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希望のない森

「はぁ……」

 前髪を伝う水滴が地に落ちて弾ける音を聞きながら、ため息をつく。

 目線をあげると、果てしなく深い夜の闇。

 カバンに入っていた光水晶が無ければ、この場所も漆黒に飲み込まれていただろう。

 狼達を撃退してから数十分。幸いなことに、雨露をしのげる場所が見つかった。

 巨人の腕を思わせるほどの大木に、大人2人程度なら優に入れそうな洞が開いていたのだ。10代後半ほどの少年と、10歳にも満たないであろう少女の組み合わせなら、背負っていた荷物を置いてもくつろげるだけのスペースができる。

 雨に濡れて重くなった服を脱ぐと、水分が気化して身体から熱が持っていかれる感覚があった。

 僕の行動を見て同じく服を脱ぎ始めたマオは、しかし替えの服を持っていなかったので、僕が慌てて自分のカバンから取り出した服を着せた。僕がこの世界に初めて来たときに身に着けていた、白い長袖のシャツだ。

 おかげで僕はズボンしか履き替えることができず、閉鎖空間の中に上半身裸の少年と裸に白シャツの少女が身を寄せ合うというとても危ない状況が出来上がってしまった。

 でも、ため息の理由はそこではない。

 この森からどうやったら出られるのかも、そもそもこの森が世界地図のどこに位置するのかもわからない。一番悩ましいのは、僕たちが置かれているこの状況だった。

 食料は一応、僕とマオのカバンに入っている分を合わせれば数日は持ちそうだ。逆に言えば、数日のうちにこの状況をどうにかしないと、その先には餓死という最悪の結末が待っているということに他ならない。

 さらに言えば、さっきみたいにこの森に住む獣に食い殺される可能性も常に付いて回る。食料が無くて死ぬよりも、食料になって死ぬ可能性のほうが、確率としては高いのかもしれない。

「はぁ……」

 再びのため息。よくため息をつくと幸せが逃げるというが、僕たちから逃げる分の幸せが残っているのかすら怪しい。

 泣きたい気分だった。けれど、僕が弱音を口から吐き出さずにいられるのは、隣にマオがいるからだ。

 マオに――この果てしなく無口で無表情な少女に出会えたことは、僕にとって唯一にして最大の幸運だった。

 マオがいるおかげで、どうしようもなく怖くて絶望的な気持ちをどうにか押さえ込めている。自棄にならずに、済んでいる。

「ありがとな、マオ」

 いつの間にか、そう口に出していた。

 僕の言葉を聞いたマオがこちらをじっと見つめてくる。

 その口はいつものように閉じられたままだったが、どこまでも透き通るような真紅の瞳に見つめられ、僕はなんだか気まずくなって目を逸らす。

 マオは本当に考えていることがわからないな……

 その後もマオと反対の方向に顔を向けていると、マオの方から顔を近づけてくる感覚があった。耳元からマオの吐息がかすかに聞こえてくる。

 な、なんだ……? 一体何をして……

 幼い少女とはいえ、女子に顔を近づけられて緊張しないほど僕の精神は図太くなく、僕の身体は顔をマオから背けたまま硬直して動かなくなってしまった。

 マオの吐息がだんだん近づいてきて、心臓が早鐘を打つ。

 そして、マオの吐息が僕の首元に触れたと思ったその瞬間。


 ――ざらり。


 そんな音が聞こえてきそうな感触とともに、鋭く刺すような痛みが身体を駆け抜けた。

「――っ!」

 ビクッと勝手に反応する僕の身体を、マオが小さな腕で押さえつける。

 マオに首筋を舐められたのだと理解するまで、たっぷり十数秒かかった。

「な……なぁっ!?」

 驚きで目を白黒させている間にも、再び走る鋭い痛み。

 一旦マオを離させてから自分の首元に触れると、少量ではあるが赤くて鉄臭い液体が指についていた。どうやら狼達に襲われたときどこかで切っていたらしい。

 痛みも無かったし、場所が場所だけに自分では気付けなかったのだ。

 僕が状況を理解すると同時に、マオが再び首元に口を当ててくる。

「い、いやマオ、そんなことしちゃ駄目だって!」

 衛生的にも倫理的にも教育的にもよろしくないので、もう一度マオを引き剥がそうとするが、今度はなかなか離れてくれない。

 さっきから心拍数が上がりっぱなしだ。これ逆に出血が増えるんじゃないか?

