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第三部 8

第三部 8



 合格発表の夜、上総は水鳥中学の関崎に電話をかけた。

 家族でお祝いでもやっているのか、図太い声が受話器の向こうから広がって聞こえた。それを縫うようにして、関崎のはっきり切れのある声が響いた。


 ──立村か。ありがとう。

「でも、英語科か」

 ──だめもとで受けてみただけだ。学校の連中からは奇跡だと言われている。

「二人しか受かってなかったもんな。そうだ、関崎、公立はもう受けないんだろう?」

 ──受けてはいけないのか。すでに願書は出している。

 生真面目な関崎の受け答えに、上総は笑いを噛み殺しつつも、確認すべきことは忘れないようにしていた。

「受けたらまずいということはないだろうけど、試験ってそんなに楽しいか?」

 ──一度きちんと学校に向けて願書を提出した以上、受験生としてきちんと誠意を見せて受ける義務がある。

 ということは、公立入試も受けるということか? やはりこいつ、勉強が趣味なのか?

 上総には信じがたかった。だが、すぐに頭を切り替えた。すべてのコンセントは杉本に繋がっているからだ。絶対に。

「なら、三月六日は、青潟東高校で、受けるってことか」

 ──そういうことになる。私立受かっても公立落ちたら話になんてならないだろう。俺はきちんと、両方合格した後で、入学をどちらにするか決める。

 しゃちほこばった言い方だが、言われてみればその通りである。一度願書を提出した以上は、どんな理由があろうともきちんと答える義務、あるだろう。関崎の真面目な性格を考えればそれも納得だ。

「じゃあ、ひとつだけ聞きたいんだけどさ」

 上総はあとで後悔したのだが、つい聞いてしまった。

「青大附属と青潟東、どちらに入学したいんだ?」

 ──願望か。

「関崎の本心を知りたい」

 ──思い入れだけで言うなら。

 言葉をとぎらせ、関崎は一分近く黙った後、

 ──青大附属だ。

 ぽつりと答えた。

 

 次の朝、E組で顔をあわせた杉本に、上総は一切外部高校入学者発表について触れないでおいた。昨日の段階で全くの無表情だった杉本に、追い討ちをかけるような言葉を発したくなかった。杉本の表情に揺れるものは読み取れない。ただ、あんな目だつところに発表されているのだから、当然関崎の合格に関しては知っているだろうとは思うのだが。

「立村先輩、今日は英語のお勉強ですか」

「そう、卒業式の答辞作り」

 上総はわざと英語を綴ったノートを杉本の目の前でひらめかせた。一緒に入ってきたのは狩野先生だった。三年A組の授業も、数学の授業もお休みなのだろうか。一礼だけしておき、上総は杉本に思いっきり話し掛けた。狩野先生も上総の机に数学のプリントを一セット置いた後黙って自分の席についた。

 黙って座られるとやはり、勉強しなくちゃという気持ちになるのが不思議だ。

 クラスでぎゃあぎゃあみんなが騒いでいる時はあっさりつられるというのに。

「先生、今日はこれをやればいいですか」

 上総は問い掛けた。狩野先生も半分頷こうとして、ふと首を傾げた。

「今、英語の原稿を書いているということでしたが」

「はい、英語の答辞の準備をしようと」

 どうせ原稿は英語科からくるのだからそれを待てばいいとは思う。だけどやはり、よりによって藤沖の原稿待ちというのがいらいらして来て落ち着かない。自分なりにこしらえておくことにしようと決めていた。

