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第一部 1

第一部 1



 三人分のサイダーを用意し、上総は自室へ戻った。お客様用だし、もちろん盆に載せて持っていく。おつまみは必要ない。わざわざ手土産として持ってきてくれたお菓子がある。さっそく開こう。

 上総が準備するまでもなく、すでに客人二人は包装紙を引きちぎり、さっさと菓子箱を取り出していた。大ぶりの菓子箱から、見た感じ打ち上げ花火っぽい筒型のものが、ひとつひとつ取り出されてゆく。もちろん室内で花火をあげるような物騒なことをするわけがない。

「うちのじいちゃんの弟子やってるおばちゃんが持ってきたのをくすねてきたってわけ、さ、早く食うぞ食うぞ、立村」

 上総は手元に「花火筒」に似たものを手に取ってみた。手首に程よい重みがかかる。「青潟名産棒羊羹」とある。

「なんだ、羊羹か」

「そうよ。ほら、この糸を使って真中から絞るように切るときれいに食べられるよ」

 轟さんがたこ糸の両端を持ち、手をばってんにして説明してくれた。

「なんで轟さんたこ糸なんて持ってるわけ?」

「箱の中に入ってたんだけど、なんだろうなって思ってね。ほら、説明書もある」

すでに天羽は直接包み紙をはいでむしゃぶって

運んできたサイダーをすぐに口へ含み、「ふああ」と息を吐いた。

「いやあ、さっぱり。どう、トドさんも一杯どうっすか」

「少しずつ楽しむのもおつまみぽくて乙なものよ」

 隣で、さっき説明してくれた通り羊羹に糸を巻き付け、コイン型クッキーよろしく皿に盛りつけている轟さん。秋には目立ちすぎる原色黄色のウインドブレーカー姿の天羽と比較して、轟さんの格好は黒のトレーナーにブラックジーンズ、部屋の中でもかぶりっぱなしの野球帽。あまりにも地味だった。

 上総から見て、ふたりとも九月下旬の季節感を取り入れた格好には見えなかった。

 天羽と轟さん、ふたりの格好を見比べて思わずため息をついた。

 鋭い轟さんに勘付かれたらしい。ちらと上総の方を見やると、

「立村くん、うちでもそういう格好してるんだ」

 さっそく突っ込まれた。しかたない、答える。

「好みだからかな」

上総もしゃれた格好をしているつもりなんてない。薄茶のシャツ一枚だと風がすり抜けて寒いから上に濃い茶のベストを羽織っただけだ。ジーンズやTシャツはもともと苦手だから、似た色のものを合わせただけのことだ。ついでだ、轟さんに質問してみよう。

「轟さんどうして帽子、脱がないの」

困った風に轟さんが帽子のつばに手をやった。目まで隠した。

 ちらと頷いて代わりに説明してくれたのは天羽だった。

「ほら、評議連中と俺の部屋で会議することあるだろ。めったに俺の部屋覗きにくる奴いねえけど、野郎の部屋に女子がいるってことがばれると、ほら、面倒だろが、いろいろと」

評議委員長である上総に内緒で会議をしていたわけか。

 上総は丸のまんま、筒型の羊羹を手に取りはがそうとした。天羽のようにかぶりつきたかった。なのに、剥げない。見かねたのか轟さんが手を伸ばし、

「やるよ、立村くん、貸して」

 上総の持っている羊羹を黙ってひったくり、同じように切り分けた。

「立村くん、食べれば」

「あ、どうもありがとう」

 見事五等分、きれいに切り分けてくれた。お上品に一つずつかみしめた。

「つまりね、男子に変装した方が便利なのよ。髪の毛だって見せないほうが、無難だしね」

──言われてみれば。

女子としては「不細工」のパーツ・二枚歯も、深海魚っぽい目も、男子用の「部品」として捉えれば、やんちゃ坊主っぽく見えるだけ。見ていて自然と落ち着く。

「まず確認したいんだけどさ」

グラスが空の天羽に、もう一本サイダーを開けてやった。

「学校では死んでも話せない話って、いったい、何」

「知ってるのはあと更科と難波だけだろ」

「今の話だと俺以外の三年評議みんな知っていそうだけど」

「ほらまたすねるんじゃねえよ。ほんと立村、お前さあ」

「ガキだと言いたいんだろ、勝手にしろよ」

本当は思い切り怒鳴りつけてみたいところだけど、天羽がしゅんとする気配なんて感じられない。あきらめた。

 本条先輩がいる頃から自分に貼られているレッテルは今更ながら「ガキ」のみだ。


 学校祭も終り、前期評議委員会の主だった行事も一段落した。一番の懸案事項だった球技大会もなんとか片付き、なんとか後期に向けてうまくシフトしていけそうな状況にさしかかっていた。今のところ「評議委員長」としての立村上総を否定されることはほとんどなかった。もちろん裏では上総なりにいろいろと悩むこともある。落ち込むことだってあるのだが。

