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第一部 12

第一部 12


 生徒会役員選挙立会演説会は、生徒会長候補・佐賀はるみの華舞台で幕を下ろした。すでに信任投票という「全校生徒へのお披露目」的要素の強いイベントとはいえ、今まで一介の女子評議委員だった佐賀はるみが、いかに凛としたつぼみをたたえた女子であるかを知らしめる、ひとつのきっかけとなったのは確かだった。

 ──誰もが自分自身でいることができるように、そして自分自身に価値があるということをみんなで伝えられるような、そんな学校生活を私はサポートする立場に立ちたいと思い、このたび立候補しました。

 言葉の端々にほとばしる、まっすぐな生命。

 ──私は小学校時代ずっと、自分はひとりで何もできない人間だとずっと思い込んできました。誰かに助けてもらわないと何一つ満足に出来ず、困った時は泣いてばかりいたそんな小学生でした。でも、青大附中に入学して以来、私の中で何かが変わりました。

 その原因の一端が、杉本梨南にあることを、一部の生徒・教師たちは知っているだろう。槍で貫いているのだろうか、それとも気付かぬふりをして目と耳をふさいでいるのだろうか。二年B組の一列にかろうじて混じっている杉本の姿を上総は、全身に広がる神経でもって感じようとした。

 ──私には、何かができるということを知りました。今まで何もできなかったのは、自分にその力がなくて押さえつけられていると思い込んでいただけだったのです。私には、同じように自分に価値がないと思い込んでいる人たちを助ける力があるんじゃないか、って思うようになったのです。

 杉本梨南は気が付いているだろうか。目を閉じているだろうか。

 佐賀はるみの持つ能力を求めていたのが、杉本自身だったということを。

 一週間、杉本に拒絶されたままの日々が続いていた。せめて佐賀はるみ、新井林健吾と同じ価値が上総自身にあれば。上総はもう一度目を閉じ、見えない腕を煙のように伸ばし、杉本の姿を探ろうとした。

 もっとも、信任投票・出来レースの生徒会役員選挙に関心を持つ層は生徒の中ではそれほど多いとは思えなかった。実際大多数の生徒たちにとっては毎度おなじみの一コマに過ぎない。生徒会も委員会も部活動も、かかわっている生徒以外にはただの「時間の束」に過ぎないだろう。

 評議委員長としての上総はそれを憂い、やがて肩書をなくするはずの自分は、そういうものとただ頷く。

「立村くん、だから大丈夫だからね!」 

 投票が終り教室に戻るすれ違いざま、美里が耳元にささやきすれ違っていった。この一週間、美里とも最低限の話しかしていない。返事をする間もなく貴史、こずえとかたまり何かの話で盛り上がっている様子だった。あとから奈良岡彰子、水口要も混じりひそひそ話に燃えている。

 ──何が大丈夫だっていうんだろう。

 煙のように伸びていた、杉本梨南を求める見えない腕。

 上総にまきついているのは、美里と貴史、ふたりから伸びている見えない腕。

 煙はやがて消えるだろう。上総はひとり、自分の席についた。


 開票作業は即日行われ、土曜の段階で当選発表が行われた。生徒会長・佐賀はるみ以下、みな全員がとりたてて論議をかもし出すことなくあっさりと信任された。クラスに立候補者がいる場合はいろいろとその場の空気が変わるようだが、全く関係のない三年生たちには影響がほとんどなかった。昨年、藤沖が会長に当選した時は、当時の評議委員長・本条先輩が上総に一言、

「いいか、藤沖はああ見えて、なかなかのがんこもんだ。あいつとはトラブルおこすんじゃねえぞ。新井林ほどじゃねえが、正々堂々がモットーらしいしな」

注意してくれたことを覚えていた。本条先輩はさすがである。将来、上総が足を取られてしまった場面を透視してくれたのだろうか。本来だったら上総も本条先輩と同じように、次期評議委員長となるはずの新井林に、

「佐賀さんは新井林が思っている以上にずば抜けた能力の持ち主だ。お前のつきあい相手だからといって甘く見るんじゃない。それと、水鳥中学との交流会の時は気をつけたほうがいい。絶対に側から離すな」

