効果なしと少女
目を開けると、そこは草原だった。
「……は?」
まだ覚醒しきっていない頭をフル回転させて、この状況を把握しようとする。
そもそもここはどこだろう。
辺りは一面、背の低い草が生い茂っている。少し離れたところには、小さな川と道。はるか遠くに山脈がかすんで見えた。
日差しは柔らかく、ぽかぽかと暖かい。二度寝しようと思えばできそうなくらいだった。
どうしてこんなところで寝ていたのか、記憶を探ってみるけど何も思い出せない。
「あ、やっと起きたんだ」
僕が状況についていけず呆然としていると、ふいに背後から声がする。
振り返ると、そこにいたのは白銀のツインテールを持つ少女だった。
「おはよう。この天気だし、昼寝したくなるのもわかるけど、なんでこんなところで寝てたの?」
少女が尋ねてくる。
「わからない……気づいたらここにいて……」
僕がそう言うと、少女は「ふぅん」と呟き、一歩後ろに下がる。
「君、名前は?」
「えっと…………思い出せない」
「あらら。記憶喪失ってやつかな。寝てた場所が安全なところでよかったね」
少女は困ったように笑うと、おもむろに手を身体の前にだす。
すると少女の手に、半透明の液体が入った器が現れた。
「よかったら飲む? おいしいスープだよ」
それを当たり前のように差し出してくる。
「え、えっと……いまの、どこから出したんだ?」
「え? ≪空間収納≫ってスキルだけど……まさか、スキルまでわからないとか言わないよね?」
「ごめん、わからない」
僕の言葉を聞いて、少女は驚いたように目を丸くする。
「スキルっていうのは、あらゆる生き物が持っている特殊能力のことだよ。君だって持ってるでしょ?」
「え?」
「スキルが見たいって考えてごらん」
言われたとおり、半信半疑で「スキルが見たい」と念じてみる。
すると、本当に僕の持っているスキルが頭に浮かんできた。
≪無個性≫
効果:なし
「……なにこれ」
「どう? 見えた?」
「見えたことには見えたけど…… ≪無個性≫ってなに? しかも効果なしって……」
僕の言葉に、少女が驚いたような、そして気まずそうな顔をする。
「ああ…… ≪無個性≫か…… そのスキルはね……」
少女が僕に教えてくれたことによると、スキル≪無個性≫はとても珍しいスキルらしい。
ただ、珍しいからといって有用なスキルかというとそうではなく、むしろその反対。
最も使えないことで有名なスキルだった。
正真正銘、効果なし。
「ま、まあ珍しさだけで言えば、かなりのものだよ。自慢したっていいくらい」
少女が必死にフォローしてくれる。
スキルがどんな物なのかまだよく知らないけど、自分が持っている唯一のスキルがこれって流石にヘコむな……
「とりあえずスープでも飲みなよ。おいしいよ」
少女が差し出してくれたスープを受け取る。
器を持っている手から、じんわりと温度が伝わってきた。
「温かい……」
「≪空間収納≫で保存すると、時間が流れないからね。作りたてのままだよ」
「へぇ……スキルって便利なんだな。他にはどんなスキルがあるんだ? えっと……」
名前を呼ぼうとして、そういえばまだ聞いていないことに気づく。
「あ、ボクの名前? ボクはユーリ。ユーリ・ミノユイアだよ」
「ボク? もしかして、男の子……」
「まさか! ボクは正真正銘、女の子だよ」
「そっか。よろしく、ユーリ」
「うん! よろしく、えっと……やっぱ呼ぶ名前が無いとやりづらいね。何か名前が書いてあるものとか持ってないの?」
そう言われて、何か無いかと自分の身体を探る。
服には……特に書いてないな。
ポケットは……ん? 何か入ってる。
「これは……」
取り出したのは一枚の紙切れだった。
二つ折りになっていて、開くとカタカナで『セツナ』と書いてある。
「見たことない文字だね。なんて書いてあるの?」
「セツナ。……どういう意味だろう」
「ふぅん。セツナかぁ。じゃあそれでいいじゃん」
「……は?」
「名前だよ。セツナでいいじゃん」
ユーリが「何か問題でも?」というような顔で言う。
「いや、これが名前っていうのは……」
セツナって、漢字で刹那だよな。
かっこいいとは思うけど、それを名前にするとなると流石に抵抗がある。
「じゃあなんて呼べばいいのさ」
「うーん……まあセツナでもいいか」
考えてみたけど、特にいい案も浮かばなかった。自分が身に着けていた唯一の言葉だし、名前にするのもいいかもしれない。
「じゃあセツナ。あらためてよろしく!」
そういってユーリが差し出した左手を、僕は握り返した。
