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くもの絲  作者: 赤井家鴨
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其之肆―かのじょのたわこと―

挿絵(By みてみん)

二人の子供の手を引いて田舎の道を歩く老婆。

ゆっくりのっそり歩く老婆の足取りは子供たちには合っていないようで

彼らが彼女に合わせてゆっくり歩く。


子供の一人が山の頂上を指差し言った。

「お父さんとお母さんが手を振ってるよ」

もう一人の子供も立ち止まり、振り向いて山をじっと見てみるが何もいない。

老婆は何も言わず二人の手を引いて帰りの道をゆっくり歩いた。


 私の生まれ故郷は山奥にあります小さな村でして、そこは本当に何もない所でした。

何かあるとすれば昔から伝わる奇妙な慣わしぐらいです。

私はその慣わしを守る大切な役目アオオビ様と言う、村を鬼から守ったカミ様のお嫁さん役をやらされておりました。

昔から大人たちに、お前は私達の大切なアオオビ様だ。気高く凛々しくしていろと教え込まれていたものです。

そしてアオオビ様の印であるお面を付けさせられて今日までの日々を暮らしております。

このお面は寝る時も食事の時も睡眠の時ですら外す事は許されず、私にはとても耐え難い苦痛でありました。

 ですがその苦痛を共に支えてくれる大切な家族の存在が私にはありました。

優しい父と母、そして双子の弟アキヒロちゃんです。

私たち姉弟は生まれてすぐに別々の部屋で育てられていたので互いの存在を知ったのはだいぶ後の事でした。

やんちゃ坊のアキヒロちゃんはよく廊下を走り回って遊んでいたものです。

彼とは正反対に、部屋の中に閉じ込められていた私はその音の正体が分からず常にその足音に怯えておりました。

そんな時は両親が私を優しく慰めるのです。貴女には双子の弟がいるのだと。

名をアキヒロと言って私の顔とそっくり鏡写しなのだと嬉しそうに話してくれました。

そして最後にこう言い閉めるのです。

「アキヒロちゃんとはずっと仲良くしていなさい。二人っきりの姉弟ですもの。

お前が辛いとき、きっと助けてくれるよ」

二人の言葉はずっと私の心の支えでありました。私には大好きな父と母、弟のアキヒロちゃんがそばにいる。

彼らがいればこんなお面の慣わしなど、いくらでも耐えてみせると意気込んでおりました。

 ですがしばらくすると両親がどこか遠くへ出かけてしまい、もう帰ってこないのだと祖母や村の人たちに教えられました。

そんなの嘘だ、ありえない。なぜ私たちも一緒に連れて行ってはくれなかったのか。

自問自答を繰り返し、涙で枕が濡れる日々が絶えぬほどに私は落ち込んでしまいました。

こんな時にアキヒロちゃんがそばに居てくれれば。そう思っても彼は別の部屋に暮らしている。

私は母の残した童話や児童文学の本を擦り切れるほどに読み漁りました。外の世界から嫁いできた母の唯一の形見。

それを何度も何度も読んで自分を慰めているうちに、私は外の世界に興味を持つようになりました。


 両親が出ていき半年ほどたったでしょうか、私は家の中を自由に動き回る許可をいただきました。

アキヒロちゃんと一緒の部屋で暮らせる。ずっと同じ家に暮らしていたのに何だか少し恥ずかしかったのを覚えております。

アキヒロちゃんは何事も無く私の手を引き彼の友達に私を紹介しました。

彼等も私に良くしてくれたのですが、すぐにあることに気が付きました。

私と彼らの間には大きな壁があることを。明らかに他の子供たちと接する態度が違ったのです。

それはなんと弟のアキヒロちゃんとの間にもありました。

悲しかった。彼らは大人たちと違い、私をアオオビ様だとかで縛らないと信じておりましたから、

肩透かしを食らった思いでおりました。

 しかし、そんな彼らの中に一人だけ私のことを好いてくれる人物が現れたのです。

彼はそれを隠しているようでしたが、周りの人たちにも、私にもその思いは見透かされておりました。

私はやっと対等に話してくれる人物が現れるのだと浅はかな希望を持ちましたが、これもとんだ思い違いでした。

彼が私の事を考えれば考えるほどに私たちの壁はより一層強固たるものへと変貌していくのです。

そしてついに忘れもしない嵐の夜。

