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第四部 4

第四部 4



 もうとっくに決着がついていることを、なぜ穿り返さねばならないのか。

 そんなことを感じつつ、上総はしばらく佐賀生徒会長との丁丁発止を続けていた。

 隣で紅茶にも手をつけず、ことさえあれば口を挟もうと戦闘態勢に入っている轟さんを隣に、やたらと楽しげに微笑みつつ、スキンシップを楽しんでいるかのような近江さんを前にして。

「立村先輩にこうやってお話するのも最後だと思いますので、私なりに梨南ちゃんの今後についてお伝えしておきます」

 きりっと、言い放った佐賀を上総はいつもの自分で受け止めた。

「四月から、梨南ちゃんは三年B組の生徒として教室に戻るはずです。E組というところに置かれていたのは桧山先生たちの意志だったかもしれませんが、だけどそれだと、三年間一緒にやっていこうとする生徒たちの意志をも無視することになるんじゃないかなってことで、新井林くんと一緒に話をしたところなんです」

 やはりそういうことか。いつまでもE組に置いておくわけにはいかないだろう。

 上総もそのあたりはわからないでもなかった。おそらく杉本も、ある程度は聞かされているのだろう。どちらにしても、上総が卒業した後、まがりなりにも杉本には「クラスメート」なるものが存在する形となる。それはそれでめでたいことなのかもしれない。

 佐賀は目の前に出てきたケーキを無視し、ニットの袖口を軽く摘むようにして続けた。

「でも、梨南ちゃんがそのまますっと馴染めるかどうかはわかりません。もう、今のB組は梨南ちゃんの居ない状態で十分落ち着いてますし、本当のところ梨南ちゃんには二度と戻って来てほしくないと思っているような感じです。男子はもちろん、女子もそんな感じです」

「そうだろうな」

 表向きの友好関係なんて杉本だってほしくないだろう。天敵たちに取り仕切られた環境のもと、杉本はどういう風に過ごせばいいのだろうか。今の自分に重ねて考え、上総は少し笑った。逃げればいいことか、と。

「立村先輩、私、これだけはお伝えしておこうと思っています」

「早く結論だけ言ってくれればいいのに」

「私は、立村先輩が梨南ちゃんにしてあげたことのほとんどが、間違いだったのではと確信しているんです」

 あどけない口調ながらも、半年の間に佐賀の言葉には引くところのない威厳が漂っている。これはどこからきたものだろう。上総は暫く聞きながら考えていた。自分には得られなかったけれども、新井林や天羽、なによりも本条先輩の内には備わっていた何かだった。

「ここであえて、近江先輩と轟先輩の間に入れていただいたのは、青大附中の関係の方が他にいらっしゃらないところで、どうしてもお話させていただきたかったからです。これは、生徒会長として、と同時に」

 いったん言葉を切り、小首を傾げ、つないだ。

「梨南ちゃんの、もと親友としてです」

 そばで険しい眼差しをむけた轟さんに、佐賀は可愛らしく微笑みを投げた。近江さんはさっさと白いシフォンケーキを口に運び、

「轟さん、私たちの話はとりあえず、委員長たちの会話が終わってからたっぷりしましょうよ」

 どこふく風とばかりに、またこの人も微笑んだ。


「私は梨南ちゃんがこれから先、三年に入ってどういう風に過ごすのか、わかっていません。ただどうしてもこのままだと、いろいろ問題を起こしてしまうだろうという気はしています。梨南ちゃんは私のことはもちろん、新井林くんに対しても、また桧山先生に対しても、みんなを敵だと思っています。だからたぶん、B組は荒れてしまうだろうという気はします。私はだから」

 ポットにお湯を差すようなそぶりをするウェートレスが、上総に目と留めて、いきなりはにかむようにして引っ込んでいった。何か悪いことしただろうか。気をとられたがすぐに佐賀へと向き直り聞いた。

「梨南ちゃんがこれからB組でどうすれば、穏やかに過ごしていけるかを考えていました。評議委員になってからずっとです。友だちに戻ろうなんて思ってませんし、梨南ちゃんだってそんなことはいやでしょう。本当でしたら花森さんがいればまたそれでもよかったのですけれども、彼女が転校したのって立村先輩のアドバイスがあったからなんですよね」

