其之弐―おとこのこのかたり―
これから話す事はかつての事件を知るうえでは特に必要ではない知識であり
語る側の単なる自己満足であります。
しかし全く関係ないとも言えなくもなく、何かしらの手掛かりになればと思いまして
皆様にお話ししようと考え付いた次第です。
僕たちが住んでいた場所は山の中腹部にある三十ほどの民家が集まった集落でした。
お隣同士がとても近くて家族同然。いや、村自体が一つの家族でした。
だから子供たちは両親だけの宝ではなく村全体の宝でありまして、
村人皆で子供たちを大切に育てておりました。
子供たちは歳の差も関係なく一緒に遊びまわり、時には兄弟のように互いを信頼して
親しみ合っていました。ですが僕たち同い年五人組は年長のお兄さんたちとも年少の子供たちとも遊んだりせず、いつも同じ五人組でつるんで遅くまで遊んでおりました。
辺りが暗くなるまで遊んでいますと、大人たちに早く帰るよう幾度も怒られはしましたが今思えば僕たちの代は随分と可愛がられていた方だと思います。
思うに、アオオビ様のお面をかぶっている青葉様がおられたからではと。
アオオビ様とはこの村にある古くからの言い伝えで現れる人でして、
山のカミ様に嫁いだお方でございます。
何かに例え難いですが、神社の巫女様よりも偉い人だと言えば
分かりやすいでしょうか。
かつては山のカミ様を村でまつっていたそうですが、
今ではアオオビ様の方を信仰しております。
なぜカミ様からアオオビ様に対象が変わってしまったのか、大人たちに聞いても曖昧で見当違いな答えしか返ってきませんでした。ですがアオオビ様のお面がその対象をずらすきっかけだったのではないかと、その時の僕は思っておりました。
そう思ったのはアオオビ様のお面を付けた子供が村の大人たちに、村一番の宝のように大切にしてもらっていたからです。
それはもう、子供たちみんなして羨ましがるほどに可愛がられていて、次は自分がやりたいと駄々をこねる子供がいるぐらいでした。
しかし十数年に一度しか選ばれないし、選ばれたとしてもアオオビ様のお面を
次のアオオビ様役が現れるまで食事や入浴時など、お面を絶対に取らなくてはいけない時以外はずっとお面を付けていなくてはならないという不自由な決まりがついてきます。
さらに、名前に”アオ”が入った新しい名前を村の大婆様から授かります。
役が終われば元の名前に戻りますが、アオオビ様を演じている間は誰も前の名前で呼んではいけませんし、呼ばれても返事をしてはいけないという決まりです。
僕ならやりたいかと言われたら、そんな自由のない生活は遠慮させていただきます。
ですが丁度、僕たちの代の女の子がアオオビ様として選ばれておりました。名前は青葉と言いました。
彼女に一度、大変ではないかと聞いたことがあります。でも思っていた答えとは違い、
選ばれたからと言って大した仕事があるわけではないよ、と可笑しそうに笑っておりました。
大きな仕事があるとすれば、夏祭りが開催される一か月前から準備のために
山に籠る位の事だけだとも言っておりました。
僕が初めて青葉様にお会いした時、彼女はすでにアオオビ様の面をつけておりましたので僕は彼女の顔も本名も知りません。
アオオビ様とは何なのか、どれほど素晴らしい人で
敬うべき人かと毎日のように言い聞かされていた僕は初めて青葉様に会ったとき、
緊張のあまり身を強張らせてしまいました。
ですがそんな僕に彼女は優しく声をかけて一緒に遊ぼうと誘ってくれたのです。
青葉様はなんら変わりない、僕と同い年の普通の女の子。
同じ学校で同じように学び、同じものを食べ、同じように走って遊んだりしました。
そして今から三年も前になるでしょうか。忘れがたい出来事が起こりました。
始まりは僕たちの中の一人が青葉様に恋をしてしまったことから始まります。
彼が言うには、彼女はアオオビ様に選ばれたことを安易に自慢したり、
僕たちを見下したりはしない。
たとえお面をつけていて素顔が見えずとも僕たちに優しく微笑みかけ、話し合い、導いてくれる。
所々で見られる彼女の心遣いの品の良さに惹かれたのだと、心底青葉様に惚れ込んでいました。
しかし彼女は村の大切なアオオビ様。その役が終わるまで好きな人との恋愛も許されてはいない。
カミ様のお嫁さんを愛する事などこの村の最大の禁句。彼はしばらくの辛抱だと
心の中に思いを隠すことに決めました。
ですが周りの子供たちには彼の心の声はすべて丸聞こえだったのです。
青葉様が山籠もりの準備をし始めますと、彼は彼女に一か月間会えなくなる悲しみで
一人夕暮れの公園で隠れて涙を流していたのです。
そんな彼に、他の友達は彼を励まそうと青葉様のお話を沢山持ちかけてくれました。
彼女の好きな花や食べ物、誰かに親切をしていた事など。今後、彼の恋愛に役立つ彼女の美しくも素晴らしい噂話。