彼に呼び出された私は雨の中、約束の場所の小さな石橋の上で彼が来るのを待っておりました。

ついに私たちの間の壁を破る気になったのだと期待に胸を膨らませ、待ち続けておりましたが

いくら待てども彼は現れませんでした。

これ以上、外にいると家から抜け出した事がばれてしまうと思い、仕方なく家に戻りました。

 それから三日か四日たった頃、彼が下流で土左衛門となって帰ってきました。

身体はどこもかしこも水を吸って丸々と太ってしまい、頭も顔も子供とは思えぬほどに

膨らんでおりました。

しかし彼の顔には白くのっぺりとしたお面がかぶされています。私と同じ真っ白なお面。

「神様を怒らせて呪われたから、こうしてお面をつけているのだよ」と祖母が言いました。

私もカミ様に呪われているのでしょうか。自分の顔につけられたアオオビ様の面を撫でます。小さく笑う無邪気な顔。

私の本当の顔は今、どんな顔をしているのでしょうか。怒っているのか、泣いているのか。

もうこの時には自分の顔も分からなくなっておりました。

彼が死んでアキヒロちゃんはとても落ち込んでおりました。無理もありません。

彼とアキヒロちゃんは大の仲良しでしたから、私は懸命にアキヒロちゃんをを慰めようと努めました。

ですがどれも聞き入れてくれません。私だって彼の死は悲しく辛いものだった。ですが死んだ人は帰ってこない。

いくらアオオビ様とて山にお願いしても死んだ人が蘇ることはないのだとも言い聞かせたのですが、

アキヒロちゃんはうんともすんとも言いませんでした。

弱々しく悲しむ彼の姿を見ていると、こっちのまでもが悲しくなってしまう始末。

そんな時は自分の部屋に閉じこもって本ばかりを読むのです。

アキヒロちゃんと一緒の部屋に暮らし始めた頃から祖母は、母の形見をほぼ全て処分してしまいました。

私はそれに抵抗して何とか大切な本だけは部屋の中に隠しておいたのです。

そのお気に入りたちを押入れの隅などから引き出し、畳の上に並べて眺めているだけで私の心は満たされました。

ある時、本を眺めて楽しんでおりますと廊下を歩く音が耳に入りました。急いで本を隠していましたら押入れの奥、

つま先立ちをしてやっと手が届く場所に小さな木箱を見つけました。

その木箱を開けてみますと気持ちの悪い絵が数枚入っていました。

 誰のか分からぬ死体の絵。背丈は小さく子供のようで大きな服を着ております。

そして全ての絵に子供の顔が無かったのです。鼻も唇も眉もない。

顔の皮膚が綺麗にはぎ取られ、目玉と歯そして顔の筋肉だけががむき出しに描かれておりました。

それが何枚も、時間をかけてゆっくりと自然に還っていく姿が描かれているのです。

恐ろしく気持ちの悪いものを見つけてしまったと急いで私は祖母にこれが何なのかと聞きました。

「見てしまったか。まあアオオビ様に使える者だからいずれは知ることだ。

お前もこの間は立派にお祓いに付き合えたからの、もう話してもよいか」

 祖母は並べた絵を指差してこれがアオオビ様の正体だと言った。

そして今まで聞いてきた言い伝えと似ても似つかぬ村の過去に私は心底驚き唖然とした。

アオオビ様の正体とは山に住むカミ様のお嫁さんでもそのカミ様でもない、ただの人間の子供だったのです。

かつて都に暮らしていた子孫の子、それを私たちの先祖が山奥に追いやって彼らの血縁を途絶えさせてしまった。

他にも聞いたこともない話が次々と出てきて私の驚きは次第に村に対する怒りと憎しみに変わりました。

そしてそれを知らない村人たちの事がとても可哀想に思えてしまったのです。

 真実を知った私は祖母に隠れて村人たちに本当の言い伝えを広めようとしました。

ですが彼らは誰一人として私の声を聞こうとはしません。

彼らもまた私を見ているのではなく、その後ろにいる作られた神様しか見えていない弱い人間だったのです。

そうしている内に私の行動が祖母に知られてしまったため、彼女に大層怒られてしまいました。

「お前はただこの村人たちを導くだけでいい、村人の心の拠り所なだけでいいのだ。余計な事をするな、考えるな」

自分たちの過ちに嘘の蓋を被せて目をそらすのか。本当の懺悔の意を無くした人々の声に何の価値があるのかと歯向かってはみたのですが、意味のない事でした。無力な私はただただ自分の任された不幸に涙するしかできませんでした。


