転生ポイント2
目が覚めると真っ白な空間にいた。
まったく身に覚えのない場所だ。
いつの間にこんな所に来たのだろうと、直前の記憶を思い返す。
……そうだ。
私は——。
□□
「便所飯してんじゃねーよー!」
頭上から水が降ってきた。
冬場の冷水は一瞬にして、私の体から体温を奪う。
ツライ。
ツメタイ。
クルシイ。
誰か……助けて……。
「きゃはは、中どーなってんだろうね」
「さぁ? 便所飯だけじゃ喉が詰まると思って水をプレゼントしただけだし」
「ちょ、めっちゃウケるやん(笑)」
「やめなさい!」
バンッ! と外から大きな音が聞こえた。
何やら揉め合っているみたいだ。
「何、いきなり。あんた誰よ? スーツなんか着てさ」
「誰だっていいでしょ! いじめは止めなさい!」
私を助けようとしてる?
まさか……。
こんな冴えない私を庇ってくれる人がいるなんて。
「……っち。行こうぜ」
やがて猿のような甲高い声が聞こえなくなった。
代わりにトイレの扉を優しくノックする音が聞こえてくる。
「大丈夫?」
「あ…………はい」
「あの子らに水かけられたんだよね」
「でも、その、平気です」
「駄目だよ! そのままじゃ風邪引いちゃう。乾かしてあげるから出ておいで」
私は、扉の外から聞こえる優しい声に釣られて、扉の鍵を外した。
ゆっくりと扉が開く。
その先には、まるで包み込むかのような笑顔を浮かべた女性がいた。
「うぅ」
思わず涙が溢れる。
必死に目元を手で拭っていると、目の前に一枚のハンカチが差し出された。
「使って?」
「……ありがとうございますっ」
私は遠慮なくハンカチで涙を拭いた。
勢いで鼻水まで、チーンッとかんでしまったが、彼女は笑って許してくれた。
□□
彼女と知り合って三ヶ月が経った。
どうやら彼女は新任の教師で、水野先生というらしい。
私は三ヶ月の間に、水野先生から感謝してもし切れないほど、多くの贈り物をもらった。
彼女は、いじめられていて勉強の遅れが酷い私に勉強を教えてくれた。
彼女は、私に対する酷過ぎるいじめを表沙汰にし、私を救ってくれた。
彼女は、友達がいない私の為に、放課後時間が空いたときは一緒に遊んでくれた。
いつしか私は水野先生に、恋心に似た感情を抱いていた。
それは思い違いかもしれない。
けれども確かに、私は先生を慕っていたのだ。
ある日。
放課後、先生と遊ぶ約束をした。
待ち合わせ時刻は午後六時。
渋谷のおしゃれなカフェで女子会をするという、いかにも高校生っぽい遊びの約束に、私はとても興奮していた。
そして、驚かそうと思って、カフェ近くの建物の隅で先生を待っていたのだ。
しばらくして、先生が反対側の道路からやってくる。
驚かそうとしていた私は、先生のもとに駆け寄った。
瞬間、トラックが影から突っ込んでくるのが見える。
「先生っ!」
トラックは水野先生に向かっていた。
理由は分からない。
飲酒運転かもしれないし、車のブレーキが利かなくなったのかもしれない。
とにかく、トラックが物凄い勢いで、先生に向かっている。
「水野先生っ!」
ようやく先生はこっちを見た。
しかし、もう遅い。
トラックと先生の距離は残り僅かだ。
反応できる訳がない。
——私が守らなければ。
私は先生に思いっきり打つかり、弾き飛ばした。
□□
記憶はそこで途絶えている。
あの後どうなったのか分からない。
ただ、先生は無事でいると思う。
本当に思いっきり突き飛ばしたから、先生とトラックが接触することはないはずだ。
ん?
つまり、私はあのトラックに打つかったということになる。
ということは、ここは病院か。
事故になって病院に救急搬送されたのか。
だとしても、ここは異常過ぎる。
本当に真っ白な空間で、他に何もない。
……いや、よく見ると下の方に明るい光を感じる。
気になったので覗き込んでみた。
すると、何やら謎の小さなパネルが光を放っていた。
「これが明かりの正体?」
パネルには『転生チャンス! (なお、今回は稀なことに、異世界の住民が全て埋まってしまったので、現世界にお送りします)』と表示されている。
「転生チャンス?」
……ああ、そうか。
そういうことか。
私は死んだのか。
そりゃあ、トラックに轢かれて無事な訳ないもんね。
そっか……死んじゃったかぁ。
また水野先生と遊びたかったな。
「あ」
感傷に浸っていると、ふいにパネルが切り替わった。
画面には猫や犬、小鳥といった動物が映し出されている。
右にスライドしてみると、ライオン。
左にスライドしまくると、貝やゴキブリが出てきた。
他にも様々な生き物が出てくる。
画面の端を見ると、それぞれに転生するのに必要なポイントと、私が所有している所有ポイントが載っている。
「貝に転生するのに必要なポイントは3。雀は39。犬は80。猫は100。ゴキブリは……マイナス5ポイントからか」
ポイントが高いほど、割と自由かつ安全な生き物に転生できるってことね。
大体、仕組みは分かった。
ちなみに私は1001ポイント持っている。
基本的に何にでも転生可能だ。
「そういえば一番必要ポイントが高い生き物って……」
右にずっと、ずーとスライドしてみる。
ピタッと止まった所で『人間』が表示された。
転生するのに、ポイントが最もかかるのは人間だ。
人間に転生するのに1000ポイントもかかる。
おかしな話だ。
先進国以外に生まれたら、大変な生活が待っているかもしれない。
仮に先進国に生まれても、私のようにいじめられれば元も子もない。
人間なんてリスキーな生き物なのに、どうして1000ポイントもかかるのか不思議だ。
…………やっぱり不思議じゃない。
よく考えると、リスキーなのは皆一緒だ。
ゴキブリになろうが、貝に転生しようが、どれも大変で危険な生活を送ることに変わりはない。
人間だって、動物だって、数多くのリスクに曝されている。
異なるのは弱肉強食。
自由が利くか利かないかの差だ。
人間は食物連鎖の頂点に立っているのだから、その分自由が多い。
「転生、か」
……私は人間を選ぶ。
どこの国に生まれるか分からないし、また散々な人生になるかもしれないけど。
それでも、水野先生がくれた日々があるから。
例えそこが、どんなに残酷な世界であったとしても……きっと私は前を向いて歩いていける。
□□
いつの時代かは知らないが、生徒から多くの人望を寄せられた先生がいた。
その先生は水野という名の女性教諭である。
水野は過去に、命を落としかけたことがあった。
結果的には、彼女の教え子である一人の生徒が庇ってくれたお陰で、彼女は命を取り留めた。
しかし、惜しくも教え子は亡くなってしまったらしい。
その出来事があった数ヶ月後、水野はお腹に子を宿した。
水野は「長年、不妊気味だったのに、赤ちゃんができるなんて夢みたい……あの子にも自慢してあげたかった」と、夫に話したそうだ。
すると、水野の夫は思い出したかのように答えた。
「そういえば数ヶ月前……あれは夢かもしれないけど、君のお腹に青白い光が入っていくのが見えたんだ」