 いきなり忘れていた花森なつめの話題を振られ、戸惑った。

 彼女は相変わらず青潟から離れた花街で、芸事の修行をしていると母から聞いている。

「別にアドバイスだなんて大それたことした覚えはないけど」

「噂で聞きました。立村先輩が、花森さんに、転校を勧めてたらしいということですよね」

「やりたいことをやるのはいいことだとは伝えたけどさ」

 でも、あとで慌てて止めたという話は伝わっていないらしい。別にここで伝える必要もない。上総は佐賀に、思いたいようにさせておいた。

「もし、立村先輩が本気で花森さんの転校を止めていただけていれば、梨南ちゃんは二年の段階であんなひとりぼっちになることもなかったと、私は思います。たぶん立村先輩は善意で花森さんの芸者修行をお勧めになられたのでしょうけれども、結果、梨南ちゃんはたったひとりぼっちになってしまいました」

「ひとりぼっち、なのか?」

 一応は西月さんをはじめとした三年女子評議たちが杉本を守っていたはずだが。

「先輩たちがいらっしゃらなくなったら、もうひとりです。現実問題として、もう誰もいません。だからなんです。梨南ちゃんをB組に戻してあげてほしいというのは」

「佐賀さん、まずは紅茶、冷めないうちにどうぞ」

 脳天気に近江さんが、薄手のごてごてしたカップに紅茶を注いだ。さっき上総も口にしたのだが、正直言ってまずい。こんなので七百円以上もぼったくるなんてなんだか勘違いしていると思う。ケーキを頼んではいないが、それ以上に美味しいとはたぶん思えないだろう。上総はそれほど舌が肥えている方だと思わないが、もしここに母を連れて来ていたら、おそらく店の責任者を呼び出してこんこんと説教をすることだろう。

「ありがとうございます」

 仕種だけはお上品に、両手を添えて佐賀がカップに口をつける。細身のニットドレスがしっとりと張り付いていて、さりげなく身体のふくらみが強調されている。見た感じ、上総が想像していたよりもこの人の体型は大人なのかもしれない。隣で座っている近江さんが比較的でこぼこの少ない竹のような身体つきなのに対して、なにかを誘うような感じがどことなくした。視線を紅茶に逸らし、隣の轟さんに目で合図をした。とりたてて何かを、というわけではない。

「梨南ちゃんにもう一度、普通の中学生活を味わってもらいたいし、それで一緒に卒業したいし、それで少しでもいやな思い出を忘れてほしいんです。そのために私は、もと親友として出来る限りのことをしたいと思っています。今まではしようとしてきましたけれども、立村先輩をはじめ上の先輩たちが邪魔をされておられたので、どうしてもできませんでした」

「俺が、邪魔をしたと?」

 いきり立つのを抑えつつ、上総は問い返した。佐賀も恐れなかった。

「はい。私も何度か、先輩にお話すべきだとは思ったのですが、私の方が間違っていたらいけないと思ってずっと抑えてきました。でも、この半年の出来事をずっと見てきていて、やはり間違いは今のうちに正すべきだと思ったんです」

「間違い?」

 今度は轟さんがかりっと噛み付くような口調で問い返した。佐賀は轟さんにも頷いた。

「関崎さんのこともその一環でした。立村先輩はおそらく、梨南ちゃんのために少しでも繋がりをこしらえてあげようと努力されておられたのだと思われます。もちろんそれは梨南ちゃんのためになるから、と思われておられたのでしょう。でも、私たちからすればそれは逆効果だと思うんです。まず、立村先輩が梨南ちゃんの面倒を見れば見るほど、梨南ちゃんが全校生徒から嫌われていっているという事実を、ご覧いただけたらと思うのです」

「よくわかってるよ、君に言われなくても」

 抑えるのもかなり苦しい。上総はだいぶ冷めた紅茶を半分飲んだ。苦いだけだ。

「もっと言うなら、西月先輩や霧島先輩にだけ可愛がってもらっても、梨南ちゃんの立場はちっともよくなりません。むしろ、他のたとえば清坂先輩たちのグループに可愛がってもらえたのでしたらまた話も違ったと思うのですが、あのままだと梨南ちゃんは嫌われものチームの一員として扱われてしまうだけなんです」