 アキヒロちゃんの友人が亡くなって三年経った今日、村の近くに突如作られ現れた工場と

工場に勤める従業員、その家族たちが暮らすための町が出来ました。

私にとって本当の最初で最後の好機。彼らを使ってこの村の人々の目を覚まさせ、

あわよくばアキヒロちゃんと共に外の世界に飛び出したいと強く思っておりました。

 彼もまただいぶ前より、私とは理由が違えど村に対して憎しみと怒りを持っておりました。

そして外の世界に飛び出したいとも。きっとこれだけでも私は彼のために町との関わりを持とうと動いたでしょう。

アキヒロちゃんのためならば何でもできる気がしました。

 まず手始めに村の子供たちが町の学校に行けるようにと手筈を取りました。

村の大人たちにはもう何を言っても意味の無い事だと既に証明されていましたから頭の柔らかい子供たちから先に、村の外に興味を持たせようと学校の場を選んだのです。

村長さんは子供たちの勉学の為になるならばと賛成してくれました。ですが、その村長さんよりも偉い私の祖母はそんなもの必要ない、村から子供を出すなと反対しました。

唯一祖母に意見を口出しできる私は毎日彼女に頼みました。それはもう、うんざりするほどに。

そしてその熱意が伝わったのか、すっかり呆れたのか祖母は渋々承諾してくれました。

 作戦の結果としては成功したと思っておりました。

村の子供たちは上手い事、町の子供たちとお友達になりましたしアキヒロちゃんにも新しいお友達が出来ました。

しかもただのお友達ではありません。なんと町長さんの娘さんと親しくなったのです。

私は大いに喜びました。いっその事、村と町が合併して村の存在が消えてしまえばいいのにと夢見てしまうほどです。

 次に私はさりげなく村の夏祭りの話を学校で広めました。子供たちの間で話が広がり、彼らの親御さんの耳にも入るようにと仕掛けたのです。人が良く、村の人と平和的に仲良く団結したいと願う町長さんです。

きっと夏祭りの話を聞けば一緒に盛大にやりたいと言い出すでしょう。そう思っての行動です。

 こんな回りくどい事をするのではなく、初めから町長の娘さんに話せばいい事だと思いますでしょう。

ですが先ほども言ったように彼女はアキヒロちゃんのお友達。

そしてアキヒロちゃんが村に持つ怒りの理由がアオオビ様とカミ様の存在だったのです。

悲しいことに、アオオビ役をやっております私も自然と彼の中では恨むべき対象なのです。

彼の目の敵が大切な友達とお話しするなんてあってはならぬ事、叶わぬ願いだったので周りの子供たちから噂話を持ち掛けたのでした。

 ですがこの作戦は失敗に終わりました。結局町の力とは無きに等しく、村に干渉しないと言う口約束に縛られてしまったのです。

罰も何もないこの口約束にどんな効力があるのでしょうか。そもそも、なぜ町の人たちはこんなにも村に対して腰が低いのでしょうか。

結局町は自分たちで新しい夏祭りを開く事となり、私は今年も一人寂しくアオオビ様として山に住まうカミ様の夏祭りをおこなうのです。


 山の奥に建てられた小さな社。その下に流れる小川に私は仰向けになって身を清めておりました。

私の心は町の祭りに傾いたまま。外のお祭りってどんなものだろう。想像するだけで胸が興味の熱を持ちますが、夏でも川は氷のように冷たくて私の体温を容赦なく奪っていきます。川べりに咲いた花も青紫と白い花ばかりで凍えそうなほどに寒い。