 上総は窓を少しだけ開けた。土曜の昼下がり、まだ気温もあたたかく、庭の花も夏っぽい匂いを残して咲いていた。あと一ヶ月くらい経つと菊が一杯に咲き誇り、父がうんざりしながら園芸鋏を片手にちょきちょきやっている姿が見られるだろう。


「ところでさ、立村」

 サイダーのおかわりを満足して口に持っていく天羽。なんだか日本酒飲んでいるみたいだった。テーブルに肘をつけてつんつんと指でグラスを叩き、上総に注意を促した。

「最近、清坂ちゃんとデート、してるのか」

「それ、私も聞きたい!」

 ──いったい何考えてるんだか。

 サイダーを一口だけ飲み込み、さっぱり答えた。

「今日は近江さんと一緒に、どこか喫茶店で話をするとか言っていたな」

 「近江さん」のところ、目一杯アクセントをつけてやった。

 多大なる犠牲を払って得た、天羽にとって最愛の彼女の苗字である。

 勘よく轟さんは、包まれたままの筒型羊羹で天羽をつついた。

 にやにやしつつも天羽は赤くならなかった。これは意外。

「しゃあねえってとこよな。寄席だったら喜んでついて行けるけどな。お嬢さまチックなお茶会なんて、がさつな俺にはなあ」

「まあまあ、落ち込まないでって」

 上総はさっき轟さんが切ってくれたコイン型羊羹を口の中に放り込んだ。

「立村くん、女子の状況とか、美里から聞いたりしないの」

「しない。最近はD組もいろいろとあってさ」

「ああ、菱本先生祝ご婚約、って奴ですなあ」

 あえてそのことについては触れたくなかった。どうせ月曜になってからいろいろと、美里や貴史たちと話し合わねばならない議題なんだから。いやなことはぎりぎりまで忘れていたい。無意識ながらも本音が覗く。

 轟さんのグラスが半分空になってきていた。上総は目で合図したうえで、しずしずと注いだ。水の白い泡がゆっくりとよじ登っていき、かすかな発泡音が響いた。この音を聞いている時だけはなぜか、口を利かないでいる。わずかな空白の合間、上総は言葉を整理した。

「ところで繰り返すようだけど、本日の本題だ。そろそろよいか?」


 何も今日、土曜放課後、品山くんだりまで自転車で来てもらったのは、羊羹を食い合って与太話に燃えるためではなかった。今週の委員会が終わった後、天羽に、

「立村、悪いが外部シャットアウトされた場所で、ひとつ相談したいことがあるんだがな」

 持ち掛けられたのがきっかけだった。

 いつもだったら空いている教室か、大学学食、もしくは近所のスーパーに備え付けられている空きベンチを利用するのが常だった。それでいいんじゃないかと尋ねると、

「外にばれたらしゃれにならねえからさ。評議委員会男子部と女子部の極秘報告会ってことで、どっかいい場所ねえか? 金使わないで、人気がなくて、安全なとこってな」

 となると喫茶店、学校内は没だ。一番よしと判断したのが、上総の部屋だった。

 

「まず、第一の議題な」

 天羽はぽぽんと指先でテーブルを叩いた。あぐらをかいた。

「霧島キリコの進学先が最終決定したというニュース、聞いてるか?」

「やはり、可南女子高校にか」

「ああ、正式な合格発表はまだ先だけどな、学校側でいろいろ手を回して合格確約を取り付けたらしい」

 三Cの女子評議委員、霧島さんが成績不振につき、来春青潟大学附属高校への進学を断念し、他の私立女子高校へと進む。修学旅行前後から噂されていたことだった。上総も天羽からその話を、修学旅行の二日目夜に聞かせてもらった。 

 轟さんも頷いた。女子の問題ははやはり女子から聞きたい。促した。

「どうやらね、夏休み前から、先生や親はどんどん話を煮詰めていたらしいけど、ゆいちゃん本人に伝えたのはおとといあたりみたい」

「よく隠せたよな。本当に霧島さん、昨日まで気付かなかったのか」

 上総からするとそちらの方がずっと謎だ。頷き、轟さんは続けた。

「昨日ね、ゆいちゃんが職員室で先生に泣きながら訴えてるところ見ちゃったのよ。お願いだから青大附属にいさせてほしいって。その後先生がゆいちゃんを、たぶん生徒相談室だと思うんだけど連れていって、それきり。今日ゆいちゃん学校休んでたよ」