「そうでしたか。藤沖くんの原稿はまだですか」

「まだのようです」

 丁寧に答えた。狩野先生は白衣姿でしばらく上総を見つめていた。

「先に原稿がもらえるようだったら、もらってくればいいのではないですか」

「でも、英語科の先生が全訳してくれるらしいです」

 不承不承上総は答えた。

「時間がかかりそうですね」

「そういう決まりになっているようです」

 ひょいと杉本の方を見ると、爪だけ机の上に出すようにして、小首をかしげている。

 相変わらず人をにらみ据えるような眼差しで。

 狩野先生は静かに立ち上がり、膝から何かを払い落とした。白っぽいものが光った。上総の席脇に近づくと、そっと見下ろした。

「立村くん」

「はい」

「藤沖くんから直接もらったらどうでしょうか」

 言葉を失い、リアクションに困る。

 そんなのとっくにお見通しとばかりに、平然と狩野先生も続けた。

「それの方が、もしかしたら早いかもしれませんね」

 狩野先生はさらっときわどいことを告げた後、

「それでは、このプリントをまず解いて、できたら僕を呼んでください。それと杉本さんは」

 また別のプリントを一束、今度は杉本の机に載せた。

「大学入試問題も混じってますので難しいかもしれませんが、できるところまでまずは解いてみてください」

「はい、わかりました」

 抑揚のない一本調子の声で返事をする杉本に、上総は顔をむしょうにそむけたくなった。

 ──いまだに平方四辺形の面積を出す問題解いているところなんて、観られてたまるかよ。


 それからしばらく、杉本とは口を利かず、数学の問題に没頭していた。

 もともと上総に与えられる問題は小学校高学年レベルのものが殆どだったが、最近は少しずつ中学一年レベルのものも混じって来ていた。もっとも狩野先生が「中学一年レベルですが」と注釈をつけるだけであって本当のところはわからない。上総は素直に納得して解いているのだが、たまに答えが合っている時があり、もしかしてこれは狩野先生の陰謀なのではと思ったりもする。解けるわけがない。

 目の前の杉本は、しゃかしゃかとプリントを繰りながら、思いつくままに答えを書き込んでいっている。はたして杉本は大学入試問題をしっかり解いていたりするのだろうか。

 ──集中してるよな。それにしても関崎のこと、知りたくないのかな。


「杉本、あのさ」

「なんですか」

「関崎のこと、聞いた?」

 手が留まったところで上総は声をかけた。まずは様子を伺う。すうっと杉本は顔を挙げた。

「はい」

 単純な一言。

「昨日、電話したんだよな」

「どなたにですか」

「決まってるだろ」

 さて、どう出るか。杉本はしばらく唇を震わせていたが、やがて、

「あの方ですか」

 決まった答えを口にした。

「そうだよ、知りたいか」

「そういう言い方されるのでしたら知りたくありません」

「俺が教えたいんだけどさ」

 上総はもう一度、狩野先生の様子を伺った。幸い、何か書類を読み込んでメモしているらしい。

「それならおっしゃればよろしいのでは」

「関崎、青潟東を受けるらしいよ」

 切り札を出した。初めて杉本が、本気の目で上総を射た。

「それは本当ですか」

「うん、本当だよ。関崎にさ、聞いたんだ。『これで青大附属高校に行くことが決まったけど、どうするんだ』ってさ。そしたら、公立も受けることに決めてるって言っててさ。別にうちの学校に来ると百パーセント決まったわけじゃあないらしいよな」

 半分本当で、半分が嘘。上総は杉本の目が少し揺れたのに気が付いた。

「とにかく公立の合格発表が終わるまではどこの学校に行くかわからないらしいよ。ほら、やはりさ、うちの高校は金がかかるからいろいろ大変だって話していたしな。杉本が生徒会の連中に何言われたか知らないけどさ、関崎は公立へ行くかもしれないってことだよな」

「本当ですか」

 杉本の眼がぎらりと光った。

「ああ、どちらにしても公立入試は受けるって。来月の六日だったか」

「本当なんですね」

「俺が嘘を言うと」

「おっしゃる時もあります。たとえば二年前、評議委員長に私を選びたいとおっしゃった時」

 それでも、噛み付いてはこなかった。上総は無理に否定しなかった。

「ですが、あの方は本当に、公立を受けられるのですね」

「そうだって言ってるだろ」

 ふと、ちくりと突き刺さる、針のような感覚。

「でも、わからないけどな。あとで決めるって話はしてたけどな」

 このあたりはやはり、嘘を言いたくないので付け足しておいた。


 もともと一階、一年廊下沿いということと、若干給食準備室寄りということもあり、あまり人通りが少ない場所でもある。登下校時刻をうまくずらせば、三年連中と顔を合わせずにすむ。実際上総も、直接訪問してくるまでは、羽飛と顔を合わせて会話することがほとんどなかった。

