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第四部 3

第四部 3


「立村くん、なんでここにいるの?」

 自転車であくせくと青潟駅まで漕いだ後、佐賀たちに言われた通り改札前できょろきょろしていたら、声をかけられた。青大附中の生徒はひとりしかうろついていなかった。

 轟さんだった。めずらしく黒いスカートなんぞはいている。

「いや、ちょっとさ」

 まさか、近江さんと佐賀生徒会長に捕まって待ち合わせだなんてこと、言えるわけがない。こちらのほうで切り返すことにした。

「轟さんこそ、どうしたの」

「待ち合わせ」

 ぶっきらぼうに言い放ち、轟さんは腕時計を覗き込んだ。バンドの皮がだいぶ剥けているのが目立つ。小ぶりのデジタル時計だった。

 あまりしつこく尋ねるのもしたくないので、上総は頷いて自分の時計に目をやった。父から十四才の誕生日にもらった、銀色の白っぽいものだった。腕だけがやたらとがっちりしているけれど、手首が細すぎてぐらぐらするのが難点だった。

「誰と待ち合わせてるか、当てていい?」

 迷うように首を傾げた後、轟さんはいつものように上総の顔を覗き込むようにして尋ねた。

「いいけど、当たらないよ」

「近江さんでしょう」

「当たっているようだけど、ちょっと外れてるかもな」

 内心の動揺を抑えつつ答えるしかない。なんで知っているのだろう。いくら推理力抜群の轟さんとはいえ、いきなり美里や杉本をすっとばして「近江さん」と指名するのはどういう根拠があってのことだろうか。駅の改札前に偶然いるのなら、それはちっともめずらしいことではないけれど。

「そうなんだ、じゃあ、私と同じところに行けってことかもね」

「轟さんも?」

 今度は上総が驚く番だった。

「まさかさ、近江さんと待ち合わせってことか?」

「そういうことよ。ちゃんと私服に着替えて来いって命令されてるし。おそらく校則違反になって停学くらいそうなところでお茶しましょってことじゃないの」

「じゃあ俺もこの格好だとまずいのか」

 上総は当然、制服のままだ。コートはシャーロック・ホームズ風のコートで黒。

「とりあえず、脱がなければばれないと思うけど」

 しばらく無言でふたり見詰め合うしかなかった。気まずすぎる。そのうち仕方なさげに口を開いたのは轟さんだった。

「近江さんと直接、話をしたいと言ったのは私よ。そしたら向こうの方からふたりで会おうってことになって、近江さんとここで待ち合わせるってことになってたはずなのよ。確か、『アルベルチーヌ』って喫茶店だったかな。だけど私もそんなお高そうな喫茶店入ったことないし、じゃあ連れてってよってことになって今日待ち合わせるって話だったのよね。でもなんで立村くんも混じってるのよ、ねえ」

「俺だけじゃない、生徒会長も一緒だ」

 事実だけ伝えると、轟さんはしっかと足を踏ん張り両腕を組んだ。女子っぽくない仕種だった。

「なんで、佐賀さんもくるわけ」

「最初から佐賀さんも近江さんと一緒にくるようなこと話していたけど」

「まあ、立村くんが混じるくらいだから、佐賀さんが入ってきてもおかしくないって、ことか」

 独り言を呟き、しばらく轟さんは上総の顔をじっと眺めた後、

「どう出るかわからないってことね。しょうがない。じゃあ立村くん、いきましょう」

「どこへ?」

「『アルベルチーヌ』っていう、お金のかかりそうな店よ。行き方知ってる?」

「知らない」

 だからてっきり近江さんがいるもんだと思っていたのだ。轟さんは納得顔で頷いた。

「私、場所わかってるから。そんな駅から遠くないよ。じゃあ、討ち入りしますか」

「ほんと、そんな感じだよな」

 討ち入り、まさに轟さんの言葉は芯をついていた。


 ──しかし、なんでだろう。

 杉本をなだめて、近江さんと佐賀生徒会長ともう一度確認をした時もやはり、

「青潟駅前の改札口でお待ちください」

 の一言だった。

「天羽先輩に気づかれると、近江先輩にご迷惑がかかりますから」

とのことだった。なるほど、それはわからなくもない。天羽の近江さんに対する執着振りは目に余るものがあるし、納得だ。 

 しかしなぜなのか。

 なぜ、轟さんなのか。

 私服で来るようにと轟さんには指示が出ていたという。ということは、最初から轟さんと近江さん、そして佐賀生徒会長とが落ち合うことになっていたのだろう。上総が混じるというのは予想外の出来事のはずだし、轟さんの反応を見る限りそれは正しいとみていい。

 ──けどなんで、俺を改札に行かせた……?