「知らなかったな」

 このふたりがなぜそんな裏事情を知り尽くしているのか、そちらもまた不思議だ。

「それだけの騒ぎになったということは、もうC組の人や主だった人たちはみな知っているってことだな」

「ゆいちゃんは絶対そんなことない、って信じてて、先週の実力テストもものすごい勢いで勉強していたわよ。まあ、結果はいつもの指定席だけど」

「今の段階で合格が決まるって早くないか。俺たちだって、青大附高の推薦が決定するのは、十一月だろ」

 いくら青大附中がエレベーター式進学のため受験戦争からほぼ解放されているといってもだ。高校推薦の合格発表が九月下旬というのは早すぎる。

 轟さんは首を振りながら疑問に答えてくれた。

「スポーツ推薦とかあるでしょう。本人たちの意志があれば無条件でって。ゆいちゃんの場合はまがりなりにも青大附中の生徒だし、可南でも欲しかったんじゃないかな。『成績優秀な青大附中』の生徒が入学してくれるとなったら、学校側でも嬉しいだろうし。ゆいちゃんはまだ気持ちの整理がついていないようだけど、私たちはただ黙ってそれを見守るのが一番いいと思うんだ。立村くん、どう思う?」

 修学旅行四日目に教えてくれた事柄を、轟さんはまた繰り返した。

「俺もそう思う。ただそうなると後期のC組女子評議はどうなるんだろう」

 天羽が口をはさんだ。

「そ、別の女子になるわな。もう更科が動いてる」

 ずいぶん早いものだ。同時にちりちりと心が焦げるような痛みも一緒に感じた。

 霧島さんが諸般の事情持ちの縁故入学者で、成績は入学以来最下位のままだということ。

 それでも青大附中に合格できたことを誇りに思い、毎日猛勉強をして必死に学校の授業へ着いていこうとしていたこと。

 また、クラス評議、人呼んで「C組のアマゾネス」と呼ばれる猛女振りを発揮していたこと。

 時々ぶつかり合うことはあったにしても、三年間、同じ評議委員会で協力しあっていたこと。

 しょせん他人のことかもしれないけれども、一緒に集まってきた評議の仲間が最後の最後で脱落していく様は、やりきれなかった。

「とにかく、キリコの件については評議委員会としては何も言わず自然に任せるというのが俺の考えなんだがなあ、立村、どう思う」

「俺もそれがいいと思う」

 どんなに手を尽くしても霧島さんが可南女子高校へ推薦入学することは決定事項なのだから、あとは残された時間を同学年の仲間としてあたたかく過ごしていく。それが一番いいことなのではないだろうか。この考え、修学旅行時から変わったことはなかった。

「その件について、女子はどうなんだろう。轟さん、何か聞いてるかな」

 上総とまた目が合い、轟さんは口元を隠すように笑った。

「一応、美里は知っていると思う。だから近江さんを誘って喫茶店でお茶しようってことになったんじゃないかな。私たちと同じ、作戦会議よ。ただ近江さんはもともと、ゆいちゃんのこと好きじゃないよね。だからあまり乗り気じゃないと思うし、うまく押さえてくれるんじゃないかな。その辺は心配してない。ほら、天羽くん」

 またまたふくれっつらの天羽が、二本目の羊羹にかぶりつく。

「なるほどそうか。俺も前に、清坂氏にはやめるように話しておいたんだけどさ。説得力ないからな。あの人、俺の言うことなんて聞く人じゃないしさ」

「そうか、もう話してあるんだ」

 言葉を濁した。

「一応、修学旅行の時」

 四日目の夜、同じ部屋の中で一夜を明かしたなんて、絶対に言えない。

 轟さんは天羽くんと顔を見合わせた。

「そいじゃ、第二弾に行くぜ。キリコは前座だ。キリコがいればキリオがいるってこと、立村、お前も知ってるだろう?」


 ──霧島さんの良く出来た弟。キリオか。

 現在、青大附中一年に在学中。正式名・霧島真のことだろう。

 修学旅行中、このあたりの事情は更科と難波から聞かせてもらった。

 聞くところによると、霧島弟……便宜上そう呼ぶ……は頭の回転が速く、姉と似ているところは整った外見だけという話だった。

 上総も何度か顔を見かけたことがある。通常、成績がよく人気のある生徒は、自動的に評議委員か生徒会役員を目指すものなのだが、霧島弟の場合は姉があの評議委員ということもあって、青大附中出世コース「評議委員長」の座を最初から拒んでいたという。どちらかというと生徒会に色気を示しているとも聞いている。