 くらい言ってやってもいいのだろう。余計なお世話か。今の上総にはくちばしをはさむ権利すらないだろう。


 正式に佐賀生徒会長体制が決定した次の週の月曜五時間目、各クラスでは後期委員の選出が行われることになっていた。その後自動的に六時間目が臨時委員会の招集、その場でまたそれぞれの委員会ごとに集まって顔合わせとなる予定だった。

 これもいつもの流れでいけば、全員前期と同じメンバーの再選で片がつく。

 ただし、人間関係のいざこざ……たとえばA組の天羽と西月さんの場合など……や明らかに適任でない場合、また転校などでポストが空いた場合などでそれなりに選出のしなおしを行うこともある。その場合、大抵は評議委員が前もって事情を収集しておき、あらかじめ根回しをクラス内で行い、いざ本番の選出時にはそしらぬ顔してあっさり決定、というのが筋だった。いきなりその場で、担任を交えてもめるということは、上総の経験上まったくなかった。別に委員がみな信頼されているから、というわけではない。単に生徒たちがみな、めんどうくさがりなだけだろう。だがしかし。

 ──今回は別だろうな。

 鐘が鳴り、時刻ちょうどに菱本先生が現れた。毎年恒例の状況をよくわかっていてか、

「じゃあ、評議にまかす、さ、はじめろや」

 教室隅のパイプ椅子に大また広げて座った。美里が「はい、じゃ、はじめます」と元気良く答え、貴史とこずえ、そして奈良岡彰子にそれぞれ一回ずつ頷いた。上総の方を一瞥して、

「じゃ、やろっか」 

 あっさりと声を掛け、

「それでは、本日は後期委員選出です」

 さっさと議題を言い放った。

 上総は教壇の上にあがり、黒板に「後期委員選出」と書き込んだ。

 最初のうちは緑色だった黒板が、だんだん白っぽくなっていき、チョークもだんだん丸っこくなってきている。机も白木のつややかさが失せ、いつのまにか落書き、彫り込み、金属部分のさびなどが目立ってきているのに気が付いた。

「ええっと、今日はこれから、後期委員を選出するんですけど、ちょっと菱本先生いいですか?」

 「評議・規律・音楽・体育」……それぞれの委員を書き込んでいると美里がいきなり、菱本先生に質問を投げかけた。めずらしい。大抵の場合、担任を煩わせることなく議題をどんどん進められるかどうかが、評議の腕とされている。美里もそれを誇りとしているはずだ。少しチョークの音をききっと鳴らしたくなった。

「おお、どうしたんだ? 清坂」

 なんだかこの二週間ほどやたらとねむそうな目で、菱本先生が答えた。

 事情通の連中によれば「きっと毎日、結婚式の準備で死にそうなのよ」とか。

 上総も振り返って美里の様子をうかがおうとした。全く視線を合わせようとせず、美里はまっすぐ菱本先生に向いたまま、

「あのう、後期の委員についてなんですけど。もうあと半年しかいないですし、たぶんこの状態だと新しく立候補する人もいないんじゃないかなって思うんです。だから、ここで立候補者だけ募ってみて、いなかったらそれで全員再選ってことでどうでしょうか」

 背中を上総に向けたままだった。

 ──大丈夫って、このことかよ。

 指が震えた。チョークを小さく、ひとかけらこぼした。

「いやあ、でもなあ。清坂。最後の半年だから、悔いのないように新しい委員へチャレンジしたいって奴も、いるかもしれないぞ。最初から決め付けるのは、やっぱりよくないぞ」

 たしなめられ、美里がふいっと唇を尖らせた。

「じゃあ、聞いて見ます。それからでいいですか」

「まずはみんなにだな、立候補したい奴、いつもどおり聞いてみろ」

「わかりました」

 菱本先生は、美里の返事にふむふむ頷いた後、黒板に向かっている上総の方へ、

「立村、お前、立候補者を募る時ぐらい、前を向け」

 びしりと厳しい言葉を投げた。聞こえない振りして無視してやろうか。

「立村、もう一度言う、ちゃんと前を見ろ」

「はい」

 どうせもう、これが最後だろう。上総は黒板の際まで離れると、改めて教壇からクラスメートたちを見下ろした。

 