「それは西月さんたちに失礼だろう」

「いいえ、そうは思いません。梨南ちゃんと仲良くしたいという同学年の女子も全くいないわけではないのに、先輩たちがバリアを張った形になったので、梨南ちゃんは一層ひとりになってしまったのではないかって気がするんです。それでは、これから先、大変です」


 佐賀の言い分は当たっている。

 ──その通りかもしれないな。

 認めざるを得なかった。嫌われ者同士のカップルとしてくっついたとしても、結局居場所はどこにもないわけだ。上総がさんざん杉本を振り回してあちらこちらに連れまわしたとしても、卒業したら最後、杉本ひとり取り残される。誰一人仲間の居ないまま。だから上総なりにいろいろと手を尽くしてきたつもりだった。本条先輩に相談したのも、片岡を捕まえて西月さん情報を仕入れようとしたのも。しかし、すべてが破綻に終わった以上、今受け入れるのは佐賀の案だけなのかもしれない。目の前のごてごてしたロココ調のティーカップを見下ろしながら、上総は溜息をついた。

 ──杉本にもう一度、同学年の友だちを作ってやるには、佐賀さんに任せるしかないわけか。


 上総の表情を読んだのかどうかはわからない。佐賀の言葉は全くぶれず、凛としたままだった。

「関崎さんのことを私が梨南ちゃんに忠告したわけではありません。ただ、水鳥中学サイドからは関崎さんが青大附高を第一志望にされておられること、また梨南ちゃんの気持ちを受け入れる場所はないということを、すべて伺っておりました。これは健吾……新井林くんも知っていることです。でも梨南ちゃんの気性を考えるとそれを受け入れてもらうのは難しいとも思ってました。だから、私なりに一度、もと親友として話をしてみようと思ったのです。叶わない人ばかり追いかけてないで、たとえば、秋葉くんみたいに梨南ちゃんを好きになってくれる人のことを見てあげたほうがいいということです」

「秋葉、って誰?」

「学校祭で梨南ちゃんを追いかけていた男子です。先輩、ご存知ではないのですか」

 思い出した。どこか幼い、どう考えても中学生とは思えない言動の奴だった。

「それは友だちでなくては話せないし、同時に嫌われる覚悟がなくてはいえないことだと思っておりました。だから私なりにはっきりと伝えました。その時梨南ちゃんはかなり怒りましたけど、やはり考えるところがあったのか、いきなり生徒会室に飛び込んできて私の意見を受け入れたと伝えてくれました。真剣に話をすれば、わかってくれるものだと私のほうが感動しました」

 そうか、そういうことか。ここで、西月さんと近江さんとの暴力沙汰に繋がっていくわけだ。上総はちらりと近江さんに頷いた。ケーキを綺麗に半分分けにしてある。幸せそうに近江さんは紅茶に耽溺していた。

「その後で、西月さんが抗議しにきたというわけだな」

「そういうことになります。立村先輩は先日、あの場所で、私たち生徒会が梨南ちゃんを叩きのめしていじめたような発言をされましたが、現実はそういうことになります。これは生徒会が、というわけではなく、私と梨南ちゃんの幼なじみ同士の真剣な話し合いであって、そこにたまたま渋谷さんや風見さんや近江先輩がいらしただけのことです。私が梨南ちゃんにしてあげられるたったひとつのことを、精一杯私なりにしただけのことです。もちろん梨南ちゃんは傷ついたと思います。でも、三年以降のことを考えるとそうするしか私には路がありませんでした」

「誰かの差し金でもないのかな」

 佐川の匂いをちらつかせてみた。すぐに却下された。ちっとも動揺せず。

「それも、誤解を招いてしまうお話です。私は確かに水鳥中学の生徒会の方々とお付き合いがありますし、それの延長で佐川さんともお話してます。でも、百パーセント佐川さんと新井林くんと私、で話をしてますので、立村先輩が想像するようはことは全然ありません。第一、私と佐川さんが陰で付き合っているなんて、そんな噂、どこから出てきたのでしょうか。立村先輩が一方的に流しているだけではありませんか。それは、立村先輩の想像であって、証拠なんてなにもないのに」

