第一部 4
第一部 4
この日の評議委員会は学校祭の最終総括だった。取り立てて新しく議題に上がることもなかった。ただ三C男子評議・更科の隣席が空いていた事実だけ、重たくのしかかっていた。
評議委員としての任期はまだ十月一杯まで残っている。厳密に言うと生徒会役員改選が終わるまでの間は、評議委員としての仕事をしてもらわないと困る。体育祭だってある。運営は体育委員に任せる形になるけれども、それなりに評議委員だって手助けすることもある。毎年女子の応援協力を要請されることだってある。霧島さんだって去年は、C組女子の応援に熱を入れていたじゃないか。
──たとえ、高校が別になったとしても。
霧島さんが青大附中評議の一員であることに、変わりはないのに。
評議委員会終了後、上総は三年男子だけ集めて霧島さんの件について話をするつもりでいた。
「立村くん、私、手伝うことない?」
残っていたさそうな美里には、
「今日は男子同士での話があるんだ。ごめん、またこんど」
言いくるめた。幸い隣には三A女子評議の近江さんがいる。腕をしっかりと取って、せかしている様子だった。先に帰すのに苦労はなかった。
美里たちをはじめ下級生および担当教師が居なくなったのを見届けて、上総は天羽に合図を送った。なんのことはない、扉を指差しただけだ。すぐに天羽はどら声をあげた。
「じゃあいつものとこだな、いくぞ難波、更科」
「オーライ!」
明るい声で手を上げたのは更科だった。三年C組評議委員。子犬っぽい笑顔は変わらぬまま。一年生中心の列に混じっても上級生だとは思われないだろう。そういう童顔タイプの奴こそ、実は侮れないことを上総は経験上学んでいる。
「難波も、来るだろ」
無言で頷くものの、腰が重たそうだった。
自らを「青大附中のシャーロック・ホームズ」と呼ぶ難波は三年B組評議委員。こいつのかもし出す空気の重たさはもともと身につけているものではなく、たった今、評議委員会の開かれた教室内に残されたひとつの「空白」、そこから来ている。
みな、秋仕様のブレザーにワイシャツ、ネクタイはいつもどおり緩めている。今年から冬仕様として中にベスト着用が義務付けられるようになる。十月中旬の気温では、少し暑いのではと思える肌の感覚、かすかに汗ばむ。
天羽がまず、扉を開いた。続いたのは更科。小走りに廊下へ飛び出すと、
「じゃあ、カフェテリアの席取っとく」
チワワをつないでいた綱を解き放ったように階段を駆け下りていった。
「ほらほら、どうしたホームズ」
「ばっかじゃねえの」
難波のせりふを聞きとがめた。一言問いたくなった。ひっかかる。
「何がだよ」
言いかけたのを、天羽にさえぎられた。
「まあまあ、立村、お前も先に行けや。こういうのはな、修羅場経験者の俺の出番って訳よん」
背中をかなり強く押し出された。危うく頭からつっこみそうになる。階段でなくてよかった。一階まで降りて初めて気がついた。別に難波は上総をばかにしたわけではなかったのだと。
──難波、霧島さんのこと、相当堪えてるんだな。
「まずはだ、現実を観るってことでだ。簡単にまとめとく」
更科が取っておいてくれた四人掛けテーブルに陣取った。天羽が口火を切った。
「今、うちの近江ちゃんが清坂を連れてどっかへ行ってる。たぶん俺たちの悪いようにはしないだろうと思うんだ。そいと、トドさんも二年連中の様子見に現在、スパイ活動真っ最中ときた。となると、あとは俺たち三年評議の意思統一をだな、せねばだな」
「わかってるよそれくらい、それで」
苛立ちながら上総はかばんを膝に載せた。もともと天羽が評議委員長としてふさわしいことを認識している上総である。主導権取られっぱなし、これはひどい。
「そうせかしなさんな、立村。一応俺たちが今なにをせねばならんのか、ってことをだな」
「要するに霧島さんを静かに高校へ送り出そう、だろう?」
少し気が立っているせいかもしれない。結論をむりやり引っ張り出したくてならなかった。
右隣の更科がこくこく頷いた。こいつは不機嫌な上総の様子を読んで、空気を和ませようとしているらしい。上総だってそのあたりの気遣いは感じているつもりだ。がまんするしかない。
左隣の難波は何も言わず、ストローを加えている。ホームズ風に煙草をくゆらしているつもりだろうが、単に葉っぱを加えて口笛吹いている不良の兄ちゃんにしか見えない。似合わない。
真正面にいる天羽は、あっさりと認めた。
「そういうこと。さすが立村、わかってるな」
「誰でもわかってるだろ。それでもこれからどうすればいいんだってことを」