 休み時間、杉本が席を立った間にするすると入り込んできた難波に、上総が手を挙げたその一秒後、ささっと割り込むように貴史がネクタイを思いっきり緩めて登場した。卒業間際、すでに高校は普通科への進学が決定。多少ははめはずしてもOKかな、といった風情だ。逃げられず、上総は窓辺までまずよけた。逃げられるわけもなく、さっさと入ってきて、上総の右脇机に直接腰をおろした。にかっと笑った。

「よ、元気」

「ああ」

 リアクションに悩み、まずはさりげなく答えた。一緒に難波も向かい側の椅子にこしかけ、なぜか膝を組んだ。人差し指と中指を器用に交差し、口に当てた。投げキッスの要領に見えたが難波の性格を鑑みてすぐに気が付いた。これ、キセルふかしたい気分とみた。シャーロック・トシタケ・ホームズ、健在ってところだ。

「あのさあ、立村、いつ帰ってくる?」

「帰る?」

 あくのない笑顔をこしらえたまま、貴史はあっさり直球を投げた。

「美里がうるせえのなんのってな。ああ、お前知らねえか」

 足を組みなおし、また貴史は機嫌よく口を開けた。

「さっきな、天羽がしゃべってたけどな、今日臨時の評議委員会と生徒会役員との話し合いがあるんだとさ。で、お前休んでる間さ、美里が代わりに出ろってうるせえからしかたなく受けちまったんだけどな。俺、評議のことなんか全然わからねえだろ? なあ、難波」

「わかってもわからなくても話の核心がつかめればいいことだ」

 ぶっきらぼうに難波は答えた。相変わらずむっつりしたままだった。上総をちらと一瞥した後、また指先を唇に当てた。気色悪いが、難波にとってはキセル気分なのだ。何も言うことはない。

「どうせたいしたことじゃあねえとは思うんだ。三年も最後だし、女王様集団の生徒会にまあ、最後のご挨拶ってことで集まるんじゃねえかって聞いているけどなあ。だろ、難波」

「なわけねえだろ」

 今度はずいぶんときつい切り返しだった。上総は難波の顔をまじまじと見つめた。おそらく三年評議委員を巡るごたごたに関してキーマンとなるのはこいつだろう。だがもともと、上総とは少し距離を置いている難波に直接聞くのは気が引けた。

 ──どうせ天羽に投票したんだもんな。

 感じないようにしてきたのに、うずく傷。決選投票の記憶。

 表向きはそれなりにごまかしてきたつもりだけど、気付いていないとは思えない。

 上総は素早く傷に吐息のしっぷをした後、できるだけ何気なく言葉をはさんだ。

「何かあったのか、難波」

「天羽から聞いたんだったらわかるだろ」

「聞いたといってもどこまで本当かわからないしさ」

 天羽と轟さんから聞いた話を巻き戻してみると、おそらく評議委員会の生徒会に対する「大政奉還」大詰めってところだろうか。上総が考え天羽が進めた、「評議委員会の権力を生徒会に半分移行させ、バランスよく整えていく」やり方がかなり予想以上の展開を迎えている。それは上総も書記として気づいていた。あえて口を出さなかったのは、そんなのどうだってよくなっていただけのことである。もし自分が評議委員長でいたとしたら、どうしていただろう。ある程度の計画は頭と手帳で立てていたが、それももう過去のことだ。

 難波はしばらく口をもぐもぐさせていた。やがて指先をぴたっと整え、机の上に置いたまま、

「要するにだ。この前のとんでもねえ出来事がきっかけでだ。天羽がつるされてるってわけだ。立村、そのくらいは聞いてないのか」

「聞いてる。でも」

 貴史の前でそんなことしゃべっていいのだろうか。伝えたいが愛嬌たっぷりの貴史を前にして、そんなこと聞けやしない。難波は全く意に介さぬように続けた。

「女子評議はみんな使えない奴ばかり、男子連中もアホばっかり、そんな評議委員会を誰もこれからは全校生徒、信じませんぜよ、とばかりに生徒会長および取り巻き連中が、天羽の過去を暴露しようとしてるわけなんだ。お前そのくらいは想像つくだろ」