 だけど、その中に小さく揺れるホオズキの赤がとても温かく並んでおり、生い茂る木々の間に空いた丸い天井窓の真っ赤な夕焼け空がとても綺麗でした。

この祭りに唯一良い所があるとすればこの自然を独り占めできる事ぐらいだと、いつまでも空を見ていたいと思っておりました。

「青葉、そろそろあがりなさい。神様に会いに行く前に風邪を引いてしまう」

祖母に言われるがまま川から上がり、白装束に袖を通して青い帯を巻きました。

「お前も数えで十五か十六になったか。この祭りが終わったら次のアオオビ様はあの家の子にしようと思っとるんだ」

 この言葉に私は急に頭の中が真っ白になって、電流が脳裏に走る感覚に襲われました。

私は今年でアオオビでなくなる。それは喜ばしい事でありますが、もう村から出ることが出来ないと言う意味にも繋がります。

「来年からは村長さんの奥さんや娘さんたちの所で嫁入り修行をしてきなさい。もう手筈は取ってあるから安心しな。

この祭りが終わったら村長さんと奥さんに挨拶に行こう」

祖母は相も変わらず意味の分からぬことをボソボソ話しております。

私の頭の中は早くこの村から出なくてはいけないと、焦りと絶望の感情が強く駆り立てられているばかりです。

「お婆様、お面の間に入った水を拭いたいのですがよろしいでしょうか」

お面一つ取るにも彼女の許可なくしては取れない。祖母は頷き私に手拭いを渡すと清めの酒を軽く私に吹きかけた。

やっとお面を取った私は一体どんな顔をしていたのでしょうか。

いくらこの身を清めても、まだまだ汚らわしいこの顔は一体誰のものでしょうか。

静かに垂れる滴を拭い、またお面を付けようとした時でした。

 カサッと何か葉の擦れる音が大きく響いたのです。祖母が「誰だ!」と声を荒げて外を見ますと

人の影が逃げていくではないでしょうか。私は直感してそれがアキヒロちゃんであると信じました。

彼が村の掟を破ったのだと私も襖から顔をのぞかせ確認しようとした時、彼女と目があったのです。

町長の娘のアリカちゃん。私は彼女に素顔を見られてしまった。

 彼らが森の中に消えるとお婆様は不届き者の後を追うと言って私は一人社に残ることになりました。

いつも付きっきりのお婆様がいない。私はまた自分の顔に触れて今の表情を確認しました。

お面と変わらぬ笑い顔。この顔は本当に私のでしょうか。いいえ、紛れもなく私の顔です。

走り去ったアリカちゃんの驚く顔を思い出してまた私は、にこりと笑っていました。

彼女の目に私の顔はどのように映ってたのでしょうか。聞いておきたかったものです。

 祖母が山を下りる音がいつ消えるのかと聞き耳を立てておりますと、明らかに祖母の足音にまぎれて数人の足音が聞こえました。

聞き間違えかとまた聞き耳を立てて外をよく見たのですが、すでに森の中は静寂に包まれた後でした。

しかし一瞬、大きな人影が木の中にするりと消えてく姿を見たのです。何か嫌な気がする。

こういう時に限って私の疳はよく当たると私は勝手に思い込んでおります。


 次の日、思い切って仮病を使い学校を休みました。昨日の足音の正体を知るためです。

祭りの日は村人たちは山にお供え物を捧げると、その後は誰も外に出てはいけないという決まりがあります。

しかし、あの影はどう考えても動物ではなく人だった。そしてあの社の場所を知っているのは村人しかいません。

なぜそのような事をしたのか影の正体に理由を聞きたくってこのような事をしました。

 しばらくすると私が熱を出したと聞きつけた村人がどんどん私の家に集まりだしました。

「アオオビ様が風邪を引くだなんて驚きました」

「アオオビ様も人の子なのですね」

「昨日の祭り事の緊張が切れて気を許してしまっただけだよ」

思ったよりも元気な姿の私を見た村人たちは安心したようで、少しずつ自分の持ち場へと帰っていきました。

 村の人口は二百もありません。ですから村の皆がご近所さんといったこの村では

どこの家の誰がお見舞いに来てくれたのかおおよそ分かります。

特に村の習わしを大事にしていて、よく私の所に来る人の顔ははっきりと。

見舞いに来てくれた人たちの中にその信者たちの姿はありませんでした。

私が病気だと知ればどんなに忙しくとも、自分が病気であっても真っ先に駆けつけてくるような人たちです。

それが今日に限って来なかった。

単純に考えて動けられないほどに酷い病気になっているのか、畑仕事が忙しすぎて来れないのか

そう言った理由があるのかもしれない。私が病気になったことを知らないのかもしれない。

でも何故だか胸中がざわついていました。

 祖母が私の看病をひとまず終えて祭りの片づけをしに社に行くと言い、席を外しました。

私は急いで外着に着替えて彼らの様子を見に行くことにしました。

ですがなんと学校に行っていたはずのアキヒロちゃんが下校の時刻でもないのに帰ってきたのです。

「あらAちゃん今日は学校早いのね。これから町へ氷菓子でも買いに行こうとしてたのだけど、一緒どう?」

咄嗟(とっさ)の嘘。言葉の最後に誘いを入れてしまったがアキヒロちゃんが私の誘いに乗るはずがない。

思い通り彼は私との買い物を断り自分の部屋に籠ってしまった。

彼の顔色が妙に悪い。心配ではあったが、祖母が帰ってくる前に事を済ませたかったので急いで外に出る事にしました。

 人目を避けて彼らの民家に向かい、家の中をうかがいましたが誰の気配もありませんでした。

彼らもまたどこかに出かけているのだろうか。出かけていそうな場所の目星を考えていると一人男が家に帰ってきました。

私は急いで物陰に隠れ、男の顔を確認する。間違いない。アオオビ様の狂信的な信者の一人、探していた人だ。

男は忘れ物を取りに来たといったように倉庫から小さな(かま)を持ち出すと町の入り口の方へと向かいました。

距離を置いて後をつけてみると他の二人にも合流しました。彼らも熱狂的信者として覚えている人たちです。

 農具を持った三人組はその場でしばらく話をしておりました。どうやら私が熱を出したという内容のようです。

三人は心配だ、心配だ、と言いながらも揃って町の方へと歩いて行きました。

彼らが村の外に行くのは山の中以外考えられなかった。それなのに堂々と道の真ん中を歩いている。

昨日の夜、社の陰に隠れていた人たちは彼らで間違いないだろう。私は勇気を出して森の木々に紛れ込み彼らの後を追う事にしました。


 町と村の中間ぐらいまで来ましたでしょうか。男たちは道の真ん中に立ち止まり、またお喋りをしだしました。

森の木々に隠れている私から三人の距離はだいぶ遠くて、話の内容はうまく聞こえません。

ですが真剣な顔をしたり、笑い合ったりする彼らの表情を何とか見ることはできました。

特におかしなところは無いように見えます。少し神経質になりすぎたと、この時の私はそう思いました。

 もうこれ以上何も得るものは無いと思った私は、どうやったら彼らに気付かず村に帰ることが出来るのか考える事にしました。

しかし、遠くから人ではない何かが近づく音が聞こえてきたので、その考え途中で取りやめました。

道の遠くから来たもの、それは車でした。荷台と運転席、助手席しかない小さな車。しかもその荷台には見覚えのある自転車を乗せています。村人たちは大きく手を振って車を止めました。何が始まるのかとじっと見てますと、車の中から町長さんが出てきました。

