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第二部 2

第二部 2



「てなわけで、今年からなくなったってわけなんだが、まあこれはしょうがないってとこか。二年もあれだけ顔ぶれ変わっちまったら、ビデオ演劇部作っての意思統一なんぞできるわけねもんなあ」

 三学期最初の評議委員会終了後、天羽は三年男子全員を呼び集め、そのまま雪の積もる中庭へと誘った。一月に入ってから一気に振り出したどか雪は、いつのまにか中庭の椅子代わりとなっていた大理石をもつつみ、かろうじて足で踏み固めた道だけが一本、続いていた。その道をつたって反対側の廊下へと出ることもある。昼休み、一年生たちが雪合戦をしていたこともあったが、運悪く窓ガラスを割ってしまった奴がいたためにそれも厳禁となってしまった。もう雪合戦なんてする歳ではない三年生たちには、関係のないことだった。

「それは仕方ないだろ」

 難波は天羽の背に呼びかけるようにし、思いっきり空に向かって伸びをした。

「要するにあれは結城先輩と本条先輩の趣味だったんだからな」

「ごもっとも。心残りなのはホームズ、お前のくせに」

「なんだと?」

 気色ばむ難波を「まあまあ」となだめるのは三番目に続く更科だ。あいかわらずのほわほわした髪の毛をそのまんまにして、

「こんなんだったら去年、『奇岩城』なんかじゃなくてさ、そのものずばり、『名探偵ホームズ』やってやればよかったのにな、そうすりゃ、ホームズの念願叶ったのに」

「うるせえ」

 今日の難波はかなりいらだっていた。しっぽの方についていく上総は三人三様の挙動を見守りながら、自分の呼吸する白い息を消すように心がけた。黒いコートを深く襟立てて着込んだまま、口元を袖口で抑えた。

「しっかし寒いぞ、こんなところでやることもねえだろが」

「寒いからこそ、秘密が洩れないだって、な、そうだろ、立村?」

 呼びかけられて上総は立ち止まった。忘れていたかのように難波、更科が振り返りじっと見据える。天羽が続ける。

「ほら、この前コピーさせてもらったノートに書いてただろ。露骨に一部屋占拠して話をしていると壁に耳あり障子に目ありだもんだから秘密もばれやすい。なら、こういうオープンな中庭で、めったに人の来たがらないとこを選ぶべし、ってな。さっすがじゃん」

「本条先輩がそう言ったのを書いただけだよ」

 それだけ答え、上総は三人から目をそらした。


 雪の積もった大理石からそれぞれ払いのけ、コート、ジャンバーを羽織ったまま四人まずはまとまって座った。一年廊下側の窓はしっかり締まっている。空は青く、かすかにまた雪が降りかかってくる程度。まだ暮れてはいない冬陽の加減、少しくらいだったら座っていても大丈夫そうだった。天羽がそれぞれに、使い捨てカイロを配り、自らそれをもみしだいた。

「ま、とりあえずはってとこで、だがな」

 上総をちらりと見た後、天羽は立ったまま三人を見渡した。

「とうとう俺たちの時間もあと二ヶ月ってことなんだけどな、飛ぶ鳥跡を濁さずっていうだろ。どうせ毎年三年はこの時期、なんもしないですむってわけだし、あとは可愛い後輩たちにすべてを任せてご隠居生活、ってのがいいんでないかと思うんだが、どうだろうか」

「ご隠居ったって天羽、お前それで本当にいいのか?」

 発したのは難波だった。上総は黙ったまま、天羽の目を見つめるだけだった。

「三学期のメインイベントはもう一つあるだろう。水鳥中学との交流会。あれで次期の引継ぎをするんだろ? お前がそれは仕切らないとまずいだろうが」

「ああ、あれは立村にやってもらうから俺はお役ごめん、な?」

 目で問い掛けられ、そのこてこてした笑顔に上総も頷いた。

 前からその約束はしていたから。ただ、難波、更科にはその話をまだしていなかったかもしれない。

「おいそれは変じゃねえのか? だってそうだろうが。立村が交流関係全部やってたからったって、現委員長は天羽、お前だぞ? 二年連中も新井林はバスケ部のなんだかんだで忙しいから使い物にならねえし、生徒会との引継ぎもこれから進めなくちゃなんねえし、結局、天羽が先頭に立たないとまずいじゃないのか? そうだろ、立村」

