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第三部 15

第三部 15




 内部進学者がほとんどの青大附中生にとって最近の関心事といえば、

「いったいどんな外部生が入学してくるのか?」

 だろう。毎年三年生たちがありとあらゆる手を使い、ある時は職員室に、またある時は他中学の友だち経由でいろいろと情報を集め出すのがこの時期だった。去年は上総を始め、他の評議連中たちもスパイにこき使われたものだった。もっとも上総は諸般の事情で小学校時代の人脈が一切使えず、主に天羽、難波、更科ががんばることとなったはずだ。

「今年はどんな奴が入ってくるのかねえ」

「けど英語科二人だけでっしょ、それも野郎ばっか」

 こずえが他の男子たちと喋っているのが聞こえた。

「だから、気になるじゃない。変な奴だったらやだし!」

「あまり期待しないほうがいいよ。言っちゃなんだけど、ひとりは立村と友だちみたいだし」

 ──なんで俺の名前を出すんだ。

 文句を言いたいところだが、古川こずえに歯向かうと倍返しされるのが目に見えているので、あえて黙っていた。教室には十八人。四月からクラスメートとなる予定の生徒が顔を揃えていた。まだ二人の外部生が混じらない中、今日から三回に渡って四月以降の英語科オリエンテーションが始まる。

 すでに一クラスしかない青大附属高校英語科だからこそ、できることだ。

 もし普通科クラスの連中集めてそんなことしたら大変だ。誰と誰をどうしてくっつけてくれないのかなどと、クラス替えののりで大騒ぎが始まる。直訴する奴もいるかもしれない。だから普通科に関しては卒業式後春休みを利用する形になるらしい。その際は入学予定の外部生も混じる形となる。


「諸君、ええっと、いいかな」

 恰幅のいい、腹の少したるんだ感じの、英語科担任・麻生先生が教卓を叩いた。

「まずは先日の宿題プリント、採点済みの奴を机に広げなさい」

 みな、様子を伺いつつ机から取り出した。必ず持ってくるようにとの指示が出ていた。こずえが頭を抱えていたプリント類がこれだった。すでに採点されて返されているものなので、赤ペンでたっぷり書き込みされているものだ。もちろん点数も入っている。上総はすべて満点を取っていた。でも、右端の点数部分は三角に折って隠した。

「これから君たちの手で、この紙に写しなさい」

 かすかなざわめきが起こった。さらに配られたのはコピー用の方眼紙だった。上総の前に座っている藤沖が挙手し、質問した。

「なぜですか」

 単純な一言だが、麻生先生はそのままいかつい顔を向けて答えた。

「問題の答えを、すでに君たちは知っていることになる。それはわかるな」

「はあ」

「だが、これから入ってくる新しい仲間たちふたりは知らないわけだ」

「はあ」

 全くわけがわからない。上総も心の中で「はあ」と呟くしかない。

「入学式後すぐに行われる新入生実力試験において、戸惑うことになるのは想像つくな、藤沖」

「はい」

 少し、ぴんとくるものがあった。上総も頷いた。

「レベルとしてはこのくらいの内容だし、もちろん解けないこともないだろう。だが、やはり外部入学のふたりはここに座っている十八名よりも大きなハンディを背負っているわけだ」

「はい」

「だからいろいろ聞いてくるだろうし、教えてほしいとも思うだろう」

「はい」

「だからその時には、君たちが完璧に教えてあげられるよう意識してほしいということだ」

 麻生先生は二重顎をさすり、今度はクラス全員に呼びかけた。

「いいか、今はみな、三年來の仲間だし、おそらく新たに三年間付き合っていくことになるだろう。もちろん、顔を見知っている仲間というのは安心感もあるし、心通じ合うものもある。だが、四月になると全く知らないふたりが英語科の仲間に加わるわけだ。もちろん入学試験を通ってきたのだし、青大附高英語科を志願してきた以上、覚悟もあるだろう。だが、うちうちで固まり続けて、内部から上がってきた自分たちが一番偉いのだという自己満足だけはしてはならないんだよ。いいか、これだけは最初に言っておきたい」