 また、家庭内のさまざまな事情もあいまって、霧島弟は姉のことをとことん嫌っている。「憎んでいる」と言った方が近いのではないか。不潔、淫乱、最低女、などとありとあらゆる言葉で罵倒しているらしい。他の生徒がいる前で、「近づくな、能無し!」と罵ったという噂も耳にしている。姉の威厳もあってその時は霧島さんも言い返したらしいが、最近はどうなのだろう。特に、姉弟の立場が逆転してしまった今では、いくらプライドを持って戦っても、あっさりひねられるのがオチだろう。


「藤沖会長からある程度聞いてる。次期会長は霧島弟で決まりだろうってさ」

「なんだ、聞いてたんだ」

 かなりがっかりした声。轟さんが大きくため息をついた。

「藤沖としては、生徒会長を男子態勢で進めたいというこだわりがあるし、今の二年女子副会長ははっきり言って口先だけで使えないから、この際は一年でも致し方なしってことで迎える方向で考えているらしいよ。俺も生徒会事情はよくわからないけれど、なんで女子だとまずいんだろう。仕事ができる女子がかなりいるって話だろう。今の二年生副会長にはさ」

「ま、単純に藤沖の苦手なタイプだってだけじゃねえのか? わいわい騒いで、要求ばっかして、結局なんもできずに尻拭いさせられるってパターンがもういやなんじゃねえの」

 そんなの聞いていない。もっとも男子の会長の方が、後期評議委員長としては話しやすく楽ではある。きついタイプの女子と話し合いをするのは、気が重たい。

「立村もキリオ会長で問題ないと思ってるだろ」

「まあな。でも霧島弟は本気で出る気あるのか」

 肝心要のやる気が見えないと、どうしようもない。上総の確認したい点はそこだった。

 天羽は腕を組んで背を伸ばし、頷いた。

「もちろん。一学期の段階で、姉貴ネタでもって難波と更科がキリオと接触していたってこと、立村、お前も修学旅行で聞いただろ。最初は評議委員会へのスカウトが目的だったんだけどなあ、姉貴と同じ空気を吸うのはこれ以上いやだって断られちまった。更科としては、キリコのお守り方法に関する情報収集が目当てでさ。難波についてはこれはもう、言わぬが花ってとこ」

 言葉がない。かろうじて搾り出す。

「『愛の裏返し』とでも言うのかな」

「がんばって、としか言いようがないよね」

 目の前のふたり、大きくため息をついた。

「あいつもあせってるんだよ。シャーロック・トシタケ・ホームズなりにな。この学校出て行っちまったらもう、根本的にチャンスがなくなっちまうわけだしな」

「だからといって、捕まえるなり怒鳴り散らすのは逆効果だと思うけどなあ。立村くん、どう思う?」

「轟さんに賛成」

「男心は複雑だねえ」

 ──人のこと言えるのか、天羽。

 二杯もサイダーを飲み干した天羽は、当然来る自然現象のためトイレへと向かった。

 その間に上総は、頭に入れておくべき事項を絞り込んだ。

 その一 霧島姉が青大附中から卒業後出て行くということ。

 その二 霧島弟が次期生徒会長に内定しているらしいということ。

 評議委員長としての認識としては、この二点のみで差し支えないだろう。


「立村くん、ちょっとだけ気になることがあるんだけど」

 天羽の脱ぎ捨てた黄色いウインドブレーカーを摘み上げ、轟さんは上総に告げた。

 こうやって話を一対一でするのは、何ヶ月ぶりだろう。修学旅行以来だろうか。

「評議関連のことでかな」

「生徒会関連だけど、立村くんには影響が絶対あることだと思うんだ」

「俺に」

 轟さんはちらちらと扉に目を走らせた。天羽に聞かれたくない話なんだろうか。

「最近ね、二年の佐賀さんがやたらと生徒会室へ出入りしているんだよね」

「佐賀さんって、評議の、新井林の」

 彼女だろ、とは続けられなかった。

「そう。よく生徒会室の中のぞくと、副会長の女子を含めた三人でしゃべっているんだよね。同じ面子で休み時間、中庭あたりでも見かけるし。佐賀さんってB組だったはずなのに、なんで他のクラスの子とべたべたしてるのかなって気になったんだ」

