効果なしと奴隷少女
「フォードっ! フォードはいるっ?」
ルーフの宿の扉をユーリが勢いよく開け放つ。
そこには目を丸くするリックさんと、一瞬遅れて厨房からライオが顔を出した。
ライオも、僕が抱えている少女を見て驚きの表情を浮かべる。
「そ、その子、どうしたんですか?」
「事情を話す前に、この子を寝かせる場所はないかな……腕がもう限界で……」
ぷるぷると震える腕の痛みを堪えながら、取り繕って笑顔を作る。
僕の言葉を聞いたライオは、すばやく椅子を並べ、その上に毛布を置いて、簡単なベッドを作ってくれた。
その上に少女を置いて、深く息を吐く。
「だからボクが運ぶって言ったのに……」
ユーリが半分あきれたように僕に言う。
「いや、いくらユーリとはいえ小さな女の子に人一人抱えさせるわけにはいかないだろ」
「でもボクの方が筋力も体力も上だよ?」
「う……そ、そうだけど、僕にも意地ってもんがあるんだよ……」
少女の身体はびっくりするほど軽かったけど、流石に人を一人腕に抱えたまま森、山道、街の人ごみの中と歩いてきたら腕も限界になる。
ユーリのような規格外とは違うのだ。
「それより、この子大丈夫かな……」
運んできた少女は全身あざや切り傷だらけで、見ているだけで痛々しい。
身体も冷え切っていたし、ちゃんと意識が戻るのか不安になる。
「酷い傷ですね……私のスキルで少しでも治して……」
「いや、ダメだ。ライオ」
いつの間にか現れたフォードさんが、何かのスキルを使おうとしていたライオを止める。
「これは酷いな……」
そう呟くと、近くにあった紙に何かを書き始め、それをライオに渡した。
「ライオ、その紙に書いてあるものを至急買ってきてくれ。リックは救急箱を。それと、もっと厚い毛布だな」
フォードさんの指示を受けて、二人がすばやく動き出す。
「ユーリ。この子供をどこで見つけた?」
「レークの森だよ。そんなに深くないところ」
「そうか。見たところ、外側の傷よりも栄養失調の方が酷い。レークの森も一度迷うとやっかいだからな。一人で入って出られなくなったのかもしれん」
「治りそう?」
「ああ。だが、見たところこの子は瞬生種の血も引いている。瞬生種はエネルギー消費が激しい種族だ。できるだけ早く栄養のあるものを食べさせてやったほうがいい」
フォードさんはそう言って立ち上がると、厨房の方へと歩いていく。
「材料はライオに買いに行かせた。俺は調理の支度をする。ユーリはリックが救急箱を持っていくから、それでその子の治療をしてやれ」
そう言って厨房に消えていくフォードさんと入れ替わるように、リックさんが毛布と救急箱を持って現れる。
ユーリはリックさんが持ってきた救急箱からいろいろと取り出し、少女を治療し始めた。
「え、えっと、俺がやるっすよ?」
見た目小学生程度のユーリが救急箱を使うのを見て、リックさんが困惑の声を上げる。
「大丈夫。ボクも長い間旅してるし、フォード程じゃないけどこういうのには慣れてるんだ」
そんなユーリの言葉を聞いてもまだ納得がいかない様子のリックさんに、厨房の奥から野太い声が届く。
「リック。言い忘れてたが、ユーリはライオより年上だぞ」
「えっ」
リックさんの表情が固まる。
そして厨房の方とユーリを交互に見ると、信じられないという様子で指を折り始めた。
「お嬢が14歳で、それより年上だから15歳……いや、この手際、もしかしたらそれ以上、下手したら俺と同じくらい……?」
「リックくん」
頭を抑えながら唸るリックさんの思考を、ユーリが遮る。
「女の子の年齢を詮索するなんて、失礼だよ?」
「は、はい……」
ユーリが発した言葉の圧力に、リックさんも逆らうことはできないようだった、
しばらくしてライオが帰ってくると、フォードさんはすぐに調理に取り掛かった。
いつも宿の食事を準備してるライオも手伝うと言っていたけど、フォードさんは首を横に振った。
フォードさん曰く、これから作る料理はどちらかというと薬に近いものだから、ライオには作れないとのこと。
ライオは落ち込んでいたけれど、同じ理由で僕も落ち込んでいた。
おつかいどころか、僕だけ何もできていないのだ。
「「はぁ……」」
僕とライオのため息が重なる。
そんな僕らの落胆も、リックさんの一言で吹き飛んだ。
「あ、その子、目が覚めたみたいっすよ」
その声を聞いて、みんなの視線が少女に集まる。