 両手を教卓に着き、脂ぎった顔を左右に回しながら、

「新しく加わるふたりを暖かく英語科の一員として迎えるために、わからないことがあったら助けよう、とする意識をこれから持ってもらいたい。このプリントレベルの問題で悩んでいたら、君たちの方から『ここはこうだよ』とやさしく説明することができるように、今からすべての問題と答えを、右、左に分けて写しなさい」

 よくわけのわからない風に、藤沖は「わかりました」と答えた。

 たぶん誰もよくわかっていなかっただろう。


 英語科クラスのミーティングは一時間、手写し作業のみで終わった。

 ──やっぱり俺は、教師運最悪かもな。

 見知った数人の男子連中とは言葉も交わしたけれども、目の前に座っている藤沖と最悪の関係である以上、何も言えない状態だった。三年D組からの英語科進学者は古川こずえと上総のみ。将来の進路が若干狭まるから……文系のみになりがち……という理由で、大抵の男子は普通科に進学したはずだ。一番多いのはやはり、中学入試の段階でトップ生徒をまとめたとされるB組の連中で約半数、残りはA、C組に分かれている。最低でもクラス三十人はいるはずと見積もっていたが、いろいろな事情もあって二十人学級となってしまったらしい。

 上総はしばらく手写しの原稿を眺めやった。

 頭の中には一応、イメージがある。

 ──関崎が俺に説明してほしがるわけないだろう? そんなこと、聞きたくないよな。

 麻生先生と顔を合わせたのは今日が初めてだったけれども、どうも現在の担任・菱本先生と同じ匂いを感じたのは気のせいだろうか。体型こそずんぐりむっくり型で、たぶん四十代前半、女子受けはしそうにないが既婚者らしい。外見は全く似ていないけれども、同じ暑苦しい情熱を教育に注ぎたがり、さらには、

 ──頼みもしないことを、どんどん押し付けるタイプとしか思えないよな。

 今の手写し作業だってそうだ。もちろん新しく入ってくる二人の外部生に対して思いやりを持つことは必要だと思う。美しい考えだ。上総もそれには異存がない。

 しかし、なぜその後でご丁寧にも「教えてあげる」ことをせねばならないのか。

 教える必要がないくらい頭のいい奴が……少なくとも関崎はそうだ……入ってくるというのに、いかにも内部生が「私はお前らよりも進んでいるからほら、教えてやるぜ」みたいな態度で接するというのはどういうもんだろうか。少なくとも上総はされたらかなりむかむかするだろう。立場上、あわせなくてはならないのも承知しているから「ありがとう」くらいは言うだろうが、それでも求めていないのに押し付けられるのはたまったものではない。

 ──そりゃ、聞かれたら俺も話すけど、求められていないのにべたべたしろっていうのは納得いかないな。

 上総は一呼吸置いて問題と解答を写し取り、かばんにしまい込んだ。先に前の藤沖が立ち上がった。上総の横をすり抜けようとした。呼び止めた。

「あの、さ」

「何か用か」

 言葉を発するのも無駄という風に、顔をしかめ藤沖は答えた。

「答辞のことなんだけど、元原稿、もらえるか」

「先生方にとっくに渡してある」

「あの、だから、日本語版の原稿」

 昨日菱本先生を通じて、英語翻訳バージョンの原稿はもらった。そのまま読め、というご沙汰だった。しかし一通り目を通してみたけれども、どうも上総にはぴんとこない。ありふれている言葉だらけというか、いかにも先生たちが言ってほしいことをまとめただけというか、こんなつまんないことをあの藤沖が書くとは思えない内容だった。もちろんそのまま暗誦すればいいんだったら楽だが、一応正式な原稿と読み合わせだけはしておきたかった。

「何のために必要なんだ」

「やはり、答辞だからきちんと納得しておきたいかなと思って」

 藤沖はしばらく上総をにらみつけていた。

 先日の、生徒会と評議委員会をめぐるごたごたの会合後遺症だろう。本当だったら一切顔もみたくないに決まっている。しかし、四月以降のクラスで名前順に並ぶと、どうも藤沖の背中を上総がじっと追わねばならない立場となるわけだ。一切口も利かないで三年間過ごすのは、改めて思う、針のむしろだ。

