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第四部 1

第四部 1



 三年D組として、最後のロングホームルーム直前昼休み、上総が席に着くのを待っていたかのように貴史がやってきた。手元の英語答辞をチェックし直そうと机の上に置いただけだったが、ちらと貴史は視線を走らせ、

「立村、いいか?」

 がしっとまず一声を。

 答えず上総は見上げた。今までぼさぼささせていた前髪後ろ髪、全部びしっと決めていた。単にスポーツ刈りよりちょいと長めにした程度だったが。しかし襟足寒そうだ。まだ三月だし、風邪を引きそうな髪型だった。

「今、話して、いいか」

「いいよ」

 少しつっかかった口調なのは、上総にこんなしゃちほこばった言い方したことないからか。少なくとも上総の記憶にはこういう態度の貴史は残っていない。いつのまにか隣の席についた南雲が、わざと無視した顔してそっぽを向いている。このふたりの関係も三年間、全く変わらない。とうとう最後まで天敵のままで終わるのだろう。

 貴史はちらちらっと教室内を見渡した後、また一呼吸置いた。唇を結び、ぱっと放った。

「来週の卒業式の後なんだけどな、クラスの打ち上げ、やるだろ」

 出るだろ、ではなかった。返事はせずに次の出方を待つ。

「本当だったらお前と美里が仕切って会場とかそういうとこ押さえるんだろうが、立村、今、そっちまで手、回らないだろ」

 とりあえずは頷いておいた。隣の南雲がひょいと頬杖をついて様子を伺う気配ありだ。

「これ、菱本さんも言ってたんだけどな、もしお前がそっちの方しんどいようだったら、俺と美里であと一週間、評議関連の仕事、全部仕切ることにするけど、どうする? 俺はかまわないんだ」

「もうとっくに任せてるだろ」

 いささか唐突で、腹が立つというより驚くだけだ。もうすでに上総は、三年D組の評議委員としての存在価値を無くしている。仕事自体がもう残っていないからこそ、この前のように生徒会へ殴り込みをかけられた。そういう計算がないわけではなかった。しかし、卒業式後の打ち上げまでは計算していなかった。そうそう、心にもない御礼を担任・菱本先生に述べるという義務もあるのだが、それは美里がなんとかしてくれるだろうと心積もりしていた。そうだ、まだ評議委員としての仕事は残っていたわけだ。

 ただ、すでにクラスのまとめ役としての業務は、貴史が担当してくれていた。美里がこの前話していた通り、貴史と組んでロングホームルームを仕切るたび、三年D組の雰囲気がぐんと良くなっているのも上総は感じていた。うまくいえないが、笑顔が自然に出て、一緒に盛り上がって楽しく行こうと叫びたくなる、そういう表情が自分以外のすべてクラスメートに出ている。読み取れるからこそ、上総だけひとり、息を殺して見守るのみだった。

「なりゆきでそう見えるかもしれねえけど、評議はお前だろ、三年間」

「いいよ、羽飛に任せる」

 はっと気がついた。いつのまにかクラス全員がふたりをじいっと見つめている。

 ──これってなんだろう?

 しかも、一言も発しない。

 ゆるんだ卒業式一週間前の雰囲気とは思えない、きりきり感が漂う。上総も思わず教室内を見渡した。貴史と同じ風に首をぐるりと回した。

 ──そういうことか。

 次の、上総のせりふを待っているということか。

 もう一度、貴史を見上げると、やはり真剣な顔で見下ろしている。にらんではいない。ただ真面目というのが貴史には似合わないように思える。ついでに美里の顔も探してみたが、やはり他のクラスメートと同じく、じいっと見つめるだけである。

 ここで思いっきり「ざけんなよ! お前がやってるだろうが!」とわめくのも一興、また「やはり最後は俺がきっちり締めたいから、悪い、俺にやらせて」と言い出すのも一興。でも、それは上総の選択肢になかった。三年D組、後期のクラスにおいて、一番しっかりとまとめて理想の形に完成させていったのは、羽飛貴史の力に他ならない。何を今更。

 上総がここですべきことは、ひとつだけのはずだ。

 だからそれを、きちんとした。

「これからの一週間は、羽飛がクラスを率いる方が必ずうまくいくはずだと俺は信じてる。それだけの力があることも、俺が一番よく理解している。だから、あとのことはすべて、羽飛、お前に任せる。俺はここで、黙って見ている」