目を覚ました少女は、首を少しだけ動かして辺りを見回していた。
「だ、大丈夫?」
ライオの問いに、少女は目だけを動かしてライオを見る。
「…………」
しばしの沈黙。
少女は視線をライオに向けたまま、何も話さない。
「え、えっと……お名前は?」
「…………」
「なんでレークの森に?」
「…………」
「何か気になることある?」
「…………」
ライオの質問に、ことごとく無言を返す少女。
時々瞬きをする以外は、人形のように微動だにしなかった。
「私、嫌われてるんでしょうか……」
「いや、警戒されてるんじゃないか?」
涙目のライオに、厨房から料理の器を持ったフォードさんがやってきて答える。
「ほら、食わせてやれ」
フォードさんが差し出した器の中には、クリーム色のスープのようなものが入っていた。
これがフォードさんの言っていた「栄養のあるもの」なんだろう。
「セツナ、食べやすいように身体を起こしてあげたほうがいいんじゃないかな」
ユーリに言われて、僕は少女の上半身を慎重に持ち上げ、支える。
運んでくるときにも感じたけれど、少女の身体は思わず不安になるほど軽かった。
ライオは器を受け取ると、木製のスプーンですくって少女の口元まで持っていく。
「…………」
けれど、少女は口を閉じたまま開こうとしない。
倒れるほど栄養が足りていないはずなのに、どうして……
顔を横に向けると、みんなも困惑しているようだった。
誰も話さなくなってしまい、気まずい空気が流れる。
どうしたものかと思考を巡らせていると、突然ライオがスープを自分の口へと運んだ。
「ら、ライオ?」
僕の驚いた声にライオは答えず、口の中のスープを飲み込む。
そしてまっすぐに少女を見つめると、真剣な口調で語りかけた。
「このスープは安全だよ? 私はあなたを助けたい。あなたは今、身体の栄養が足りてなくて危険な状態なの。お願いだから、口を開けて……」
そう言ってライオは再びスプーンを少女の口元に運ぶ。
少女は動かず、真剣な目をしたライオと少女が見つめあったまま、時間だけが過ぎていった。
僕達もその様子を固唾を呑んで見守る。
静かな時が流れ、やっぱりダメかと思ったとき、少女の口が僅かに開いた。
そこにライオがスープを流し込む。
少女がスープを飲み込んだのを見て、みんなの口からほっとため息が漏れた。
「やっと食べてくれました……」
安心したのか、ライオの顔にも笑顔が浮かんでいる。
「ライオ。今日一日この子の面倒を見てやれ。仕事は俺が代わってやろう」
ずっと様子を見ていたフォードさんが、筋肉質な腕を身体の前で組みながら言った。
「えっ! いいの?」
「ああ、ユーリにも手伝ってもらうしな」
「えー? ボク、お客なんだけど」
「そう言うなって。かつては苦楽を共にした仲じゃねぇか」
不満を言うユーリに、フォードさんは豪快な笑いを見せる。
けれどユーリの顔も全く嫌がっている様子はなく、むしろ清々しい笑顔だ。
さっきまでの緊張が嘘のように、辺りには穏やかな雰囲気が漂っていた。
そうして、フォードさんとリックさんは仕事に戻り、ユーリもその手伝いに借り出されていったので、少女の面倒は僕とライオが見ることになった。
といっても、少女はびっくりするぐらい動かないので、したことといえば少女をちゃんとしたベッドに運んだことくらいだ。
現在ライオは「夕飯はやっぱり私が作ります!」と言って厨房に戻っているので、この部屋にいるのは僕と少女だけ。
もうやることもないし、少女は相変わらず黙ったままなので部屋はとても静かだ。
……というか、本当にしゃべらないなこの子。
あまりに無口すぎて、ちょっと不安になってくる。
「……どこか痛いところはない?」
とりあえずこの空気をどうにかしようと、無難な質問を投げかけてみた。
「…………」
案の定無言。せめて視線くらいは動かしてほしい。
僕の声など聞こえなかったかのように延々と天井を眺め続ける少女に、僕はそれでも諦めず声をかけ続けた。
「何か欲しいものはある?」
「…………」
「君、名前はなんていうの?」
「…………」
「ここがどこかわかる?」
「…………」
「……おーい」
「…………」
駄目だ。延々と無視され続けるって、意外と精神的にキツイ。
でもこれだけ頑なに話そうとしないのはどうしてだろう。
もしかして、声が出せないとか?