「それでセツナはこれからどうするの?」
僕がスープを飲み終わるまで待ってから、ユーリが聞いてくる。
「そうだな……とりあえず、どうにかして記憶を取り戻したいな」
多分ここは、僕が知ってる場所ではないのだろう。
自分についての記憶は何一つ思い出せないけど、それ以外のことについては問題なく思い出せる。
でもスキルなんて僕は知らないし、ユーリは知っていて当たり前だと言う。
おそらくここはそういう『世界』なんだろう。どういうわけか、僕は異世界に来てしまったらしい。それが僕の記憶喪失と関係あるのかわからないけど、まずは記憶がないとどうにもならない。
「じゃあさ、記憶が戻るまでボクと一緒にいない? ボクも一人旅は寂しいと思ってたところなんだよ」
ユーリがそう提案する。
「……いいのか?」
「もちろん!」
「それじゃあ……よろしく頼む」
僕がそう言うと、ユーリは嬉しそうに笑顔を見せた。
「こう見えてもボクは結構強いからね。頼りにしてくれていいよ!」
見知らぬ世界で記憶喪失。
こんな状況だからだろうか。目の前の少女がとても頼もしく見えた。
「ところで、ユーリは何才なんだ? 一人旅ってことは故郷が近いわけじゃないんだろ?」
さっきの言葉が気になって、ユーリに質問してみる。
「女の子に年齢を聞くなんて失礼だよ。それにボクは瞬生種だから、一人旅も問題ないし。……あ、種族についてはわかる?」
僕が首を横に振ると、ユーリは「やっぱり」という顔をする。
「この世界にはたくさんの種族がいるけど、一般的に種族っていうと、人類として扱われてる種族のことだね。たとえばボクは『瞬生種』。白い肌と赤い瞳、高い身体能力と……短命なのが特徴。寿命は大体20才くらいかな。そして、セツナは多分『人間種』。白か黒か薄橙の肌が特徴かな。人類の中でもっとも数が多い種族で、大きな国をいくつも作ってる。他にも『森棲種』とか『獣人種』とかいろいろいるね」
「なるほど。……ん? でもどうして瞬生種だと一人旅が問題ないんだ?」
「それは、瞬生種が成人として認められる年齢が8才だからだよ。他の種族は基本的に18才で成人になるけど、ボクたちは寿命がそのくらいだからね。見た目は子供でも、ちゃんと成人してるんだよ」
ふふん。と胸を張るその姿に、耐え難いものを感じて、口を開く。
「そうなのか。……その、なんというか……辛くないか?」
「なにが?」
「いや、だってユーリが成人してるってことは、成長速度は僕たち……えっと、人間種と変わらないんだろ? なのに20才までしか生きられないなんて……」
僕がそういうと、ユーリは困ったように笑う。
「ボクたちにとってはそれが普通だからね。セツナたち人間種だって、300才まで生きる森棲種とかに比べたら短命だけど、それが普通だと思ってるでしょ? それにボクは……いや、なんでもない」
ユーリが何かを言いかけてやめる。
「とにかく! ボクは大人だから一人旅は問題なし! というわけで、とりあえず一番近くの街に向けて出発!」
何かをごまかそうとするように、声を大きくするユーリ。
だけど、僕はその何かを言及できなかった。
一瞬だけ見えたユーリの顔が、その幼さに見合わない憂いを帯びていたから。
「で、これから行く街っていうのは、どんなところなんだ?」
歩きながらユーリに問いかける。
この世界にやってきて数時間しか経っていない身としては、自分がこれから向かう場所はとても気になる。
「今向かってるのはレークの街だね。山脈の途中にあって、交通の要になってる。レークの周りは魔物の生息地だから、冒険者の拠点でもあるね」
僕が聞きなれない単語に首を傾げていると、ユーリが気づいて解説してくれる。
「冒険者っていうのは、文字通りこの世界を冒険する人たちのこと。街の人から依頼を受けていろいろ仕事をしたりもするから、一概に冒険をするだけとも言い切れないけど」
僕は「なるほど」と頷く。
その後も歩き続けていると、次第に辺りの景色が変わってきた。
地面を埋め尽くしていた緑の草はだんだん少なくなり、代わりにごつごつとした岩肌が目立つようになる。道幅も狭くなり、最終的に左右が断崖絶壁の一本道になった。
そして、その一本道の終点には、ぽっかりと黒い穴が待ち構えていた。
「さ、ここからはこのレーク洞窟を進んでいくよ。心の準備はいい?」
先行していたユーリが振り返って言う。
「ど、洞窟か……」
「そんなに心配しなくても、ところどころ日が差してるから割と明るいし、坑道もあるから照明だって置いてある。道も単純だし、生息してる魔物だって弱いやつばかりだよ」