「相談するんだよね、天羽?」
今度は更科が三人の顔をそれぞれ覗き込みながらうんうん頷く。
「とりあえず、近江ちゃんと立村にがんばってもらって清坂を押さえてもらう、これはわかってるよな」
「俺で押さえられるようならば」
しぶしぶ上総は首を傾けたまま答えた。
「余計なことをせずに、まずはC組の後期女子評議を誰にするかを、更科、お前に決めてもらうってわけだ」
「もう決まってる、大丈夫」
更科は、上総の知らない女子の苗字を告げた。
「クラス内での調整はもう全部終わってるよ。あとはキリコに当たらずさわらず、どうやって扱っていくか、それが問題ってとこ」
「それは確かに」
上総が言いかけたとたん、左隣でばしんと机を殴る音が響いた。隣のテーブルでノートを回し読みし騒いでいる大学生がこちらを見た。
「そんな必要、ねえだろうが」
三人、みな、ストローを加えた難波を見つめた。
そういえば今日の委員会中、一度も笑わなかった。
「どういうことかな」
天羽に言を取られる前に、上総はつっこんだ。
「あいつ、もう、抜け殻だっての」
全員、言葉もなかった。
──抜け殻、そうだよな。
「不思議の国のアリス」に似た愛らしさを持つ霧島さんの表情を上総は見ていた。
今朝、そして昼休み、放課後評議委員会始まる寸前。
霧島さんはE組に朝からずっといた。更科の言うところによると、自クラスの三Cにはまったく顔を出さなかったという。ずっと西月さんや杉本を相手に泣きつづけていたという。
難波はしばらくストローをちゅうちゅう音鳴らして噛んでいた。そのままコップに差し込んだ。かき混ぜて氷をつついたあと、ぶっきらぼうに口を尖らせた。
「あいつの居場所はもうE組になっちまったんだってこと、お前らも知ってるだろうが」
「やはりそうなのか?」
もしかしたら殿池先生……3Cの担任……が手を回して、心を落ち着かせることのできる場所へ移動させたのかもしれない。確か、西月さんが天羽とトラブルを起こした時もそういう風にしたと聞いている。杉本も似たようなパターンでもって送り込まれた。もっともE組に常駐しているのは杉本だけのはずだった。
「さっき、E組見てきたけどさ。ずっと西月さんの側に座って、黙っていたんだ。俺の顔見ても反応しないしさ」
厳密に言うと、上総は杉本梨南に関崎の情報を伝えるためにE組へ向かったわけだった。だから杉本以外の女子とは口を利いていない。挨拶をしてみても、反応がなかった。
「ふうん」
西月さんのことについては、天羽も古傷が痛むのだろう。無言だった。
代わりに更科が相槌を打ちながら言う。
「あのキリコがさ、泣きながら殿池先生に訴えてるの見たら、誰もが同情すると思うよ。どんなに酷い目に合わされた経験者でもなあ。ホームズ、だろ?」
「みっともねえ」
吐き出すようにつぶやくと、難波はぐるぐるとコップの氷をかき回した。
「いいかげん、運命受け入れろ」
──どっちがだよ。
ちらと上総は難波に目で伝えてみた。当然、伝わらなかった。テレパシーなんてない。
「あんな奴、なんもできないんだから最初っから誰かに頼んで、家庭教師とかしてもらえばよかったんだ。てっきり自分の実力だと思ってのほほんとしてるんだからあんなことになるってな、ばかじゃねえの」
「難波、いいかげんにしろ」
人の悪口なんて聞いていたくもない。軽く制した。効果なかった。
「しかも評議委員会さぼりやがって!」
「ホームズ、そりゃあしょうがないだろ。ああいう騒ぎなんだからさあ」
更科もさりげなく、気を遣うように一声かけた。難波の毒舌はまったく納まるところ知らず。
「どんなことがあったってな、評議委員会は生徒会の改選が終わるまで任期が残ってるんだぞ。後期はやらねくても、前期の任期をしっかりと納めるのが義務だろうがあの馬鹿女が!」
「難波」
向かい側に座っている天羽が立ち上がった。
まさか、殴るか。
上総は更科と目を見合わせた。いざとなったら止めねばなるまい。修学旅行の時もそうだった。難波が霧島さんを相手にわけのわからぬ言い合いをしていて、上総たちが間に入ろうとしているうちに、天羽は一発ひっぱたいて強引に終わらせた。本条先輩的な物事の納め方。上総には決してできない。
天羽はゆっくりと難波の肩に触れた。ゆっくりと指先でそれを握り締めるようなしぐさをした後、ぽんぽんと叩いた。片腕を取り、無理やり立ち上がらせた。同時に更科に流し目を送った。
「悪い、更科、こいつを例のとこへ連れてってやれ」
「例のとこってどこ」
「何するんだ!」
