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永遠と魔王

投稿、遅れてしまってすみませんでした。今回で第一章終了です。文字数が普段より多いのでご注意ください。



本日5月1日を持ちまして、効果なしと魔王の連載開始から丁度1年が経ちました。

話数、文字数も、ともに自己最高記録を更新しています。

ここまで続けてこられたのも、この小説を読んでくださる読者の方々のおかげです。本当にありがとうございます。これからもどうか、「効果なしと魔王」をよろしくお願いします。


それと、一つ報告を。

2016年4月1日に投稿した、エイプリルフール限定27話へと飛ぶURLを、26話のあとがきに掲載しました。

読まなくても本編のストーリーには一切問題ありませんが、もし読んでいないという方はよろしければ目を通していただけると幸いです。








 辺りを埋め尽くす赤い魔法陣。

 赤色に染まる視界の中で、ボクはその声を聞いた。


「――ライオっ!!」


 十数年ぶりに聞くフォードの本気の叫び声に、ボクは後ろを振り向く。

 そして、見てしまった。

 セツナが、ライオちゃんが、ミースちゃんがマオちゃんがレスティアちゃんが!

 ボクの守りたかった物が、赤い魔法陣に飲み込まれて、消えていくのを。


「――え?」


 駆け出す間も無かった。

 どんなに素早く動けても、進んでしまった時間を遡ることはできない。

 魔法陣が消え、ついさっきまでセツナたちが立っていた空間を見て、そこに誰もいないことを脳が遅れて理解する。

 フリーズしかけている頭で辺りを見回しても、目に入るのは一緒に戦っていたフォードだけ。

 ……わかってる。みんなが消えるところを、他でもないボク自身の目で見ていたんだから。


 失ってしまった……? ボクのせいで?


 ……守れなかった? ボクが連れてきたから? ボクが近くにいなかったから? ボクが戦うことに集中して目を離したから?


 ボクのせいで? ボクのせいで!?


 ……いや、違う。



 ――『私』の、せいだ。



 その瞬間、自分の中で大切な何かが消えていくのを感じた。







『0.21秒前、超高々密度魔力反応を観測。相対座標X-135.337Y-3654.46――』

 ライラーク風穴下層。

 つい先日、レーク政府によって不可侵領域宣言が出されたばかりの、摸倣種の棲家。

 そこに佇む黒いコートを纏った人物――イラは、摸倣種が形成する『思考共有ネットワーク』を通じてその報告を聞いた。

『魔力流動パターン解析。自然現象の可能性は限りなく低いと推測。過去の記録との照合を開始。覚醒中の全個体に、類似記録の提示を求めます』

 離れた場所から、瞬きするよりも早く情報を伝えることが可能なこの情報伝達手段は、摸倣種が『魔王殺し』と呼ばれるほどの戦闘力を持つ理由の一つでもある。

 思考を共有するこのネットワークは、認識した情報そのものを他の個体に送ることも可能だ。

 だからこそ、イラにはたった今送られてきた魔力流動パターンが一体何を意味するのか、瞬間的に理解できてしまった。


「ユーリ……一体どうして……」


 イラと同じ≪魔王≫であり、摸倣種(まおうごろし)の長であるイラにさえ『最強の魔王』と言わしめる孤高の少女。

 しかしその性格は極めて明るく温厚で、イラとは友人でもあった。

 けれど、イラが思考している間にもネットワークを通じて逐次送られてくる情報は、彼女が内に秘めた膨大な魔力を放出中であることを意味している。


 一体君に何があったんだ――ユーリっ!


『行動可能な全個体へ。最上位個体より命令。転移魔法を行使し、ライラーク風穴上層、指定座標へ集合せよ。なお当該座標付近には第一級警戒対象ユーリ・ミノユイアの存在が推測される。転移と同時に防御・回避行動に入れ』

 全摸倣種に向けて最上位の権限で命令を出しながら、自身も転移魔法の構築を始める。

 そんなイラの心中には、他の摸倣種が持ち得ない感情――"焦り"が渦巻いていた。


「ユーリ……ボクは友人として、君を守らなくちゃいけない。たとえそれが、君と戦う選択であろうとも」





 ライラーク風穴上層、その上空に転移したイラが目にした物。

 それは災害級の魔力乱流と、吹き荒れる暴風。そしてその中心に佇む銀髪の魔王だった。

『第一級警戒対象ユーリ・ミノユイアを目視にて確認。魔力密度、空間魔力総量、共に増大中。また、ユーリ・ミノユイア以外の人系種族を確認。観測範囲内に三。うち二は上位スキル≪魔性≫を保持。第三級警戒対象に指定。より広域な観測は、魔力乱流により困難であると判断します』