 空気がほよん、とやわらいだ。誰かが教室の隅で微笑んだのだろう。たぶん一、二℃は室温が上がったはずだ。貴史が上総の顔を見下ろしたまま、

「本当に、俺で、いいのか」

 また真面目な顔で尋ねてくる。嫌がらせではないことをこの場でしっかり見せる必要がある。上総は大きく頷き、無理やり笑顔を作った。うまくできなかったが、たぶん形は笑っているように見えるはずだ。

「俺は信頼してるから」

 両肩をぼこぼこ叩かれるのは予定外だった。貴史は怒らなかった。似合わぬ真面目顔をそのままにして、軽く揺さぶった後、

「立村、サンクス、あとは俺に任せろ」

 最後にもう一度肩を叩いた後、教壇に上がっていった。それを待っていたように美里が付き従った。すぐにチョークを持ち、扉を覗き込むようなしぐさをする。すぐに菱本先生が入ってきた。最初に上総へ視線を向けた理由がわかりかねた。

「菱本先生、じゃあこれから、最後のロングホームルーム、行くけど、OK?」

 くだけた口調、一緒にほっぺたも砕けた。貴史が美里と目で合図を送り合った。

「よし、任せたぞ! 羽飛、清坂!」

 また上総の方へ静かな目を向けてきたが、もう無視していたのでそんなの関係なかった。


 実質は羽飛・清坂体制で仕切られているけれども、名目上はまだ立村・清坂として通っている。そのことは上総も理解していた。それを踏まえてなお、実際は羽飛を評価している三年D組のクラスメートたち。菱本先生を始め、貴史・美里も腫れ物を触るように接して来ている。ただ、他の連中からするとそのことに違和感を覚えずにはいられないだろう。現実問題、誰よりも信頼され、上総が評議委員でいた二年半より貴史の半年間の方がぐっと中身の濃いものであるのも、見ればわかる。

 だからだろう。

 ──最後の一週間くらい、誰もが納得した形で、羽飛にクラスのトップとして立ってもらいたい。

 そういう気持ちが菱本先生およびクラスメートたちに湧いていたとしても不思議はあるまい。上総も異論を唱える気もない。そう読まれたのだろう。

 ──俺があと一週間、英語の答辞に没頭している間の代行ってことならば、誰の顔もつぶさずにすむ。今までだったら馬鹿ばっかりやっている評議委員の後釜ってことでしかたなく羽飛が穴埋めしているように見えたけれども、その心配もないというわけか。

 上総の立場も崩さないまま、三年D組最後の一週間はしっかり、完璧な形で仕切られることになる。もう他人事のようだった。上総は貴史が教壇に立ち、美里が丁寧に黒板へ文字を書き込んでいく様を眺めていた。かつては自分のいた場所かもしれないが、あそこはやはり、羽飛貴史のためのものだったのだから。それを待っていたのは菱本先生を始め、クラスメートみなの願いだったのだから。


「ええと、てなわけで、いきなり卒業式後の話となるんだけど、いいか、先生」

「お前らそのことしか考えてないのかあ?」

 がくっと肩を落とす菱本先生。貴史は頭をかきながら、

「だってさあ、こういう全員揃っているとこで決めねえと、また心配だろ?」

「なにがだ」

「俺たちがアルコール入ったとこでどんちゃん騒ぎして、補導されて、『青大附中三年D組卒業式後のご乱行』なんて新聞一面に載っかっちまったら、先生もやだろ」

「お前ら、想像力豊か過ぎるぞ」

 そこで美里が割り込んだ。

「だから、ここで決めるんです。先生、いいですよね」

「わかったわかった。最後だししっかりやれ。俺は口出さんぞ」

 ──口、出させないようにできるわけだ。

 今まで上総が壇上で案を出した時はしつこいくらい菱本先生が、「おい立村、あとこれが足りないんじゃないのか、お前もう少ししゃきっとしないか! 周りに押されてるんじゃないぞ」とか文句を言うのが常だった。それを前もって押さえられるのがやはり貴史の腕なのだろう。

 お許しが出たところで貴史はさっそく壇上真中に戻り、

「それじゃあ、まず卒業式後の打ち上げなんだけどな、どこでやるかってことなんだけど、今評議委員会の中でもいろいろ意見が出てるわけで、まず」

 ──そんなの聞いてないぞ。

 本条先輩から聞いたところによると、表向きの打ち上げは教室内でこじんまりと終わらせ、裏打ち上げを有志たちでそれこそアルコールプラスした形で行うという話だった。それにのっとって貴史も考えていたのではないかと思ったのだが。