何をしたいかがまったく飲み込めない上総の前で、三年男子評議三人三様の反応だった。
天羽と更科が目と目で打ち合わせている一方、難波がその腕を振り払いわめこうとしている。でもどこに連れて行かれるのかわからないといった顔だ。上総も何か、言わねばならないような気がするのだが、適当な言葉が見つからない。三人立ち上がり、もみ合っている中とうとう天羽が核の言葉を発した。
「難波なあ、お前今の話、言うべき奴いるだろ? 今、まだE組にいるかもしれんぞ」
ぴんときたらしく更科が両手を打った。
「なあ立村、評議委員会の前までは、キリコいたんだよね」
「いたよ、西月さんと一緒に」
「じゃあ話は早いや」
天羽はブレザーの上からがっちりと難波の腕を抱きしめるように取った。更科も反対側に回った。天羽とふたたび意思疎通をしながら、
「そういうこと、まずは言いたいこと、本人に言うのが一番だよなあ。あ、立村、悪い、俺すぐもどってくっから、ここで席、押さえといてえな」
板についていない関西のイントネーションで上総に指示するやいなや、暴れそうな難波をふたりは強引に出口まで送り出していった。上総ひとりが席についたまま呆然としている中、おもしろげに眺めている大学生たちの笑い声と一緒に難波は引きずられていった。露骨に嫌がっている口ぶりでいながら、足はしっかりと外へ向かっているのが不思議だった。
要するに、E組へ行かせてもらうきっかけがほしかったということか。
──やっぱり天羽の一人舞台かよ。
ひがんでいるわけではない。
何か事件が起こると、指揮を取るのはいつも天羽だった。
みな、一応は評議委員長の上総の顔を見てはくれるけれども、結局のところ下級生に一声かけてまとめたり、やりたいことへの根回しを行うのは天羽だった。
だからうまくいっている。上総は評議委員長でいられる。それはわかっている。
今更いじけることなんてないはずなのに、口にふくんだ水に苦味が広がっていく。
──説明してくれたっていいだろうが。なんで難波をE組に連れていこうってことをさ。
たまたま杉本に用があって放課後、E組に立ち寄ったら霧島さんと西月さんがどんよりした顔で隣り合って座っていた。それだけ話しただけなのに。なんで天羽はどんどん先走ったことをするのだろうか。もしE組にふたりがいなかったらどうするんだろう。いや、一学期にいざこざのあった西月さんと好んで顔を合わせるつもりもないだろうに。いったい、あいつは何を考えているのだろう。
左隣に座っていた難波の、口に含んでいたストローがそのまま置きっぱなしになっている。
──せめて捨てていけよな。
結局、上総は難波の分だけコップを下げ、ストローを捨てた。
「おまたっせ、立村、どうしたどうした」
「更科たちは?」
「E組にダッシュさせてるとこ。まあいいや、ふたりでのんびり飲もうや」
天羽だけがネクタイをゆるゆるにしたまま戻ってきた。ふうふう言っている。暑そうだった。手をぱふぱふさせながら、更科の席に置きっぱなしのコップを一気に飲み干した。
「何があったんだよ」
「いやなあ、あいつ、霧島姐さんがいないと聞いてもう、いらいらの極限にいたからな。何はともあれ、一対一で話をさせるのが一番かと思ってな」
「あのふたりだったらかえって泥沼になるだろ」
「いやいやそれがそうでもないと思うわけで」
どうせ上総は恋愛沙汰には疎いのだ。天羽が水を取りに行こうとするのを引き止め、上総は畳み掛けた。
「そっとしておいたほうがいいって言ったのは、お前だろう?」
「まあ、女子たちはそれの方がいいけどな」
喉の渇きが耐えられなかったのか、天羽は上総の分のコップも持って、またもう一杯水を汲んできた。半分近く一気に飲み干した。口をぬぐい、上総に笑いかけた。
「このままだとな、生き別れになっちまうだろ。あいつらもな」
「生き別れって」
「ほら、霧島姐さんが評議から後期外れて、E組に吸収されて、青大附属から出ていっちまう。この現実が奴にはどうしても受け入れられねえってわけよ。さっきの言い草聞いただろ? もう、あいつ、どうしようもねえんだよ。とにかくパニック状態。どうしていいんだかわからねくてさ、霧島キリオくんをとっ捕まえては姉貴情報を聞き出したり、E組の前をうろついたりと、まあすごいんだわ」
上総はゆっくり水を口にした後、尋ねた。
「天羽、お前、難波に何をさせたい」
「そんな大層なことさせたいなんて思ってませんがな。ただ、霧島姉御を前期の任期が終わるまで評議委員会にしっかり参加させることだけだって。そうすりゃ難波だって少しは頭も冷やせるだろうし、今後の傾向と対策もそれなりに」