 めがねの奥から鋭くにらみ据える視線。こちらにも上総は頷いた。声は出さない。

「まあまあ、けどさ、それだったらトドさんに頼むってのも手だよ。立村とトドさんのふたりにその辺を仕切ってもらってさ。新井林にもその交流会にだけは顔出してもらってさ。ほら、そうだろ、生徒会も新井林とセットだったらそれほどうるさく言わないだろうしさ」

 更科がまた、間を取るようにしてにっこり三人に笑いかける。相変わらずふんわりした髪の毛がくるくる揺れる。天然パーマで入学時から登録しているので、規律委員の服装点検にもひっかからないときた。

「ここだけの話、あいつら、うまく行ってるのか? 天羽、その辺どうなんだ?」 

 声を潜めて難波が尋ねた。天羽にも、また上総にもそれぞれ視線を投げて。 

 もちろん「あいつら」とは新井林と佐賀はるみのことである。

 次期評議委員長と、現生徒会長のカップル。中学三年に進級すれば同じ立場となるが、現在のところは新井林次期評議委員長の方が分が悪い。

「なんとも言いがたいところだが、人の色恋に口を突っ込むのは野暮ってもんよ」

「噂話なんかどうでもいい。あのふたりが険悪なまま別れたりなんぞしたらどうするんだ。今のところはかろうじて、天羽の顔でもって生徒会側に圧力かけてるようなもんだが、これから先関係が悪化していたとしたら大変だぞ」

「うん、まあ、大変だな。けど、それは俺たちが卒業してからどんぱちやればいいことであって、俺たちには関係ねえよな、な?」

 天羽は繰り返し上総に、「な?」と視線を投げてくる。

 ──自分たちで話つければいいのに。

 言い返せずに、上総はただ、静かに頷くだけだった。


 ──あれが天羽なりの気遣いなんだ。

 よくよくそれはわかっているつもりだった。

 秋の評議委員長決戦選挙で二十対四の圧倒的大差をつけられて蹴落とされた自分を、天羽は自分なりに思いやりつつ、これ以上上総が奈落の底に落ちていかぬよう心にかけてくれていることを。

 そうでもしなければ、おそらく上総はもっと下の下扱いで息を殺さねばならなかっただろう。たかが評議委員長の交代といえども、もともと再選が当然という認識がなされていた以上、周囲の衝撃は相当なものだったはずだ。次の日、クラスの連中から向けられた哀れみの視線を始め、女子たちの陰口が一層聞き取りやすいものになった他、すれ違う下級生たちが礼を一切しなくなったことなど、見た目にもすべてが変わってしまったという現実。上総が評議委員長という立場から離れる日々を重ねるごとに、その状況はますます広がっていった。

 だからこそ、後期評議委員長として、天羽は責任を感じていたのだろう。

 ──これ以上、前期評議委員長をないがしろにするわけにはいかない。

 と。肩に落ちる雪がすぐに溶けていくのを、上総はじっと眺めていた。


「いいか、この機会に言っておきたいことがあるんだが」

 次に立ち上がったのは難波だった。おそらく座っていた石で尻が冷たくなったに違いない。

「天羽ももう少し、自分のやりたいようにやればいいんじゃないのか」

「やりたいようにって、ああた、俺はもうそりゃ、好き勝手にやらしていただいてまさあ」

「どこがだ、いったい」

 難波は吐き捨てるように呟き、次に上総をちろっと見た。

 あの評議委員長選挙以来、難波との間には、口に出しづらい何かが横たわっていた。もともとそれは隠されていたものかもしれないが、上総が評議委員長という肩書を持っていた頃には表に出てこないものだった。

「どうせあと一学期しかないんだ。天羽の言う通り、あとは二年に任せて安楽椅子探偵を気取るというのも一つの手だとは思う。だが、俺の見る限り、天羽はずっとやりたいことを抑えて人の顔色ばっかり見てるような気がするんだ。そうだな、人っていうよりもだ、立村ひとりのな」

 更科が「ちょっとそりゃ言い過ぎだってホームズ」と抑えようと腕を引っ張る。

 天羽は聞いているのかいないのかわからないような顔でそっぽを向き口笛を吹いている。

 何かを言わねばならないとはわかっていても、言葉が出ないままの上総はもう一度口を袖口で拭った。難波は少しにらみつけるように上総を見据えたまま、天羽の前に立ちはだかった。