村に来ることを拒まれている人が何故ここにと、私は一生懸命に聞き耳を立てて彼らの会話を聞こうとしました。

「昨日の祭り……で、自転車を届け……」

「……村には入ら…………はい、そうですか」

いくら聞き耳を立てようにも断片的な会話しか聞こえない。

するともう一人の村人が助手席に座っていた人も道路へと、半ば強引に引きずり出しました。か細い腕を掴まれて現れたのはアリカちゃんです。

何故ここに。私はより一層この人たちのやり取りに見入ってしまいました。

ここで止めておくべきだったでしょう。私はただ、遠くからじっと見ているだけでした。

 だんだんと雲行きの悪くなっていく彼らの様子。村人は手に持った鎌を危なっかしく振り回し、興奮しておりました。

町長さんは自分の娘を庇おうと自分の背後に彼女を隠します。ですがその行動は村人たちの(しゃく)に触れてしまいました。

「その娘が山の中に入ったのを俺たちは知っている! 早くしなくては山の神様の災いが、村にふりかかってしまう!」

やっと、はっきりと聞こえた声でようやく私は彼らの怒りの意味を知りました。そしてあぁ、またカミ様とやらの事かと何故か落胆しました。

 正しく狂信的な信者という言葉がよく似合う人たちだ。

山にカミ様なんていないと言って、アリカちゃんたちを村人たちから救わなくては。またいつ鎌が振り回されるか分からなくって危なっかしい。

私はやっと重い腰を上げることにしました。村に住む人々の印象は彼女らの中で最悪なものとなってしまった。汚名返上も到底無理だろう。

彼女らの手を借りて村から出ようと考えていた私の夢はここで途絶えてしまうかもしれない。

だけど彼女たちの安全の方が優先的だと思い、私は一歩足を前に出した。が、遅かった。

 村人の一人がついに鎌を町長の首根っこに突き刺したのだ。グイグイと食い込ませるように鎌の刃を沈めていく。

町長は抵抗するも、すでに刃は深くまで刺さってしまった。鎌を抜こうものなら大量出血してしまう。

その恐怖にどうすることも出来なくなった時、別の村人がアリカちゃんにも襲い掛かった。

恐怖で悲鳴も上げられなかったアリカちゃんは、さすがにこの時は悲鳴を上げて抵抗していましたがそれは一瞬の事で、すぐに別の鎌で彼女は滅多刺しにされてしまいました。

「神様が怒っているんだ。こうしなきゃ俺たちが祟られる。村に危害が出る前に仕方がないことなのだよ」

あまりにも恐ろしい殺人現場を見てしまった私はまた木の陰に隠れて目と耳を塞ぎ震えておりました。

 しばらくすると、車の扉を開く音が何度か聞こえました。ゆっくりと様子をうかがいます。

二人の姿はどこにもなく、村人三人の姿だけがありました。

一人が道路の木の柵を壊しますと二人は力一杯に車を押して柵の外に車を突き落としました。柵の向こうは深い崖です。

木々の揺れる音と大きなものが潰れる音が聞こえますと、三人は崖の下へと続く森の道に消えていきました。

 私は急いで村へと戻りました。私は一体何を見たのだ。何を見てしまったのだ。

彼らがここまでして崇める神様とはなんだ。彼らをここまで駆り立てる恐怖とは何なんだ。

何故有りもしない想像上の神を恐れ敬えられる。

 一直線に家に戻ると自分の部屋に逃げ込み、部屋の隅でガタガタ震えておりました。

すでに社の片づけを終えていた祖母が私がどこに出かけていたのかと怒鳴り込みに来ましたが、私はその怒鳴り声を(さえぎ)るように彼女に飛びかかりました。

「アオオビ様は本当に何でもないただの人の子なの? 村の神様は私たちの先祖が作った想像の産物なのでしょう?」

あまりにも私の声が恐怖で震えて引きつっていたのでしょう。祖母は一度私に落ち着くようにと言いました。

そして彼女はまた低く威厳のある声で、あの日私に聞かせてくれた村の古い言い伝えを話してくれました。

ですがいくら聞いても私は納得できなかった。

結局は作り話でしょ。在りもしない存在にビクビクと、どうしてそこまで怯えていられるのか。

「それほどの歴史を、村の人々が長い年月をかけてそのお面にやどしてしまったのだよ」

 言い伝えは嘘の肉で固められていても骨の歴史は本物で、それはとても奇妙な事だった。

アオオビ様として今は祀られているこの子供のお面は元々、都の反逆者として追い出された民の子供で、その反逆者を打ち落としたのが私たちの先祖だった。その先祖たちが反逆者の霊の祟りを恐れて供養として子供の面を作り大事に守っている。

