効果なしと風穴を抜けた先
「私が出ます」
そう言って一歩踏み出したレスティアさん。
青い鎧を着た女剣士の背中は、とても頼もしく見える。
「レスティアちゃん、一人で大丈夫?」
「ええ。対集団戦闘は私の得意分野です」
そう言うとレスティアさんは、腰に下げていた剣を引き抜きながら魔物の群れへと歩いていく。
単騎で真っ直ぐ突き進んでくるレスティアさんに、魔物たちも警戒しているようだ。
「ユーリ様とフォードさんは、私が引きつけ切れなかった魔物への対処をお願いします」
「わかった。でも無理はしないでね」
ユーリがそう言うのとほぼ同時、しびれを切らしたのか一匹の魔物がレスティアさんに向かって襲い掛かる。
それを皮切りに、今までレスティアさんを遠巻きに眺めていた魔物たちが雪崩のようにレスティアさんへと押し寄せた。
鎧を着ているとは言え、どちらかといえば細身のレスティアさん。
女性一人にあの数の魔物を捌ききれるのだろうか。
向かってくる魔物の迫力に、思わずそんなことを考えてしまったけれど……
直後、僕はそれが杞憂であったことを悟る。
「…………ふっ!」
短い吐息と共に、レスティアさんが剣を振る。
そのたった一振りで、数匹の魔物が肉塊へと変わった。
返す剣でもう数匹。
魔物の肉を絶ち、骨を絶っているはずなのに、その剣筋はまるで紙を切り裂くが如く軽々として見えた。
とても女性の……人間の力とは思えない。
「あれがレスティアちゃんのスキル≪一騎当千≫か。わかってはいたけど、間近でみるとやっぱりすごいスキルだね」
ユーリの言葉に、レスティアさん自身から聞いた、彼女のスキルの話を思い返してみる。
レスティアさんのユニークスキル、≪一騎当千≫。
世界でもレスティアさんだけが持つという稀有なスキル。
その効果は『認識した敵の数だけ、自分の力を倍加する』というものだ。
百の敵がいれば百倍、千の敵がいれば千倍の力を発揮できる、強力なスキル。
ただし、自分の倍以上の力を持つ敵と一対一で戦うときや、認識外からの不意打ちなどにはあまり効果を為さないという欠点もある。
まさに対集団に特化したスキルだ。
「だが、スキルの効果だけではあの数の魔物は捌き切れない。いくら力が増そうと身体の防御力は変わらないからな。普通なら飲み込まれて終わりだ。あの洗練された動きを見る限り、相当訓練してる」
フォードさんの言葉通り、レスティアさんの動きにはほとんど無駄が無いように思えた。
左右から同時に襲い掛かってくる魔物を、右側では手に持つ剣で一閃し、左側では裏拳で吹き飛ばす。
後ろから攻撃してくる敵は身体をかがめて躱し、背負い投げの要領で目の前の敵へとぶつける。
ある攻撃は流れにまかせて受け流し、ある攻撃は正面から力で押し返す。
その動きはまるで踊っているかのように華麗で、どこか美しくすらあった。
魔物たちもレスティアさんが最大の脅威であると判断したのか、途中から僕たちのほうにはやって来なくなり、全戦力をレスティアさんへと向けていた。
やがて魔物の数が最初の半分に満たなくなると、勝てないことを悟ったのか逃げる魔物が現れ始める。
けれどそれと同時にレスティアさんの動きからも鋭さが消え、最後に残った数匹の魔物を倒す頃には、戦い始めたときのような圧倒的な力は無くなっていた。
「はぁ……ふぅ……これで……終わりですか」
肩で息をするレスティアさん。
最後に辺りを見渡して、魔物がいないことを確認すると、レスティアさんは剣を鞘に戻した。
「そうみたいだね、お疲れ様。まさか本当に一人で魔物を倒しきっちゃうなんて思わなかったよ。とてもDランクとは思えない戦いぶりだった」
ユーリが賞賛の言葉を贈ると、レスティアさんは苦笑しながら言った。
「お褒めの言葉、身に余る光栄です。ですが、一人で多くを相手にする戦闘など、そうそう起こるものではありませんし、このランクは妥当なものですよ。一対一の戦いでは、私の力など高が知れています」
「うーん……じゃあこの調査が終わったら、ちょっとボクにどの程度戦えるのか見せてみてよ。これでも世界で2番目に古い魔王だからね。何か教えてあげられることがあるかもしれない」
「そ、そんな畏れ多い!」
ユーリの言葉に恐縮するレスティアさん。
まあ世界を滅ぼすなんて言われるほどの相手から手ほどきを受けるんだから、萎縮するのも当然だろう。
けれど、なんやかんやで最終的にはレスティアさんがユーリから指導を受けることになり、なぜか僕もレスティアさんから剣術について教えてもらうことになったのだった。
レスティアさんの鬼神の如き活躍によって大量に積みあがった魔物の死体についてはとりあえず放置することにして、僕たちは魔法陣の調査にとりかかった。
といっても、僕とライオたち非冒険者組には目の前の魔法陣が何を意味するのかなんて欠片もわからなかったし、魔法が苦手なユーリもお手上げのようだった。
レスティアさんは多少魔法について学んだことがあるらしいけど、魔法陣を使う形式の魔法については専門外らしく、実質調査ができるのはフォードさんだけだった。