 種族内で徹底した役割分担がされている摸倣種。その中で『観測・解析』を受け持つ少女から送られてきた情報。

 それを聞いたイラは、疑問を抱いた。

「ユーリと一緒にいたあの少年……セツナくんがいない? 他の子たちも……まさか、原因はそれかっ!」

 吹き荒ぶ魔力乱流で非常に分かり辛いが、よくよく周囲を解析してみると、交戦した形跡がある。

 恐らくはあの二体の≪魔性≫がユーリに何かしたのだろう。

 そして、その途中でセツナくんたち『ユーリの大切な人』に何かがあったのだとしたら――


 改めてユーリを観察するイラ。

 宝石のような赤い瞳からは一筋の涙が零れ落ち、暴風にさらわれて消えていく。

 目の焦点は合っておらず、溢れる力を押さえ込もうともしていない。

 極限まで魔力密度が高まったときに発生する、空間の軋む音が岩肌に当たって反響していた。


 ……あれはまずい。


 長年ユーリを見守ってきたイラは、そう結論付けた。

 いくら魔王とはいえ、基本的にユーリの性格は幼い。

 普段は元気で明るいユーリだが、極端に感情が昂ぶると無口になるのだ。

 例えば、とても嬉しいとき。例えば、とても怒っているとき。


 そして――とても悲しいとき。


 今ユーリが動きを見せていないのは、状況が整理しきれず混乱しているからだろう。

 けれど時間が経てば、混乱は解けずとも自分の置かれている状況をやがて理解して――


 ――この状況を作り出した二人の魔性(げんいん)へ、処理しきれない感情の矛先を向けるだろう。


 けれどそれでは駄目なのだ。絶対に。

 どんなに強大な力を持ち、どんなに人々から畏れられようとも、大原則としてユーリは心優しい少女だ。

 ユーリの力を以ってすれば、いかに上位スキルを持っていようと彼らは塵も残さず消え去るだろう。

 けれど、それをして一番悲しむのは、他でもないユーリ自身だ。

 正気に戻ったとき、人を殺したという事実の重さに、ユーリは苦しむことになるだろう。

 そんなことはさせない。絶対に。

 強く決心を固め、イラは他の摸倣種に語りかける。

『我々はこれより第一種警戒対象ユーリ・ミノユイアとの交戦に入る。目的は対象の無力化、及び対象以外の人系種族、三の保護。なお、この戦闘において我々の個体喪失は許可されない。最優先事項として"自身の生存"を設定せよ』