「あとで先生に渡す」

「できたら今度のオリエンテーションで、いいかな」

 恐る恐る上総は顔色を見た。ふっと最後にまたひとにらみし、藤沖は後ろの扉から出て行った。とりあえず、なんとか会話は成立した。

 上総は素早く荷物を片付けると、もうひとりの男子を探すことにした。

「立村、誰探してるのさ」

「ほら、あの、A組の、ええと二番の」

 思いっきりこずえに後頭部をはたかれた。痛い。まだクラスにたくさん人が残っているというのに。

「なんだよ、暴力反対」

「いいかげん名前覚えなさいって。ほら、片岡でしょ。あんたが藤沖と語らってる間に、ものすごいスピードで教室から出てったよ」

「そうか、ありがとう」

 ものすごいスピードだったら上総も、同じスピードで追いかけなければなるまい。

「ちょっとなに焦ってるの。なんか用事あるの」

「あるから急いでるんだって」

 悪いが今日はこずえの相手をしている間はない。上総はかばんと手提げ一式をかかえると、廊下に飛び出した。こずえも追いかけてはこなかった。


 藤沖と一通り会話すること。

 まずは今日、自分に課したひとつめの課題をクリアした。

 自分なりに毎朝、これだけはきちんとせねば、と定めた課題を用意するようにしていた。これは狩野先生からの提案だった。

「毎日ひとつでいいんです。自分がやりとげたと思えることをしてみてください」

 たとえば、と付け加えた。

「苦手な人に朝の挨拶をするとか、嫌いな食べ物を残さず食べるとか、そんな程度でいいです。無理をしない程度に、でも少し高いハードルだな、と思えるものを毎日書き出し、やるように心がけてみてください」

「思いつきません」

 上総の言葉に、狩野先生は頷き、最初の課題を与えてくれた。

「まずは藤沖くんから、答辞を受け取ることから始めたらどうでしょう」

 きっと藤沖との険悪な関係を知っていたのだろう。高すぎるハードルだった。一週間くらいのびのびにしていたけれども、なんとか今日、花丸つけられる状況となった。声をかけさえすればなんとか反応は帰ってくる、それだけは確認できた。

 ──けど、この状況が三年も続くのか。

 気が重いことには変わりない。上総は頭を数回振って、次の課題へと向かった。

 ──さて、片岡を探すか。


 三年A組、英語の試験では万年二番をキープしている片岡司。

 周囲の噂は決して芳しいものではないが、その存在はいつも意識していた。

 上総の英語限定三年連続トップを脅かすことはなかったけれども、最後の学年末試験では一気に点数を上げてきている。片岡の名が英語上位成績者に入るようになったのは、三年になってからではないだろうか。それまでは上総も片岡のことをいわゆる「下着ドロ疑いをかけられた奴」としか認識していなかった。

 片岡が頭角をあらわしてきた頃というのは、天羽と西月さんとのトラブルが起こった時期と重なっている。確か修学旅行前に西月さんと正式に付き合いだしたと聞いている。ということは。

 ──西月さんがカンフル剤ってことか。

 天羽が以前、話していたのを小耳にはさんだことがある。

「片岡はおもろい奴だぞ、あおると一気に舞い上がっちまう。めんこいぞ」

 西月さんに片岡をくっつけようと仕組んでいる最中だったと思われる。

 当時は上総も複雑な気持ちを押さえられずにいたのだが、今こうして見るとこの片岡という男子、相当な根性の持ち主だというのがわかる。天羽に嫌われた女子を今だに、こうやって守ろうと努力しつづけているわけだ。しかも自分には「元下着ドロ」という汚名が残っている。すすぐことの出来ない罪を背負いつつも、しっかり西月さん一筋に尽くしつづけている。西月さんの悪口をささやく奴は数多いが、片岡のことをけなす奴は男子にほとんどいないのではないだろうか。女子はさておいてもだ。