 波打つ黒い頭の群れ、その中の視線を受け止めるのが怖い。

 決してこの一週間ほど、トラブルが起こったわけではなかった。

 あの台風上陸の日、上総が梨南と生徒会役員を相手に立ち回った茶番劇は、あっという間に全校生徒および教職員に広まった。三年D組の男子たちは対して難しい態度を取るでもなかったのだが、女子たちはやはり想像通りだった。一部の女子……美里とこずえ……を除き、すれ違うごとに「あの馬鹿評議委員長、女子を見下してるなんて最低!」「美里の彼氏のくせに、下級生に手を出そうとしてるんだよ。それもきっといやらしい目的なんだよ!」とか「あいつ人を闇討ちした挙句、怖くなって逃げ出した最低野郎なんだよ」とか。それぞれの言葉はしばしに、その意味を見つけることが多くなった。どこまで真実でどこまで嘘か、言い訳しようとは思わない。いくら自分の感じたことを伝えたとしても、「それはあんたが勝手に感じているだけ、感じてない人間が悪いように言う権利、あんたにはない!」とあっさり切り捨てられるだけだろう。それに、一番簡単な断罪の場がここにある。

 杉浦加奈子の見つめる、力の篭った眼差し。

 その他の女子たちが上総を見るたびゆがめる口元。

 

「じゃあ、この中で、立候補したい人、いますか? いたらすぐに手を挙げてください! いませんか、いませんね!」

 美里が例の「!」構文でもって、強い口調で確認を繰り返した。

 ──あれ、清坂氏、いつもだったら各委員ごとに聞くものじゃないのか?

 上総が仕切っている時はいつもそうしていた。今は美里が全く打ち合わせないままにどんどん好きなように動かしていっている。しかも、誰も文句ひとつ言わせぬスピードでだ。

「少し急ぎすぎじゃないのか」

 さすがに見かねて耳元にささやこうとしたが、今度は美里の方が髪の先で勢い良く上総をぶった。

「では、居ないようですので、今回三年D組の委員は全員、再選ということになります。異議有る人、いませんね!」

 またも「!」だ。菱本先生もこれはやはりまずいと思ったのか、

「おいおい、誰か真剣に手を挙げ損ねて悩んでいるのがいるかもしれないぞ。清坂、何そんなに慌ててるんだ?」

 ──そうだ、この点に関してのみ、あいつは正しい。

 上総も頷いた。同時にすさまじい形相で美里は上総をにらみつけた。

 目と口が裂けそうなほど、きりきりと釣り上がっている。

 ──うちの母さんより怖い。

 踏み出した足が動かなくなるくらいだった。その隙をついて美里は、そそくさと「後期委員選出」と書いた文字の上に、赤いチョークで花丸を描いた。

「それでは、今日の本当の議題なんですが、時間がないんでさっさといきますね。それでは貴史、こずえ、彰子ちゃん、準備OK?」

 まさにはや回しテープレコーダー全開。上総が口をはさむ間もなく、いち早く立ち上がった貴史が、どすのきいた声で、

「三年D組一同、全員起立!」

 なんと、号令をかけた。今まで号令をかけるのは、上総と美里、評議委員だけのはずだった。今まで一度もさっさっと全員足並みそろえて立ち上がるなんてこと、なかったのに。

 ──みんな、軍隊みたいにびしっと決まってるのはなぜなんだ?

 しんと静まりかえり、菱本先生があっけにとられて腰を椅子から浮かせているのだけが間抜けだった。上総はチョークを握り締めたままぼんやりとその状況を見つめていた。隣の美里だけが満足げに、「貴史、男前!」などと呟いているのが聞こえた。

「おまえら、どうした? いきなりなんだ、このびしっと決まった姿はなんだ?」

 驚いてはいるが怒ってはいない。またいつものかくし芸とでも思ったのか。

 菱本先生が貴史に声をかけた。他の生徒たちもみな、一部の男子を除いて貴史の方に顔を向けている。いつのまにか何か準備をしていたらしく、奈良岡彰子がスカートの腰周りくらいある紙袋を机の上にとんと出し、こずえと一緒になにやら取り出した。果物屋でお見舞いの御遣物にするような緑の籠に小さなマスコット人形がこんもりとつめこまれていた。添えられたビニール袋には手のひら判のクッキーがぎっしり。ピンクと青のリボンが柄に蝶結びであしらわれていた。