「お、どうしたよ、難波ホームズよ」

「俺の眼が節穴とでも思ったか」

 息を殺して上総は背中をちらりと眺めた。

「まず天羽、お前、秋の段階でなぜ、副委員長、書記のポストを復活させた?」

「ありゃあ、そりゃま、俺ひとりでやれるわけねえだろってことで」

 ──やはり見抜かれていたのか。

 呼吸をするにもその権利すらないように思えた。難波はまた上総に目を向けすぐに逸らした。

「副委員長を新井林にしたのはそりゃ納得だ。次期委員長だしな。あと書記がトドさんってのもまあまあ納得だ。俺からしたら副に置いた方がベストだとは思ったがその辺もあまり突っ込まないでおく。だがなんでだ? なんで立村を書記に置く必要があったんだ?」

「ホームズ、そりゃわかってるだろ。やっぱり元委員長のご意見は重要だし」

 更科の言葉をさっと断ち切る難波。上総を見はしなかった。天羽は知らん振りして降る雪と戯れている。いらただしげに難波は片足踏み鳴らした。

「俺は別に、ポスト復活に対して異議を唱えているわけじゃない。だがなんで、立村を無理やり書記に置く必要があったんだ? なによりも書記ふたりも置く必要、あるのか?」

 ──それはそうだ。本来なら轟さんひとりで十分だ。

 自覚していた。なによりも下級生たちが同じ意見をしょっちゅう口にしているのを上総は聞き知っていた。

「じゃあなんで早い段階でお前、異議唱えなかったわけ? なんで今更?」

「簡単だろ。立村が哀れだからだろ。見え見えなことしてるなとは思ったがな」

 難波は上総の方を一切振り返らずに言葉を連ねた。

「俺もあの評議委員長決戦投票には責任があるからな。天羽の気持ちもそりゃそうだろうとは思っていた。だが、天羽、あの票差を見たのか。二十対四ときた、あの差の開きをお前、もっと重大なものとしてどうして受け取れないんだ? お前は後期評議委員長としてやるべきことを、お前の力でやり遂げる義務があるんじゃないのか? 足元のことを気遣うばっかりじゃあなくてな」

 ──足元の邪魔な存在か。

 さらに息を殺す。上総は袖口で覆ったくちびるを、強くかみ締めた。


「ホームズよ、お前勘違いもいいとこだぞ」

 天羽はしばらくジャンバーのポケットに手を突っ込んだまま、空を見上げていた。そのまま目をあわさずに続けた。

「あのな、立村を書記に置いたってのはな、やっぱりこいつの文字って読みやすいってとこと、元評議委員長の頭脳をこちらで拝借したいと、そういうとこもあるわけ。だって考えてみろよ、俺みたいにいきなりぼーっとしてるまにああいうことになっちまった奴がだぜ、いきなりひとりでやっています、って燃え上がったって誰もついてきやしないだろ? それに例の生徒会への『大政奉還』だってそうだ。ずっと立村がひとりでやってきたことを、いきなり俺が引き継ぐったって無理だろ? 幸いな、立村がそういうこと全部やってくれたし、俺になんの恨みもなく協力してくれたんだからさ、それは感謝、感謝なんだけどなあ」

「お前どこまでそれ本気で言ってる?」

 難波に天羽の言葉は説得力なかったらしい。全く動揺することなく立ちはだかったままだった。

「天羽、去年お前がやり遂げたこと、自分で数えてみろよ。まず例の『大政奉還』についてだが、仮に生徒会相手の折衝を立村がやったとしたら、おそらく一発でつぶされてただろうな。相手はあの佐賀会長だし、後ろには二年女子がしっかりついてるし、さらにあのキリオまでいると来た。評議委員会に対して、これほど強力な敵はいないぞ。特に立村は女子たちにとことん嫌われている存在だ。一部の女子を除外してだがな」

 ここで息を次ぎ、難波は上総の様子を伺った。

 伺われたほうの上総は視線を逸らすに留めた。

「あのままだったらおそらく、生徒会に今年の交流会をすべて仕切られる形になっちまっただろうな。元生徒会長・藤沖からも立村は恐れるに足らずと判断されている現実を天羽、お前はよっくわかっているはずだ」

 ──全くその通りだな。

 元生徒会長・藤沖勲が、上総のように心根の汚い人間を心から軽蔑していることを、よく知っていた。四月以降英語科で一緒のクラスになるだろうが、たぶんあいつのことだ、一切無視するだろう。考えると気持ちが重い。