 読めなかった。上総はまず、駅の外に出た。この前杉本と一緒に改札をくぐりぬけたのとは違う行き先だった。轟さんがきょろきょろしながらバスロータリーの向こう側を指差し、

「とにかく、あそこを渡ろうよ」

 たったか歩いていく。地図もないのに、すでに頭に入っているらしい。

「轟さん、いいかな」

「なに?」

「どうして、近江さんと話をする必要があるのかなと思ってさ」

「卒業間際だし、高校まで面倒なこと持っていきたくないからね」

「天羽は、知ってるの」

 一瞬、轟さんは立ち止まった。手を振って否定した。

「言ったら最後、『俺も入る』とか言って聞かないでしょうよ。まさかと思うけど天羽くんには話してないよね」

「ああもちろん」

 ここに来るまでの展開を轟さんに話しておいたほうがよさそうだ。上総はかいつまんで杉本と近江さんとの対決を説明した。

「……なるほどね。とうとう言っちゃったんだ」

 溜息をつく轟さんに、上総も釣られて白い息を吐いた。黒く濡れた道はしっかり雪も掃けていて、街路樹の根元にちんまりと灰色の山が積み上がっていた。

「杉本曰く、霧島さんから聞いたとか言ってたな」

「ゆいちゃんもゆいちゃんだけど、しょうがないか」

「轟さんだったらどうしてた?」

「もちろん、地獄の底まで抱えて持ってってたわよ。もっともゆいちゃんと小春ちゃんとは、一緒に運命を共にしようって約束したふたりだし、私たちに彼女たちの繋がりを想像するのは不可能よね。女子のぺたぺたした友情っていうの? なんかねえ」

 轟さんには苦手な世界かもしれない。上総も頷いた。横顔の頬が真っ赤に火照っている。いわゆる「りんごのほっぺ」に見えた。

「とにかく、状況がかなり大きく変化しちゃったというわけよね。杉本さんが小春ちゃんの暴力事件に関して詳しく知っているということは、当然小春ちゃんの全面的味方だろうし、もっと言っちゃえば小春ちゃんの味方だってことは、近江さんのことをとことん嫌うってことだろうし」

「でも近江さんの話を聞く限り、この事情をばらしても、西月さんが有利には絶対ならないような気がするよ」

 上総はA組の女子にまつわるいざこざよしなを思い起こしながら自分の意見をまずは述べた。こればかりは上総もどうしようもなかった。自分が一年前の夏引き起こした、宿泊研修のバス脱出事件。あれもきっかけは菱本先生の血迷った行為からきたものだけど、それからさらに紐を手繰っていくと西月さんのよけいなおせっかいからなる行動に繋がっていく。もし西月さんが毎日その、湊さんという女子の家に通ったり待ち伏せしたりなどしなければ、おそらくここまで話がこじれることもなかっただろう。また西月さんがこの事件の後、湊さんを追い詰めたのが自分であると自覚する機会を得られたとしたら、その後の天羽とのごたごたは起こさずにすんだかもしれない。さらに、今回の近江さんへの行為も未然に防げたかもしれない……。

「そうだね。私もそう思う。でも、人間、神さまじゃないからそこまで読めないよ。天羽くんの神さまだって止めることができなかったんだよ。そうなるしかなかったんじゃないかな」

 轟さんはクールに答えると、ふと足を止めた。

「ここだよ、『アルベルチーヌ』」

 見ると、上品な雰囲気の一軒屋が目の前に立っていた。轟さんにくっついて歩いていたせいか、いつのまにか人通りの少ない住宅地に入り込んでいたらしかった。残雪はすべて煉瓦の間の分まで取り除かれている。窓からかすかに光るこんもりしたランプの灯り。扉の真上にフランス語で「アルベルチーヌ」と綴られている。