「けど、それは難波の都合だろう」
努めて落ち着いた口調で話したつもりだった。語尾が震えてしまう。上総は声を潜め、できるだけ感情がもれないように心がけた。天羽のテンションとは対照となるようにした。
「霧島さんの立場を考えたら、とにかく隠れていたいに決まってるさ。殿池先生がどう考えているかわからないけど、もしE組に非難させるという形を取るなら、それはそれでいいと思う。難波が今どう思っているかも想像つかないわけじゃない、でも、今一番大切にされる必要あるのは、霧島さんだろう。霧島さんがこれ以上、ずたずたに傷つかないように、俺たち三年たちが気を遣う必要、あるだろう? 難波の気持ち以上にさ」
「いつまでも、そんな腫れ物に触るような扱いしてられるわけねえだろう。まだ半年以上青大附中に霧島いるんだぜ。そんなびくびくしてたら、俺たち息がつまっちまう」
「あるけどさ、でもできるだけ」
上総が言葉をはさもうとすると、「まあまあ」と片手でさえぎられた。
「そんなに気になるなら、お前もE組に行ってみるか?」
天羽は上総のだいぶ水の残ったコップを下げてくれた。
しばらく無言のまま、中学校舎へ向かった。天羽がしゃらしゃらと話し掛けるのを、上総は聞き流しながら空を見上げていた。昨日は大分曇っていた空。台風一過で青く塗り替えられた秋空。少し暑いくらいだった。
「おい、聞いてるのかよ」
「聞いてる」
投げやりに答える。天羽とは背丈もげんこつふたつくらい違う。ずっと気になっているのになかなか背が伸びない理由はどこにあるのだろう。今度はやりの「シークレットブーツ」でも買おうかとやけっぱちで思う。
「E組はふたりの世界だ、口出すなよ」
「余計なことはしないけどさ」
「それとだ」
天羽はネクタイをはずし、視線を反対側に向けたまま、
「いいかげんお前も、あの教室に入り浸るのはやめろ」
ぴしっと、鞭を振り上げるようにネクタイの先を空へ飛ばした。風を切る音がかすかにした。
「知ってるだろ、俺の頭の出来にからんだ用事があるんだ、しょうがないだろ」
「だからって朝、昼、放課後と通う必要あるのかよ、立村」
「それはたまたまだって」
言い返そうとしたが、舌がもつれた。
「この前言ったよな。立村、責任取るってな」
返事が出来なかった。
さっき難波の肩にしたように、天羽は上総の肩へぐいと力を込めた。つままれるような感触がなにか痛かった。無理やり向かい合わされた。中学校舎と大学校舎の境目にあたる門の前だった。
「立村、自分が今どういう立場にいるのかわかってんのか? 評議委員長だぞ」
「ああ、本条先輩の次のな」
「お前は青大附中の評議委員長なんだぞ」
なんで天羽に説教されなくてはならないのだろう。本条先輩でたくさんだ。
目をそらそうとした。軽い頬へのげんこつで天羽に無理やり視線を正面に戻された。
「どれだけ周りが苦労してるのか、お前わかってるのかよ。トドさんだって、難波だって更科だって」
「別に頼んだわけじゃないさ」
「杉本のことが気になるのはわからねえでもないけどな、でももう少しなんか考えろよ。お前、あいつを切るってこの前言っただろうが。このままだったら自爆するぞ」
天羽の口走った一言一言を、ひっくり返してやりたかった。
「そんなこと、いつ言った」
顔を逸らすことを許されないのならば意地でも見つめてやる。
ゆっくり上総は言い返した。
「俺は『責任を取る』、と言っただけだ」
「おい立村、馬鹿言うなよ。まさか杉本なんかと付き合う……」
「付き合うわけないだろ!」
上総は天羽の腕を振り払った。中学校舎玄関めがけてひたすら走った。生徒玄関で振り返った。天羽は突っ立ったまま追いかけてこなかった。
──なんでみんなそういう風にしか考えないんだよ。
天羽も難波も更科も、なんで『つきあい』にこだわるのだろう。
杉本がどれだけ一途に、上総の口からこぼれる関崎の言葉を求めているのか、知っててそんなこと、できるわけがないのに。
「つきあう」という一言で、行動がみながんじがらめになってしまう
上総はただ美里と付き合っている以上杉本を守れないから、決断しただけのこと。
付き合わなくたって、上総のやり方で杉本の側にいることはできる。
ほんとに、単純で、簡単なことしかできないけど、それをしたいだけのこと。
こんな簡単なことをするために、なぜこんなに惨めにならねばならないのだろう。
青大附中に入ってから数限りなく繰り返した言葉を、上総は呟いた。
「『つきあい』ってなんだよ、そんなもの」