それが何年、何十、何百年と今も形を変えて、意味を変えて生き続けている。

 私たち村人は何を神に願っている?自分たちが殺した反逆者に何を願っている。

自分たちの村の平和を安息を。悪として排除した者を神と崇めて可愛い自分たちを救ってくれるよう願っている。なんと滑稽な話なんだ。

 私はついに狂ってしまったのでしょうか。一人ケタケタ愉快だと笑い転げてしまいました。

「この話をよく覚えておきなさい。この話だけがお前を助けてくれる」

「誰が何を助けるのだ? 自分たちだけが助かるならば周りはどうなってもいいと思っているくせに。この臆病どもめが」

よくもまあこの口から言えたものです。しかし致し方ありません。

人は自分の矛盾に気付かずに生きていく生き物なのだと、私はそう信じておりますから。


 私が忙しく笑ったり泣いたりしていますと、玄関の方から慌ただしい声が祖母の名を呼びました。

きっとアリカちゃんたちの死体が見つかったのでしょう。

祖母は呼びに来た村人と一通り話を済ませると、供養が必要な死体が見つかったからお前もすぐに準備をして社に来なさいと

言いました。落ち着きを取り戻した私は一人アオオビ様の装束を身にまとい、急ぐことなく社へと向かいました。


 引き上げられた死体は二つ。

眩しい西日に目を奪われた運転手が車の操作を誤ったため、道の柵を突き破り崖の下へと落ちていった。

運転席は潰れて木の枝が窓を突き破り、運転手の首根っこと心臓に突き刺さって死亡。

助手席に座っていた人も木の枝で体中傷だらけになり、首の致命傷に枝が刺さって死亡。

しかし助手席の彼女の方は顔の皮がお面のように捲れていた。

 私の目の前には三年前に水死した彼と同じ、白い面をかぶった二つの死体が並べられていました。

自然と女性の面の方へと手が伸びます。しかし祖母の「やめなさい」という声で我に返りました。

死体を引き上げたのはあの三人。興奮した様子で私に現場の話をしてくれますが、どれも嘘でした。

私は本当の事を知っている。なぜなら全て見ていたから。この人殺し三人組がアリカちゃんたちを殺した所を。

きっとこの面の下には恐怖に歪んだアリカちゃんの顔があるのでしょう。そう思うととても心が苦しかった。

 ごめんなさい。私の我が儘で、こんな事になるとは思わなかったのです。

貴女達の世界が羨ましくって、私も村人たちも一緒にその輪の中に入りたかっただけなのです。

もっと自分の村の事を知っていれば、分かっていればこんな事にはならなかったでしょう。

 小さく嗚咽を漏らす私に驚いた村人たちはあたふたと取り乱しておりましたが下の騒ぎに気が付いて、みんなそちらの方へと向かって行きました。

私も後を追い彼らの後についていきます。すると、アキヒロちゃんの怒鳴り声が聞こえました。

そして目の前の大人たちが道を開けましたら、目の前に突如彼が現れたのです。

 血の気のない真っ白な顔。青く染まった唇と細めて潤んだ瞳が悲しく震えている。

「だめよアキヒロちゃん、この先は」

「止めるな姉ちゃん! この先に何か見ちゃいけないものでもあるのか?!」

「お前さんは行っちゃいけないよ」

「アリカか?! アリカが居るとでもいうのか?! そんなの嘘だ!