特に彼の親友でもある青葉様の弟君は、姉弟でしか知りえない姉としての優しい彼女の一面を彼のためにと沢山お話をしてくれました。
そう言った彼らのお節介な励ましにより、彼の青葉様に対する思いはより一層強いものとなって育ってしまったのです。
そしてついに彼は青葉様を呼び出して自分の本心を打ち明けようと覚悟を決めたのでした。
忘れもしない激しい夕立に見舞われた石橋の上。
彼は小川に掛かった橋の上で傘を差しながら青葉様が来るのを今か今かと待ち続けていました。
迫る思いに胸は締め付けられ、心臓の鼓動が耳の奥深くを打ち鳴らし
このまま心臓が破裂して死んでしまうのかと、彼は自分の胸を押さつけながらあたりを見回しました。
しかし青葉様が約束の場所に着いた時、彼はどこにも居ませんでした。
豪雨のせいでいつもは綺麗な小川のせせらぎも泥水で黒く濁りきり、橋を飲み込む勢いで流れていました。
普段と違う恐ろしい川の姿に恐怖した青葉様は急いでお家へとお帰りになって、大人たちに橋の上で会うはずの彼がいないことを伝えました。
大人たちは彼は先に帰ったのではないかと思いつつ彼の家へ確認の電話をしてみました。すると帰らぬ我が子を心配する母親の声が受話器から長々と聞こえてきたのです。
暗い雨の中、数人の大人たちが走り回って彼を探しましたが
その日のうちに見つけることはできませんでした。
それから二日ほど経っても彼は自分の家には戻らず、村の大人たちはみんなして山狩りや川のほとりの捜索をしたりしていました。
しばらく捜索を続けていると、川の下流にたどり着いた一人の村人が川の上まで伸びた
小ぶりな木の枝に引っかかる奇妙な浮きを見つけました。
白くて丸い浮きを理解したその人は、声にならない悲鳴をあげて慌てて村まで走って行きました。
そう、浮きだと思っていたそれは彼の土左衛門となった姿だったのです。
口から水を、膚から水を、身体中のありとあらゆる場所から水を大量に吸い上げた彼の体は丸々と倍以上の大きさに膨れ上がり、うつ伏せなって浮いていたのです。
その姿を見た彼の両親は嘆き悲しみ、嗚咽を漏らしてその場にくずおれました。
しかし不思議なことに、引き上げた土左衛門は真ん丸く膨らんでいるというのに
顔だけはお面のようにのっぺりと、何も変わらぬ眠った子供の顔をしておりました。
「山のカミ様がお怒りになったのだ」と誰かが言いました。
「コイツは青葉様に恋煩いをしておった。
失踪した日も青葉様を雨の中、橋の上に誘い出していたと聞く。
山のカミ様は嫉妬深いお方だから、子供を川へと放り込んだのだ」
誰もが恐ろしやと声を合わせ、彼の土左衛門は急いで社へと担ぎ込まれたのです。
運び込まれた土左衛門を見て大婆様は「哀れなり」と声をかけ、青葉様は
悲しみの色に染まった瞳で僕を見つめました。
死体は一日丁寧にお祓いした後、火葬されて先祖代々受け継ぐ墓石の元へと収められました。これが彼の忘れられない僕が死んだ経緯です。
その後、村人たちはより一層青葉様を腫れもの扱いするように
大事に大事にと接するようになりました。
青葉様に声をかけても返事が返ってこなければ気に触れてしまったのではないかと思い込み、慌てて「大した事ではございません。お忙しいところ呼びかけてしまい大変申し訳ございませんでした」とお詫びをしたり、
青葉様が怪我をなさった所を見て見ぬ振りをした子供がいれば
その子供は親の許しが出るまで押入れの中に閉じ込められていました。
ですが、まあ一日たてば押し入れから無理矢理引きずり出されて青葉様の元へ
お詫びの品を持って行き、見過ごした事を泣いて謝りに行けと尻を叩かれるのがほとんどでした。
アオオビ様の機嫌を損ねることは山のカミ様の機嫌を悪くすること。
アオオビ様を傷付けることはカミ様の祟りに触れること。
村人たちは常に青葉様の顔色を伺い、毎日どこかしらの家がおすそ分けと言う名のお供え物を納めに行くのです。
青葉様の望む物、望む事。全てを先読みして願いをかなえる。彼女の機嫌を崩してはならぬ。
その時の村からは今までとは違う、家族的な温かくて優しい雰囲気とは別物の
嫌に神経に触れる奇妙な一体感が感じ取れました。
村人たちはその団結力を大切にしておりましたが、彼らは最後まで知りませんでした。それが一番青葉様の機嫌を大いに害していることを。
僕は死んで村から離れた今、何となくですがやっと彼女の心が分かった気でいます。
村人たちは彼女の本当の声に耳を傾けず、己の理想ばかりを彼女たちに見ていたのです。そしてまた僕も彼も彼女の上面しか見ていなかったのです。
もう僕は彼女を追う事はないでしょう。
ですが僕は願います。彼女たちの魂に永遠の自由と安らぎを。
〈つづく〉
読んでいただき有難うございます。