 美里はさっそくふたりに近づき、貴史にも一緒に持つように頷いて合図をし、柄に手をかけた。

「菱本先生、ご結婚とおめでた、おめでとうございます! これ、三年D組一同からの、びっくりプレゼントです! ってことで」

 上総の方を一切見ずに、本来の議題をもう一度言い放った。

「これからの時間は、菱本先生へのお祝いインタビューと、三年D組一同からの色紙贈呈です! みんな、ちゃんと描いてね!」

 打ち合わせていたのか、それともちゃんと準備が終わっていたのか。

 こずえが一枚、色紙らしきものを取り出し、うやうやしく菱本先生へ差し出した。黙っていればいいものを、やっぱりここは下ネタ女王の誇りあってか、

「先生、あんまり腰動かしてぎっくり腰になったらだめだよ。いい?」

「お前なあ……」

 さて、あきれはてているのか、露骨にむかついているのか、どちらか。

 ──俺は関係ないもんな。

 あの色紙の存在自体、上総は知らなかった。差し出されてもお祝いの言葉なんて書く気もなかった。しかしなんでだろう。ずいぶん手回しが早いではないか。違和感があった。他の連中はどうなのだろう? 見渡してみたが、意外にもみな、納得顔で頷いている。いつのまにかこずえが貴史の隣にひっついて、「なっかなか、やるじゃんねえ」とか仲良しなところを見せ付けている。

「お前ら、なんだかなあ、驚かせるなよなあ」

 不意に、菱本先生がうつむいた。両手で受け取った小さなマスコット人形を摘み上げると、

「よく作ったよなあ。こんなたくさん」

 くぐもった声で話し掛けた。

「これ、クラスの女子たちが一人一体ずつこしらえたんです。女の子ばっかり集まっちゃったけど、男の子でも別にお人形さん、いいよね、ちっちゃいうちは。あと、このクッキー、彰子ちゃんが今朝、焼いてくれたのをそのまま持ってきたんです。彰子ちゃんのクッキーは有名なんですよ、先生。彼女と一緒に、仲良く召し上がってくださいね! 両思いがずうっと続きますよ、ねえ、そうだよね!」

 美里は他の起立した連中に同意を求めた。取り立てて返事はなかったが、どこからかばちばち拍手が聞こえ、それにあわせてみなが一斉に声を張り上げだした。

「よおっ! 菱本っちゃん、男出したな、さっすが俺らの担任じゃん!」

「彼女泣かせるんじゃないよ!」

「これで年貢の納め時! 浮気するんじゃねえぞ!」

 ──ほんとにこれ、しゃれにならないんじゃないか、やめたほういいんじゃないか。

 左の横腹がなぜかちくちく痛む。胃だろうか。上総は手で抑えた。我慢できないほどではない。教壇から降り、一歩、もう一歩教室の扉まで寄った。美里たちがまだ喋りつづけている。

「もう堅苦しいことはやめやめ! ね、みんな、彰子ちゃんの持ってきてくれたクッキー食べようよ、ね。先生、今日だけは、飲食物持込禁止なんて野暮なこと、言わないでよね!」

「お前ら、なんだよ、おい」

 怒るんじゃないか、いや怒ってくれたほうがすっきりする。

 上総がじっと、窓際の教師お祝い劇を見つめていた時、突然菱本先生の体が前に揺れた。同時に、顔を一気に覆い、

「ありがとな、みんな、こんな俺についてきてくれてな」

 しゅうっと一瞬だけ空気が白い煙に包まれた風に見えた。

 ──泣いてるのかよ。

 ひとりだけ煙幕から離れている上総。

 菱本先生が美里と貴史、その他の3D男子連中に取り囲まれて、肩を抱かれて号泣しているのを、どこか別世界の物語として眺めていた。女子たち数人がいきなりワーグナーの「結婚行進曲」をアカペラで歌いだした時、オペラを愛した音程の取れない女子の顔を思い出した。また胃がちくちくと痛んだ。