「ないとは言わないさ。現場にいたのは俺だから」

「去年、本条先輩の前で間違いを認めていただいたはずですよね。私、これは女子としてとても恥ずかしいことですので、本当でしたらあの場にいた人たちの前ですべてを間違いだと言っていただきたかったのですが、新井林くんにとめられたので我慢しました。でもまた同じような話を持ち出されるようでしたら、私は公の場で百パーセント否定します。それ以上にもっと大きな問題があるのに、私はそれを隠しているのですから」

「大きな問題?」

「これは佐川さんから伺いました。無実の罪で立村先輩が、佐川さんに暴力をふるったということです」

 ああそれか。そんなこともあった。右手の握りこぶしをテーブルの下でこしらえてみた。

 人を殴りつけた時の、身もひきさかれんばかりの激しい痛み。甦ってきた。

「佐川さんも関崎さんもそのことを知っていながら、黙ってくれています。それを立村先輩はもっと、厳粛に受け止めるべきだと私は思うのです」

 嘘だろ、いくらでも証拠を出せるはずなのに、なぜ思い切った手が打てないのだろう。佐賀はあえて勝ち誇ったそぶりを見せずに、淡々と語りつづけている。わき目もふらずただ佐賀をにらみつけている轟さんは、その話にも驚きを一切見せなかった。

「私も、もう二度と立村先輩が私にぶつけたありもしない出来事のあれやこれやを気にするつもりはありません。これは轟先輩にもお話した通りです。実際佐川さんと私が陰でこそこそと付き合っていたとかいう話にもしなったら、現在の交際相手である新井林くんがどんなこと言うか、想像つかないわけではありませんし、なによりも私はそんな人を裏切るようなことを決してしておりません」

「断言、できるわけか」

 切り込んでみた。綿にナイフを差し込んだみたいに、たよりなく拠れた。

「はい、当然です」

 ──この鉄仮面、いったい、どこで手に入れた。


 ちょうど一年前の出来事だった。水鳥中学の佐川と、当時評議委員だった佐賀のふたりがたくらんで杉本に大恥をかかせようと計画していたはずの事件。上総は自分なりの推理でもって、ふたりの密会している場所を突き止め、現場に乗り込んだはずだった。そして、後一歩で動かぬ証拠を押さえられたはずだった。関崎にぎりぎりのところで止められあえて武士の情けをかけたゆえの、この始末。

 ──全く、俺はどうしようもないよな。

 上総は笑うしかなかった。

 佐賀の罪悪感に訴える手段をとってみたものの、すでに生徒会長として敏腕を振るっている彼女に出来そこない評議委員長だった上総が勝てる見込みもなかった。また、あったとしてもそれがどうだというのだろう。この場所で佐賀を追い詰めたところで、それこそ「証人」と言えるのは轟さんだけ。見た感じだと近江さんと佐賀とは共同戦線を張っていそうな気配ありだ。轟さんが上総をひいきしているのは知れ渡っている。となると、誰一人信じてもらえない、そういう結論となる。

「ちょっと聞きたいんだけど、佐賀さんずいぶん自信持って否定できるのね」

 轟さんは唇をずずっと鳴らして紅茶をすすった後、がしゃりと置いた。

「立村くんがその佐川という人を殴ったというとこも、佐賀さん見たわけなの。それだって証拠がないじゃないの」

「あります」

「ふうん、なに」

「佐川さん、あの後、病院に行ったらしいです。前歯、折れそうだったそうなので」

 ──嘘だろう?

「たぶん、病院に直接いけばわかるはずです。それに関崎さんもちゃんとその場で見ていらしたそうなので、嘘を仰らないとすれば絶対に知っているはずです」

「そうなの、でもずいぶん佐賀さんって、いろいろなこと聞いてるんだね。私もかなりいろいろ噂聞いているけど、ここまで詳しくないよ」

 さりげなく探りを入れてくれた。感謝したいけれど、佐賀にそれは通用しなかった。

「新井林くんがすべて教えてくれました。もちろん今は立場もあるのでそんなこといいませんけど、あの頃は私も何も知らなかったので。立村先輩がこの前話されたことはみな、新井林くんがすべて否定してくれます」