とはいえフォードさんも詳しいわけではないらしく、できることといえば紙とペンを持って、魔法陣を描き写すことくらいだった。
することのない僕は、同じく何もできないで手持ち無沙汰なユーリから魔法についての説明を受ける。
「前にもちょっと話したと思うけど、この世界には3種類の魔法があるんだ。自分の体内の魔力を使う『自己魔法』、詠唱によって精霊の力を借りる『精霊魔法』、そして今ボクたちの前にあるのが、魔法陣を使って世界の法則を部分的に書き換える『改変魔法』。改変魔法は魔力を通しやすい素材で線を引いて、そこに魔力を流し込むことで周囲の空間に漂う魔力を操るんだ。どんな魔法陣を描くかによって起こる現象が違うから、詳しい人なら魔法陣を見るだけで発動したら何が起こるかがわかるんだよ」
なるほど。だからフォードさんはああやって、魔法陣を写しているのか。
「そのとおりだ。だが描き写すこと自体は誰にだってできる。というわけでお前らも手伝え」
僕たちの背後から現れたのは、両手に紙とペンを持ったフォードさん。
返事をする間も与えず両手に持っていたそれを僕とユーリに手渡すと、フォードさんは再び魔法陣の模写作業へと戻っていった。
ふと周りを見ると、ライオやミースもペンを持って魔法陣と睨み合っている。
「えぇ……ボク、絵を描くのは苦手なんだけど……」
誰に言うでもなく、ユーリがひとりごちる。
けれど、ユーリじゃなくたってこの巨大で複雑な魔法陣を描き写すのは気が引けるだろう。僕だってそうだ。
「まぁ仕事だし、やるしかないよな……」
大きく一つため息を吐くと、僕はこの巨大な魔法陣を描き写し始めたのだった。
さっき心なしか発光しているように見えた魔法陣は、よく観察してみると実際に一部が発光していた。
ユーリに聞いてみると、やはりこの発光している部分は『既に起動している魔法陣』なのだという。
「イラたちが観測できた以上、ここで最低でも一回は大規模魔法が発動してるのは間違いないんだ。多分だけど、この魔法陣は大規模魔法を何段階かに分けて複数発動する、言わば『超大規模魔法』なんだと思う。知り合いの魔王にも、似たようなことをしてる子がいたしね」
超大規模魔法って……
だんだんとスケールアップしていく話に、僕の首筋を冷や汗が伝う。
一体誰が何の目的でこんなことを……
そこまで考えて、ふと気付く。
あれ? そういえばこの魔法陣を描いた人物は一体どこに……
「お前ら!何してるんだ!」
辺りに男の声が響く。
僕たちが顔をあげると、魔法陣を挟んで反対側、前方に一人の少年が立っていた。
少年は辺りを見渡すと、怪訝そうな声を上げる。
「ここを守っていた魔物たちは……全部倒したのか。ここの魔物は強いと聞いていたから、束ねれば突破できるやつなんていないと思っていたのに。エレナ! 来てくれ、侵入者だ!」
おそらく仲間がいるのだろう、奥の岩肌に空いた洞穴に向かって叫ぶ少年。
彼の見た目はユーリより少し年上、だいたい12才くらいとかなり幼い。
その瞳はユーリと同じ赤い色。瞬生種の特徴だ。
「侵入者!? あ、あなたたち、何しに来たのですか! もし術式を壊しに来たのなら、許さないのです!」
少年に呼ばれて奥から現れた少女も、同じく赤い瞳を持っていた。
見た目こそ子供の二人だけど、この魔法陣を描いたのだとしたら相当な知識の持ち主のはず。あまり友好的じゃないみたいだし、気をつけないと……
ユーリも少し身構えながら、少年に尋ねる。
「君たちがこの魔法陣を描いたのかい? 一体何のために……」
ユーリの問いに、少年は口端を吊り上げ、言った。
「魔王になるためさ」
「ま、魔王に……なる……?」
動揺するユーリ。
それを見て気分をよくしたのか、少年は楽しそうに笑った。
「教えてやろう! オレは世界に4体だけ存在する≪魔性≫の一人、七災にも数えられる男、テリルだ!」
「同じく≪魔性≫、七災が一人、エレナなのです!」
七災という単語に、フォードさんやレスティアさんが身を固くするのがわかる。
七災は各地を放浪する7体の≪魔王≫と≪魔性≫の呼び名だ。その中にはユーリやイラさんも含まれているわけで……
目の前の二人が、ユーリ並みの強さを持っている可能性もある。
「ま、魔王になるって、一体どうやって? 欲しいスキルを選んで手に入れる方法なんて、あるはずがない」
「簡単なことさ」
ユーリの言葉に、テリルと名乗った少年が嘲るように返す。
「魔王は国を治める。魔王じゃなくても国を治めている奴はいるが、そういう奴らは大体力を持たないよわっちいのばかりだ。オレたちは≪魔性≫のスキルで、力と、尽きない寿命を得た。オレとエレナはもう300年以上生きてる。お前も瞬生種なら、これがどれだけすごいことか分かるだろ? あとはこの魔法陣を使って、レークを空間ごと外界から切り離す。そうすれば為す術の無いレークの住民は、新たな王となるオレたちに従うしかないってわけさ」
「な……」
レークを空間ごと外界から切り離す?