「俺としてはさ、教室でクラスの連中だけとじわあっとやるのも悪くないけど、どうせ俺たち四月から別々のクラスになっちまうわけだろ? それにこのクラス、三年間同じだったし顔もほとんど替わらなかったわけだろ? だったらさ、そんなこじんまりとしたやり方よりも、他のクラス合同でなんかぱあっとやろうぜって話が出てるんだ」

「全クラスって、ABCDクラス一まとめにして? 百二十人くらい?」

 奈良岡彰子が脳天気な質問を投げかける。相変わらずだ。南雲から聞かせてもらった恋愛のどんでん返しがはたしてどう影響しているのか、気にはなる。隣の南雲の様子を覗き込むが、あからさまに気にならない顔しているのはかえって傷口に塩をもみこまれているのを隠しているかのようだ。

「そうそう、そういうことなんだけど、でも、そんなたくさん入らないのは私たちもわかってるので、せっかくだったら全クラス、それぞれの教室に誰でも入れるような形にして、三年生限定の学校祭みたいなのりにしたらどうかなって、今思ってます」

 美里がすぐに答えた。すでに案としては上総の知らないところでまとまっているのだろう。

「それか、せっかくだったら教室を一部屋にしぼって、ぎゅうぎゅう詰めでやるってのも手だと俺は思うなあ。先生だったら、どっち選ぶ?」

 さりげなく菱本先生に話を振る貴史。ちらりと見たところ、菱本先生も口出したそうなのをがまんしていた様子、すぐに食いついてきた。

「教室も悪くないがなあ。どうせなら借りる教室を家庭科室とか技術室とかそのあたりにしてだ。二クラスくらいを一部屋に入れて、あとはみんなで盛り上がるってのはどうだ?」

「二クラス、かあ」

 首を傾げる美里に菱本先生はわかりやすく説明しようとする。

「四クラスとなると、人の波で誰が誰だかわからんだろ。大学でも卒業式の後謝恩会ってのがあるんだが、あれが殆ど何がなんだかわからん状態で、盛り上がったという感じがつかめぬままお開きになるのがいつものことなんだ。だが羽飛、清坂の言う通りクラスの連中三十人だけで盛り上がるだけというのも、もったいないよな。それこそ他のクラスの奴と触れ合うのもよいし、また教師の立場としてもこれから先、自分の生徒以外の奴と繋がりができるのも嬉しいことだ。ということでだ。俺としては大きい教室を借りてそこで、二クラスずつって形にした方がいいんじゃないかと思っている」

「なるほどなあ、先生、サンクス」

 ここでもし上総が受けたとしたら「そうですか、わかりました」とあっさり流すだろう。

 きっちり笑顔満面で「大人もまんざら捨てたもんじゃねえよな」と返す貴史にかないっこない。

「じゃあさ、先生、その教室ってさ、今から借りられるかなあ?」

 さっそく交渉が始まる。一週間前に教室予約をするというのは通例だし、先生が言い出しっぺである以上通らないこともないとは思わないが。

「わかった、俺が話しとこう。ただなあ、他のクラスの兼ね合いもあるから、そこんとこも相談する時間をくれ。どうだ、そんなとこで」

「ありがたやあありがたや! やっぱ菱本先生、やるじゃん、さっすが、一家のパパ!」

 隣でしょうもない掛け声をかけているのはおなじみ古川こずえだった。いつものことだがうるさいものだ。上総は無意識のうちに音声を遮断していた。

「羽飛、じゃあこれで決まりってことで、よい? 次は食べ物調達だよね。この辺は女子の管轄だし、手伝うよ」

「うんにゃ、その前にもうひとつやるべきことがある」

 もったいぶって貴史が首を振った。どことなく天羽の態度に似ていた。

「その会に、何人くらい、出られるかってことだよなあ。あとただ食い物食ってるだけじゃあわびしいから、なんかクイズ大会とかビンゴゲームとか、そんなことの準備もせねばならないしなあ。これから一週間、超特急でやらねばならないんだけども、誰か手伝ってくれる奴、いるか? あんまりたくさんじゃなくていいんでさ」