「ああ、そうだな」

 貴史の顔を覗き込んだ。目が合った。にかっと笑う。上総も少しだけ、口元をほころばせた。


 ──天羽をつぶす計画だな、これは。

 轟さんがストーブの炎を見つめながら語ってくれた出来事が、とうとう大きく表に出始めているということだろうか。難波がそこまで話している以上、貴史が部外者であろうと聞かれてもかまわないという判断なのだろう。割り切った。上総は窓辺に寄りかかったままさらに質問を続けた。

「例の事件と生徒会と、どういう関係があるんだ」

「つまり、天羽はな、今まで西月とのごたごたでもって男としての株を落としてるわけだ。俺は全くそう思わんが、女子連中の間では終わってるわけだ」

「でも、どうせ卒業なんだからそれまではさ」

「お前わかってるだろ。前期評議委員長やってるくせに、なに寝ぼけたこと言ってる」

 わかっているからあえてつっこまない。

「つまり、西月の行動が天羽のせいだってことで、生徒会連中はたっぷりいやみを言いまくろうとしてるってわけだ。しかもな、今回はな、評議以外にもな、元生徒会の三年連中も登場する。もっとむかつくことに、希望者の一、二年も覗きにくる」

「希望者ってなんだ?」

「希望者とはつまり」

 言葉を切った。難波は上総に親指を向けると、

「来年以降の生徒会参加希望者とも言う。すでに現在の生徒会は来年に向けて人材集めしてるってとこだ。まあ俺たちがやってきたことを、これから生徒会がお株奪ったってとこだ」

 ──なるほどね。

 上総は頷いた。そうだ。本来ならば、それが上総の目的としていたことだった。

 生徒会があまりにも行き当たりばったりの人員集めばかりしていて、なよなよしすぎているから、早い段階で声をかけたりして人材を集め、その上で層を厚くし、さらに一年にその熱を伝えていく。これこそ賢いやり方だと思う。本来ならばそれを新井林にも伝えたいところだったが、もうそのあたりについて上総は触れることもないだろう。

 難波の話はさらに続く。


「要するにだ。俺たちの恥さらしを全部、生徒会役員連中は他の連中にアピールしたいってわけだっての。まあ俺たちはかまわん。お前の言う通り、四月からはサヨナラだ。だがな、評議委員会ってのが今まで言われていたのと違っていかに使えねえところなのかってことがばればれになると、もう、今までのようなのりではやれねえよな」

「今までののりったって、それはしょうがないだろうし、でも新井林が」

「さあな。お前はもう投げた奴だからどうでもいいんだろうな」

 かちんとくる。握りこぶしをこしらえるだけでこらえた。

 難波はさらに挑発してくる。

「しかも生徒会は女子連中ばっかりだ。頭の悪いどっかのばか女子とは違って、あいつらは頭が働きすぎる。天羽もめいっぱい防戦してるがぎりぎりってとこだ」

「天羽もかなわないほどってことはないだろう」 

 難波はしばらく上総をじっとにらみつけ、今度は人差し指をかじった。そのまま指で机を叩いた。

「どれだけ俺たちが正論を吐こうとも、あいつらは女子連中を味方につけてるわけだ。今までは評議委員会ががしっと真中押さえていたから多少ばたばたしようともなんとかなったがな。今は先生連中も、全校生徒のみなさまも、評議委員会がやってきたことの八十パーセントを取り上げて、全部生徒会の手柄にしようと決めてるわけだ。特に俺たち三年世代のばかっぷりをみりゃあ、誰もがそう思うよな」

「難波、お前、何が言いたい」

 だんだん上総も、難波のいやみったらしい言い方に腹が立ってきた。

 目の前にもし、貴史がいなければ声を荒げているところだ。もしや、上総を黙らせるためにあえて、部外者の貴史を連れてきたなんてことはないだろうか。

「立村、よくわからねえけどよ」

 あいかわらず貴史は脳天気に言葉をはさむ。

「とりあえず難波や美里が言うには、俺もそのなんだ、臨時の評議委員会に参加しなくてはならないんだとさ。冗談じゃねえよな。けど、しゃあないよな。お前が出ないんだからな。代行をださねばなんないってことでな」