「女子の付き合いは難しくてよくわからないけどさ」

 本来ならよくあることと聞き流せばいいことだ。霧島さんのことにしてもそうだし、美里が仮に生徒会室へ入り浸っていたとしてもそれは個人の行動であって上総には関係ない。口出しする必要もない。

 轟さんも重々承知しているはずだ。

 なのに、なぜ上総に報告するのだろう。

 そこらへんに意味があるような気がする。

「新井林くん、佐賀さんのことについて何か言ってなかった」

 聞かれても困る。互いのつきあい相手について親密に語り合うほど、上総と新井林とは仲良しではない。

「別に」

「それならいいんだけど、あともう一つ、気をつけてほしいんだけどね。立村くん、杉本さんの様子、いつも見に行ってるでしょう。様子おかしくなかった?」

「いつものとおりさ。西月さんが杉本の面倒を良く見てくれているみたいでさ。俺の顔は見たくないって露骨に逃げられるんだ」

「逃げるって、一体なによ、立村くんっておかしい」

 そうけたけた笑わなくたっていいじゃないか。サイダーで口を軽く潤した。面白そうに上総をじろじろ、帽子のつば下から覗いていた轟さんは、

「あくまでも噂だけど」

そう前置きして、いきなり核心を突いた。

「杉本さん、生徒会役員に立候補を狙っているらしいよ」

「まさかだろ」

 思わず正座していた。無意識だった


 ──杉本梨南。

 上総の十五年間出会った誰よりも、そのものの感情が手に取るように伝わってくる、たったひとりの女子だった。

 言葉を発しなくても、そのまなざしだけで何を訴えたいのか染みてくる。喜怒哀楽、すべての感情が迫り、苦しくなる時もある。気付いたからといって、何ができるでもない。杉本の求めることをしてやれるわけもなく、ここ一年ばかりは誤解も多く、すっかり嫌われているようだ。

 休み時間声をかけたりはしている。

「立村先輩のように不細工で頭が悪くて何もできない男子なんかとお話するのはいやです。清坂先輩が可哀想でなりません。こんな人なんかに!」

 と、失礼きわまる言葉を浴びせられる。大抵の女子にだったら、すぐにそれきり、縁を切ってしまうだろう。

 杉本に限ってそうしたくないのは、言葉の裏の寂しさと叫びが聞こえるからだった。

 他の人たちに対しては全く感じないものが、杉本梨南からは唯一伝わり、上総も一緒に呑まれてしまう。

 

「生徒会役員立候補たって、まずそれはありえないだろ」

 しばらく絶句した後、ようやく出た言葉が情けなかった。

「だってさ、杉本は現在E組の生徒だろ?」

「名目上はB組所属よ。桧山先生が今のところ、担任よ」

 それはわかっている。杉本が一年時に起こしたさまざまな事件がきっかけで、二年以降はクラスも問題児が集まる特別クラス「E組」にまわされてしまった現実を。冷静に返す轟さんと比較して、上総ひとりがあたふたしているのがみっともない。気付いているけど、押さえようがない。

「桧山先生が許さないよ ただでさえ新井林や佐賀さんがいる状況の中で、杉本を生徒会にってのは、まずないだろうしさ」

「駒方先生が杉本さんに、生徒会立候補をけしかけているみたいなのよ。もっともこれも生徒会から貰った情報だからあてにはならないけれどもね」

 轟さんの言葉ひとつひとつが、すべての正しい裏付けを持って出てくることを上総は知っていた。愛読書は海外のスパイ小説。普段は女子から上手に見下されるような立場を保ち相手を安心させ、男子には女臭さを消して「中性」感覚で接する。そのためひそかに男子の間では人望者として通っている。上総もその事実を知ったのは修学旅行の時だった。

「轟さんというフィルターを通しているから、信じるよ。でもなんで駒方先生、そんなことするんだろうな」

「杉本さんをこれから先、他の高校に進学させる以上、成績以外のところで一度頭をがつんとやられた方がいい、と考えたようね。成績ではいくら新井林くんががんばったところでかないっこないし、いくらE組に隔離されたって杉本さんの性格はあのまんまきついまま。学校内のトップともいえる生徒会役員を目指してもらい、その上でしっかりと不信任決議で烙印を押してもらい、自分が未熟者かということを自覚させたいみたい」