「立村くん、『アルベルチーヌ』って何?」

「たぶん、プルーストの『失われた時を求めて』の中に出てくる登場人物だったと思う」

 かすかに記憶している世界文学全集のあらすじをさらってみる。母に読むよう命じられた「失われた時を求めて」だけども、あまりに長すぎるのとあまりに退屈な話ばかりで上総は後ろの解説しか目を通していなかった。ただ、「アルベルチーヌ」というのが主人公「私」の恋人であり、いろいろな事情を背負った女性であるということは覚えていた。

「そうなんだ。じゃあフランス料理を出すのかな」

「まさか。いくら近江さんでもそんな高いところに連れてきやしないよ。第一、清坂氏もよくここで話をしてたらしいよ」

 思わず「清坂氏」と呼んでしまった。もう「さん」でいいのに。

「ふうん、そうなんだ。それにしてもあの子たちまだかな。どうでもいいけど、やたらと寒いよね。こんな格好でなんでこなくちゃならないのやら」

 ──こういう店なら、そうせざるをえないよな。

 一応、青大附属中学において、帰り道の道草はよろしくないとされている。が、大人が同伴している場合や、いろいろ事情がある場合はその限りではないともされている。守っている奴なんてほとんどいないはずだ。ただ、制服のまま入るのはやはり、ちょっとまずいかなとも思う。

「俺も着替えてきたほうがよかったか」

「コート着たままにしてればいいよ」

 轟さんは上総をじっと眺めた後、建物に視線を走らせ、また戻した。

「立村くんならここ浮かないですむよ。きっとね」


 しばらく入り口から離れた街路樹でふたり、まだしきれなった事情の説明などをしていた。

「立村くん、それはそうと、ゆいちゃんのこと聞いた?」

「聞いてないけど、もう学校に戻って来ているんだろうな」

「そうか、知らないんだ。ついでに難波くんのことも聞いてないよね」

「あいつとはほとんど無視状態だしな」

 実際、難波とはもう会話を殆どしていない。たまに更科経由で様子を伺うだけだ。

「難波くんね、毎日ゆいちゃんの家に通ってるらしいんだ。これ、生徒会の子たちにもばれてるから一応立村くんも知っておいた方いいと思うんだ」

 まじまじと上総は轟さんの顔を見返した。嘘ではないという証拠に、ごくりと喉を動かし頷いていた。

「なんで霧島さんの家に通うんだ?」

「ゆいちゃんを守るためらしいよ。本人はそう言わないけど、生徒会側ではそういう判断みたい」

「よくわからないな。それこそ西月さんがその湊さんにしたのと一緒だろ」

「そこがね、男子と女子の差なんだろうね。私たちももう卒業してしまうし、下級生のことなんて面倒見ていられないんだけども、最後の最後で難波くんも彼なりにけじめをつけたわけだし、それはそれでよかったのかなって気はするんだ。いろいろあったにせよね」

 だから、と轟さんは上総にぎょろ目をやさしく使い笑顔を見せた。

「立村くんだけがどたばたしたわけじゃないんだからね。みんなおあいこ。そんなもんだよ」

「あとは更科だけか。無事なのは」

「更科くん? まあいろいろあるにせよ、更科くんのことはねえ」

 言葉を濁したところ見ると、やはり奴にもいろいろ事情があるのだろう。噂に聞いた都築先生のことだろうか? いや、あれは噂だろう。単に懐いているだけだろう。年齢差が離れすぎてるじゃないか。まさか。

「相手が大人だし、その辺は綺麗にするでしょうよ」

 危険なのかなんなのかわからないようごまかし、轟さんはゆっくりと白い息を吐いた。

「難波くんの話に戻るけど、私たち三年には影響ないよ。ただね、生徒会にはゆいちゃんの弟がいるということも、一応頭の中に入れておいたほうがいいかもしれないよ。ゆいちゃんはもう、半年前の元気なゆいちゃんと違うんだから。もう、陰で杉本さんをかばってあげられないよ」

「それはそうだな」

 上総もそれは心配していたことだった。だからこうやって行動しているわけである。

「難波くんの様子を見ると、もう後輩たちの面倒なんて見てられるかってくらい、荒れてるし。ゆいちゃんのことしか見てないし。だからもし、これから先、生徒会の子たちが杉本さんに対して何をしようとしても、誰もかばう人がいないんだよね」