『『了解』』

 思考を共有している全摸倣種から承諾の返事が返ってくる。

 それを確認しながら、イラは思った。

 ――世界最強の魔王を相手に、味方を一体も失わず、相手も倒さず無力化する。

 悠久に等しい時間を生きるイラの人生の中でも、指折りの難しい戦いだ。

 けれどやるしかない。

 友達を、悲しませないためにも――


『現時刻、現座標に集合している個体数、三二七。転移準備中の個体数、四五〇二』

 戦いを始めるにあたって、イラは自身の指揮できる戦力を確認する。

「……少なすぎる」

 魔力や身体能力など、あらゆる点で他種族を凌駕する摸倣種だが、長距離の転移にはやはり相応の時間がかかる。

 現在ネットワークに繋がっている全摸倣種に召集をかけたものの、現実的に考えて戦闘に参加できるのはせいぜい一〇〇〇体が関の山だろう。

 普通の魔王ならどうにか対応できる数だが、相手がユーリとなると話が違う。

 瞬生種の魔王であるユーリは、種族特性である素早さを生かした高速戦闘が得意だ。ゆえに攻撃を命中させるのは至難の業。

 だからこそユーリに有効なのは、数に任せた飽和攻撃。

 けれどこの程度の数では、逆に力で押し負けてしまうだろう。

 それほどまでに世界最強の魔王の力は強大なのだ。

 今この瞬間ですらユーリの力は平均的な魔王を超えているというのに、まだ魔力の増大は止まらない。


「勝機があるとすれば、ユーリが力を解放しきる前。早期決着を狙うしかないな」




 ユーリの姿がふっと掻き消える。

 それは、ユーリの敵意がついに二人の≪魔性≫へ向いたことを示していた。

 刹那にも満たない思考でそれを理解したイラは、超速で魔性へと迫るユーリの進路上にあらかじめ用意しておいた魔法を展開する。

「擬似魔法:『進行拒絶(ケミファロウ)』」

 ユーリの眼前に突如現れた魔法陣は、周囲の物理法則を部分的に書き換え、ユーリの身体に働く運動エネルギーのベクトルを正反対にする。

 自身の生み出した推進力によって、ユーリは後方へと吹き飛んでいった。

『ケミファロウの命中を確認。対象への損害、軽微。1.37秒で完全回復。対象の視線がこちらへと移動しました。発見されたと推測。魔法防壁を展開します』

『解析体は戦闘体と防壁を共鳴させ、強度の向上を図れ。汎用体および指揮体は認識阻害魔法を展開。ユーリに息つく暇を与えるな!』




 摸倣種が幾重にも重ねて展開している魔法の隙間を縫うように、ユーリが『飛翔』する。

 本来瞬生種は空を飛べない種族だ。それは多くの人系種族に言える事でもある。

 空を飛べない種族が空中戦を行うためには、多大な才能と努力の末に飛行魔法を習得して行使するしかない。

 しかし、魔力操作が致命的に苦手なユーリには、上級魔導士でさえ習得が難しい飛行魔法を身に付けられるはずもなかった。

 そんなユーリが三次元的な機動を実現するために編み出した方法。それは、『膨大な魔力を瞬間的に足元に放出して足場にする』という呆れるほどに力任せな技だった。

 しかし、力任せだからこそ、相手の妨害魔法の影響を受けず、放出した魔力の余波で相手の魔法を妨害さえしてしまうという、緻密な魔法操作が得意な摸倣種にとっては非常にやり辛い技でもあった。




「て、テリル……何が起こっているのでしょう。こんな膨大な量の魔力、見たことないのです。それになんで摸倣種が……」

 目の前で繰り広げられる高次元の戦闘に、怯えた様子でエレナが言う。

「わからない……で、でも摸倣種は合理的な判断でしか動かない種族だって聞いたことがある。何かあいつらにとってメリットがあるんだろう。あのチビっ子の化け物じみた強さには驚いたが、流石に魔王殺しが相手じゃ分が悪いはずだ。隙を見てあのチビっ子に魔法をぶつけよう」

「わかったのです。ちょっと怖いですけど、テリルとならやれるのです」

「オレも怖い。だけどこの300年、二人でずっと頑張ってきた。7年前は失敗したけど、あいつを倒したら今度こそレークを支配して……」

「はい! 二人で、魔王になるのです!」




『解析体より、対象の0.21秒後における存在位置の予測計算終了。情報転送開始』

『指揮体より、情報受諾。汎用体は、0.21秒後の対象の存在確率が高い座標へ固定型魔法の設置を開始。なお、目的は対象の無力化であるため、攻撃魔法の設置は禁止されています。戦闘体第一分隊は引き続き演算中の解析体の護衛、第二以降の分隊は対象への牽制を行ってください』

『戦闘体より、対象の周囲に展開中の障壁の一部が破壊されました。座標送信。修復を要請します』

『解析体より、当該座標の障壁の修復完了。対象の移動速度に若干の減衰を確認。疲労によるものと推測。演算因子に組み込み、予測存在位置の再演算開始――』

 ネットワークの中を膨大な情報が次々に駆け巡る。

 摸倣種でなければ脳が焼き切れてしまうような情報の奔流に身を置きながら、イラは状況に少しずつ手ごたえを感じ始めていた。

 瞬生種であるユーリは、種族特性としてスタミナが少ない。

 スキル≪魔王≫による補正と本人の資質でかなりカバーされているものの、今行っているような波状攻撃で休む暇を与えなければ、その疲労は顕著なものとなる。

 このまま全力で戦闘させ続け、疲弊したところを拘束すれば、あとは魔法の重ねがけでどうとでもできる。

 心優しいユーリのことだ。頭さえ冷えれば、魔性の二人への攻撃をやめてくれるだろう。

 あとは、こちらのペースを崩されないよう慎重に動き続ければ……


『第二種異常事態。護衛対象による高等魔法の展開を確認しました。記録照合、空間操作魔法と断定。魔力乱流により、術式が破壊されると推測されます。発動成功確率は1.33%です』