「魔物がいるのか!?」
レークの説明の時に魔物がいるのは聞いたけど、まさかその生息地を通るなんて思わなかった。
薄々思ってはいたけど、僕は本格的にファンタジーな異世界へやってきてしまったみたいだ。
「魔物って言っても、ケーブスレムは顔に張り付かないようにすれば問題ないし、飛んでくるソーブも素手で叩き落とせる。心配することないよ!」
事も無げに言うユーリ。
確かにユーリにとってはそうかもしれないけど、僕は魔物を見たことすらないのだ。いくら弱いとは言われても、多少不安になる。
けれど、僕の肩より身長が低い少女が平然としているのに、男の僕がこんなところで怖気づいているわけにもいかない。
「……よし、行くか!」
そう気合を入れて、洞窟の中へと足を踏み入れた。
洞窟の中は思ったより広かった。
ユーリの言った通り、洞窟内は思ったほど暗くない。気合を入れて洞窟に入ったのはいいけど、特に襲ってくる魔物などはいなかった。
まあ上のほうを見ると大きなコウモリみたいな生き物がぶら下がっていたりするので、全く怖くないといえば嘘になるのだが。ちなみにあれがソーブという魔物らしい。
そんな感じで歩みを進めている時だった。
「そこのお前ら! 止まれ!」
そう言いながら僕たちの前に現れたのは、くすんだ金髪の少年だった。
「お前たち、この大盗賊レキ・ロート様に目を付けられたのが運のつきだったな。まあ命だけは取らないでやるから、持ち物全部置いていきな」
レキと名乗った少年は、自信たっぷりの笑みを浮かべながらそう言い放つ。
急な襲撃におどろいたけど、彼の身長はユーリより高く僕より低いといった感じで、正直迫力に欠けていた。
……片手に構えた剣さえ無ければ。
どどどどうしよう! 持ち物って言っても、僕が持っているのはあの紙切れくらいだ。ユーリは≪空間収納≫でいろいろ持っているだろうけど、この盗賊を満足させられるものを持っているとは限らない。
差し出すものが無いとどうなるんだろう。やっぱり殺されるんだろうか。
僕がそんな心配をしている横で、ユーリは平然と言い放つ。
「悪いけど渡せるものは特に持ってないんだ。そこを通らせてくれないかな? ボクたちはそこを通らないとレークに行けないんだ」
ユーリの言葉に、盗賊は動揺する。
「持ち物が……ない? や、やっぱりいくら弱そうだからって、武器も持ってない子供二人を狙ったのはまずかったか…… こうなったら二人とも捕らえて奴隷商人に売り飛ばし……いやでも流石にそれは……」
なにやらぶつぶつ言い始めた盗賊をよそに、ユーリが振り返る。
「じゃ、行こっか」
そう言いながら僕の手を引くユーリに、盗賊が慌てた顔をする。
「ま、待て! とにかくお前らは捕らえさせてもらう! 食らえ、レキ・ロート様の必殺スキル、≪捕縛≫!」
洞窟内に盗賊の声が響き渡る。
何が起こるのかと身構えていたけど、しばらく待っても何も起こる気配がない。
ユーリもぴんぴんしている。
えぇっと……この微妙な雰囲気、どうしたもんか……
「なっ! 俺の≪捕縛≫が効かない!? しかも二人とも……お前ら、何をした!」
その言葉に、ユーリはため息をつきながら、盗賊……をスルーして僕に話しかける。
「スキルの中には一種のランクみたいものがあって、上位のスキル保有者には効果がないスキルってのも結構あるんだ。とはいえ≪捕縛≫はそんなに下位のスキルじゃなかったと思うから、あの盗賊もそこそこ危険なやつみたいだけどね」
ユーリの言葉に、盗賊は信じられないという顔をする。
「そんな……お前らが俺より上位のスキル保有者だなんて……」
震える声でそう言いながら、盗賊は懐から何かを取り出す。
「本当に上位スキルを持ってるのか確かめてやる!」
盗賊の手には透明な玉が握られていた。
その玉を目に翳す。
「そ、それは『物見の水晶』!?」
盗賊の襲撃にも驚かなかったユーリが焦った顔をする。
物凄い勢いで駆け出すと、盗賊との間合いを一瞬で詰めて、その手に握られていた水晶を蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた水晶は洞窟の壁に当たり、音を立てながら砕け散る。
盗賊は腰が抜けたようにぺたんと座り込んだ。
「そ、そんな……まさか……お前は……」
うわ言のように呟きながら、自分の目の前にいる少女を見上げる。
「――魔王、ユーリ・ミノユイア……」
「……え?」
そう声を漏らした僕の目に映ったのは、振り返ったユーリの悲しげな顔だった。