「だからさ」

 何かを口にしようとしたとたん、唇の皮が少し裂けてぴりりときた。なめてみたらしょっぱい味がした。血が出たのだろう。手の甲で口を拭った。

「私が今わかる範囲でいうと、難波くんの行動は弟くんにもばれてるし、あまりいい顔はされてないと思うんだ。天羽くんもこの前立村くんが援護射撃してくれたおかげでプライドなんとか保っているけど、三年評議連中がね、こんな調子じゃあね。もう自分たちで身を守るしかないんだよね」

 ──やはり、俺にできることってもう、ないのか。

 本条先輩の口にした言葉、「杉本が助けを求めてくるような、男になれ」しか。

 ──なれるわけないだろうが。

 体温が下がってくるにしたがって、自分の心もちもつい、凍りがちになる。

「だから、こっちでやれることだけさっさとやってしまおうと思ったらね、こーんなお高そうなお店に呼び出されたってことよね。だいたい近江さんたちの思惑、わからなくもないけどさ。女子らしいやり口だよね」

 吐き出すように轟さんが、店の入り口に向かいささやきかける。

 ぴんとこない。

「思惑ってなんだろう。単に、近江さんの趣味ってだけじゃないのか」

「ここで近江さんと天羽くんがデートしているとこ想像できる? 私、天羽くんの近江さん絶賛を毎日聞かされてるんだけどねえ。デート先はほとんどが寄席か祭りの若手芸人路上ステージくらいよ。私たちだってそのあたりでいいでしょうにねえ」

 さっぱりわからない。とにかく上総は適当に相槌を打っておいた。


 ちょうど十分くらい待たされただろうか。上総は気づかなかった。轟さんが、

「とうとうお出ましよ。あらら、ずいぶんおめかししておいでになったこと」

 さっき上総たちが歩いてきた道を、真っ黒いドレスらしき格好でお出ましになったのを発見するまでは。近くまできたので、まずは片手を挙げて合図した。

「轟さんと話したけど、本当に俺が入っていいのか」

 まずは近江さんに確認した。目の前にで黒いニットのワンピースを纏い大きなストールで身を包んだ近江さん。こういう格好でお出ましとは想像していなかっただけに、言葉がつい、堅くなる。その隣で反対に、真っ白いおそろいのニットワンピースとピンクのストール姿の佐賀はるみ生徒会長も、りんとしてそこにいる。上総たちに一礼をしたものの、言い訳をすることもない。それどころか冷静に、

「やはり一緒にいらしてくださったのですね」

 優雅に微笑んだではないか。思わず上総はチンピラ仮面を被り直したくなったのだが、残念ながら近江さんの前でそこまで自分を崩したいとは思えなかった。

「話があるなら、やはり賢い人と一緒にするのも悪くないしね」

「いつもの先輩ですね」

 切り返すあたり、先日の遺恨、残っているとみた。

「話はまず、中に入ってからにしましょ。佐賀さん、一緒に行きましょう」

 上総と佐賀とのにらみ合いを制するような形で、近江さんはゆっくりと「アルベルチーヌ」の入り口まで向かい、そっと覗き込んだ。大きく佐賀さんにのみ頷き、

「ソファーが空いてるわ。運がよくてよ」

 そっと腕を取るようにして、ふたり入っていった。

「私たちも入るしかないよね」

「ついていけばわかるか」

 特に来いとは言われなかったが、話がある以上はついていくしかない。ソファーがあると喜んでいる、ということはおそらく、上総と轟さんの席も用意されているということだろう。上総は轟さんの片腕をエスコートするように取った。少なくともはた目には、レディファーストを実行しているように見えるように。


 ──なんというか、品のない雰囲気だな。

 自分でも「品のない」なんて言葉が沸いて出てくるとは思わず、上総はもう一度口を手の甲で拭った。近江さんと佐賀生徒会長が寄り添ったままで店奥のソファーまで歩いていく。それについていくかどうか迷っているうちに、ウエートレスらしき女性から声を掛けられた。

