効果なしと仕事
かすかに寝息が聞こえる。
本当に身体が限界だったのか、あるいは少女が生きていると知って安心したのか。
とにかく、僕はミースさんと少女を会わせてあげたいと思った。
「この子の特徴は?」
ユーリが奴隷商人に尋ねる。
「はい。こちらの奴隷は人間種の女で、男性経験はございません。保有スキルは≪低温耐性lv1≫と≪暗視≫。ごく普通の女奴隷なのですが、前の持ち主が手荒く扱っていたようで、ご覧の通り状態があまりよくありません。もしお買い上げになられるようでしたら、そういった状況を鑑みて、金貨42枚でお譲りさせて頂きます」
奴隷商人の言葉を聞いて、ユーリとレスティアさんが難しい顔をする。
「金貨42枚……女奴隷としては破格の金額ですね」
「うん、でも……」
僕がここ数日魔物を狩って手に入れた金額は、銀貨8枚と銅貨30枚。金貨換算で0.83枚だ。
この世界の金銭感覚はまだよくわかってないけど、金貨42枚はやはり大金なのだろう。
反応からして、ユーリもそれだけのお金は持ってないみたいだ。
「ボクたちがお金を用意する間、この子を売らないで置くことはできないかな?」
「お取り置きですね。可能ですが、お支払いを確約できる証明のようなものはございますか?」
奴隷商人の言葉に、ユーリは少し考えた後、どこからともなく一枚のカードを取り出す。
「これじゃダメかな?」
「こ、これは……」
奴隷商人の顔に驚愕の色が浮かぶ。
その手に握られているのは……冒険者カードか。なるほど、ユーリは世界に数十人しかいないというSランク冒険者の一人だから、確かに支払いの証明にはなりそうだ。
奴隷商人はカードをユーリに返すと、懐から紙を取り出して何かを書き込んだ。
「こ、これで結構です。お取り置きの場合、1日経過するごとに銀貨5枚を代金に追加させていただきますが、よろしいでしょうか?」
「銀貨5枚か……まあしょうがないね」
2日で金貨1枚分。中々痛いけど、他の人に買われることだけは避けなければならないので、必要経費とも言えるだろう。
最後に奴隷商人はいくつかの説明と確認をして、それを記入した紙を懐にしまうと言った。
「では、確かに承りました。お取り置きは最長20日間までとなりますので、お気をつけください」
奴隷商の店を後にして、早速お金を稼ぐために冒険者ギルドへ向かう。
もうお昼を過ぎてしまっているので、今日は仕事を見つけるだけにして、実際に仕事に行くのは明日だ。
「……ボクが今持ってるお金は大体金貨23枚。あと19枚をどうするか……」
「金貨7枚ほどでしたら、私もお手伝いさせていただきます」
「そんなに!? ありがとう、助かるよ!」
レスティアさんの申し出に、ユーリの表情が明るくなる。
「いえ……あの、失礼かもしれないのですが、ユーリ様ほどのお方ならもっとたくさんのお金を持ってるものと思っておりました」
「うん……昔はそうだったんだけどね」
ユーリの表情が一転して暗くなる。
「実はボク、前にも奴隷の子を買ったことがあるんだ」
突然のユーリの告白に、息を呑む。
ユーリが奴隷を……?
魔王という肩書きからみれば不自然ではないのかもしれないけれど、僕が持っているユーリのイメージとあまりにもかけ離れている。
けれど、レスティアさんは物知り顔でポツリと呟いた。
「魔王ユーリの自由な眷属……」
「な、なんですか、それ」
首を傾げる僕に、レスティアさんが少し驚いた顔で説明してくれる。
「セツナ様はご存知ないのですか。『魔王ユーリの自由な眷属』というのは、ユーリ様が世界中の奴隷を買い占めた事件……いえ、もはや伝説ですね」
世界中の奴隷……
当然一人や二人じゃないだろう。世界中の奴隷を買い占めるとなると、それこそ莫大な資金が必要になるはず。
格安の女奴隷一人を買うお金に苦しんでる今のユーリを、レスティアさんが疑問に思うわけだ。
「種族を問わず老若男女あらゆる奴隷を、奴隷商からだけでなく貴族や大商人からも買い取ったそうです。どんなに法外な金額を提示してもその場で支払い、買った奴隷はすぐに解放したそうです。それどころか、必要とあらば住む場所を用意し、生活の支援までしたといわれています。ユーリ様は眷属を持たない魔王として有名ですが、解放された奴隷達の多くはユーリ様を崇拝し、その様子がまるで魔王に絶対服従する眷属のようなので、この出来事と解放された奴隷達のことを『魔王ユーリの自由な眷属』と呼ぶようになったんです」
「じゃ、じゃあ奴隷たちを買うのにお金を使い切っちゃったから、今はあまり持ってないってこと?」
驚きながらもそう尋ねると、ユーリは自嘲気味に笑って僕から目をそらした。
「違うよ。奴隷の子達を買ったのはずいぶん昔の話だからね。貯めようと思えば貯められたさ。でも、わざと貯めないようにしてたんだよ」
「ど、どうして……」
僕が理由を尋ねると、ユーリは真剣な顔をして僕に向き直った。
「ボクが奴隷の子たちを解放したあと、世界はどうなったと思う?」
質問に質問で返されて、僕はたじろぐ。
「えっと……奴隷が少なくなった?」
少しの時間考えてからそう答えると、ユーリは首を横に振った。
「むしろ増えたのさ。そもそも奴隷っていうのは、借金が返せなくて身を売った人だったり、奴隷から産まれた子供がなるものだったりするんだけど、その他に『奴隷狩り』で奴隷にされた人もいるんだよ」
「ど、奴隷狩り?」
言葉から薄々意味は感じ取れてしまうけど、あえて尋ねる。
「小さな村や集落なんかから人を攫ってきて、そのまま奴隷にするのさ。ボクが奴隷をたくさん解放したら、今度はその奴隷狩りが活発になったんだよ。奴隷を無くしたくてしたことなのに、無くすどころか増やしてしまった。ボクのせいで、平和に暮らしていた人々が奴隷にされてしまったんだ」
そう言うユーリの顔は、今までに見たことがないほど悲しそうで、泣くのを堪えているようにすら見えた。
「だからボクは、もう奴隷は買わないって決めたんだ。でもお金があると、どうしても助けたくなってしまう。だから、奴隷を買える金額以上までは貯めないようにしてたんだよ」
そっか……
ユーリが肩書きの割にお金を持っていなかった理由が、痛いほど伝わってきた。
レスティアさんも気まずそうに顔をそらしている。
「もちろんミースちゃんのことはちゃんと助けるよ。あの子の初めてのお願いだからね。それに、ミースちゃんの状態を見たところ、だいぶ衰弱してる。あのまま放って置いたらいつか死んじゃうよ。そんな子を見捨てるなんてできないさ」
当たり前のように言うユーリの様子に、やっぱりユーリは優しい女の子なんだと再認識する。
だからこそ、その小さな背中に様々な物を背負っているという事実が心苦しい。
「だからほら、早くギルドでセルビアちゃんに報酬のいい仕事を紹介してもらわないと! 急ごう!」
そう言って笑うユーリだけれど、その表情はまだ悲しみを隠しきれていなかった。
僕を救ってくれたこの少女に、いつか恩返しをしたい。
そんな思いを胸に、僕はユーリの後を追ったのだった。