「とんでもない話だな」

 舌打ちした。上総なりによく噛み砕いてみる。

「考えられない話ではないけど、最初から落とすつもりでか。でも、もし杉本が生徒会に入ったらその時はどうするつもりなんだろうな。生徒会選挙、まだ先だけどさ。落とすもなにも、対抗馬が出ないまま信任投票で決まるケースがほとんどだろ。杉本が落ちる可能性は、良く考えると低いんじゃないかなって思うんだけどさ」

 もし自分が中学二年の立場だったらまたいくらでも杉本をフォローする方法は見つかる。たとえば自分が評議委員の座を捨てて、自分で生徒会役員の何かに立候補するとか。しかし上総はすでに、来年以降青大附高へ、エスカレーター式入学を果たす予定である。中学を離れてしまえばもう、守りようがない。

「立村くんは、どうしたい?」

 轟さんはかぶりっぱなしの野球帽を、つばだけぐいとひっくり返した。飛び出ているように見える目は、真正面から見ると実はちっとも違和感がない。いたずらっ子の男の子、それで十分だ。男であれば女子たちから馬鹿にされることもなかっただろう。

 全く関係ないことをちらと思い、言葉も全く関係のない言葉が飛び出した。

「そういえばさ、近江さんと清坂氏って最近異様に仲いいよな」

「なに言ってるの立村くん」

 あっけに取られている轟さんが何かを言おうとするのをさえぎったのは。

「おお、なんですかあ。近江ちゃんの話なら、俺抜きでするなよな」

 呪文唱えたわけでもないのに、天羽が派手にドアを開けて戻ってきた。ベタぼれの彼女・近江さんの噂となったら黙っちゃいられない。


 轟さんはすぐに天羽へ、

「杉本さんの件伝えといたよ」

 ちゃんと報告していた。ということは、おおっぴらに語ってしまってよいわけだ。安心して話の続きをすることにした。

「生徒会改選のことだろ? ま、立村にもこのあたりで少し、自己反省していただきたいしなあ」

「なんだよ、その自己反省って」

 上総は立ち上がり、窓に向かい、縁のところに腰掛けた。じゅうたんにべったり座っている二人を見下ろす格好となる。女子が部屋に混じっていても怒られない時間帯だった。

「杉本の一件に関しては立村、俺からしたらどう見てもお前に責任があるぞ。」

「そうかな」

 ちらちらと空を眺めながら右ひざを胸まで寄せて抱えた。

「二年の時なんてひでかったよなあ。トドさん、どう思う」

「いいんじゃないの」

 さらっと流してくれる轟さん、ありがたい。

「もう俺たちも、立村と清坂ちゃんもう出来てるもんだと思ってたのによ、いきなり杉本べったりになっちまっただろ? 評議委員長にしようとまで言い出したときにゃおいら泣けてきたぞ。立村、お前いったいなんか悪いもん食ったかって」