「だが、天羽、お前はそこで佐賀たちにうまく圧力をかけて、青大附属中学評議委員会として交流会最後の参加を勝ち取ったってわけだ。しかも代表は立村に任せるって格好でだ。天羽の目的はそれだったんだろ? 可哀想な立村に、せめてもの花を持たせてやりたいってな」

「かわいそう」という言葉を力込めて言い切った難波。天羽も否定せず、そのまますっとぼけた顔して空を見上げていた。

 さすがに上総も一発ぶん殴ってやりたい本能がうずいた。 

 できないのは、言い返す言葉を持っていないからだった。


 難波の言う通り、天羽が評議委員長就任後最初に手をつけたのは、

「評議委員会のポストを再構成する」

 ことだった。顧問教師も反対せず、むしろひとりに権力が集中するのを避けた方がいいという判断を下した。ただし、天羽はこの点においてのみ、自分の選びたい奴を選ばせてほしいと頼んだようだ。上総もそれは確認していない。そうでなければこんな、

「副会長に新井林、書記に三年ふたり」

なんて、イレギュラーなやり方を通せるわけがない。

「本来仕切るべきは立村、お前なんだ。今回こんなことになっちまったけどさ、やっぱり、お前の力がないとやっていけねえよ」

 とかなんとか言って、事後承諾を求められた際、どうしてきっぱり断らなかったのだろうか。難波の罵声を耳にするたび、周囲のひそひそ声が紛れ込んでくるたび、悔いる。

 ──あの時きっぱりと断っていればよかったんだ。

 もっともその後、上総の出番は殆どなく、天羽がさりげなく「な、立村、こんな感じで悪かあねえか?」と確認してくるたびに頷くだけですんだ。誰一人上総に関心を持たなくなり、いつのまにか天羽を中心とした輪が評議委員会の中で出来上がっていた。上総はただ、ノートを取ることに専念するだけだった。


「立村、いいかげん答えろよ」

 しばらく沈黙が続いた。難波の言葉に納得しているのか、それとも知らん顔しているのか。もともと難波の性格を知っているから、嵐が過ぎ去るのを待っているだけなのか。きっとけんか仲間の霧島さんと過ごす時間が限られているから、あせりを誰かかしらにぶつけずにはいられないのだろう、と天羽はぼそっと呟いていたっけ。でも自分にそれを堅い雪球のごとく総攻撃されてもたまったものではない。

「答えることはないよ。その通りなんだからさ」

「じゃあなんでお前、今の仕事に全力尽くさない?」

 天羽にはのらりくらりと交わされるのがおち、とみたのだろう。難波は上総の前に立ちはだかった。目をそらそうとしたら「おい、こっち見ろよ」と無理やり肩を揺さぶられた。

「書記の仕事はきちんとしているつもりだけど」

「俺が言ってるのはそういうことじゃねえ!」

 思いっきり頭をはたかれた。痛いのかあたたかいのかわからない感覚だった。

「俺が言いたいのはだ。なんでお前、三年D組の評議委員としての任務を果たそうとしねえのかってことだ!」

「やってるよ。そのくらいは」

 天羽と更科がふたり、顔を見合わせている。が、驚きの様子ではなく頷き合っているところみると、難波の烈火に納得はしているのだろう。勝手にしろと言いたい。

「いいか、お前、評議委員長は落とされたかもしれない。けどな、三年D組の評議委員であることは辞めたわけじゃねえだろ? なんでお前、仕事を全部、羽飛に押し付けてるんだ?」

 ──押し付けてるわけじゃない、向こうが勝手に。

 答えようとしたのに難波はさえぎった。一方的すぎた。

「いいか立村、清坂と羽飛がいいコンビだってのはよくわかる。この前菱本先生の子どもが生まれた時もそうだしな。どんどん企画立ててったの、あいつらなんだろ。だからあいつらが進めていけばお前、やることないってのはわからないでもない。けどな、あまりにもお前、手、抜き過ぎてるんじゃねえのか?」

「抜いてないよ」

「嘘つけ!」

 難波は足元の雪を拾い上げ、上総の頬に軽くぶつけた。さらさらと落ちてすぐ溶けた。

「あのな、お前はそれでいいかもしれないし、三年D組の連中もそれで満足してるかもしれないよな。前から言ってただろ。羽飛の方が上だから、自分は目立たない方がいいとかな。それも俺は納得するさ。ああ、羽飛の方がクラスをまとめる上ではベストだろうってな」

