返事を待つこともせず、轟さんに柔らかく話し掛けた。

「もしも、生徒会側でそういう策略を練っていたと仮定してもね。私は納得して今までのような行動を取っていただろうし、少なくとも私自身は操られたなんて思っていないわよ。それに佐賀さんも、そういう風なアドバイスを風見さんからされたかもしれないけれど、その行動を選んだのは佐賀さん本人じゃない。取り捨て選択はちゃんと自分でやっているはず。私からしたらむしろ、こういう場所でいきなり取り乱して噛み付いてきた轟さんの態度の方が理解できないわよね。堂々とすればいいのに。自然でいればいいのに」

 もう一度、今度は佐賀に当てていた片手で、さらりと髪の毛を触れた。

 佐賀は暫く黙っていた。


 ──そういうことなんだ。

 一瞬のうちに、展開をすべて読み取った。

 上総に与えられている能力のひとつ。

 ──杉本に関する話は二の次だったんだ。本来の目的は、轟さんを叩きのめすためだ。

 なぜ、いきなり佐賀が、上総を「アルベルチーヌ」に引き入れようとしたのか。

 なぜ、轟さんをこの場所で居心地悪い思いをさせたのか。

 日々、粗大ゴミ置き場で物を拾っては古道具屋に売り払ったり、他の男子たちからジュースをこっそりおごってもらわない限り評議委員会では肩身の狭い思いをしていたという轟さんのことだ。いくら「アルベルチーヌ」の紅茶がまずくて調度品がやすっぽいものであっても、彼女の目には超高級品に見えただろう。そしておそらく、七百円以上の紅茶やケーキなどは、全く触れる機会のないものだったに違いない。

 これがもし、杉本だとしたら全く抵抗なくティーカップを口に運び、

「こんな美味しくない淹れ方をしてもったいないですね」

 くらい言い放つだろう。

 見た感じ、近江さんと佐賀は「アルベルチーヌ」の雰囲気に完璧親しんでいる様子だった。もちろん中学生の小遣いで気軽に行くことができるとは思えないが、今日のところは金銭的な不安もなく楽しんでいるのだろう。しかし全く予告もせず、いきなり轟さんを連れ込み、最後には。

 ──俺を引きずりこんだというわけか。

 女子三人での話し合いならともかく、轟さんにさらに肩身の狭い思いをさせるための大道具として、利用されたに過ぎない。はたして目の前のふたりが轟さんの気持ちを読み取っているかはわからない。轟さんの読み通り、風見百合子の口添えで指定しただけなのかもしれない。もっというなら佐賀に関して言えば佐川が裏に回っていたのかもしれない。轟さんが上総に好意を持っているらしいということを知っているとも思えない。思えないが、もしすべてを知って演出したとしたら。

 ──もう、俺たちふたりに勝ち目はない。

 としたら、次に上総ができることはひとつしかなかった。


「もういいよ、轟さん」

 上総は首を振った。これ以上負け戦を続けるわけにはいかなかった。自分が罵られるのならばそれはしかたのないことだ。しかし、轟さんはもう、すでに、蜂の巣にされてしまっている。もう手の届かないものを見せ付けられている。

「なんでよ」

「話はもうついている。佐賀さん、せっかくだけどさっきの杉本に関する案、俺は受け入れる気さらさらないからさ」

 まずはきっちりと断っておく必要がある。財布を取り出した。二人分の支払いはたぶん間に合うだろう。中身を確認した。

「杉本には俺が自分なりできっちりとすべきことをするし、心配してもらう必要なんてない。佐賀さんも俺がどう動くかなんて考えないで、やりたいようにすればいい」

「それでいいのですね」

 全く動揺せず、佐賀は頷いた。表情は変わらない。穏やかなまま。

「君たちが、佐川と相談していろいろたくらむんだったらそうすればいい。俺もやりたいようにやるだけだ。どうせ俺は、君たちからみたら出来そこないの先輩なんだろうけど、それなりに自分なりの考えもある」

「梨南ちゃんのために、私は申し上げたつもりなのですが」

「あとは杉本がひとりでなんとかすればいい。俺はやりたいようにやる」

 ちょっとしつこすぎるかもしれない。だが、過保護なやり方で攻めようとする佐賀に対抗するには、ただひとつ「放置」しかない。

 本条先輩も言ったはずだ。

 杉本が、上総を頼ってくるまで待つしかない。

 ──だから、俺は待つだけだ。

「ここに二人分の代金置いとく。あとで払っておいて」

 もう何も話すことはなかった。上総は立ち上がり、轟さんを促した。まだ文句を言いたそうな轟さんだったが、

「ここを出よう」

 上総の囁きに溜息を吐き、捨て台詞を言い放った。

「ふたりとも、自分の頭で物事考えなさいよ。近江さんも、天羽くんのこと少し考えなさいよ」

「大丈夫よ。今日、轟さんと話してみて、天羽くんのことは心配しなくてもよさそうだとわかったから」

 かみ合わない返事を、軽やかに近江さんはした後、上総にまた耳元で手を振った。

「何がなんだかわかんないけど」

 完全に会話は崩壊したまま終結した。佐賀生徒会長だけが無言で頭を下げた。

 帰り際、通り過ぎる席からちらちらとまた、上総への視線がまとわりついた。居心地悪かったのは轟さんだけではない、上総もそうだった。しかも最後に、何を勘違いしたのか妙に熱い囁きが耳に入ってきたではないか。


「すっごい美少年よね」

「本当ね。漫画に出てくるみたいな感じよね」

 ──誰か他の奴、その辺にいるのか?