 感動の一時間はあっという間に過ぎ、帰りの会も適当に片がついた。掃除もクラス全員で行うことであっという間に終り、委員会に参加する奴は教室を急ぎ足で飛び出していった。

「立村くん、さ、早く、三Aに行こうよ」

「清坂氏、あれってなんだったんだ」

 自分が評議委員に再選されたことを喜ぶ余裕なんてない。ついていけず戸惑うだけだった。ただわけのわからぬ煙幕のようなものをすっきりさせたい。上総は美里がすたすた三年A組の教室へ歩いていくのを追いかけた。

「ああ、たいしたことないわよ。菱本先生の結婚お祝いを繰り上げただけ」

 さっきのテンション高い声とは大違いの、冷たげな口調で美里は答えた。上総の顔を横目でちらりと覗いて、

「貴史もこずえも彰子ちゃんも、賛成してくれたからよ。立村くん、自分の思い込みが間違ってたこと、あれでわかったでしょ」

「どういうことだよ」

 けんかを売る気なんだろうか。声がとげとげしくなるのを感じる。抑えた。そんな感情ぶつけていい人ではない。杉本相手の二の舞になってはいけない。

 美里はA組教室の前までくると、また猛烈な早口で上総に向かい、

「どうせみんな、今更面倒な委員改選なんてやりたいと思ってないし、おとといの段階でみんな、早く菱本先生のお祝いやっちゃいたいって言ってたしね。だからさっさと片付けたのよ。たいしたことじゃないわよ」

「だからって、でも、めずらしくあの男も正論言ってただろ? もし立候補したい奴がいたらって」

「あのね、立村くん。よく考えてよ。みんなあと半年しかこのクラス、存在しないのよ。だったらいいじゃない。面倒なことさっさと終わらせて、無事に半年過ごせばいいじゃない。どうせ立村くん、高校に進んだら私たちと別の教室に行くんだから。あ、こずえは一緒なんだよね。でも、大嫌いな私の顔なんて、見ないでいいもんね」

 無表情無感情。唇を一本の糸のように結んだ。

「嫌いじゃないよ、そういうんじゃなくてって、この前話しただろ?」

「だったら、普通の友だちらしくしてればいいじゃないの。別に結婚式するわけじゃないんだもの。みんなどうでもいいって思ってるよ、私と立村くんが付き合ってることだって、そんなのどうだっていことよ。だったら、無理に付き合いやめたとかわけのわかんないこと言う必要ないじゃない。もともと、私たち、友だちとしてつきあってるんだから」

