吸血鬼と転校生
「おっはよー」
月曜日。人間と同じ生活環境に身を置いていると、とたんに月曜の朝が憂鬱に感じる。短い命なのに、こうやって月曜日に縛られている人間は、まあ、なんていうか滑稽だとヴラドは思った。
「レイラ、おはよ」
ヴラドが下駄箱で上靴に履き替えたところで、いつにもまして元気なレイラが彼の腕にしがみつく。
「純平くん、今日はねー、転校生がくるんだって!」
「へえ」
「えー、興味ないのー?」
ムッとした表情を浮かべるレイラに、ヴラドは取り繕うように微笑む。
「いや、そんなことないけど」
「ほんとにー?」
「ああ。で、レイラはなんでそんなことを知ってるんだ?」
こういった情報に敏感なレイラは、いつもどこかから聞きつけては噂を広めている。ここでもヴラドは女子の噂好きに感服する。
「へっへーん!さっき職員室の前を通ったら、先生達が話してるのが聞こえたの!」
「それは盗み聞きってやつか?」
「違うもん!たまたまだよ!」
そうやって話しながら歩いているうちに教室についた。入ると、二人に気付いた恭弥と瑠璃が声を上げる。
「純平おはー!」
「……おはよ」
すでに教室にいた恭弥と瑠璃は朝から勉強していたようだった。中間テストの結果がよほど堪えたらしい。
「おはよ」
自分の席に着くと、なおもレイラがくっついてきていう。
「ね、純平くん、転校生が可愛い女の子でも浮気しちゃだめよ!」
「いやいやそもそも俺ら付き合ってないじゃん」
レイラは真剣そのものだ。ヴラドが否定しても全くめげない。
「えー、そうだっけ?」
そういい残して自分の席へつく。そんなレイラはかなり可愛いと内心思っているヴラドだった。
「おーい、ホームルームはじめるぞー」
担任が教室に入ってくるとクラスが静かになった。全員席に着く。
ふと今日も歴史の授業あることに気付いた。学校は好きだし勉強も嫌いじゃないが、はっきり言って岸田は嫌いだ。考え事をしていたら、担任が言った。
「最初に転校生を紹介する。おい、入れ」
ガラガラと、教室の戸があいた。ふと、どこかでかいだことのある匂いがした。
そう、それはつい最近、学校の帰り道だったか……
コツ、コツと上靴の音がして、その転校生は教壇に立つ。
「軽く自己紹介頼むよ」
「はい」
長い黒髪をツインテールにしているその女の子は、まっすぐヴラドを見つめる。ヴラドは嫌な予感しかしない。彼女が口を開いた。
「相楽紅葉です。よろしくお願いします、ヴラドさん」
こないだの不審者女か、と気付くのが遅れたと思ったらとんだ爆弾を落とされた。
「なんだお前ら知り合いか?」
担任が暢気に笑うが、ヴラドはそれどころではない。よりにもよって本当の名前を言いやがった!ヴラドは奥歯を噛み締める。
「ちょうどよかったよ。席は小野の隣にしようと思っていたんだ。小野は成績もいいし、遠慮なくなんでも聞くんだぞ相楽」
「はい、そうします」
そのまま紅葉はヴラドの横の席に座ると改めて言った。
「よろしくお願いします、ヴラドさん」
何と言うべきか混乱がヴラドの脳内を占拠する。夢であればどんなにいいかと頬をつねりたい気分だ。
「ヴラドさん、聞いていますか?」
「いや人違いだから!俺は小野純平だって!」
「……そうですか。ヴラドさんじゃないんですか」
「違う、断じて違う!!」
相楽紅葉は無表情を崩さず、じっとヴラドを見つめる。たかが人間と思っていたヴラドは、その瞳にすこし恐怖を感じる。すべての魔力が使えないブラドは、今襲われてもなす術がない。
「と、とりあえずよろしく」
右手を差し出すと、意外にもすなおに握ってきた。
「よろしくお願いします、ヴラドさん」
叫びだしたい衝動に駆られるが、なんとか歯を食いしばって我慢する。
「よしよし、なんだかわからんが仲良くできそうで先生は安心したぞ」