 何度見渡しても、上総以外の男は誰も店内にはいなかった。


 ウェートレスの、また奇妙な眼差しから目をそらしつつ上総は「アルベルチーヌ」を出た。外はすでに真っ暗闇と化し、空気もまたぴんと締め付けられるような冷ややかさが広がっていた。上総は轟さんに振り向いて、少し待つよう合図をし、すぐ側の自動販売機まで駆け寄った。ホットとアイス、両方のタイプで缶コーヒーが並んでいた。もちろんここはホットでいくのが筋だろう。二本購入した。

「轟さん」

「ありがとう」

 熱い缶を手袋越しに手渡した。

「これで口直しすればいいよ」

「あ、でも、あとでお金返さないと」

「いいよ、どうせこれが最後だ」

 轟さんは歩きながら上総を見上げ、大きく溜息を吐いた。

「最後の最後でしくじったって感じよね。立村くん、申し訳ないよ」

「謝るのは俺の方だと思う」

 本来、あの場所にもし、上総が顔を出していなければ、轟さんが追い詰められて思わぬ暴走文句を吐き出すこともなかっただろう。むしろ彼女の冷静な頭脳であのふたりをぐうの音も出ないくらい叩きのめすことも可能だったはずだ。

「さっきの話は、私にとってはちゃんと裏付け取ったことだけどね。でも、あのふたりにはもう、通用しないってことかもね。完全に洗脳されちゃってる」

「もういいよ」

 風見がどうとか、佐川がどうとか、そんなのはもうどうでもよかった。 

 ただ、轟さんの受けた傷の痛みだけが、じんわりと上総に伝わってくるかのようだった。

「俺は、轟さんの誠意をちゃんと受け取ったつもりだからさ。それだけでいい」

「そっか」

 缶のプルトップをゴミ箱に捨て、轟さんはそっとすすった。

「立村くん、やさしいね」

「そんなでもないけど」

「つらい思いをした人には、すっごくやさしいよね」

 いきなり轟さんが呟いた。毒が含まれている言葉に聞こえた。

「つらい思いって?」

「そう、つまり、今の私とか、修学旅行中の美里とか、あの事件以降のゆいちゃんと小春ちゃんとか、天羽くんとか」

 上総は立ち止まった。言われている意味が珈琲の熱さと同じく飲み込めなかった。

「だから美里は今でも立村くんのことがあきらめられないんだ」

「そんなわけじゃないと思うけどさ」

 轟さんは静かな口調で続けた。

「ほんとうに、これが最後かもしれないけど、私はこれ以上つらい思い、したくないんだ」

「どういうこと」

「今、やっと気がついたんだ。美里がなんで、立村くんのことずっと好きでいるかって。辛い時に優しくされると、どうしても誤解しちゃうんだよね。立村くん、今の美里はある意味、幸せそうに見えるよね。D組、クラスもまとまってていい雰囲気だしね。羽飛くんも元気だし。だから、楽しそうに見えるよね」

 どう答えればいいのかわからなかった。女子というのは理解できないけれども、今の轟さんもやはりつかみきれない。

「私も、幸せになりたいよ。さっきまで目の前に並んでいた、あのふたりみたいに楽しく、お金のことなんて気にしないでケーキ食べたいよ。だから大学に入ったら絶対司法試験受けて、絶対お金稼いで、絶対整形手術してやるんだ」

 激しい口調が一瞬だけ、すぐに穏やかに戻った。上総の顔に笑いかけた。またしゅうしゅうと前歯の間から息が洩れた。

「でも、そうしたら立村くんは、私にやさしくする気、きっとなくするよね」

「別に優しくするとかしないとか考えたことないけど」

「いいよ、気づかなくたって」

 とぼとぼ、轟さんは先を歩き始めた。

「女子の中で、幸せになってもやさしくしてあげたくなる子って、きっと立村くんにとっては、杉本さんだけなんだと思う」

追いついた上総の顔を見ずに呟いた。

「私もいつか、そんな人見つけるよ」


 缶コーヒーを飲み終えた轟さんは、ゴミ箱に缶を放り込み、そそくさと背を向けた。

「ありがとう。じゃあ、またね」

 さりげない挨拶が、なぜかきっぱりしすぎているような気がした。

 上総は片手だけ挙げ見送った。すぐに角を曲がったのか、闇へと轟さんの姿は吸い込まれていった。

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