 決して手を緩めようとしない難波に、どうして噛み付けないのだろう。

 不思議なほど、気力が萎えている。

「だが、現段階で評議はお前なんだ。たかが評議委員長から落とされたくらいでいじけてるんじゃねえよ。委員会ではノート取って天羽に任せてりゃそれでいいが、クラスでは違うだろ! もっと堂々としろよ堂々と! ったくどいつもこいつも!」

 もう一度、難波は上総の肩をはたくと背を向けた。

 また沈黙。空がだんだん重たい白みを帯びてきた。雪が降りそうな気配だった。靴の裏からは冷えがじんわりとよじ登って来ていた。

「立村、お前、言いたいことあるだろ、言っちまえ。他に誰もいねえから」

 とぼけた口調でゆっくりと割って入ったのは天羽だった。難波の肩をぽんぽん叩き、自分の石に座らせると、今度は天羽自身が上総の前にしゃがみこんだ。更科も難波の隣にしっかり陣取り、こちらを見ていた。


「たいしたことじゃないよ。ただ、俺が居ない方がみなうまくいってるから、こちらは何もしないだけだって」

「お前が居ない方いいって誰もいってねえだろうが!」

 また荒れる難波を、「ちょいと黙ってれ」と片手で抑えるポーズをする天羽。上総の方を見上げてもう一度、「そっか、続けろ」と促す。

「生徒会とのことだってそうだろ。俺がもし直接生徒会の人たちと話をしていたら、たぶんトラブルになっていたと思うし、難波の言った通り今年の交流会に評議委員会は参加できなかったと思う。天羽がその点、うまく話し合いに持っていったからだよ」

 たぶん上総が自分で言いたいことをぶつけようとしていたら、あの佐賀はるみを始め、副会長の霧島弟、および書記の渋谷名美子、さらにその影に潜む「品山小学校出身」の後輩・風見百合子が攻撃してくるだろう。現に今、一、二年の女子評議たちは上総のことを心底軽蔑しているのがよく伝わってくる。その理由が密かに伝えられた上総の過去であること、その噂の根源は風見らしいということ、それが全くの嘘でない以上否定はできないということ。

 女子を味方につけられない以上、女性上位の生徒会と対等な話ができるとは思えない。

 もちろん、元評議委員であり次期評議委員長の恋人でもある佐賀はるみは頭ごなしに却下するとは思えないにしても、上総にとって一番のアキレス腱が杉本梨南であることを知られている以上、身動きは取れない。「梨南ちゃんのためにこうしてあげてるんです」の一言で上総の行動は封じられる。その言葉は殆どの場合、間違っていないから。

 そこまで口にすることはできない。上総は別の形で答えることにした。

「天羽の場合、俺と違って生徒会に借りなんてないだろ。ただ、ひたすら評議と生徒会との対等な立場を守るってことだけで十分なんだ。佐賀さんとも、他の生徒会役員たちとも個人的なトラブルはないし、純粋に今後の評議委員会と生徒会について話し合いができるはずだ。だから天羽が立ったのは、正解なんだ」

「そんなこと聞いてねえだろ!」

 言ったのはそっちのくせに、と言い返したいのを上総はこらえた。難波の言いたいことが上総にはよくわからない。

「それに、クラスについても同じことだよ。一年の頃から、本来評議委員になるべきは羽飛だって声が大勢を占めてたんだ。俺もそう思っていた。たまたま本条先輩にひっぱってもらえたのと、羽飛がうまく周囲を抑えてくれたからこそ、俺は今日まで評議委員でいられたわけであって、クラスの人望はみんな、もう羽飛のものなんだ。だから」

「だからさぼっていいってわけじゃねえだろ!」

「さぼってないよ。向こうがどんどん片付けてくれるんだ。俺が口出さなくても、いつのまにか羽飛と清坂氏のふたりが予定を組んで、連絡網を回して、飾り付けなんかをしたりして。俺がそのあたりの報告をもらう段階で、もう形が出来ているんだよ。それに手を出す必要も全然ないし、ならそれでいいんじゃないの、って感じで終わるんだ」