「お連れさまはソファーの方にいらっしゃいましたので、どうぞそちらへ」

 ちらと轟さんに視線を向け、すぐに背を向けていってしまった。

「ほんと、高そうな店だよね」

 きょろきょろ、しつこく首を回す轟さんの背を軽く押した。

「とにかく向こうに行ったほうがよさそうだ」

 決して店内の調度品が安っぽいわけではない。女子の好みそうな細かい彫りの入った椅子や木製のテーブル、ぱっと見には華やかに見える。天井からぶらさがる大きなシャンデリアも、いかにもろうそくがついていそうな風に細工されたものばかりだった。「アルベルチーヌ」というくらいだし、当然フランス文化の影響が強いものばかりなのだろう。調度品が悪いわけではないのだ。ただ、それぞれの席に座っている客……ほとんどが女性だが……のしぐさがどうにも、怪しいのだ。

 ──なぜ、あんなに密着しなくちゃなんないんだ?

 決して、ソファーでふたり仲良く腰掛け、上総たちを視線で呼んでいるふたりに対して思ったわけではない。轟さんに向けるお客たちの眼差しが、明らかに値踏みしているというか、にらみつけているというか、「場違い」といわんばかりにふたりひそひそ話をし始める。かと思うや今度は上総の顔に遠慮のない視線を向け、不思議な笑みを浮かべる。もちろん女性だけの環境は上総も、母の習い事関連でしょっちゅう出入りしているからそれが珍しいとは思わない。女子特有のねちっとした雰囲気は体験済みだ。

 ──でも、あんな顔してなぜ俺を見る……?

 ──俺が何か無作法な真似でもしたってのかよ。

 学校の女子たちが、「あの馬鹿評議委員長がねえ」と囁くのに近い、ひそひそ話なのだが、どうもそれとも感じが違う。肌でそれを感じるしかないので、うまく説明ができない。ただ轟さんは明らかに不快を感じたようだった。

「悪かったわね、場違いよね」

「そんなことないよ」

 しばらくよそ者とばかりじろじろなめずりまわしていた女性客たちも、上総たちが席に収まった後は関心も薄れたらしく、それぞれのお相手と一緒におしゃべりを再開した。と思いきや、いきなり女同士で唇を重ねている客もいる。

「委員長、驚くのも無理ないわね」

 近江さんは手馴れた仕種でメニューを開いた。白いレースの表紙で、中は深緑の皮張りだった。ケーキ、紅茶、コーヒー、それぞれ揃っている。

「ここのケーキは美味しいけど、どうしようかしら、佐賀さん?」

「先輩にお任せします」

「なら、このふわふわしたシフォンケーキがよいわよ。大ぶりだから、私と半分こしましょう。もちろん紅茶はミルクティーがいいわよね」

「私、あまり詳しくなくて」

「いいのよ、どうせどれも美味しいから」

 華やかな小花模様のちりばめられた二人がけのソファー奥にふたり、そして上総と轟さんが真向かいの椅子にそれぞれ。優雅な仕種で肩を寄せ合いメニューをめくるふたりを、上総はしばらく凝視していた。このふたり、上総と話をしている間は確か制服だったはずだ。当然学校で着替えるなんてことはできないし、となると外で着替えてきたのか? それに色違いながらもお揃いの服ということは、やはり打ち合わせかなにかしてきたに違いない。きっとそうだ。

「委員長、コート脱げば?」

「それはまずくないか」

 コートを着たまま座った上総に近江さんは、やはり甘い視線で勧めた。

「大丈夫よ、さっき店の人に伝えてあるから。委員長、ここでは私の弟ってことにしてあるから」

 くすりと佐賀さんが笑いを噛み殺す気配がする。思わず上総も心臓が競りあがりそうになる。周囲に知らない人ばかりだけに、文句言うにも小声になる。

「なんで弟にならなくちゃならないんだ」

「ごめんなさいねえ、古川さんの十八番とっちゃったみたいで。でもそうしないとこの店、男性出入りができないのよ。私たち、少なくとも高校生以上には見える格好できたのよ。そうしないと、委員長交えて話もしづらいし。それに」