 ──ということは、今も、そういうことか。

 轟さんから教えてもらった話と、天羽の告白をそれぞれ組み合わせて考えてみると。

 ──たぶん片岡、あいつが一番、今回の事件で最も近い情報を得ているはずだ。

 今日、放課後、なんとしてもやり遂げたいものはひとつ。藤沖との不毛な会話ではなくて。


 ──片岡を捕まえて、話をしよう。

 上総はコートを着ながら廊下を小走りにすり抜けた。下級生の女子たちが、

「あの馬鹿評議委員長がさ」

 とかささやいているところなんて、もうかまっている暇ない。


 上総と同じくらいの背丈で、たぶん整列する際には片岡のすぐ後ろに並ぶことになるだろう。今日の面子を見回した限りだと、たぶん上総は男子の中でも前の方に回されるに違いない。

 ──結局、いつになったら背が伸びるんだよ。牛乳飲めば伸びるなんて嘘だろ。

 舌打ちしながらすのこで靴を履き替えた。外は雪も止み、ひさびさに明るい日差しが氷柱を溶かしているようだった。ついでに砂利路もぬらしている。靴がかなりぬめってしまう。

 ──まだ帰ってなんていないのかな。

 上総はまず、生徒玄関の砂利道を見渡した。かろうじて背中を見失わずにすんだのは、別の人物がご丁寧にも苗字で呼びかけていたからだった。上総の横を泥水はねちらかしてすっとんでいたのは、女子だった。髪が長く、背の信じられないくらいに高い女子。確か、A組の人のはずだ。

「かたおかー! ちょっと待ちなさいよー」

 呼びかけられた片岡らしき人影が、校門のところで立ち止まった。手を振るわけでもなければ、返事をするわけでもなかった。ただ黙って、突っ立っていた。その女子が近づいてくるのを待っているところ見ると、逃げる気はたぶんないのだろう。

 ──まずいな。あの人離れてくれないかな。

 上総は女子の後姿を直視した。

 これから片岡に声をかけたいところなのだが、できれば男子同士ふたりきりで語らいたい。

 向こうがどう思うかはわからないが、上総としてはなんとしても。

 女子の方が明らかに握りこぶしふたつくらい背の高いタイプ。確かA組の女子だった記憶はあるのだが、関心のない人間の顔は覚えない上総の認識力ゆえ名前が出てこない。

 ──とにかく、離れてくれるといいんだが。

 校門を出ていく二人を、まずはつけていくことにした。


 ──西月さんがなぜ、近江さんにああいう行動をとったのか、その理由を知りたい。

 すでに学校内では「天羽評議委員長を巡る三角関係の惨劇」として噂されているようだった。休み時間、図書室などで下級生たちがしゃべっているのを耳にするくらいだから、かなりの情報が洩れているのだろう。そしておそらく、先日上総が打った芝居もからんで、いろいろと話もふくらんできているに違いない。

 上総が知っている情報といえば、杉本、天羽、難波、そして轟さんたちから教えてもらったことくらいだしそのほとんどは評議委員サイドのものばかりだ。また杉本も事を計る前の西月さんと接してはいたけれども、肝心なその現場を見ていない。

 唯一、正確な情報を知っているであろう、近江さんに直接聞き出すことができないのはまた当然のことでもある。天羽に今度こそ、半殺しにされる。

 となると、上総が行き着いた先は、西月さんの今後を見守ることになるであろう、片岡しかいなかった。

 轟さんが教えてくれた情報が変わっていなければ、西月さんは四月以降、片岡の実家に身を寄せることになるはずだ。もちろんその事情を知らないなんてことはないだろう。たかだか息子のつきあい相手というだけにもかかわらず、そこまで面倒を見ようなんて、よほどの覚悟がないとできないことだろう。そのあたりの事情を探るのは控えたい。西月さんだって、片岡だって口にしたくないはずだ。