俺は俺の目で見たものしか信じない! ここを退け!!」

今の彼女をアキヒロちゃんに見せてはいけないと私はとっさに思った。

傷だらけの彼女と真っ白な面を見た彼はどうなってしまうのだろう。

想像できない恐怖に私は彼をどんな手でも止めなくてはと必死に彼に抵抗した。

 アキヒロちゃんに弾き飛ばされ、地面に倒れようとも彼の足にしがみ付く。

次に蹴りが来るのではないかと、怯えつつ待ち構えていましたが何も起きませんでした。むしろ彼は一歩後ずさった。

アキヒロちゃんが動かない事を確認し、私は静かに起き上って彼の手を取りました。

「アキヒロちゃん、これからお前さんのお祓いをするよ。アリカさんは残念だけど、

お前さんは許してもらうようにお願いしよう。ね、私もついてるから大丈夫だよ。一度家に帰ろう」

アオオビ様を崇める信者たちを安心させ、アキヒロちゃんの身を守る為に周りに聞こえるように言いました。

きっと彼は抵抗するだろう。なにせ彼はアオオビ様もカミ様も、妖怪的なもの全ての存在を信じちゃいない。

それでも私に合わしてくれと心に強く願った。その願いは届いたのか彼は小さく頷き私に手を取られるがままに家路へと向かった。


「アリカが死んだのは本当かい?」

何十年ぶりに繋いだ手と手。だけど話す内容はどうしてこんなにも悲しいものなのか。

「……ええ、そうよ」

「死体を……みたのかい?」

「…………ええ、そうよ」

感情を殺して伝えなくては。私が気を乱したらアキヒロちゃんも不安がってしまう。そう思って私はただ、うつむいき彼の手を引っ張った。

その他に、彼に何か話すことはなかった。

 アキヒロちゃんを無事、家に送るとアリカちゃんのお祓いを済ませると言ってまた社に戻りました。

足は酷く重いのに、急いで歩きました。早く済ませよう。さっさと終わらせよう。

また死体の前に座りつくと形だけのお祓いを始めます。みんなありがたそうにかがり火を仰ぎ、山に向かって手を合わせる。これに一体どんな意味があるのだろう。

お祓いの手順通りに事を終わらせ、二人の死体を村の外れに運びました。

カミ様に取り殺されたものは村で一生供養するのが決まり。つまりもう彼女らはみんなのいる外の世界に帰れなくなってしまったのです。

私は最後にアリカちゃんにごめんなさいと呟いた。許しをもらうために言った言葉ではない。

ただただ不憫な彼女を思ってつい言ってしまった言葉であり、これから彼女の事を裏切るためについた言葉でありました。


「お婆様、あの子はアキヒロちゃんのお友達でしたの。だから今、アキヒロちゃんは大層心を痛めて取り乱しております。

申し訳ございませんが、お婆様が先に社でアキヒロちゃんのお祓いの準備をしていただけないでしょうか。

その間にアキヒロちゃんの気を落ち着かせたいのです」

祖母はそうかと言い、素直に社の方へと向かってくれました。

私は急いで家に戻るとアキヒロちゃんに声をかけてやります。

彼は思っていた以上に衰弱し、何やらブツブツと自問自答を繰り返しておりました。

とりあえず私は形として、彼にお祓いの時に注意すべき点を幾つか述べました。がどうも彼に声が届いているような感じがしません。

反発することも、馬鹿にしてあしらう事もなく。

それほどアリカちゃんの存在は彼の中でとても大きなものだったのかと驚きました。

 一通り話を終え、しばらく沈黙が続きました。ずっと思い考えていた事をついにアキヒロちゃんに言う時が来た。

私は緊張のあまり両手を強く握りしめていました。そして、手汗が染みるのをじわじわと感じておりました。

「アキヒロちゃん、この村を出ましょう」

もうこの村はどんな手を使っても助からない。嘘で自分たちを正当化し、己の身動きを縛っている。