 じわり、上総の勘に響いた。隣の南雲を見やったが、相変わらず知らん振りだ。

「じゃあ、私が手伝うよ」

 速攻手を挙げたのは奈良岡だった。予想はしていた。

「たぶんこれで、私が青大附属で一緒に盛り上がれるの、最後だもん。ぜひ手伝わせてほしいな。そうだ、私、クッキーとカップケーキくらいなら用意できるよ!」

 隣の南雲が、

「それだけで十分ご馳走だよな」

 呟いているのがわびしい。聞こえなかった振りをした。さらに音声遮断している隣からも、

「美里、私も立候補!」

 声がした。もちろんこずえだろう。この人が立ち上がらないわけがない。

 ──古川さん、奈良岡が羽飛に対して何か、思ってるってこと、気付いてるのかな。

 上総の読みが間違ってなければ、三年間一途に貴史を想って来たのはおそらくこずえだけのはずだ。奈良岡がいきなり割り込んできても、その気持ちが揺らぐとは思えなかった。それならばこちらとしては永年の付き合いゆえにこずえを後押ししてやりたいような気もする。ただ、今のところ、奈良岡を露骨にライバル視しているようには見えないので、たぶん気付いていないのだろう。ならば、余計なことを言う必要もない。

「立村、あんたは?」

「遠慮しとく」

 いきなりこずえがシャープペンシルを手の甲に突き刺すような真似をしてきた。慌てて引っ込める。同時に頭の中の応援体勢も引っ込めた。

「なあに、あんた最後なんだよ! どうすんのさ、きっちり男らしく締めたいと思わないわけ?」

「英語答辞の関係で今、大学の方に行ってるから、たぶん余裕ない」

 事実なのでそれだけ告げた。こずえはしばらくふくれっつらをしていたが、何か得心した風に頷いた。

「あんた、何考えてるかわかんないけどさ。打ち上げにだけは来なさいよ」

 返事をせずに時計を覗きこんでいると、さらに追い討ちをかけるように、

「今、羽飛や美里がなんであんた抜きで一生懸命打ち上げのこと決めてるか、理由くらいわかってるよねえ」

 聞きたくもない。わかりきっている。でもこずえは容赦ない。

「あんたがひとりになりたいってこと、受け入れる覚悟があるんだよ、ふたりとも」

「そんなの、古川さんが勝手に思っていることであってさ」

「そうだね、私が勝手に想像してることかもしれないけどさ。ただあんた、このまま浮いたまんま三年D組から出て行くのはいやでしょうが。私たちだってやだってこと、わかるでしょうが」

「別に浮いているとは思わないけど」

 心とは裏腹の言葉を吐いた。実は漁業で使うブイのようにぷかぷか浮いている。

「とにかく、出るだけは出なさいよ。あとでさっさとどっか消えても知ったことじゃないし、どうせ私に四月からいやみいっぱい言われるだけなんだし」

「覚悟してます、その辺は」

 同じ英語科進学者がいるというのは。

 よりによって古川こずえだというのは。

 ──また朝の漫才が日々繰り広げられるということだな。

 これから先真っ暗闇な英語科生活が始まろうとも、唯一光が見えている、そんな存在なのだ。ありがたいと思わねば。上総は密かに、こずえ発貴史宛への応援事業をたくらもうと決めた。


「じゃあ、卒業式打ち上げの委員は俺、美里、そいで姐さんと古川、以上でオッケーか?」

 みな黙っていた。女子だけが積極的に手を挙げたようにも見えるが、単に他の奴らは委員会関連でそれぞれ忙しいというのが本当のところだろう。上総が混じっていないことに関して誰も発言する人がいなかったのが救いだった。

「では緊急の集まりってことで今日の放課後、よろしくな」

「はーい!」

 はしゃいでいるのはやはりこずえである。

「それともひとつ。一緒に組むクラスは先生の方から決めてもらうってことでいいかなあ。一番楽なのはいつも体育や家庭科が一緒なC組だけど、それだけだとつまらないって人もいるだろうし。だったらもう、ロシアンルーレットって感じで決めちゃった方がいいと思うんだけど。どうですか?」

 それもそうだ。上総も同意した。男子はとりあえずどこのクラスと組もうが知ったことじゃないが、女子の場合簡単にそうもいかないのだろう。あとでぶうぶう文句をたれられてもたまったもんじゃないし、それなら思い切って責任を菱本先生に押し付けるというのも手だ。

「誰も反対意見出さないようなので、これで決めます。あと、ええっと、何決めるんだったっけ、貴史」

 もうすでに壇上の二人、名前で呼び合っている。もともと幼なじみなのだから、それが普通といえば普通なのだけども、先生の前では一応「羽飛くん」と呼ぶようにしていたはずだ。もっとも貴史は別で、あだな、およびファーストネームで呼び習わしている。それがいやみにならないキャラクターというのもあるのだろう。