『解析体より、高等魔法の発動を観測。――術式の拡散を確認。発動失敗と断定』

『警告。高等魔法による障壁への術式干渉を確認。対象の周囲に展開中の防壁、強度5.7%まで低下。また、四七の設置型魔法が無力化されました』

『解析体より、対象の視線移動を確認。対象の攻撃目標が護衛対象へ変更されたと推測します。対処を開始してください』


 順調に進んでいた戦況に突然、異常事態を知らせる報告が駆け巡る。

 報告にあった場所へイラが目を向けると、そこには展開した魔法が消滅して混乱した様子の魔性、テリルとエレナがいた。


「え、エレナ! 術式が! まだ展開したばかりなのに!」

「テリル! あ、あの子、こっちを見てるのです!」


 その様子を見て瞬時に状況を理解したイラは、思わず眉をひそめる。

「なんてことを……せっかくユーリの注意がこちらに向いていたのに、これじゃ台無しだ。いくらユーリの対応に追われていたとはいえ、あの二人を放置するべきじゃなかった」

 苦い顔で自身の選択を悔いるイラだったが、既に起こってしまったことはどうしようもない。

 それよりも、急いで破壊された魔法の修復を――


『警告。対象の周囲の魔力密度が異常に増大しています。パターン解析。記録照合。類似記録、『ユーリ・ミレアロウ・ザナフレグア』』


 突如飛び込んできたその報告に、イラの顔から血の気が消える。

 魔法の修復のために出そうとしていた指示を全て取り消し、必死の表情で全摸倣種へと呼びかけた。

『総員、全行動を放棄! これより特一級緊急事態対処シークエンスへ移行する!』

 ユーリの周囲の魔力密度増大。それは、イラがこの戦いで最も恐れていたことの一つだ。

 『ユーリ・ミレアロウ・ザナフレグア』――精霊語で『ユーリ型崩壊魔力砲』。

 非常に大雑把な魔力制御しかできないユーリが、どうにか編み出した魔力による攻撃手段。

 それは、自身の持つ膨大な魔力をひたすら一箇所に集め続け、一気に放つというとてもシンプルなものだった。

 しかし、攻撃に使う魔力の量は、通常の魔王が持つ総魔力量の数倍から数十倍。

 逃げ場も与えられず集められた理不尽なまでに膨大な魔力は、物理法則を破綻させ、射線上の空間をも崩壊させる。

 理論上破壊できない物質は存在せず、かつては魔王大戦すら一撃で終結に追い込んだこともある、ユーリの最大にして最強の攻撃手段だ。


『総員、思考共有強度を最大に設定。並列演算により『虚無零式障壁(フラウノイメキア)』を十五重に高速展開する。防御、飛行以外のすべての演算能力を術式構築に回せ』


 このままでは周囲一帯が地図上から消えてしまうという非常事態に、イラは模倣種の持つ最高強度の防御魔法『虚無零式障壁(フラウノイメキア)』の展開を決める。

 この魔法は障壁の周囲の空間を虚数次元化し、攻撃のエネルギーを別次元に受け流すという、こちらも理論上は破壊が不可能な魔法だ。

 古代森棲種が創り出し、今は失われた技術であるこの魔法は、現在唯一当時の記録を保存している模倣種のみが運用することができる。

 そんな超高位魔法を多重展開するというイラだったが、そこに待ったをかける声があった。

『当該魔法を十五重展開することにより、我々の保有魔力の87%が消費され、以後の戦闘に支障をきたします。また、当該魔法は性質上、単体であらゆる攻撃に対する防御効果があります。よって、ただ今の指令に合理性が欠如していると判断。指令の取り消しを提案します』