「どっちもどっち、証拠なんてあってないようなものってことね」

「轟先輩、あと少しだけ、立村先輩とお話させていただきます」

 いいですか?と確認を取ろうとはしなかった。静かに、でもきっぱり撥ね付けた。

「どうせ最後だものな」

 負け戦でも、逃げはしない。上総は轟さんに紅茶を継ぎ足した。ちっとも香らない紅茶が、ティーカップの中に少し黒く残っていた。


「話を戻します。私は今まで立村先輩から何を言われても黙っていましたし、これからもそうするつもりです。それは、梨南ちゃんが可哀想だからです。梨南ちゃんはおそらく、あのままだとB組から弾き飛ばされたままになるでしょうし、男子たちからも嫌われたままでしょう。桧山先生も正直なところあてにはなりません。そうなると、私が梨南ちゃんの元親友としてすべきことをしなくてはならないと思います」

「すべきこと?」

 こくんと頷くと、やはり一年年下の女子だと感じる。言葉とは裏腹に。

「はい。梨南ちゃんをまず、修学旅行でクラスに再び馴染ませることと、別の友だちを作ってもらうこと、それともうひとつは、立村先輩に頼ることを教えることです」

「俺に頼らせる? まさか」

 本条先輩も同じことを言っていたような気がした。ばかばかしい。杉本の性格上、簡単に上総を頼ろうだなんて甘いことを考えるわけがない。もっとも本条先輩の言うことならば受け入れもしよう。いつか、上総を認めてくれる日まで努力せよ、というただそれだけのことならば。しかし佐賀の言い方にはどことなく湯気のようなものを感じる。

「先輩は梨南ちゃんのことをあれこれとお世話してらしたので、もちろんそのお気持ちは理解しているつもりです。そのために梨南ちゃんが一層嫌われたのも事実ですけれども、仕方ないことだとわかっています。本当に好きな人に頼ることができれば梨南ちゃんもこれ以上、他の人たちに迷惑をかけることはないと思うのですが、それは難しいことです」

「関崎じゃだめだってことだな」

「その通りです」

 あっさりと肯定された。

「私にはわかるんです。女子同士ですから。梨南ちゃんに関崎さんのような真面目な人は向かないんです。梨南ちゃんの理想は、頭がよくって、運動神経もよくって、それに一生懸命な人なんですけれど、きっとそれは無理です」

「それ、元親友として言ってはいけないことじゃなのか」

「いいえ、だから言えるんです。本当のことはいつかきっちりと話さなくてはならないんです」

 矛盾を感じつつも上総は黙った。

「私、ずっと前から思ってました。もし、立村先輩が梨南ちゃんのことを大切にしてくれるのだったら、今までのことはすべて水に流したいって。だって梨南ちゃんのことをいつも見つめてあげてるのって先輩だけなんです。梨南ちゃんはまだ、自分に合わない人ばかり追いかけてますけれど、いつか気づくと思うんです。一番大切にしたいって思っているのは、立村先輩だけなんだって。だから、私、そのことを言いました」

「ちょっと待てよ!」

 慌てる。完全に何か勘違いしている。誰も彼もなぜ、上総をありふれた恋愛関係の中に置こうとするのだろう。腰を浮かしかけて紅茶がカップからこぼれた。しかたなく座り直した。

 佐賀は全く揺れもせず、驚きもしなかった。揺れているのはカップの中の紅茶だけだった。

「先輩がもし、梨南ちゃんを大切に守ってくださるのなら、私は精一杯、梨南ちゃんをクラスから浮かないように努力します。決して私が手を回したとか思われないようにします。梨南ちゃんに嫌われたままでも私、かまいません。これは絶対に、私でないとできません。だって梨南ちゃんと私は、小さな頃から一緒だったのですもの」

 両手を添え、佐賀はティーカップをゆっくり持った。指先が光っていた。自然のものではない、透明なマニキュアを塗っているようだった。


 ──どうすればいいだろう。

 数日、頭を悩ませていた問題にひとつの答えが提出されたわけである。

 上総なりにいくつかのヒントを得たけれども、結局決定打は見つからずとうとう卒業一週間前となってしまった。自分がいなくなり、E組からB組に戻される杉本の立場を考えれば、もちろんこのままだと取り残されるのは目に見えているだろう。佐賀の言うことは間違っていない。むしろ、ありがたく佐賀の申し出を受けるべきだとも思う。

 それができないのが自分の「ガキ」たるゆえんなのか。

 ──もし、ここで俺が席を蹴って立ったらどうなるんだろう。

 上総はもう一度佐賀の方をちらちらと眺めた。どうしてあんなにも自信を持った態度で接することができるのだろう。以前、杉本の側で戸惑いの表情を隠さなかった佐賀はるみではない。たとえ上総が下品な口調で脅迫したとしても、全く驚く気配も見せないだろう。

 ──生徒会長になったってことが、そんなに自信となったのか?