 ──それか。

 上総はすっと、貴史と向かい合った。

「代行じゃないよ。俺が思うに、羽飛、お前が三年D組の評議にふさわしい」

 今まで、こういう形ではっきり口にしたことはなかった。

 心に思っても、かっとなって叫んだりしたことはあっても。

 顔をしかめる貴史に、上総は首を振った。

「秋から実際そうだろ。羽飛のおかげで、今、三年D組、まとまってるだろ」

「立村、何考えてるんだ?」

 顔に貼り付けたままの笑顔がさくっと消えた。険しくなる貴史の表情を、しっかり見つめ、上総は窓辺から離れた。かっとなったらまた、この前のように一発食らわされるだろう。痛い思いするのはもうごめんだ。

「だから、本来の役割として出ていくべきだと思う」

「それって逃げじゃねえのか?」

 意外にも貴史は腰を浮かさず、そのまま落ち着いて声をかけてきた。この前いきなり激昂した時の貴史とは大違いだ。いったい何があったのか、思わず上総は思いを巡らせた。

「三年間、立村を評議として選んだのは、悪いけど俺たち三年D組一同だと思うんだよなあ」

 こうやって落ち着いて話をしてくれれば、上総もそれなりに言い返せる。

「羽飛が俺を推薦したからだろ。推薦されたら受けるしかないだろ。受けたら自動的に三年間持ち上がるのが、今までの評議委員会のシステムだったんだから、仕方ない。だからだよ、難波」

 こちらは完全ににらみっぱなしの難波へのメッセージを。

「そういう間違いを正すために俺は評議委員会から生徒会への『大政奉還』をたくらんだ、って言ったら、怒るか?」

 返事はなかった。教室には三人のみ。杉本梨南はまだ戻ってこない。さっさと片付けよう。

「本来評議委員になるべき人間がなれなくて、なるべきじゃない俺が三年間いついてしまった。それが根本的な間違いだったと思うんだ。難波もそれは、そう思うだろ」

 ──思っているに決まっている。

 ──決選投票の時の行動がすべて物語ってるよな。

 上総はじっと難波を見据えた。嘘はつかせない。

「思わない」

 一秒か二秒置いて、少しかすれた声が返ってきた。いつも聞いている難波の声とは少し違い、どすが利きすぎているような気がした。

 ──声変わりもう終わってるんだ。

「立村がどう考えようが俺の知ったことじゃねえ。だがな」

 立ち上がり、貴史へちらと視線を流した。困ったように貴史も首をひねっている。

 ──いつもなら噛み付いてくるはずなのに。

 どことなく、ふたりの間に流れる空気が重たい。

「本来あるべき姿とか言ったって、そんなの知るか。俺が知ってるのは、この三年間の評議委員会だぞ。それ以上の何物でもない」

 振り返ると貴史も真剣な顔して頷いている。

「同期の野郎面子は俺と天羽、更科、それと立村、お前だ。それ以上何か変わったこと、あるのか? それ以外のバージョンなんて、想像する必要、いまさらあるか?」

 難波はもう一度、唇をとがらせるようにして、キセルをふかせるポーズを取り、足を元に戻した。ゆっくりと立ち上がり、貴史にも「じゃあ、そんなとこで」と声をかけた。

「とにかく、放課後、評議委員会と生徒会の臨時会議がある。場所は三Aだ。とにかく来い」

 言い残し、難波はそそくさと教室から飛び出した。同時にチャイムが鳴り、貴史も仕方なさげに立ち上がった。一歩、上総に近づき、穏やかな目で見つめた、

「とりあえず、俺もあのなんだ、そのなんとかに出るから、お前も来い。難波言いたかったの要はそれだけみたいだぞ」

「お前もか」

「まあそういうとこ、じゃな」

 張り倒された直前の眼差しとは全く違っていた。背を向けたまま戸を開け放ち、貴史は片手を振った。

 ──何を言いたかったんだろう?