 唇をぎゅっとかみ締めたまま、拳固をテーブルに置いている轟さんに首を傾げた。

「轟さんひとりだと、やはり、話しづらいでしょうしね」

 上総は轟さんに顔を向けてみた。

「とりあえず、なんか注文するか」

「一番安い飲み物でいいよ」

 厳しい顔つきは変わらず、轟さんもコートを脱ごうとしなかった。佐賀がやはりにこやかな表情で促した。

「お茶を飲むと汗が出ますし、お脱ぎになられたほうがいいですよ、轟先輩」

「ご忠告ありがとう」

 唇一本結びのまま、轟さんはゆっくりと学校指定のPコートを、座ったまま脱ぎはじめた。黒いセーターに黒いスカート、そこには若干手首部分に毛玉がまつわりついていた。目の前の近江さんと佐賀生徒会長の纏っているものとは明らかに質感が違った。

「悪いけどメニューを貸してくれないか」

 見ないふりをして上総はメニューを近江さんから受け取った。たぶんここの店の雰囲気からすると、よく友だちと出かけるようなハンバーガーショップとか「リーズン」とかとは価格設定も違うだろう。思った通り、メニューには「紅茶(ダージリン・ウバ・アッサム・ルフナ・キーマン・アールグレイ・イングリッシュブレックファースト・オレンジペコー

)などなど、選択の種類だけがやたらと多いものがずらっと並んでいた。コーヒーも、フレーバーティーも、やはり同じ。ケーキも横文字だらけの説明ばかりだ。写真のようなものはなく、すでにどういうものを食べたいのかイメージしていないと、注文できそうにない。

 そして、一番気になる価格は。

 ──二倍くらいはするな。

 悪いが中学生の分際で日常的に払えるものではない。紅茶一杯八百円、ケーキ一皿七百円なんて、そうそう出せるものではないだろう。幸い上総は、ここ数ヶ月殆ど使っていない小遣いを使えばそれでいいが、轟さんにはどうだろう。

「俺と一緒のものでいい?」

 堅い頬と口のまま、身構えている轟さんに、上総は頷いてみせた。もちろん、他の男子評議たちが今まで轟さんにしてきたように、この場は上総が持つつもりでいた。

「でも、いくらくらい」

「いつも轟さんには世話になってるから、この場は俺が払う」

「そんな悪いよ、高すぎる」

「この前コーヒーおごってもらった分だし、あとでまた缶ジュース御馳走してくれればいい」

 簡単に説明し、上総は素早くメニューから選んだ。

「ダージリンをふたりぶんで」

「ミルクとお砂糖は?」

 近江さんが尋ね返した。悪いがその辺はきっちり、母にしつけられている。上総はきっぱりと答えた。

「ダージリンはストレートで飲むほうがいい。もしミルクティーにするつもりでいたら、最初からウバかアッサムを選んでいるだろう」

 まずは最初の一発、ジャブを送っておいた。

「よくご存知ね、まあいいわ。私たちはウバでミルクたっぷり、それとシフォンケーキを一皿」

 特段何も感じないかのように近江さんは、気の抜けた声でウェートレスに注文した。


 コートを脱ぎ青大附属の制服のままでいた上総だが、どことなく周囲の視線が自分に集まって来ているのに居心地の悪さを感じていた。それはある程度仕方のないことだとはわかっている。第一この店の客層が女性しかいない。上総以外男性は見受けられない。しかも、口移しで飲み物を飲ませたり、お互いスプーンでアイスクリームを食べさせあったりと、普通の喫茶店ではまずしないようなことをみなしている。非常に、落ち着かないものがある。

 それぞれの前に並べられた紅茶カップと紅茶ポット、そしてケーキ一皿。

「まずはこちらで、美味しいうちに」

「そうだな」

 轟さんに上総は素早く、合図をした。

 おそらく轟さんのことだ、こういう場所には慣れていないだろう。

「飲むのはどうでもいいんだけど、今日の目的だけさっさと片付けてもらえないかな」

 一口申し訳程度に口をつけると、轟さんは背を伸ばし、じっと目の前のニットドレス姿のふたりを見つめた。

「ゆったり話すためにここに来たんじゃないの。ここだとうちの学校の生徒はめったに入ってこないし、内輪話もしやすいし。佐賀さんに同席してもらったのは、やはりいろいろと公平を期すためってこともあるしね」