 ──それとも、あの佐川の口添えなのか。

 わからない。上総からしたらどちらも正しくて、どちらもあいまいなままだ。

 百パーセント、佐賀と佐川のふたりが繋がっていたことは確信しているけれども、言われてみれば一切証拠は残っていないのだし、諦めるしかない。


「佐賀さん、さっき言った条件なんだけどさ」

 紅茶を一杯、飲み乾した後、上総は尋ねた。

「決して佐賀さんが、杉本をかばったとかそんな風に思わせないでやる自信あるのかな」

「どういうことでしょうか」

「つまり、杉本の顔をつぶさない形で、ちゃんと守ってもらえるのかなってことだけど」

 自分が本当はしたかったこと。なによりも、たったひとりでやりたかったこと。

 でも、一番頼りたくなかった、たったひとりの女子に頼るしかない。

 唇を噛むしかない。

「簡単です」

 あっさり、きっぱり佐賀はるみは答えた。唇の端には笑みが浮かんでいた。

「私は梨南ちゃんがどういうタイプの女子と仲良くなりやすいか知ってます。かつての私のようなタイプだったら、きっと梨南ちゃんは喜ぶと思うんです。それか、花森さんタイプの人で、できれば男子と何気なくうまくいきそうな人。そういう人たちならば、私、いくらでも知っています。私が頼んだと決して思わせないように、梨南ちゃんに友だちとして近づけること、簡単にできます」

「杉本は鋭いぞ。そんなの一発で見破る」

「いいえ、私なら大丈夫です。他の女子の先輩たちは梨南ちゃんが本当はどういうタイプを好きかわからないままいろいろ面倒を見てらしたようですけど、根本的にみな、わかってらっしゃらないと思うんです。それはしかたないんです。だって、たった二年しか梨南ちゃんのこと知らないんですから。立村先輩、ご安心ください。私、決して、梨南ちゃんのプライドを傷つけるようなことはしませんから。それは生徒会の人たちにも厳しく伝えておきます」


 ──ここで勝負に出るか否か。

 答えるのをためらった。

 佐賀の提案に乗るのはひとつの手だが、素直に受け入れてしまっていいのだろうか。

 ──まだ信用できないな。裏には佐川がいる。


 突然、ティーカップががしゃんと鳴った。落としたわけではない。轟さんが乱暴にソーサーへ置いたのだ。

「悪いんだけど私も話、早くしてほしいのよ。佐賀さん」

轟さんがわってはいったのは、佐賀が声高に杉本の今後をうれいた時だった。

「今日は私が近江さんに確認させてほしいということで呼び出したわけ。少し話をさせてちょうだい」

 いったん休止符。目と目で合図をした後、上総はしばらく俯くことにした。

 轟さんのカップはすっかりからっぽだった。もう二杯くらい飲んでいるはずだった。

近江さんは軽く佐賀の肩に触れて制したのち、尋ねた。

「轟さんはいったいなにが知りたいわけ」

「近江さん、私が不思議に思っていたのはなんでいきなり湊さんのこと小春ちゃんに持ち出したのかってことよ」

 完全に話は、杉本梨南のことから離れた。時間稼ぎ、深い感謝。佐賀が不服そうに首を傾げ、甘えるような態度で近江さんを見上げた。

 片手をぺたっとテーブルに置き、轟さんの攻めが始まった。


「悪いけど小春ちゃんふくめてもう湊さんのこと忘れてるし、近江さんだってつきあいなかったよね。なのになんでそんな情報得られたわけ。私、すっごく不思議なのよね。話聞いて私も初めて、その湊さんって子のこと思い出したくらいだし」

「あら、湊さん、うちの担任のところによくくるのよ。お姉ちゃんも可愛がってるし。青潟ではとにかく私とは友だちよ。そうね、A組の女子で友だちと言えるのは、彼女だけかもね」