 だが、それでも最低限のことは、知っておかねばならない。

 上総は目で片岡とたっぱのある女子のふたりを追いながら、頬を軽くこすった。

 ──轟さんが言う通り、西月さんの動機が天羽と関係ない、ということさえわかれば、あとは話が簡単になる。生徒会が勝手に物事を決めつけたということで、みそをつけることになる。

 先日上総がかきまわした結果、喧嘩両成敗といった形でオチはついているはずだ。

 だから、あと一押し。

 誰か事情をよく知っている「と、思われる」人間から言を取って、

「やはり生徒会側が余計な手回しをしたせいで、評議委員会人間関係に波紋を広げてしまった」

 という結論に持っていければ、少なくとも天羽の立場は守られる。

 そしてなによりも一番大切なことは、

 

 ──杉本がやっと、生徒会の被害者として認められる。


 上総は素早く後を追った。約五メートルほど離れる形で、文庫本を開いたふりしながらゆっくりと歩いた。目の前では片岡ともう一人の女子が、肩を寄せ合って歩いている。天羽、および轟さん情報によれば、片岡の西月さんに対する忠誠ぶりはもう、誰の目にも明らかだという。もちろん上総も何度か目にしているし、そのことに疑いはない。しかし。

 ──それって全く違うってことないのか?

 ──だってあのふたり。

 いや、単なる同級生、友だちなのだろう。上総は頭を切り替え、もう一度ちらりと視線を送った。いきなり女子の方が光る小物を取り出し、天に向けた。光が反射した。

 ──こんなところで化粧するのか。

 女子はわからない。そういえば美里も、やたらと鏡を持ち歩いて、人のいないところで一生懸命覗き込んでいたものだった。自分の顔を見てそんなに楽しいのだろうかと、男子同士で話したこともあった。だから杉本にも修学旅行の土産に手鏡を選んだ。

 先頭、足早に林の向こうに方向転換した。駆け出すことはしないが、気付かれた可能性は高い。

 ──まずいな。

 この展開ならば、まずは引き返すのが上総の判断だ。

 だが、時間がない以上、しかたがない。

 上総が青大附中三年生でいる間に、ある程度の形をつけなくてはならない。もう半月もないこの状況。上総はもう一度大股にふたりを追いかけた。


 露骨に尾行していると思われないように、ときおり靴の紐を結び直したりして時間をかせいだ。ようやく前方のふたりも疑いを解いたらしく、ゆったりと林の中に歩いていった。冬場で雪は膝近くまで積もっていた。学校でも冬の間は通行禁止と定められているはずなのだが、どうやら人通りができる程度の雪道はこしらえられているようだ。脇にうずたかく、雪かきした後の山が出来上がっている。木々の葉が雪でまぶされていて、風でときおりはらりと落ちる。

 ──これ以上追いかけると、完全にばれるな。

 上総は足を留めると、そっと側の木の陰に隠れた。万が一見つかったならば、

 ──奥の喫茶店に呼び出されていて用があるんだ。

 そう言い訳するつもりでいた。見え見えだけどしかたない。

 なんとか、片岡ひとりになってほしいのだが。


 遠ざかっていくふたりが、ふと、立ち止まり、一対一で話をしている風に見えた。

 女子の方が指を反対側の道路に指して、何か言っている。

 片岡も頷いている。

 やがて、背の高い女子は雪を跳ね飛ばしながら、向こう側の砂利道に向かって走り出した。

 ──完璧だ。チャンス到来。

 片岡ひとり、取り残された。そのままいきなり道の端にしゃがみこみ、ひとつくしゃみをした。ちらと、上総の方を眺めやった。

 完璧、目が合った。発見された。

 

 ──行くしかない。

「ごめん、少しいいかな」

 かつての評議委員長風の言い方でもって、上総は腰低く片岡に呼びかけた。

「少しだけ、聞きたいことがあるんだけど、いいかな」

 片岡は黙って上総を見つめていた。上総が一歩一歩近づくたびにその視線の意味が読み取れてきた。明らかに片岡は、ぶっこわれそうな眼差しで上総をにらみつけていた。


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