「え?」

 言われた意味がすぐに飲み込めず、上総が立ち止まった時だった。


「立村さん」

 完全に声変わりした、男の声。「さん」付けして呼んでくる後輩はひとりしかいない。

 振り返ると、浅黒い顔で眼光鋭い奴がひとり、待っていた。

「新井林か」

「無事、だったんですか」

 答えの返し方に戸惑う上総をじっと見つめ、新井林は美里へ一礼するとA組の教室へ入っていった。美里もこっくんと頷き返した。

「さっきはあれでうまくいったけど、いい、立村くん」

 新井林に向けたやわらかな表情とは一転して、上総には一瞬の隙ももう与えない、そんな眼差しだった。

「絶対に、私は立村くんを評議委員長にするから。何があってもパニックなんか起こさないで」

「清坂氏、何度も言ってるけど、俺はもう評議委員長になることなんかどうでもいいんだって」

「黙って。今日はもう、あんたと口利く気ないから、いうとおりにして」

 さらなる上総の問いを振り切り、美里は三年評議委員の座る窓際四番目の席についた。


 天羽が、難波が、更科がそれぞれ上総に視線を投げた。言葉は交わさなかった。

 二年の男子評議たちが軽く一礼をしつつ、聞こえないようにひそひそ話をしていた。

 二年女子評議たちはいかにも首をかくっと落とした程度にあごで会釈をし、はっきり聞こえる声で「これから選挙になるんだよねえ」などとさえずりはじめた。

 一年男子・女子たちは声を潜めようにもうまいぐあいに低くならず、

「いやあ、どうする選挙になっちまったら」

「まじかよ。記録残るのかよ」

 「選挙」という言葉が何度も飛び交っていた。

 ──清坂氏の努力には、感謝する。しなくちゃいけないんだ。けどさ。

 中央列、二番目の席に座り、無言で呼吸を整えているのは新井林健吾だった。隣の席に座っている、見知らぬ女子はおそらく佐賀はるみの跡継ぎという形になるのだろう。同じことは三年C組、上総の斜め前に座っているロングヘアーのさらさら女子にも言えることだろう。名前は聞いたがどういう人なのかは全く見当がつかない。あとで更科に聞いてみよう。

 ──聞く必要もないだろ。俺がすべての評議委員の性格を知る必要、もうないんだからさ。

「少し黙らせるか」

 振り返り、難波が更科に声をかける。天羽が聞きつけて首を振る。

「とにかく終わるまで待とうや、難波のホームズよ」

「そうだね、まずは」

 更科が何かを言いかけたのを、天羽が平手打ちの真似して制した。

「更科、とにかく黙ってろよ」

「もちろんだよ。な、ホームズ」

 難波は何も言わず、ちらっと上総の方に顔を向けようとし、すぐに元へ戻した。

 ──やっぱり、あいつらもわかっているんだ。

 台風の日から一週間が経つ。

 天羽には約束した通り、自分のしでかしたことだけを説明しただけだ。それ以上何も問われなかった。轟さんになじられるかと思ったが全くそれはなかった。難波、更科の取り調べにはあえて「悪い、俺の責任だ」とだけ答えた。これからどうなるか、評議委員長としての進退、および新井林健吾との一騎打ち、それも口にはしなかった。

 

 建前上は、自動的に立村評議委員長再選が決まるはずだ。恒例で行けばの話だが。

 しかし、今回は状況が異なっている。佐賀はるみが生徒会長に就任し、もともと相性の悪い立村評議委員長とぶつかったらどうなるのか。また、あの台風時事件でもって知られた立村評議委員長の人間性および、藤沖元生徒会長からはっきり断罪されたこと。暴力事件……と思われているふしがある……を隠し、本来だったら入ってはいけない青大附中に入学してしまったこと。

 すべて逆風に吹いているこの現実。

 美里が機転を利かせて、考える間もなく三年D組の評議委員に選出されるべく持っていってもらったのはありがたいこと。でも、ここにはすでに本来評価されるべき人間・新井林健吾がいる。先輩後輩関係なく、人間性としても、リーダーとしても、上総よりはるかに上の二年生がいる。それに本来、公立では後期の委員長を選ぶ際、二年生が担当することになるのが常だという。生徒会と連動させるのが自然といえば自然だろう。

 佐賀生徒会長の恋人、新井林健吾がサポートのためあえて評議委員長に就任する。

 ──自然な流れじゃないか。あとは立候補するかしないかだ。

 新井林は筋を通した。上総もそれにきちんと答える義務がある。戦前逃亡だけはどんなことがあってもしてはなるまい。どんなに足がすくんでも、自分のあるべきすがたに戻るのみだ。

 ──俺と新井林の一騎打ちで、すべて答えが出る。 

 「それでは、本日の評議委員会を始めます」

 後期最初の評議委員会。立村上総の最後のご奉公は、次期評議委員長選出だ。


 後期評議委員の名前をひとりひとりチェックした後、上総は「評議委員長」とだけ一行黒板に書き込んだ。評議委員会の場合、三年前から委員長以外の選出を行わず、権力を一点集中という形にしている。他の委員会も本条先輩の無言意志によって、なんとなくそういう形になっているようだった。そのため副委員長、および書記は選ばない。

 書き終え、振り返ったとたん、教室の空気が真四角に凍りついたような気がした。

 煙ではなく、氷の教室。

 ──ここに評議委員長として立つのも、最後なんだ。

 斜め奥に美里が、固い表情で上総を見守っている。

 ──清坂氏、申し訳ない。

 二年B組の女子評議が座っている席に自然と目がいった。やはり知らない女子だった。本来ここに座るはずの女子がもうひとりいたことを、上総はまた思い出した。

「これから評議委員長選出を行います。立候補したい人は挙手をお願いします」

 心臓ががたがた言うのは、それでもまだ未練があるせいか。新井林と目が合った。一年の頃の激しい憎しみめいた色はなく、むしろ穏やかなものを感じたのは気のせいだろうか。ゆっくりと、重々しく右手を挙げた。

