効果なしと再会
部屋のドアを開けると、朝出かけたときと同じく猫耳の少女はベッドに横たわっていた。
身体の上に毛布がかかっているからわかりづらいけれど、服はボロボロの奴隷服ではなく水色のきれいな服だ。きっとライオが着替えさせてくれたのだろう。
眠ってはいないようだけど、相変わらずの無表情で天井を見上げていた。
僕たちが部屋に入ると、視線だけこちらへと向けてくる。
けれどその目がライオに続いて最後に部屋に入ってきたミースさんを捕らえると、少女は驚きに目を大きく見開いた。
「…………ミース……?」
呟くような小さな声に、ミースさんも少女の存在に気がついたようだ。
それまで感情の見えなかった瞳に光が宿る。
「ミースっ!!」
少女は布団を跳ね除けると、一直線にミースさんの元へ駆けた。
そして勢いもそのままに、まだ傷の治りきっていない身体へとしがみつく。
反動で倒れこんだミースさんは一瞬痛みに顔をしかめたが、すぐに視線を自分の腕の中にいる少女へと移した。
「ミース……ごめんっ……ありがとう……!」
少女は震える声でそれだけ言うと、無言で頭をミースの胸元へとうずめる。
自分の腕の中で震える少女を見て、ミースさんは見開いていた目を優しく細めた。
「本当に、生きててくれた……」
そう一言呟くと、少女を抱く腕に力をこめる。
短い言葉だけを交わした二人は、しばらくの間お互いの存在を確かめ合うかのようにただ無言で抱き合っていた。
「夕食を持ってきてやったぞ。せっかくライオが作ったんだ。冷める前に食べちまえ」
二人の再会を誰も何も言わずに見守っていた。
その静寂を打ち破ったのはフォードさんだった。
「あれ? その料理って……」
フォードさんがトレイに乗せて運んできた料理を見て、僕が声を上げる。
お皿の上に載っているのは、少女がミースさんに食べさせたいと言ったあの鶏肉料理だ。
ライオは今日ミースさんがやってくることを知らなかったはずなのに、どうして……
「えっとですね……いつもこの子の食事のときは私が食べさせてるんですけど、昨日この料理を作ったときだけは自分から起き上がって食べてくれたんです。それが嬉しくってつい……」
目をそらしながら言うライオ。
言われてみると、確かに少女の目は湯気を立てる鶏肉に固定されたまま動いていない。
「まあむしろ好都合だよな。この子のもう一つの願いがすぐ叶うんだから」
僕がそう言うと、ライオは困ったように笑う。
フォードさんが料理の載った器を手渡すと、少女はそれを自分のところには置かず、そのままミースさんの下に運んでいった。
目の前に置かれた料理を見てミースさんが困惑する。
こちらを向いて、本当に食べてもいいのかとでも言いたげな視線を送ってきた。
「早く食べなよ。冷めちゃうよ?」
そんなミースさんにユーリは笑顔で言う。
それでもミースさんは戸惑ったままだったけれど、いつの間にか部屋にいる全員から向けられている視線に気付くと、恐る恐るフォークを手に取った。
けれど、その持ち手はまるで食事の仕方を覚えたばかりの幼児のような、拳を握り締めたグーの形をしていて、ナイフで肉を切ろうとする手も酷くおぼつかない。
「えっと……もしかしてフォーク使うの初めてなのか?」
「も、もうしわけありません」
頭を下げるミースさん。
その様子を見ていた少女は、ミースさんの手からナイフとフォークをひったくると、少したどたどしいながらも肉を一口大に切り分け、ミースの口元へと運ぶ。
「あ、ありがとう……」
自分より幼い少女に食事の手伝いをされて、複雑な表情を見せるミースさん。
けれど、口元に運ばれた肉を口に含んだ瞬間、ミースさんの顔から表情が消えた。
そう、消えたのだ。
軽く目を見開いたまま、口の動きも止まってしまっている。
「え、えっと……お口に合いませんでしたか?」
ライオが不安そうな表情で尋ねると、ミースさんがはっとしたように動き出す。
「い、いえ、ふぉんなふぉふぉわ……」
口に物を含んだままで聞き取り辛いけれど、ミースさんが「そんなことはない」と否定の言葉を口にする。
思い出したように口を動かし肉を飲み込むと、呆けたような表情で言った。
「……おいしい? ……これが、おいしい……そう、おいしいです。とてもおいしいです!」
言葉を紡ぐにつれて、移り変わるようにミースさんの表情が笑顔になる。
それを見て安心したのか、ライオがほっと胸をなでおろした。
「……ミースちゃんはたぶん出生奴隷だよ。生まれつき奴隷だった人ってこと」
ミースさんの様子を優しげな笑みで見守っていたユーリが、真剣な顔で僕に言う。
「もう一人の子は違うのか?」
「あの子はフォークとナイフを使ったことがあるみたいだし、誰かに売られるか奴隷狩りで奴隷にされたんだと思う。ミースちゃんの方は物を食べるのに道具を使ったことが無いんだろうね。振る舞いから見ても自分が奴隷であることに何の疑いも持っていないみたいだし……敬語が扱えるのは珍しいけど、おおむね出生奴隷の特徴に合致してる。だからきっと、食べ物を美味しいと感じるのも初めての経験なんじゃないかな」