「じゃあ、まずひとつ聞きたいんだけど」

 ゆったり甘い雰囲気をすぐにぶち壊すような口調で轟さんは突っ込んだ。

「近江さんはなぜ、小春ちゃんをあんな形で、叩きのめしたのかを知りたいのよ」

「さっき委員長にも話したことの繰り返しになるけれど、深い意味はなくってよ」

 気取った口調を一切変えず、同じテンポで近江さんは紅茶カップを口に運んだ。よくよく見ると、ふたりともうっすらとピンクの口紅を引いている。おそらく、顔全体に化粧を施してあると見た。どことなく、ふたりだけがふわりと空気の中に溶け込み、上総と轟さんのふたりだけが子どもの場所に取り残されている、そんな感じがした。

「たまたま生徒会室で、杉本さんが文句をつけにきたのを聞いていたし、明らかに生徒会のみなさんが考えていることが正しいと私も判断したから、納得していただけよ。委員長には話さなかったけれども決して私、杉本さんに文句は言わなかったわよ。佐賀さんがあっさりとたしなめたので、言い返せなかったみたい、杉本さんはさっさと帰ったしそれで終わりだと思っていたわけ」

「つまり、杉本と生徒会のみなさまがたがやりあっているのを」

「違います」

 佐賀はるみがきっぱり否定した。

「梨南ちゃんが一方的に私たちのところへやってきて、『私は関崎さんがこの学校にいる限り顔を出さないし会う気もない』と宣言しただけです。私も、それは友だちとしていいことだと思いました。だからそうなの、って受け入れただけです」

「話が違うな」

 どちらを信じるかは最初から上総の方でも決まっている。おそらくその前段階で、杉本に対し「関崎が入学してきた段階で、余計な手出しはしないように」という愛の篭った忠告があったのだろう。それにプライドをいたく傷つけられた杉本が逆襲しようとしたという。しかしそれを逆手に取られて、杉本は身動き取れなくなってしまった、そう考えるほうが妥当だろう。

「俺が知っている限りだと、関崎が合格する前に、生徒会の人たちから杉本に対し、もしあいつが入ってきても余計なちょっかい出すな、と警告したらしいがな」

「それは梨南ちゃんサイドの意見でしょう。私、梨南ちゃんとはお付き合い長いのでよくわかってますけど、梨南ちゃんは自分の都合のいいように話を組替えるくせがあるんです。立村先輩もその辺はおわかりでしょうに」

 どことなく佐賀の言い方には、上総限定で厳しく叩きのめそうとする雰囲気が漂っている。当然、遺恨があるのだが。

「関崎さんは最初から青大附高を第一志望にされてました。でも、梨南ちゃんのしつこい行動で少し閉口されてらしたことも伺ってました。だから、友だちとしてそれはしてはいけないことだとアドバイスしただけです。本当の友だちだったらそうでしょう。梨南ちゃんはもう私のことを嫌ってます。でも、私にとっては小さな頃からずっと一緒に過ごしてきた大切な幼なじみです。彼女がこれ以上、大好きな人に嫌われていくのを見るのが辛かっただけです。男子の立村先輩にはおわかりにならないでしょうが」

「関崎の第一志望は青潟東だと、俺は本人から直接聞いたが」

「先輩と関崎さんとは親友ではないでしょう?」

 かちっと、音がする切り返し。

「私、親友である佐川さんから伺いました。これは新井林くんも知っていることです。やましいことなんてありません」

「そうか、公認か」

「立村先輩が一方的に疑っているだけであって、他の誰も、そんなくだらない話信じてません。先輩の方こそ、ありもしないことを私に対して言いふらされてらっしゃるんじゃないですか」

「私は、決して、そんないやらしいことをしていないのに、なぜそんな失礼なことをたくさんの人の前で言い放たれたのか、今でも理解できずにおります。健吾……新井林くんも、同じ気持ちだと、思います」

 ──嘘だろ、とっくにばれているからこそ、あいつは佐賀さんをかばったと言うわけだ。


 佐賀の口調は教室にいる時より、かすかに興奮気味に聞こえた。隣で近江さんがそっと、手を握り締めるのが見えた。上総の隣ではそれを見てしまった轟さんが眉をひそめていた。

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