冗談のように聞こえるけれど、足元の複雑な魔法陣を見ると……笑えない。
ユーリも驚きで言葉を失っているようだ。
「7年前はどこぞの≪勇者≫に邪魔されましたけど、今回こそは成功させるのです。そのために力もつけてきたのです」
もう一人の≪魔性≫、エレナが苦々しそうな顔で語る。
7年前で、≪勇者≫……?
「そ、それってまさか、リッカのことじゃ……」
「ああ、そういや確かにそう名乗ってた。まさかお前、あいつの知り合いなのか?」
テリルの言葉に、ライオがうなづく。
7年前という年月といい、≪勇者≫という上位スキルといい、ライオのトラウマの原因となったAランク冒険者は、この二人の邪魔をしたという人物で間違いないだろう。
「リッカは今どこに!」
ライオの質問にテリルは、表情を翳らせる。
質問に答える代わりに、近くにあった大岩へと手を向けた。
「……こうしたのさ」
そう言うのと同時、テリルの目の前の中空に、赤い光で描かれた魔法陣が現れる。
同時に大岩の下の地面にも赤い魔法陣が現れ、大岩を飲み込み始めた。
魔法陣はゆっくりと上に移動し、やがて大岩を完全に消し去ると、自身も消滅してしまった。
7年間ずっと案じていた人物の末路を目にして、ライオの頭から血の気が消えていく。
茫然自失として倒れこむライオを、近くにいたレスティアさんが支えた。
「まあオレたちも好んで戦いたいってわけじゃない。この話を聞いた以上レークに返すってわけにはいかないが、オレたちの邪魔をしないなら、責任をもってお前らを安全なところまで送ろう」
「……申し訳ないけど、レークの街が無くなるとボクたちは困るんだ。それに、あの街に住んでる大勢の人々を見放すわけにもいかない」
険しい顔で、ユーリが言い放つ。
「交渉決裂か。本当に、手荒な真似はしたくなかったんだけど……なっ!」
言い終えると同時、テリルがユーリへと右手を向ける。
ユーリの足元に赤い魔法陣が現れ、強く光を放つ。
けれど次の瞬間、ユーリはそこにいなかった。
「なっ……!」
瞬きすれば見失ってしまいそうな速さで、ユーリがテリルへと迫る。
けれど、そんなユーリの人間離れした動きを閃光と轟音が阻んだ。
身体を捻り、直撃を回避するユーリ。
今のは……雷撃?