 しばらく上総は席についたまま、ぼんやりと天井を見上げていた。蛍光灯の光が相変わらず真っ白で、目が少しだけ重くなる。

 杉本はまだ戻ってこなかった。

 生徒会とのかかわりがいろいろ面倒だとは聞いていたけれども、天羽が評議委員長である以上簡単にひねることができたのではと思っていた。実際上総を相手にする時よりは、きちんとした態度だったと聞いている。しかし、なぜ評議委員長をわざわざ呼び出し、そんなにはっきりと「大政奉還」を急ぐのか、このあたりが上総には解せなかった。

 いや、わからないわけではない。

 たぶん、急いでいるからなのだろう。

 早く、評議委員会を「ただの学級委員会」として扱うために。

 だから生徒会も、早めに天羽の古傷をあばいたり、三年たちの醜聞を明らかにしようとしたりするのだろう。賢いやり方だ。本当に佐賀はるみがそのことを計画したのか、それとも裏に水鳥中学の佐川が糸を引いているのか、それはわからないが。

 ──けど、それを止める義務も、俺にはない。

 間違って評議委員になってしまい、最後まで上総が完走したために崩壊した、現在三年評議委員会。かろうじて天羽や新井林によって形は保たれている。でもそれだけだ。上総のまずいてでもってやらかしたよしなは消えることなどないだろう。何よりも現在の菱本学級・D組を本来ひっぱるべき羽飛・清坂ラインに切り替えられなかったのは、「評議委員会」が部活化された組織だからだ。

 同じ過ちを、犯してはならない。

 上総は左手にボールペンを持ち、ノートにぐるぐると円を描いた。

 

 いきなり評議委員会にひっぱりこまれる貴史には悪いが、今さら上総が混じっても何がどうなるとも思えない。もともと生徒会の連中は上総を最初から見下しているし、いまさら平の評議委員となった上総にそれほどの関心もないだろう。あえていえば杉本梨南の保護者として立ち回っている立村先輩、くらいの認識だろうか。最近は血迷って騒ぎを起こしてばかりいる、典型的おばか三年評議の代表とでも思われているだろう。

 だが、天羽は違う。

 もともと天羽は、評議委員長になるべき存在だった。結城先輩の頃から目をかけられていて、本条先輩が上総をひいきさえしなければスムーズに委員長指名が行われていたはずなのだ。そこに割り込んだのが上総である。そのあたりの事情もすでに、周囲の噂は流れているだろう。先輩へのすれ違い時にする礼の数も天羽に比べると上総は断然少ない。

 絶対、評議委員長としての格は天羽の方が上だ。

 もし上総が評議委員長の段階で生徒会長たちが引き摺り下ろそうとしたとしても、実は対してインパクトがなかったのではないだろうか。もともと力のない評議委員長なのだし、たとえ降ろされてもそれがどうしたで終わってしまう。生徒会長はたまたま、出来そこないの評議委員長と当たったから余裕で勝ったのであって、もし本気でまっとうな人間がぶつかってきたらどうなるかわからない。そう思われている可能性は高い。

 だが、天羽だったら?

 ──天羽は倒しがいのある評議委員長だ。俺なんかを蹴落とすよりも、ずっとインパクトをあたえられる。もしも、あいつがやらかしたいろんなことを暴露されたとしたら、俺が引き落とされるよりも、ずっと評議委員会の転落ぶりを見せ付けられるというわけだ。

 轟さんが心配していたのは、そのあたりだろうか?


 ──そこを狙っているのか、佐川は。


 本当なら、「佐賀生徒会長は」と続けなくてはならないところだけど、上総はあえて「佐川」の名前を重ねた。

 ──もし、天羽が西月さんをこっぴどく振って、その恨みでもって追いかけてきて、それで大事件に繋がったのだ、ってことになったら。たぶん天羽はずたずたに切り裂かれたまま卒業するはめになるよな。けど、もしもだ。

 もしも、そうでなかったとしたら? 

 杉本の言い分を信じて、轟さんの推理を裏付けられたとしたら?

 もしも、西月さんの行動した理由が天羽と関係なかったとしたらどうなる? 

 もしも、杉本に対して生徒会の女子たちがしたことが本当だとしたら?

 上総は書きかけの英語答辞用原稿を一度閉じた。一案が浮かんだ。


 ──放課後、藤沖に答辞原稿をもらってこよう。三年A組に、あいつ来るよな。

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