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奴隷少女と果実

 薄暗い馬車の中。

 清潔という言葉の対極にあるような、酷く汚い車内。

 粗末な服を着た人々が数人、うずくまって馬車に揺られていた。

 ガタゴトと、道を走る振動が直に伝わってくるそこは、"人"ではなく"モノ"を運ぶために用意された空間。

 奴隷を運ぶための馬車の中だった。

 そんな人を人とも思わないような場所で、赤い目と猫のような耳を持つ少女は横たわっている。

 蹴られ、殴られ、踏まれ、抉られて、傷ついた自分の肌を慰めることもなく、ただ無心に、焦点の合わない目を開いている。

 馬車の揺れが少ないときに、注視すればなんとかわかるほどの小さな胸の上下が、まだ少女に息があることを示していた。


「ねぇ、生きてる……? 息、してるよね……?」


 そんな少女に声をかけたのは、周囲の人々と同じように薄汚れた服を着る、人間の女性だった。

 腰の辺りまで伸びた長い黒髪にツヤはなく、整っていたであろう顔には、慢性的な疲れの色が浮かんでいる。

 それでも馬車の中にいる大多数と比べると、いくらか瞳に光があった。


「私、ミースっていうの。あなたは?」


 ミースの問いに、少女は反応しない。

「……そっか。答えたくないのかな。仕方ないよね、疲れてるもの」

 納得したような顔で、ミースは少女の近くに座りなおした。

「今は一番新しい奴隷があなただから、あなたばかり殴られるけど、しばらくして新しい奴隷が入ったらもう少し回数は減るはずよ。無くなるわけじゃないけどね」

「…………」

 何も答えない少女に、ミースはぽつぽつと話し始める。


「酷い傷……跡が残らないといいわね。女の子だもの」

「…………」


「白い肌ね……私も中々だと思うけど、あなたほどじゃないわ。ちゃんと洗えばきっと綺麗になるはず」

「…………」

 

 度重なるミースの声に、少女は無言を返す。

 当然会話などにはならず、話が続くことはない。

 それでも、時々思い出したように、ミースは少女に語りかける。

 馬車の中には、そんなミースの声だけが響いていた。




「くそっ! なぜこの私が、大衆の面前であんな辱めを受けなければならんのだ!」

 レークの街を走る馬車の中。

 貴族オーガン・レガード・ラウラエルは激昂していた。


 取引先との交渉のため、遠路はるばるこのレークまでやって来た。

 長旅で溜まった鬱憤を晴らそうと、人通りの多そうな場所で、いつもストレスが溜まったときにしているように奴隷を殴っていた。

 少し前に格安で手に入れた、比較的新しい奴隷。

 他種族との子供ができにくい瞬生種と、個体差が大きく観賞用として人気の高い獣人種とのハーフの少女。

 経営に行き詰った孤児院から孤児を引き取るという名目で、奴隷商とは比べ物にならないような破格の値段で買い取った。

 領地経営がうまくいかず、そんな価値の高い奴隷など買う余裕のなかったオーガンは、とにかく見せびらかしたくて仕方がなかったのだ。


 人通りの多い場所で、価値の高い奴隷を足蹴にする優越感。

 機嫌を良くしていたオーガンはこの後、その顔を恐怖に歪めることになる。


「魔王ユーリ・ミノユイア……七災の1人がなぜあんなところに……」

 たった1体で国どころか世界すら滅ぼすと言われる魔王。世界に13体いるそれらの中でも別格。各地を放浪する3体の≪魔王≫と4体の≪魔性≫を合わせた『七災』の1人にも数えられる。

 姿こそ広まっていないものの、名前だけなら知らない者はいない最強の存在。

 そんな規格外の相手が、目の前に現れ一言、「やめろ」と言ったのだ。

 ところが、相手が何者かわからなかったオーガンはあろうことかそれに歯向かってしまった。


 次の瞬間感じたのは、恐怖。


 貴族としてぬくぬくと育ってきたオーガンがそれまでに感じたことのないような、純粋で圧倒的な恐怖。

 今自分がこうして息をしているのが不思議だとすら、オーガンは思っていた。

 しかし、それと自分が恥をかくことは別の問題なわけで。

「ああ腹が立つ! おい、宿にはまだ着かないのか!」

 町中で速度の出ない馬車が、オーガンの怒りを大きくしていた。




 日の落ちた馬車の中。

 照明などない車内は暗く、外から僅かに入ってくる明かりでなんとか周囲の状況がわかる程度だった。

 馬車は止まっていて、辺りには静寂が満ちている。

 そんな中、ミースの声はさっきまでよりはっきりと響いていた。

「あなたが来る前には、力持ちのモームさんや、≪不眠≫のスキルを持つウェイラさん、いろんな面白い人がいたのよ。でも、きっと別のところに売られていったのね。みんないなくなっちゃった。私は特技もないし、持ってるスキルといえば≪低温耐性lv1≫と≪暗視≫なんて面白みのないもの。そんな特徴のない人間種を売ったところで、大したお金にはならないんでしょうね」

 自嘲するでもなく、当たり前のことのようにミースが言う。

「貴族の割に、お金に困ってるみたいね。高価なものがだんだんと減っていってるもの。その分ストレスが溜まって、私たちにあたるみたいだけど……」

 そこでミースは言葉を止める。

 外からは数人の男たちの声が聞こえ、やがて馬車の目の前までやって来た。

 鍵が外れる音とともに、馬車の扉が開く。

「ほら。食事だ」

 1人の男が、馬車の中にいくつかの果物を投げ込む。

 それを見て、うずくまっていた人々がゆっくりと動き出した。

 痛んでいたり、虫食いがあったり、決して品質がいいとは言えないその果物たちを拾っては、元いた場所に戻り、もそもそと食べ始める。

 仕事を終えた男は扉を閉め、鍵をかけて去っていった。

 そんな中でも少女は微動だにしない。

「ほら。食べられるときに食べておかないと、身体が持たないわ」

 そう言いながら戻ってきたミースは両手に一つずつ、比較的綺麗な果物を持っていた。

「≪暗視≫のスキルも、たまには役に立つわね。はい、あなたの分よ」

 ミースは横たわる少女の前に果物を置くと、もう片方の手で持っていた自分の分にかじりつく。

 少女はやはり動かなかった。

 ミースは咀嚼しながらその様子をじっと見つめていたが、やがて自分の果物を食べ終えた他の奴隷たちが少女の前にある果物に目を付け始めると、ため息を吐いて立ち上がる。

「はぁ……まったく」

 少女の前に置いた果物を拾いなおすと、自分の歯で噛み千切り、口に含むことなく手の上へ出した。

「口移しが嫌だなんて、言わないでよね」

 一口大になったそれを、少女の口の前に持っていく。

 しかし、少女は何の反応も見せない。

 ミースはそのままの状態でいたが、しばらくすると少女の口がほんの僅かに開いた。

 それを見逃さず、果物のかけらを口の中へ押し込む。

 ゆっくりと少女の口が動くのを見て、ミースは微笑んだ。

「やっと反応してくれた……」

 その後も、食べやすい大きさに噛み切ったかけらを少女の口へと運んでいく。

 誰もが絶望と諦めに染まる馬車の中で、ミースだけがその顔に笑みを浮かべていた。

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