 これもその通りのことだった。美里とはあの後、ほとんど口を利いていない。向こうから一方的に報告されたり指示を出されたりするだけだ。一応、ロングクラスルームの司会だけはするけれども、大抵美里と打ち合わせたらしい羽飛が挙手をして、

「ってなわけで、菱本先生のベイビーをお祝いする歌を歌うぜ! おら、みんな立て!」

 一気にクラス全員盛り上げるべく気合を入れる。上総だけはまた、煙の外に立ったまま眺めるだけなのだが、残り全員は気持ちよさそうに歌い気持ちも舞い踊っている様子が伺いしれた。こんなことは、自分が仕切っている頃にはほとんどありえないことだった。時々美里がこちらを振り返る視線を感じるが、それはすでに無視することにしていた。

 ──いいよ、羽飛と清坂氏に任せておくからさ。

 この一言で大抵は事足りる。菱本先生も最近は上総よりも羽飛に、クラスの一件について声をかけることが多いようだった。それもよし。今の自分がお飾りであっても、特に問題はない。

「俺がいなくてもいいっていうのは、見捨てたわけじゃないんだ」

 これだけは誤解を解いておいたほうがいいだろう。上総は難波に向かい、声を張り上げた。

「つまりさ、俺がやるよりも、やりたいことがどんどん丸く収まっていくから、そうしたほうがいいって思っているだけなんだ。ほら、評議委員会だってそうだし、クラスだってそうだし、新井林だってそうだろ」

 今度は天羽の吐息交じりの返事が返ってきた。

「お前もずいぶん、苦労したんだってことがよっくわかった。あんまりうるせえから、俺一発張ったおしてやって、やっと黙らせたんだがな」

「ほら、そういうことだよ」

 上総はそれ以上言わなかった。

 ──張り倒すなんて、そんなことができないから、俺は今までうまくいかなかったんだ。

 実際、新井林はすでに、天羽に対して一切口答えをせず、言われるままに仕事をこなしている。上総に対して先輩相手とは思えない態度をかましていたのとは正反対だった。どこかで何かがあったのだろうとにらんではいたのだが、手を出したのか。それで簡単に黙らせることができたのか。上総は絶対にやってはいけないこととして封じていたのだが、天羽にはそんな気持ちさらさらなかったらしい。

 新井林を抑えることができれば、生徒会がらみの折衝もだいぶ楽になったことだろう。

 佐賀会長を新井林に抑えさせる方向に向かわせるだけですむのだから。

 ──天羽忠文・後期評議委員長。その手腕見事なり。

 大粒の雪が降り注いできた。まだ何か文句を言いたげな難波を、更科が、

「さあさあホームズ、帰るよ。ちょっと俺、キリコ姐さんに用事があるからE組寄るけど、お前も来る?」

などと見え見えの誘いをかけている。難波も、

「あの女も救いようのねえ馬鹿だ、ったく」

 とかなんとか言いながら、素早く立ち上がり雪道を駆け出すように走っていった。挨拶など一言もなかった。


 取り残されたのは上総と天羽だけだった。

「難波も相変わらずなあ、キリコ姐さんに相手にされてねえから、いらついてるだけだって。その点、わかってくんろ、立村ちゃん」

 まだ座ったままの上総に語りかけた。

「あと三ヶ月もねえだろ、難波の奴どうしたらいいかわからねえんだよ。見てりゃわかる。このまま霧島に嫌われたまんまで終わるか、それとも敗者復活があるか、ってとこなんだがなあ。難しいとこ。ま、その辺は更科もよっくわかってるようで、なんとか愛のキューピットやろうとしてるわけなんだが、なかなかねえ」

「そんなことしなくたっていいだろ。人には好みがあるんだからさ」

「そうっさなあ」

 天羽はゆっくり周囲を見渡した。後ろ側の一年廊下沿い窓を眺め、人気がないのを確認した後、

「お前、そんなに嫌だったら、書記から降りるか?」

 にこっと顔を緩めて尋ねてきた。

 言葉が次げなかった。

 天羽は上総の顔をそのままにこやかに眺めた後、こっくり頷き、

「じゃあ、三学期もどうかよろしゅうたのんまっせ! 頼りにしてまっせ、立村ちゃん!」

 両肩を交互にぽんぽん叩いた後、難波たちとは反対側の出口へと駆けていった。

 

 雪が灰色に染まりそうな空に、上総は問い掛けた。

──どうして、降りるって答えられなかったんだろう。

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