 そうイラの指示に反論してきたのは、先日目覚めたばかりのライラーク風穴の摸倣種の中で、集団の『指揮』を担当する少女だった。

 防御が過剰すぎるという彼女の判断は、摸倣種として正常なものだ。事実、イラ自身も頭の中では同じ計算結果が出ていた。

 けれど、それを知りながらイラは言い放つ。


『提案を却下する。君はまだユーリの恐ろしさを知らない』




 吹き荒れる暴風。

 ユーリが一点に集中させ続けている魔力はついに空間の許容量を超え、崩壊していく空間が死に際に奏でる耳障りな音が、辺りに響いていた。

 世界の終末を彷彿とさせる光景の中、周囲の空間がドクンと脈動する。

『魔力流動を観測。ユーリ型崩壊魔力砲ユーリ・ミレアロウ・ザナフレグアが発射シークエンスに入ったものと断定。発射予測時刻まであと0.39秒』

『『虚無零式障壁(フラウノイメキア)』を展開します』

 世界の理にすら干渉する破壊の光が、全てを蹂躙しようとしたその刹那。複雑な模様の描かれた魔法壁がユーリを何重にも取り囲む。

 全てを破壊する矛と全てを防護する盾がぶつかり合い、辺りを衝撃が包んだ。




『――解析体より、被害報告。『虚無零式障壁(フラウノイメキア)』十五枚の"全消滅"を確認。『ユーリ型崩壊魔力砲ユーリ・ミレアロウ・ザナフレグア』のエネルギー減衰率98.99%。彼我の損害、共に軽微。対象の攻撃と"相殺"したものと判断します』


 送られてきた情報に、イラは改めて戦慄を覚える。

「ボクだって五枚は安全マージンのつもりだったんだけど……まさか全て破壊されるなんて」

 摸倣種としての計算結果も、長年ユーリの友人をやってきた経験をも上回る結果に、被害を抑えられただけマシだと思いなおしてイラは思考する。

 ほぼ相殺したとはいえ、威力を殺しきれなかった1%のエネルギーによる被害は無視できないものだった。

 そそり立っていた山肌は崩れ落ち、地面は抉れ、ひび割れている。

 護衛対象だったフォードと二人の魔性は……

「問題、なさそうだね」

 フォードは自身の保有する≪鉄壁≫を使用したらしく、損害なし。

 魔性の二人は風で吹き飛ばされたようだが、上位スキルの保有者らしくどうにか持ちこたえたらしい。

 ひとまず当面の危機は乗り越えたようだと、イラは判断する。

 さて、ユーリの身柄を拘束するなら魔力とスタミナを消費した今がチャンスだが――


『警告。対象の周囲の魔力密度が異常に増大しています』


「――え?」

 あり得るはずのない報告に、イラの思考が停止する。

『さ、再報告を求める。君はいま何と言った?』

『解析体より、再度報告します。対象の周囲の魔力密度が異常に増大しています。パターン解析、『ユーリ・ミレアロウ・ザナフレグア』』

 ……あり得ない。ユーリはたった今、その魔法を使ったばかりだ。

 それこそ今の自分達と同じく、最低限飛行できる程度の魔力しか残っていないはず。

 そう考えるイラだったが、そんなイラの思考を嘲笑うかのように、ユーリの周囲の魔力密度は上昇していく。

「……今まで、ユーリに対処するときは必ず過大すぎるほどの評価をしてきた。なぜなら、ユーリの行動は必ず『予想の遥か上を行く』と『予想できた』からだ。だけど……だからって……」