 意外な事実だった。

 上総は記憶の端においやった一年以上前の夏の日を思い出した。宿泊研修三日目の、バスを脱出したきっかけの、名前を知らない女子のことを。


「委員長には悪いんだけど」

近江さんは白いクリームをフオークで運びつつ、手を組み合わせた。

「湊さんってどんな子か知らなかったでしょう。私も今年の夏に湊さんと会うまでは、ああいう子だとは思わなかったわよ。けっこうさばさばしててね。話が合うのよ」

「そんなのどうでもいいんだけど」

「要は仲良しと遊びたかっただけなのに余計なことされて見切りをつけただけ。どう考えても西月さんがやめさせたようなものよ。本来なら、高校入試のことを忘れていられる環境を取り上げられたのをみててね、なんかね、湊さんが不憫になっただけ」

「自分が行きたくなかったからやめたってそれだけなのに、ずいぶん近江さんって肩入れするのね」

 鋭くつっこんでいく轟さん。

「そうね、なんでかわからないけど、それだけいい子だったってわけよ。そうそう、お姉ちゃんが言うには、もしも早い段階で私が湊さんと話をする機会があれば、きっと彼女はこの学校に残っていたんじゃないかってね。もちろん同じ学校の子もいたわよ。でもね、なんでかわからないけど、気が合っちゃったんだもの、しょうがないわよね」

「それ、天羽くん知ってるの」

「さあ。女子同士のお友だち関係なんて、私、話す趣味ないし」

 ということは、おそらく何も知らずにいたというわけだ。天羽は。

「そこでいろいろ聞かされたわけ。いかに西月さんが湊さんを追い掛け回して神経ずたずたにされたのかってことをね。委員長ならその辺わかってもらえると思うけど、西月さんのやり方というのがとにかくすごすぎて、しかも表向きは評議委員の模範行動だから止めるわけにもいかない。困るわよね、それじゃ」

 おちょぼ口でフォークを置き、

「佐賀さん、どうぞ」

 促した。

「私もあまり人とかかわりたくないんだけど、これだけは言っておいた方がいいかしら」

「何を?」

「つまり、かかわらなくてもいいところでなんでみな、ちょっかいを出そうとするのかなってことよ。委員長もそのつもりはきっとなかったのでしょうけども、西月さんのようにかえってマイナスの方向へ針を動かしてしまったのかもしれないわね」

「え、俺が?」 

 すっかり耳をふさいでいたつもりだったのに、聞こえてしまった。顔を挙げると近江さんと佐賀のふたりがじっと上総を見つめていた。

「湊さんの件にしても、本当は委員長が無理に菱本先生といざこざを起こさなくても、黙ってことは片付いたはずなのよ。それと一緒。放っておいてくれればよかったのにって、湊さんもつくづく思っていたみたいね」


 ──俺が余計なこと、したっていうのか?


 ずしんと言葉が響いた。肯定するかのように、近江さんは頷いた。

「一番いいのは自然に任せることよ。無理に人をどうのこうのしようたって無理なものは無理。それよりも、なるようにまかせればいいのに。委員長も、もういいじゃない。やりたいようにやれば、ねえ」

 ──で、やりたいように今やっているというわけか。


 上総は轟さんにもう一杯ポットから紅茶を注ごうとして、手を止めた。

「悪いけど、私は放っておくことできない性格だからね」

 周囲の視線が轟さんに向けられていた。明らかにとげのあるものばかり。ウェートレスが近づいて来て、

「恐れ入りますがお静かに願います」

 と囁いてきた。それにプラスして上総の顔をまた覗き込み、俯いて去る。

「近江さんたちのしようとしていることって、放っておいてもらっても困らない人たちが得をして、かまってもらわないと困る人が損をする、そんなことばかりじゃないの」

「言ってる意味がわからないんだけど」

 顔を見合わせ、ふたりが頷いた。ついでに、と上総に近江さんはささやきかけた。

「うちの姉はね、委員長みたいなタイプが好みなのよ。だからかしら、ここのお店のお客さんも委員長の顔が好きみたい」

「俺も近江さんの言っている意味が全くわからないよ」

 ひくり、と息を飲んだ様子を、上総は頬のところで感じた。

 轟さんが、ぎゅっと唇をかみ締めた。

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