こんな穴倉で一生を終えるのは嫌だ。私はすぐにでもこの村を出る覚悟の準備はできていた。

だけどそれはアキヒロちゃんと一緒でなくては持てぬ覚悟。

私たち姉弟は別々の物を見て、考えを持って生きてきた。それなのに目標は一緒だった。

彼なら分かってくれる。私の言葉に賛同し、一緒にこの村の外へと連れだしてくれる。

 しかし次の彼の言葉は思いもよらぬものでした。

「? どうしてだい? いくらアオオビ様である姉ちゃんでも神様に祟られるよ」

アオオビ、神様、祟り。彼の口から思いもよらぬ言葉が並ぶ。

「何を言ってるんだい? カミ様なんてものはいないよ。お前も知ってるだろ?」

「それでは今日までの事件は何ですか?アリカは顔の皮を剥がれて死んだと聞いた。ただの事故では剥がれませんよ!」

恐怖と興奮が混ざり合い、笑う貴方が恐ろしい。これはさっきまでの私。恐怖で祖母にしがみ付き怒鳴り散らしていた私と一緒。

まるで自分が非現実の世界へ迷い込んでしまった主人公のように、不可解な事件に心を躍らせている。

「あれは村の者がやったのだ! 私は見たのだよ。三年前のお前の親友だって、村の誰かに殺されたんだ!

これまでの事件すべて村長や村の者達がでっち上げた偽物だ! カミ様なんて存在しない」

「そんな嘘をついて俺を殺す気か! 俺が今まで散々神様をおちょくったからその腹いせか!

祓うと言って祟るのか! 恐ろしい、それで神様に使えしアオオビ様を任された者なのか!」

何という事だ、あの偽りを嫌っていた彼はどこに行ってしまったのでしょうか。

今の彼はありもしないカミ様に怯えて驚き、恐怖にのたうち回っている。

彼は違う。私の知るアキヒロではない。彼ならば私の誘いに乗ってくれると信じていた。

『お前が辛いとき、アキヒロちゃんがきっと助けてくれるよ』

 お父さん、お母さんあなたの言葉は嘘なのですか。信じた私が愚かなのですか。

どうして私は今、アキヒロちゃんの事を哀れに思い見下しているのですか。

これから私はどうすれば。私一人ではこの村を出る勇気も、未来を生きる希望もございません。

 私はその場で只々、アキヒロの憎悪の眼差しに涙を流すほかありませんでした。

「アキヒロちゃん、ごめんなさい。私はただ、できればアキヒロちゃんとこれからも

仲良く暮らしたかっただけなのです。でも間違いでした。ごめんなさい」

私は落ち着くまでもうしばらく部屋にいさせてもらうようにアキヒロに頼み、彼には先に社へと向かってもらいました。

憎い、憎い、憎い。この面が憎たらしい。偽物まがいのカミサマめ。

これこそバケモノ、怪物よ。今すぐ剥ぎ取り割ってしまいたい。だけど彼とて被害者なのだ。

憎むはこの村の腑抜けた根性。平然と嘘を吐き捨てる弱き人々よ。これから私はどうすれば……



 嘘も吐き続ければ本当になる。そんな話があるでしょう?

あんなにアオオビ様を嫌っていたアキヒロが、怯え怖がり藁にもすがる思いで助けを求めてきた。

それほどの存在になったのだから一つ私の願いも叶えてもらいたいものだと、初めて想像上のカミ様に願い事を吐き捨てた。

「やい、山に住まう神とやら。お前がこの村を守る神様と言うのなら、お前の子であるアオオビの。私の願いを聞いとくれ」

叶える事が出来ぬ願い、それでも村人全員が崇める神様ならば本物でしょう。ならば叶えてくれと嗚咽交じりの声を荒げてみせた。

神でも仏でも何でもいい。この地獄から誰か救ってくれ。

 お父さん、お母さん今どこにいるのですか? 皆と一緒に暮らしたいよ……



<つづく>

ありがとうございました。まだ続きます。

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