「肝心なこと忘れてるっての、おいおい」

 教壇を叩きながら、貴史はもう一度真正面に向いた。

「当日、なんか卒業式の後用事がある奴って、いねえよな?」


 上総は唇を噛んだ。

 ──出るしかないんだよな。

 予定では、さっさと抜け出すつもりでいた。しかしそんなこと、許されるわけもない。

 一応は評議委員、一応は三年D組のクラスメンバー、仕方のないことなのだ。


 隣で誰かが身動きする気配がした。こずえではない、ということは南雲しかいない。

「あのさ、悪いんだけどさ」

 片手を挙げ、反対の腕は机にべたっとくっつけたまま、

「俺、この日、どうしても都合が悪くてなんないんだけど、それってまずいっすか」

「南雲くん?」

 ちょっとびっくりした風に美里が南雲を見つめた。貴史も言葉を出すのを迷っている。天敵最後の戦いになりそうな予感で、またクラスの空気がびしっと締まった。こういう時に手助けするのが菱本先生であり、担任でもあるわけだ。

「どうした南雲、用事でもあるのか」

「いやあ、すんません。実は俺の家の難しい事情がいろいろありましてですね。どうしても家族一丸の会議を開くことになっちまってるんですよねえ」

 ──家族会議?

 南雲がそこまで家庭の事情を口にしたことはなかった。さらに続いた。

「ほんと、うちの恥をさらすようで悪いんですが、人生においてかなりいろいろ恥ずかしい問題が起こってるもんで、詳しいこと、言えないんですよ。ほんっと、申し訳ないんだけど、この日はまず卒業式で幕ってことにしていただけないかなあと、思うわけっす」

 軽く口にしているけれども、南雲の目は真剣だった。

 何かある、のは確かだろう。嘘ではないだろう。

「それと、もうひとつなんですが、これは規律委員長としてのお願いをばよろしく」

「ほうほうなんだ」

 さらっとした笑顔のまま、南雲は次に貴史の方へ視線を向けた。

「俺の場合はまだ口に出せたけど、人それぞれ家庭事情とか、その他いろいろ事情のある奴がたくさんいると思うんですよねえ。俺ももし、本当のことずらっと並べろって言われたら、ぎゃあとか言って逃げますし。たぶん、この中にはそんなこと言えないで悩んでいる奴もたくさんいると思うんですよねえ」

「何言いたいんだ!」

 貴史が気色ばむ。あいかわらずいつものパターンに収まりそうな予感。南雲は落ち着いている。ちゃらちゃら口調ながらも言いたいことはきっちり言い放つのが南雲流だ。

「当日になっていろいろ事情のある奴も出てくると思うんで、この場で全員参加を前提にしちまうのはどうかと思うんだよなあ、俺としては。そうじゃないっすか? むしろ、参加できると確信している奴の数だけまず確認して、人数分の食い物なりカップケーキなりクッキーなりを用意してもらい、当日参加可能な奴を数人プラスする形でまとめたら、いかがっすか? それの方があせらないでいいと思うんですがねえ、いかがっしょ」


 貴史の顔は明らかに血が昇っている。

「そりゃあそうだが、だが最後だろうが、全員出るのがほんとだろうが!」

「だから、いろいろ家庭事情で出られない奴のことも、考えてやったらどうっすかって言ってるの」

「それでも都合つけるのが卒業生だろうが!」

「あのさ、お前言える? ちょっとやばいとこの病院で手術しねばならなくなったんで、俺、欠席しますとかさ。妹の近親相姦疑惑でもって裁判がありますのでいかねばなりません、ごめんって普通言えるか? 言えないだろ? まあこれはたとえ話にしても」

 南雲にしては珍しい、きつい口調だ。ちりばめた言葉もまた、生臭い。

「人にはそれぞれいろんな事情があるし、できたら言いたくねえこともあるんじゃねえかって俺は思うわけ。別に豪華なオートブル用意するとかそんなんでもないんだろ? その辺でクッキーとかそんなもの用意する程度だろ? だったらあとで飛び入りした奴にも土産にできるし、腐るものを用意するわけでもないんだし、なあ、俺そう思うんだけどみなの衆、どうおもいまっか?

 最後は冗談めかした言い方でもって、クラス全員に促した。

 

「南雲くんの意見もそうだなって思うよ。貴史、とりあえず、当日確実に参加できる人の数だけ取ってみようよ」

 不承不承、貴史が投げかけた質問に、上総はあえて手を挙げないでいた。

「じゃあ、当日、確実に参加してオッケーって奴、どんぐらいいる?」


 ──なぐちゃん、助かった。感謝する。

 思わず南雲と視線がかち合った。今の時間初めて、上総に南雲は微笑んだ。

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