「別にそれが悪いかよ。それになんで清坂氏の話になるんだよ」

 言い返しながら、どうして天羽の言葉が食い込んでくる理由を探した。


 杉本梨南を評議委員長にしたいと、一年前は本気で思っていた。認めよう。

 だがすぐにひっこめたじゃないか。

 新井林の方がいいと、個人的好き嫌いをとっぱらってきちんと指名したじゃないか。

 あの頃から同期連中が、上総のやり方に疑問を持っていたであろうことは自覚していたし、当時委員長だった本条先輩にも絞られた。

 評議委員長という座に杉本がふさわしくないと割り切ったのは理性の判断。

 だけど別の部分で本能の判断があったっておかしくないじゃないか。

 同じ感覚を持つ者同士、できるだけ居心地のいい場所に置きたいと思って、どこが悪い。


「なあトドさん」

「はいな」

 夫婦漫才。近江さんよりも轟さんの方が合っていやしないか。ひそかに突っ込みを入れた。

「清坂ちゃん、去年の今ごろなんぞ可哀想だったよなあ。」

「落ち込むことが多かったようでは、あるよね」

 思い当たる節が一杯あるけど、そんなの他人に関係ない。

「彼女なのにな、寝ても冷めても杉本を追い掛け回していたらな、そりゃあぎゃあすか言いたくもなるよな」

「そうねえ」

 杉本のこととは関係ない口げんかのことまで引っ張り出すのはやめろと言いたい。


「でも、結局は清坂ちゃん、立村に惚れぬいてるから今こうやって、一緒に評議委員やってるわけだ。えらいよなあ」

「ほんとよね」

 心なしか轟さんの言葉が軽く聞こえたのは気のせいか。

 風が吹き抜けたせいか。寒い。窓辺から降りて上総は机の椅子に腰掛けた。素直に相棒・清坂美里への感謝を述べた。

「ありがたいとは思ってるよ。頭の悪い俺のしでかしたことを全部片付けてくれるからな」

「わかってるのかよ、な、トドさん」

 轟さんは返事をしない。黙って上総を見上げている。目つきが鋭い。

「杉本のことをひいきしすぎた結果が、現在の状況に繋がっているってことを、もう少し自覚してほしいと俺は、評議委員の盟友として思うわけなのだよ」

 天羽の演説癖は、去年のビデオ演劇「奇岩城」でたっぷりと発揮されたもの。知らぬものなし。しかも気取って、シルクハットが似合いそうな台詞回しときた。

「水鳥中学との交流にしてもそうだな。お前、杉本をなんとか出番こしらえようってことで考えたのが、交流会サークルだろ? それが教師連中を刺激して、一気に掃き溜めE組をこしらえる口実となったのは、ひとえに立村、お前の計画ミスだろ?」

 ──杉本が関崎に惚れなければな。

「これから先もしもだぞ、杉本がまた馬鹿なことしでかしたらどうするんだ。お前もう高校に行ってるんだぞ。いくらお前、かばいたくたって手、出せないだろ。本条先輩だって結城先輩だって、卒業したら評議委員会にはノータッチだったろ、お前、どうするんだ」

 ──そうか、杉本にはあと一年、残っているんだ。

 杉本のことを同学年感覚で考えていた自分。上総は苦笑した。

 ──高校進学したら、もう杉本と俺との接点はないんだな。


 出会った二年の春から三年の秋にいたるまで、好意と嫌悪どちらの感情もぶつけられながら、側にいようと思ったたったひとりの女子だった。

 恋愛感情とは違う、と思う。「付き合いたい」、「彼女にしたい」そういう気持ちともまた、異なる。抜きん出ている胸のふくらみに偶然触れて、一夜眠れなかった日を思い出したからでもない。

 伝わってくる神経の響きがすべて重なってきてしまう。止めようがない。

 「たかが刺がささったくらいでぎゃあぎゃあ騒がないで!」と美里ならあっさり終わらせることを、杉本なら同じく感じた上で「私も同じこと感じてます! 痛いに決まってます!」と叫ぶ。その違いだ。一緒に「痛い」と叫びたくなる。「痛い」からこそ、E組に向かい、一緒に「いたい」となるのだろうか。どんなに手を撥ね退けられても、むかつくことなく次の朝も「杉本、おはよう、元気か」と声をかけたくなる。たったひとりの人間。

 それが今の上総にとっての、杉本梨南だった。


「だからだな、立村、よっく考えろ」

天羽は上総の目の前で手の平をひらひらさせて、注意を引こうとした。そんなことしなくたって聞いているっていうのに。馬鹿にするなと言いたくなる。

「杉本が妹みたいに可愛くてしょうがないっつうのは俺もよーくわかる。わかるぞ。けどな、せっかく三年間一途に尽くしてくれているマイハニー清坂ちゃんのことももう少し考えてだな、面倒みたれや」

「面倒見られているのは俺の方だよ。俺は清坂氏に何にもしてない」

「ダーリン立村がな、もっとやさしく、たとえば紅葉を眺めながら初チューするとか」

 手元にはたきが置いてあった。思いっきり柄で天羽の脳天めがけて振り下ろした。両手でぱっと受け止められた。そのポーズのままで、

「立村、よおく考えてくれ」

 絶体絶命、危うく「奇岩城」にてホームズに追い詰められたルパンのごとく。

「評議委員長として、お前がどうしなくちゃなんねえか、だろ。今、評議委員会の三年連中はもろ、分解状態なんだ。ここで立村、お前がぐらついてたら、一発でぐちゃぐちゃになっちまうぞ。いいかげん目を覚ませよ」