「次期評議委員長に立候補します」

 一年評議の並ぶ列で、ざわめきが起きた。よく見ると評議委員の半数が入れ替わっている。たぶん状況を把握できていなかったのだろう。二年評議も女子たちはまた後ろを見てささやき合っているし、二年男子もまた同様。三年列だけが硬くこわばったまま、静けさを保っていた。唯一ゆるゆると頬杖ついているのは三年A組女子評議・近江さんだけだった。

「新井林、お前、立候補するのか?」

 一番驚いているのは、おそらく側のパイプ椅子で足を組んで眺めていた顧問の先生だろう。生徒たちが影で動き終えたものしか、今までは見せてこなかったけれども、今回はとうとう大人の前で一騎打ちをお見せすることになるわけだ。評議委員会の裏を大人に見せるのは悔しいがしかたあるまい。上総は新井林に静かに答えた。

「それでは二年B組の新井林くんが立候補となります。他に」

 ──いなければ、三年D組の僕こと立村が立候補します。

 そう続くはずだった。

 三年男子最前列の机が派手に鳴った。挙手もなく立ち上がった。隣の近江さんが頬杖をかくっと崩し、そいつを見据えた。

「しゃあねえ、敵は本能寺ってことで」

 天羽の呟きを拾い上げたまま、上総は手にしたチョークを再び握り締めていた。

「悪い、立村、三年A組、天羽忠文。本日、後期評議委員長として立候補させていただきます! 書き込んどいてほしいんだけど、そこんところ、よろしく!」

 ──天羽!


 評議委員ほぼ全員のどよめきが、膨れあがると同時に、新井林が教壇の前を大またに通り過ぎ、天羽に立ちはだかった。

「天羽さん、どういうことですか、いったい何考えて」

「悪いな、俺もやっぱし、男としての野心ってもんがあったんでさ」

 あいかわらずひょうひょうとした態度で、天羽は頭を掻きながら交わし、

「おいおい、立村、お前も立候補するんだろ? 名前、早く書けよ。さっさと投票やろうぜ。それからってことで。あ、そうか、候補者は開票準備できないんだよな。もう投票用紙準備できてるだろ、トドさん」

「あいよ」

 あっさりと轟さんが返事をし、八つ切りのわら半紙を前列に配っていった。ということはすでにこれも予定に組み込まれていたということか。思考がついていかない。後ろの美里は唇をかちっと結んだまま無表情で用紙を受け取っている。

「近江ちゃん、俺はやっぱり嵐を呼ぶ男なんだよなあ、ここんところに惚れなおしてくれりゃんせ」

「……なぜ?」

 近江さんの驚愕した顔を見たのは、これが初めてだった。上総はただぽかんと周囲の動揺ぶりを見つめたまま立ち尽くすだけだった。肩に手を置かれた。難波のめがね面だった。

「とにかく、席につけ。何も言うな」

 更科が上総からチョークを受け取り、

「じゃあさ、これからまず三人のうちから選んでもらうってことで、どう? で、上位二人を選んで、あと決戦投票ってのは」

「わかった。それなら私、もう十枚くらいわら半紙用意してきます。先生、いいですか?」

 轟さんがてきぱきと準備を進めていく中、上総はぼんやりと男子三年評議最奥の列に座った。見上げると難波と更科がふたりで話し合っているのが見えた。ここの場所から見上げたことは、今思えば三年になってから一度もなかったはずだ。隣の美里の様子は、何も言わずただ歯を食いしばっているようにしか見えなかった。

 

 ──新井林健吾

 ──天羽忠文

 ──立村上総


 予備投票の用紙が回ってきた。天羽が手を伸ばして届けてくれた。

 上総はしばらく迷い、新井林の名前を書きこみ四つ折りにし、難波に渡した。

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