 眼前で破壊の権化と化している小さな魔王を見て、イラは大きく息を吐く。

「……"連射"は、流石に予想外だよ……ユーリ」




『警告。対象の戦力評価が我々の戦力を大幅に上回っています。戦闘続行困難と判断。作戦の中止および撤退を提案します』

 絶望的な戦力差に頭を抱えるイラの下へ、複数の指揮体から撤退の提案が届く。

 イラも、頭では分かっていた。摸倣種として判断するなら、ここは撤退することが最善の策であることは。

 しかし、"ユーリの友人"としての判断が、撤退など論外だと一蹴する。

 ここで退けば、護衛対象である魔性やフォードが、そして何よりユーリ自身が、取り返しのつかない傷を負うことになる。

 そこに一切の合理性が無かったとしても、イラの頭に撤退という選択肢は存在していなかった。

『ボク以外の全個体は、対象より距離をとり、思考共有による並列演算準備。対象の周囲における空間崩壊の予想座標を計算せよ』

 摸倣種にとって最も重要な"連携"という強みを捨てさせる指示に、ネットワーク内の摸倣種達は疑問を覚える。

 けれど、イラは何かを決意した様子で、続く言葉を紡いだ。

『ユーリはボクが止める』




『0.76秒後、中規模空間崩壊を予測。相対座標X-28.435/Y-3.643――』

『1.54秒後、小規模空間崩壊を予測。相対座標X-5.855/Y-66.764――』

 単独で行動するイラの頭の中へ、絶え間なく送られてくる情報。

 それはイラが今いる魔力乱流の中を進むために、摸倣種がネットワークで逐次計算している情報だった。


 他の摸倣種と同じように、イラの魔力も残り少ない。

 そんな状態でユーリを止めるには、イラが"模倣"しているスキルによって、ユーリの動きを封じるしかなかった。

 けれど、そのスキルの使用条件は『直接相手に触れること』。

 それは、断続的に空間崩壊が発生しているユーリ付近の領域へ、生身で飛び込まなければいけないということを意味していた。

 イラでなければ、高速演算能力を持つ摸倣種でなければ、とっくに空間ごと世界から消滅しているであろう死の領域を突き進む。

 残存魔力で自身の周囲に作ったなけなしの防壁も、座標計算の誤差によって掠めることになった空間崩壊現象によって、跡形も無く消え去ってしまった。

 頭の中ではさっきから複数の指揮体たちが「危険だ」「合理性に欠けている」「すぐに撤退しろ」と警告してくるが、イラはそれを全て聞き流す。

 イラの必死の回避運動によって、ユーリはもう、手を伸ばせば届きそうな距離まで迫っていた。

 魔力操作に集中しているユーリが、こちらに気付いている様子はない。


 ――もう少し、もう少しでこの手がユーリに届くんだ。この手さえ届けばユーリは、普段の優しい女の子に――


『警告。0.02秒後、大規模空間崩壊を予測。相対座標X-0.1/Y-0.7/Z-0.5。直ちに回避行動に移行してください』

「なっ――!?」

 あと一歩というところで飛び込んできた報告は、今イラが居る位置にあとコンマ0秒以下の時間で大規模な空間崩壊が起こるというものだった。

 当然、回避行動をとったところで間に合うはずがない。

「くっ……届けっ!!」

 もはや計算する余裕も無く、既に目の前へと迫ったユーリの小さな背中へ、祈るように手を伸ばす。

 空間の軋み始める嫌な音を耳元で聞きながら、イラは残った魔力全てを放出し、推進力へと変えた。


 そしてその指先が、小さな背中へと――触れる瞬間。



「≪擬似能力:夢幻回廊≫!!!」



 ありったけの力を込めてイラはスキルを発動させる。

 その直後、発生した空間崩壊がイラの身体を穿った。

 次元が歪み、理が壊れ、崩壊していく中で、イラはスキルの効果を受けたユーリの様子を確認する。

 摸倣種の記録しているスキルの中でも特に凶悪な精神系スキル≪夢幻回廊≫は、ユーリの持つありとあらゆる感覚を奪い、狂わせていった。

「うっ……くぁっ……」

 平衡感覚を失い、魔力を放出するための感覚も奪われ、落下していくユーリ。

 その小さな身体が地面に叩きつけられる直前、他の摸倣種たちによって構築された魔法術式がユーリの落下速度をいくらか緩和したのを見届けて、イラは意識を失った。




 砕け、ひび割れ、荒んだ大地に、小さな銀色の魔王がもがいていた。

 スキルの効果によって身体の信号伝達がめちゃくちゃになり、左脚を動かそうとすれば右肩、右肩を動かそうとすれば左手が動く。

 それでもなお立ち上がろうともがく様子は、どこか死にかけの虫を彷彿とさせる、酷く哀れで惨めな物だった。

「うぅ……ぐっ……あぁっ」

 ユーリが歯を食いしばり流す涙は、荒れた大地へと吸い込まれて消えてゆく。

 そこに理不尽魔王とまで呼ばれた最強の魔王の面影は微塵も無く、あるのはただ儚く脆い小さな少女の姿だった。

 そんな彼女の元に、近づく一つの影。

 それは、つい先ほどユーリにスキルを発動した張本人――脇腹を完全に失い、明らかに生物のものではない体内の精密な機械部分を露わにしたイラの姿だった。


「ユーリ、もうやめるんだ」

「イ……ラ…………」


 焦点の合わない目で、声のした方向を探るユーリ。

 すぐ近くにいるイラの場所もわからない様子のユーリに、イラは近づきながら語りかける。

「ユーリ。君がしたかったのは、こんな破壊行動なんかじゃないはずだ。君が本当にしたかったことはなんだい?」

「ボクは……違う。"私"は、みんなを、守りたかった……なのに、守れなかったっ! 私の、せいでっ……みんなが!!」

 そう叫ぶユーリに、そっと諭すように、イラは言う。

「ユーリ。セツナくんたちは死んでないよ。ユーリが引っ掻き回してくれたおかげでだいぶてこずったけど、さっきどうにか解析が完了した。セツナくんたちに使われたのは、"転移魔法"だ」