 ──評議委員長として、か。

 天羽が口泡飛ばして演説する気持ちもわからなくはない。

 もともと実力は天羽の方が上だと上総を含む誰もが口を揃えて言っていた。

 本条先輩の半ば強引な手により結局、上総に委員長の座が与えられたけれども、誰もが疑問符を隠したままじっと見据えている様子は、背中からいつも感じていた。

 本来ならば評議委員長に立つべき男。

 実質的陰の評議委員長と言ってもいい男。

 裏表なく上総のサポートに回ってくれる、男気のある奴。

 そんな天羽がなぜ、そこまで懸命に叫ぶのか。

 人一倍、感情の皮膚がもろい上総に、それが伝わらないわけがない。

 ──やはり、これがけじめかもな。

 上総は決断した。

「わかった、責任を取る」

「責任?」

 上総ははたきを取り戻し、机の上に置いた。

「杉本に関して起こったすべての出来事は、俺がすべてしくじったせいだ。それは認める」

「だろ、だろ?」

「杉本については俺が百パーセント責任を取る。覚悟はある」


 グラスの底がテーブルを打つ音がかすかにした。側で轟さんが上総を見上げ、ゆっくり目を伏せた。なんだか見るのが苦しい。天羽だけを見つめることにした。

「そっか、ようやく覚悟してくれたか、さすが俺の見込んだ男だ!」

 天羽の演説満開なり。上総はそのまま窓べの空を眺めやった。

 その視線を追われているような気がしてすぐに、轟さんへ目を戻した。

「杉本にこだわっちまってるから、お前、生徒会の連中にも水鳥中学の奴らにも、下の学年にいる連中にもなめられちまってるんだって。立村、お前にはな、あんなしっかりもんの姉さん女房がいるんだ。清坂ちゃんの想いをしっかり受け止めてだ。お守りをしてだ。困った女子なんぞに目を向けず、尽くしてやるのが男って奴よ。そうしてやりゃあ、清坂ちゃんだって余計なことは考えねえ。いいか、お前のためにも、評議委員会のためにも、そうすりゃあみんな丸く収まるんだ。責任を取って杉本を切れ」

「お守りって、そんなんじゃないよ」

「キリコの件については、とにかくあいつが一番幸せな形でフェードアウトできるように、俺たちでがんばろうぜ。いわば三年評議のできるだけのことをしてやろうぞよ。俺も泣く泣く、清坂ちゃんのためにいとしの近江ちゃんを提供しようぞ。女子同士の友情、いいじゃねえか。あとは男子としての仕事をしっかりと立村、お前がな」

「何言ってるんだよ」

 本意を伝えるつもりはなかった。

 轟さんだけが羊羹の切れ端をつまみながら、上総に物言い足そうな顔をしていた。

 その意がどこにあるのか、判断できない。

「轟さん、俺になんか言いたいことある?」

 きっかけを作ってみた。全身黒尽くめの轟さんは、もう一度ぐいと顔をあげた。

「私は、立村くんの判断、正しいと思うよ」

 前歯の隙間からしゅうしゅう息を吐きながらささやいた。ぼうしを脱ぎ、今度は後ろを額に当てる格好で被り直した。


 天羽のきわめて菱本先生ばりのお説教で耳にたこができた後、上総はふたりの客人をそろそろ追い出すことにした。品山という街は昼間それほどでもないのだが、夕暮れ時になると痴漢が出たりひったくりに遭いやすかったりと、治安がかなり悪い町でもある。四時過ぎとなれば日も落ちる。いくら轟さんが男装していたとしても、女子は女子だ。襲われないとも限らない。天羽が側にいるとはいえ、いとしの近江さんでもない限り命がけで守ってくれるとは思えない。一緒に戦えとか言い出しかねないぞ、なにせこの二人は男子的要素でもっての「親友」らしいから。

「また明日な」

「よろしゅうに」

 天羽流挨拶を交わした。

 スニーカーの紐を恐ろしくきれいにたたんで縛る天羽が出て行かないと、轟さんも靴を履けない。靴は黒のマジックテープタイプスニーカーだった。

「あのさ轟さん、いいかな」

 上総は玄関でばりばりとマジックテープをはがしている轟さんの隣にしゃがみこんだ。

「さっき言ってたの、どういう意味」 

 息を殺すように尋ねた。

「どういう意味って?」

 轟さんは上総の眼をゆっくりと見つめた。言葉を発する時に、唇から飛び出た歯が妙に白く映った。

「美里には可哀想だと思っても、はっきり言うこと。それが一番親切だと、女子として思うよ」

「轟さん」

「杉本さんを選んだ立村くんの方が、私は好きだよ」

 あっけにとられたまま、上総は両膝を突いた。

 すっと立ち上がった轟さんは野球帽をもう一度かぶりなおすと、

「じゃ、明日、またね」

 最後は女子っぽいかすれた声で挨拶し、出て行った。

 ──まさか。


 上総はひそかな覚悟を隠し通したつもりでいた。

 天羽は気付かなかった。 

 轟さんは気付いていた。

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