「もしかして、声が出せないの?」
「…………」
ですよね。
というか、声が出せないなら身振り手振りでそれを伝えることはできるだろう。
やっぱりそもそもコミュニケーションをとる気が無いみたいだ。
少女の身体にあるたくさんの傷と関係があるのだろうか。
うーん……
駄目だ。少女が何も語ってくれない以上、いくら考えたってわかるはずがない。
僕がこうして唸ってる間も、少女はユーリと同じ赤い瞳を天井に向けたまま微動だにしなかった。
頭についている猫のような耳も、ピクピク動いてくれたら可愛らしいのだろうけど、じっと眺めても1ミリだって動かない。
僕がいい加減沈黙に耐えられなくなってきた頃、救いの手を差し伸べるかのようにドアがノックされた。
「セツナさん、夕食をお持ちしました」
「わかった。今開けるよ」
僕が扉を開けると、両手に料理を持ったライオと、同じく両手に料理を持ったユーリが入ってきた。
ちなみに今更だけど、ここは僕とユーリが泊まっている部屋で、少女が寝ているのはユーリのベッドだ。
「ふぅ。フォードが休憩してきていいってさ。ライオちゃんの料理もできたみたいだし、丁度よかったよ」
ユーリが料理をテーブルに置きながら言う。
今日の夕食は初めて僕がこの宿に来たときと同じ、焼いた鶏肉を塩コショウで味付けしたものだ。
美味しいんだよな、これ。
「お父さんが、その子にまだ足りていない栄養を補うために夕食は肉料理がいいと言っていたので、この料理にしてみました」
ライオがナイフで肉を切り分けながら言う。
この間食べたときより野菜が多く感じるのも、もしかしたら栄養が偏らないようにという配慮なのかもしれない。
「はい、口を開けて」
ライオが一口大に切り分けた鶏肉を少女の口元へと持っていく。
また口を開いてくれないのではないかという僕の心配をよそに、少女は少しの間を置いて、口を開いた。
ほっと息を吐くと、同じく息を吐くユーリと目があった。
どうやら心配していたのは僕だけじゃなかったみたいだ。
ユーリと二人、肩をすくめて笑い合う。
ライオに鶏肉を食べさせてもらった少女は、数回口を動かすと驚いたように目を見開いた。
おお、初めてのリアクションだ、なんて僕が思っていると、その見開かれた目にみるみる涙が溜まっていく。
「えっ!? あ、あの、美味しくなかった?」
突然泣き出した少女に、ライオがうろたえる。
僕たちも驚いてその様子を見ていると、今までずっと閉じたままだった少女の口が開いた。
「こ、れ……」
初めて聞く少女の声に、混乱していたライオもその動きを止める。
「こ、れ、ミース、に、たべてほし、い」
泣きながら、途切れ途切れだけどはっきりと、少女は言った。
そして、少しの静寂の後、少女は再び口を開く。
「ミース、を、たすけ、たい」
固く口を閉ざしていた少女が、泣きながら小さな声で紡ぐ願い。
それが、僕が聞いた少女の初めての言葉だった。