 時々神経のある場所にマオの舌が触れるのか、刺すような痛みが首元に走る。

 僕はしばらく抵抗を試みたが、おそらくは善意でやってくれているだろう行動を強く拒否するなどできず。

 やっとマオが口を離してくれた頃には、僕の首元の皮膚は完全にふやけきってしまっていた。




 翌朝。

 僕は獣に襲われる恐怖心から、一睡もすることができなかった……かというとそうでもなく、疲れ切った身体は体力を回復することを優先したようだった。

 森の澄んだ空気と共に、清涼な気分で目が覚める。

 上半身が裸のままで寝たからか、身体は芯まで冷え切っているようだ。

 乾かしておいた服を羽織ると、まだ乾ききってはいなかったが十分着られるまでにはなっている。

 マオを起こそうと振り向くと、二対の真紅の瞳と目が合った。

「起きてたのか。おはよう、マオ」

「…………」

 相変わらずの無言で、パッチリと目を見開らくマオ。

 あまりに濁りのないその瞳に、もしかして昨夜寝ていなかったのではという不安がよぎる。が、僕が寝たのはマオが寝息を立て始めたのを確認した後だったし、目の下の血色も良いので思い過ごしだろう。

「マオ、今日は森の中を歩き回って道とか川を探そうと思うんだけど、歩けそうか?」

 僕の問いに、マオはたっぷり数秒の間をおいてから、こくんと頷く。

 ユーリから聞いた話だと、瞬生種は種族的な特徴としてスタミナが少ないらしい。そうでなくてもマオはまだ幼いわけだし、気遣いながら進まないといけないだろう。

 とりあえず、マオの服をシャツ一枚から元の冒険服へ着替えさせる。服が小さいせいか、僕のよりもいくらか乾いていた。




 木の葉の隙間から漏れた光が、茶色く石の多い地面を照らしている。

 ごつごつしていて決して歩き心地がいいとは言えないが、乱立する大樹に栄養を吸われているせいか足元に生えている草はあまり多くない。

 僕は帰り道を見失わないように、めぼしい木を見つけては、今出てきた仮拠点の方向をナイフで彫り付けた。もし今日一日でこの状況を打開できる策や森から抜け出す道が見つからなければ、再びあの木の洞に戻るつもりだ。

 道が見つからずとも、川なんかが見つかれば万々歳だ。川の下流のほうには人が住んでいることが多いし、歩き続けて海に出ようものなら、海岸線に沿って歩いて港が見つけられる。

 僕たちが今どこにいるかを知るためにも、これからどうするべきかを考えるためにも、まずは人に会うことが第一目標なのだ。

「……今はまだいいけど、どれだけ歩くことになるんだろうなぁ」

 これから歩くことになるだろう果てしない道のりを想像して、思わずため息が漏れる。

 便利な交通手段の発達した異世界から来た身としては、仮に道や川を見つけても、目的の場所にたどり着く前に力尽きてしまいそうな気がしないでもなかった。

 ちらりと横を見ると、マオは僕よりもずっと小さな歩幅で、黙々と足を動かしている。

「僕が弱気になってちゃいけないよな……」

 自分で頬を叩いて、気合を入れなおす。

 よし、と小さく呟いて、再び歩き出そうとしたそのとき、マオが突然足を止めた。

「マオ、どうした?」

「…………」

 返事を期待していたわけではないが、やはりマオは無言だった。

 しかし、代わりに頭についている白い獣耳がピコピコ動いている。

 昨日狼達に襲われたときと同じ様子だ。

「まさか、またなのか!?」

 即座に腰から黒い短剣を抜き、辺りを慎重に見回す。

 もう閃光玉は残っていない。襲われても、昨日のような奇跡はもう起こらないのだ。

 けれど、心拍数を上昇させている僕をよそに、マオが突然走り出す。

 その様子は逃げるというより、どこかに向かっている感じだった。

「ちょ……マオ、待って!」

 慌てて後を追いかけるが、瞬生種と獣人種の血を持つマオの速力は幼いながら相当のもので一向に距離が縮まらない。

 足の筋肉へ急速に乳酸が溜まっていき、僕の意思と裏腹に足の回転スピードは落ちてゆく。

 このまま振り切られてしまうのではと思ったとき、突然視界が開けた。

「……え?」

 一瞬森を抜けたのかと錯覚したが、周囲を見回してみるとどうやら違うらしい。

 この辺りだけ木が生えておらず、代わりに背の低い草が生い茂っていて、小さな広場のようになっていた。

 その広場の中央に佇む、一つの構造物。

 綺麗な長方形のそれは、劣化が酷く一見岩のようにも見えるが、近づいてみるとどうやら人工物のようだとわかる。

 突然走り始めたマオの目的地はここだったようで、長方形の構造物の壁面に耳を当て何かを探ろうとしているらしい。

「何か聞こえるか?」

 僕が尋ねると、マオは視線を僕のほうに向け、静かに呟いた。

「…………ミース」

「え?」

 そう言うや否や、マオは必死の様相で構造物の壁を叩き始める。

「ミース! ミースっ!」

 まさかと思い壁に耳を当てると、確かに壁の向こうからかすかに女性の声がした。

『……マオ? そこにいるの!? マオっ!』

「ミース!!」

 壁の向こうから聞こえたのは紛れもなく探し求めていた仲間の一人、ミースの声だった。

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