「……させないのです」
見ると、もう一人の魔性、エレナの手元にもあの赤い魔法陣が現れている。
「邪魔する人は、許さないのです!」
そう言うとエレナは両方の手を前に突き出し、叫ぶ。
「≪多重起動≫!!」
エレナの言葉と同時に、彼女の目の前にあったものと同じ魔法陣が大量に現れる。
その光景を見たフォードさんが、ユーリへと叫んだ。
「ユーリ! 俺の後ろに隠れろ!」
フォードさんの言葉を聞いたユーリが、銃弾のように素早い動きでフォードさんの後ろに隠れると同時、魔法陣から幾筋もの電撃がフォードさん目掛けて放たれた。
辺りを雷鳴が埋め尽くす。
「フォードさんっ!」
思わず叫んだ僕の声は、轟音に紛れて消えてしまった。
あんな数の電撃を、生身の身体で受けるなんて……
けれど音が鳴り止んだとき、そこには変わらずフォードさんの背中があった。
「なっ……無傷!?」
エレナの表情が驚愕の色に染まる。
そんな彼女をよそに、フォードさんの後ろから再びユーリが駆けていく。
「あれがフォードさんのスキル≪鉄壁≫ですか……恐ろしいスキルです」
レスティアさんの呟きに、状況が分かっていない僕は首を傾げる。
そんな僕に、ライオが説明してくれた。
「お父さんのスキル≪鉄壁≫は、使用中に一切行動ができなくなるのと、尋常ではない体力を消費することの引き換えに、使っている間はあらゆるダメージを受け付けなくなるんです。昔ユーリさんとお父さんが一緒に仕事をしていた頃は、ユーリさんが攻撃、お父さんが防御で役割分担していたと聞きました」
そうか。ユーリの種族的な弱点である防御力の低さを、フォードさんがカバーしているのか。
確かに今目の前で戦っているユーリとフォードさんは驚くほど連携が取れている。
レスティアさんも入り込む余地が無いと判断したのか、剣を抜いたまま僕たちの近くに控えていた。
助かる。僕だけじゃ万が一のときにライオやミース、マオを守れないからな。
「くっ……なんだこいつら。すごい動きだぞ……エレナっ!」
「はいなのです! ≪多重起動≫!」
テリルがユーリの足元に魔法陣を出し、エレナが叫ぶとそれが大量に複製される。
足元を魔法陣で埋め尽くされたユーリは、地面を蹴って高く上空へ飛び上がった。
その瞬間、テリルが邪悪な笑みを浮かべる。
「かかったな!」
テリルが腕を向けると、空中にいるユーリの目の前に、大岩を消し去ったあの赤い魔法陣が現れる。
あの魔法陣、空中にも出せるのか! まずい、あれじゃユーリが避けられない!
「ユーリっ!」
僕の叫びも虚しく、ユーリの身体は重力と慣性力に従って魔法陣へと吸い寄せられていく。
僕の頭が最悪の事態を思い浮かべた次の瞬間、破裂音と共にユーリがさらに跳躍した。
「……え?」
思わず声が漏れる。
なんだ今の……どう見ても"空気を蹴った"ようにしか見えなかった。
でもいくらファンタジー世界とはいえ、物理法則がある以上気体を蹴るなんて芸当ができるわけがない。
けれど目の前で実際に起こっている以上、何らかの方法で実際に空気を蹴っているのは認めざるを得ないわけで……
「なんだあれ……エレナ! もう一度だ!」
「は、はいなのです! ≪多重起動≫!!」
二人の声にあわせて、今度は空中にいるユーリを取り囲むように、全方位に魔法陣が展開する。
けれど、ユーリはまるで空中に透明な足場でもあるかのように何度も方向転換しながら、全ての魔法陣を躱し切ってしまう。
方向転換の際に生じる破裂音が重なって、マシンガンのように聞こえた。
「……ははっ」
思わず笑いがこぼれる。
ユーリの規格外も、ここまでくると何かの冗談のように思えてくる。
ましてや敵として相対している魔性の二人にしてみれば、悪夢以外の何物でもないだろう。
魔法陣を躱し終えて地面に降り立ったユーリは、魔王モードに入ったのか、どこか恐ろしげな雰囲気を漂わせていた。
振り向いて魔性の二人を見据えると、再び彼らに向けて走り出す。
けれどその身に纏う雰囲気とは裏腹に、ユーリはテリルとエレナに危害を加える気は無いのだろう。
それは、僕がユーリと接してきた経験からくる確信だった。
「う、うわっ!」
けれど、ユーリの魔王然とした姿を初めて見るテリルとエレナには、そんなことわかるはずもなく。
「こっちに来るな! ……エレナ、やれっ!」
「た、≪多重起動≫≪多重起動≫≪多重起動≫≪多重起動≫!!!」
半ば狂乱状態になった二人は、がむしゃらに魔法陣を展開しまくる。
地面や空中、上下左右を問わず、おびただしい数の魔法陣が表れ、視界が赤い光で埋め尽くされた。
けれど狙いも正確ではない魔法陣を避けるのは、ユーリには造作も無いことのようで。
ユーリはどこまでも圧倒的だった。
……だからだろう。気が付かなかったのは。
その状況に気付いたのは、唯一フォードさんだけだった。
「――ライオっ!!」
フォードさんが僕たちの方を向いて、叫ぶ。
その声を聞いて、自分達の足元に視線を向けて、僕はそこに光る赤い魔法陣を見た。
大岩をも消し去った赤い光が視界を覆い尽くし、逃れられない現実を叩きつける。
「しまっ――」
魔法陣がだんだんとせり上がってきて、自分の身体が消えていく。
その感覚が酷く非現実的で、気持ちが悪くて、助けを求めるように顔を上げる。
瞬間、目に映ったものは、魔性の二人への突撃を止めてこちらを振り向くユーリ。
この世の終わりを見たかの如く、驚愕と絶望に染まっていくユーリの表情。
それが、僕の見た最後の光景だった。