今まで多くの奴隷を見てきたであろうユーリの言葉に、僕はなるほどと頷いた。
見ると、ミースさんは少女が運んでくる肉を口に含むたび戸惑ったように笑い、感動に打ち震えている。
その様子が微笑ましくて、僕も自然と笑顔になっていた。
「それじゃあ、ボクたちも食べようか」
「これは……確かに美味しい」
「その年齢でこの味ですか……いい腕ですね」
料理を口に運んだイラさんとレスティアさんが、驚いたようにライオへと賞賛の言葉を贈る。
ライオはそれを聞いて、照れたように頭を掻いた。
「そういえばユーリはこれからどうするんだい?」
イラさんが料理を口に運びながら尋ねる。
ちなみにフォードさんは仕事があるため、一階に戻ってしまった。ライオももう少ししたら戻るという。
「どうするって?」
「我々の領域がある……君たちはライラーク風穴と呼んでいたかな? そこの上層の話さ。君達の仕事というのは、上層も調べないといけないんだろう?」
「ああ、もちろん行くよ。それが報酬の前払いの条件でもあるしね」
「そうか。なら伝えておかないとね。実はボクがあそこの下層にいたのも、間接的には上層の異変が原因なんだ」
どういうことだろうと首を傾げるユーリ。
「まず、我々摸倣種が各地で眠りについていることは知っているよね?」
イラさんの言葉にユーリはうなづくが、横で別の声を上げる人物が一人。
「えっ、摸倣種!?」
ライオが信じられないといった視線をイラさんに向けている。
「ああ、ライオには紹介してなかったな。この人は摸倣種の魔王、イラさん。下層の調査でいろいろあって、この街までついてきてもらってたんだ」
「ま、魔王ですか!?」
ライオがユーリとイラさんを交互に見る。
そして謙遜したのか、何も言わずに部屋の隅の方へと引き下がってしまった。
「ま、まあとにかく、我々摸倣種は世界の各地で眠っている。摸倣種には寿命がない。だから何かのきっかけがないとその眠りから目覚めることはないんだ」
寿命がないとか世界中で眠っているとか、一人の人間種として聞くとスケールの違いをひしひしと感じてしまうような言葉がたくさん出てきたけど、会話している本人たちが事も無げに言うので僕もなんとかスルーして続きを聞く。
「今回、ライラーク風穴の下層で我々の仲間が目覚めた。きっかけは、君達が上層と呼ぶ辺りに大規模魔法と上位スキルの発動を感知したことだったんだ」
大規模魔法に上位スキル……?
なんだか話が大きくなってきたのを感じ、僕は隣に立つユーリに問いかけてみた。
「なあ、念のため聞くけど、ユーリが使ってた明かりの魔法は大規模魔法じゃないよな?」
「も、もちろんだよ。ボクの使ってたアレは、料理で例えれば包丁を持っただけ、それこそ魔法の入り口の入り口でしかないよ」
僕がこの世界の知識を全くと言っていいほど持っていないのはユーリも知っているだろうけど、流石に今回ばかりは「何を当たり前のことを」といった表情を向けられた。
「用途にもよるけど、大規模魔法は発動すれば広範囲に強い影響を及ぼす。その分準備にもそれなりの時間や労力がかかるし、発動時に起きる周辺の魔力の乱れも大きいんだ。全種族の中でも圧倒的な感知能力を持つ摸倣種なら、下層からだってその発動を察知できても不思議じゃない」
ユーリが真剣な口調で言う。
イラさんはそれにうなづくと言葉を続けた。
「だから念のため注意しておいたほうがいい。とくにセツナ君。ユーリは一発や二発の大規模魔法でどうこうなるとも思えないけど、君は常人だからね。それに上位スキルについては、ユーリにも危害を与える可能性がある。気をつけたほうがいい」
「あ、あの……」
イラさんの言葉を受けて、今まで部屋の端の方で黙っていたライオが声を上げる。
「上位スキルって、≪魔王≫や≪魔性≫とかですよね……?」
「ああ、そうだね。他のスキルより強い効果、優先される効果を持つのが上位スキルだからね」
それを聞いたライオは、確かめるように問いかける。
「≪勇者≫も、上位スキルですよね?」
「そうだよ。だからこそ、スキル≪勇者≫は≪魔王≫に対抗し得る人材として重宝される」
イラさんに肯定の言葉をもらったライオは、少し考え込むと今度はユーリに話しかける。
「ユーリさん、ライラーク風穴の上層には行くんですよね」
「うん。今の話を聞いたから明日すぐってわけじゃないけど」
「じゃあ、あの、えっと……」
ユーリの言葉を聞いて、ライオが何かを言おうとする。
けれど、躊躇っているのか中々言葉が出てこない。
迷うような仕草でユーリや僕の顔を見ては、泣きそうとも言える顔で俯いてしまう。
しかし、少しすると心を決めたのか、ライオは口を開いて言った。
「……私も、連れて行ってください!」
そう叫んだライオの言葉に、僕とユーリは顔を見合わせたのだった。