「転移……魔法?」

 虚ろながら、すがるような目で聞き返すユーリ。

「ああ。術式の損傷も激しかったし、元の術式がかなり特殊な物だから詳細は分からないが、ここから北東の方角に、かなりの距離飛ばされたらしい」

 その言葉を聞いたユーリは、何かを堪えるように顔を歪める。

 しかし耐え切れなくなったのか、少しの間を置いて、とうとう泣き始めてしまった。

「うあああぁぁぁぁぁぁっ! あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 その涙がセツナたちを失っていないという安心から来るものなのか、危険な目に遭わせてしまった申し訳なさから来るものなのか、イラにも、ユーリ自身にもわからなかった。

 ただ小さな少女の姿で、子供のように泣きじゃくるユーリを、イラはそっと抱きとめる。

「もう……こんな世界は嫌なんだ! 理不尽に奪われて! 理不尽に失って! なのに……それなのにっ! 私は……ボクは死ねないっ! 死んじゃいけないんだっ!!」

 魔王化によって、成長することの無くなった少女、ユーリ。

 幼い精神のまま気の遠くなるほどの年月を過ごしてきた少女の慟哭を、イラはただ黙って聞いていた。







 スキルの効果が切れても、しばらくユーリの泣き声が止むことはなかった。

 元から赤かった目をさらに赤くしたユーリは、イラにつれられてある場所へやってくる。

 そこには複数の摸倣種と、

「て、テリルっ! テリルっ!!」

「わわわわわわわわ」

 怯えた様子でユーリを見上げる、拘束された魔性の二人の姿があった。

「君が攻撃しようとしていた魔性の二人だ。別に逃げようとしていたわけじゃないんだが、拘束させてもらった。これだけのことをしたんだ。何か罰を与えてもいいと思うんだが……どうする? ユーリ」

 その言葉を聞いて、ユーリは魔性の二人を見下ろす。


「や、やめろ……くるなっ……!」

「嫌なのです! 死にたくないのです! せっかくここまで生きられたのに! 誰かっ、誰か助けてぇ……」


 冷たく赤い瞳で見下ろされ、傍らに立つイラの脇腹に大穴が開いた姿も手伝って、二人は半狂乱で泣き喚く。

 その様子を見たユーリは、一つ深いため息を吐くと言った。

「……いいよ。何もしない」

 ユーリの言葉を聞いた二人は、驚いたように泣くのを止めた。

 怯えながらユーリを見あげ、「本当に?」と目で語りかける。

「その代わり、レークの街に手を出すのはやめてくれるよね?」

 その問いに、テリルとエレナは躊躇うように顔を見合わせる。

「…………やめてくれるよね?」

 しかし、ユーリが声のトーンを下げて再び尋ねると、二人は首を縦にブンブンと振った。


 ――そう。これが、本来のユーリなんだ。

 脇腹に大穴を開けてまで取り戻したユーリの姿に、イラはどこか満足感のようなものを覚える。

「イラ……ごめん、こんなことになって。その怪我は大丈夫? 君達の身体が他の種族の物とまるっきり別物だってことは分かってるんだけど、流石にその傷は……」

「大丈夫。我々は元々、戦闘のために生まれた種族だ。ある程度の傷を受けても動けるようにできているし、痛みも任意で遮断できる。この傷だって、我々の領域に戻れば数時間で治せるだろう。気にする必要はない。ボクなんかのことより、君のことだ。ユーリはこれからどうするつもりなんだい?」

 心配するユーリに、イラは何でもないように答える。

 実のところ、あまり余裕のある状態ではないのだが、それをユーリに悟られないようイラは早々に話題を切り替えた。

「ボクは……セツナたちを探しに行くよ。セツナはこの世界を知らなすぎる。ライオちゃんやミースちゃんたちだって、旅をするには力が無さすぎる。だから、守ってあげなくちゃいけないんだ」

 ユーリの返答にイラはうなづく。

「ユーリならそう言うと思っていた。そこでお願いがあるんだけど、よかったら我々の仲間を二人ばかり、連絡役も兼ねてユーリと一緒に行動させてはくれないだろうか。いつも引きこもってばかりのボクの仲間に、外の世界を教えてあげたくてね。摸倣種としては、少し変わり者なんだが……」

「うん、いいよ。むしろイラ達の協力が得られるなら、願ったり叶ったりだ」

「そうか、助かるよ。それと……」

 イラはユーリにお礼を言うと、視線をテリルとエレナへ移した。

「そこの二人も、ユーリと一緒に行くといい。自分達の魔法で起こしたことなんだ。何か手助けはできるだろう?」

 そうイラに言われたテリルとエレナはとんでもないと首を振る。

「あ、あの時は必死で、がむしゃらに使った魔法だから、座標設定なんかも適当だったんだ! どこに飛んだかなんてわからないよ!」

「な、なのです! 私達なんて、いてもいなくても変わらないのです!」

 言外に「行きたくない」と示す二人だったが、イラはそこに追い討ちをかける。

「けれど、君達は空間魔法が得意なようだ。長距離移動には何かと役に立つんじゃないかな? ユーリはどう思う?」

「……うん。ボクも、二人がついてきてくれるとありがたいかな」

 ユーリの一言で、騒いでいたテリルとエレナがおとなしくなる。

 身体を硬直させ微動だにしないその様子は、続くユーリの言葉を待つだけの人形のようだった。

「ついてきてくれる?」

「「……はい」」

 ユーリには逆らえないことを身を以って知った二人は、力なく首を縦に振るのだった。


「俺も行くぞ。ユーリ」

 旅の仲間が集まっていくユーリに、かけられる声。

 それは、魔性の魔法陣に取り込まれなかったもう一人の人物――フォードだった。


「フォード……その、本当にごめ」

「謝るな。お前のせいじゃない」


 ユーリの謝罪を途中で遮ると、フォードはユーリの横を通り過ぎてテリルとエレナの下へ歩く。

「ライオがここへ来ることを許したのは、俺だ。責任は俺にある。お前がこの魔性(ふたり)に手を出さないというなら、俺も手を出さん。同行することも認めよう。だが……」

 そこで言葉を切るフォード。

 目の前の魔性の二人を見下ろすと、直後、後ろにいたユーリでさえびくっと身体を震わせるほどの怒気を放ち言った。



「俺の娘に手を出したこと、絶対に許さんからな」



 一介の冒険者であり、この場にいる中では最も力を持たないはずのフォード。

 ましてや、魔性の二人は見た目こそ子供でも、実年齢ではフォードを遥かに上回る。

 しかし、そんな事実が些末なものに思えるほど、一切の口答えを許さない迫力がそこにあった。


「……君達はさ」


 フォードの後ろから、魔性の二人に近づきつつユーリが言う。

「君達はさっき、『自分達は300年も生きている。だからすごいんだ』って言ったよね」

 静かに、落ち着いた様子で歩いてくるユーリに、テリルたちは恐る恐る頷く。

 瞬生種の特徴である赤い目で、同じく赤い目を持つテリルたちを見据えながら、ユーリは語った。

「確かに君達は、瞬生種なら絶対にあり得ないような長い年月を生きてきた。自分達が他の瞬生種よりすごいなんて思ってしまうのも無理はない。だけど――」

 そこで言葉を切ったユーリの様子を確かめようと、二人が顔を上げる。

 しかし次の瞬間、二人はその顔から表情を消した。




「死ぬ理由も、勇気も与えられず、永遠に終わることのない時間を悟って――6000年後、それでも同じことが言えたら、ボクは君達を心から尊敬するよ」




 そう語るユーリの顔は、一切の感情が無く。

 その空虚な瞳は、何も映してはいなかった。










 静かに揺れる木々。

 時の流れが遅くなっているような錯覚を覚えるほど、穏やかで深い森の中。

 どこか神秘的な雰囲気を感じられる空間で、一人の少年が目を覚ました。


「――え?」


 ゆっくりと身体を起こし辺りを見渡すと、少年――セツナは、呟く。



「ここ、どこ……」



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