担任が暢気にそんなことを言うがヴラドは全く安心できない。始まったばかりの平和な生活が、ガラガラと音をたてて崩れていく気がした。
ホームルームが終わり担任が教室を出て行くと、予想していた通りのことが起こった。
「相楽さん、小野くんと知り合いなの!?」
「どういう知り合い?」
「もしかして付き合ってるとか?」
「おいこんな可愛い彼女がいるなら言えよ!」
「勉強も運動もできるし可愛い彼女がいるとか、これだからイケメンは……」
はあああ、と男どもが溜息をつく。こうやって羨まれるのはなかなかいい気分だ。が、そんなことはどうでもいい。はやくこの女に人違いだと言い聞かせなければ。
「純平くんのばかああああっ」
叫び声はレイラだ。そのまま教室を出て行ってしまう。本当なら追いかけてやるべきところだが、今はそれどころではない。
「なあ、なんでヴラドさんって呼ばれてるんだ?」
恭弥が彼の割には真剣な顔をして、至極真っ当な質問をぶつけてくる。
「それは彼が実はきゅ「あああああああ」
ヴラドは大声を上げて遮った。ここでまさか正体を明かされるとは思っていなかった。こんなに生徒が集まっている前で、堂々と吸血鬼ですなんて言える神経がもはやヴラドには理解できない。
「ちょっといいかな、相楽さん」
「なんですか?」
紅葉の腕を引っ張って教室を飛び出す。そのまま誰も来ないだろう屋上へと連れて行く。
扉を開けて屋上に出ると、眩しい太陽に照らされる。ヴラドは眩しさに目を細めた。
「どうしたんですか?転校初日に授業をさぼらせる気ですか?」
「そんなことどうでもいいけどいい加減にしろよ!?」
紅葉は無表情のまま小首をかしげた。
「俺は小野純平だ!吸血鬼のことは知らない。俺はなにも知らないただの人間だ」
「……そうですか。ではとりあえず小野くんと呼びます」
相変わらずの表情で、少しも納得していないことが丸わかりだけど、とりあえず呼び方を改めてくれたのでヴラドは少しだけほっとした。
「で、相楽さんはなんで吸血鬼だとか言うんだ?仮にもし、俺がその吸血鬼だったら、怪しんで間違いなく逃げると思う」
「……なるほど、小野くんの言うことも一理ありますね」
顎に手を添える紅葉。本当に逃げるかもしれないとは考えなかったようだ。冷たい印象だが、中身は少し残念な一面もあるようだった。
「仮にもし、だけど、吸血鬼なんていないけどいると仮定して、なぜその吸血鬼を探しているんだ?」
ヴラドとしては、ここで情報を集めておきたい。もしなにかに巻き込まれるのなら、その前に逃げなければ。
「私が探しているのは、ただの吸血鬼ではありません。ヴラド・シルヴェストリという最凶の吸血鬼です。この間、聞きたいことがあると言いましたよね」
「ああ」
「アナスタシアさんのことです」
「ッ!!」
一瞬、ヴラドは息をすることを忘れた。心臓が早鐘のようにうなりだす。ヴラドにとってその名前は最も大きな地雷であり、深い悲しみでもあった。アナスタシア・コトフはカルディアの一人だった。最も強くて、そして美しい吸血鬼だった。
「……大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
呼吸を整えて平静を装うが、不自然なのがバレバレだろう。その名前を聞いただけで自分がこんなにも動揺するとは思ってもみなかった。
「そうですか」
「その人がどうかしたのか?」
「彼女に頼みたいことがあります。小野くんがヴラドさんじゃないとして言いますが、ヴラドさんにアナスタシアさんを探していただこうと思っています」
聞きたいことというのは、アナスタシアの居場所だったのか。しかし聞いたところで意味はない。ヴラドは自分の正体を明かす気はないし、探したところでアナスタシアは死んでしまっているのだ。七十年も前のあの日に。
それにしても、人間の紅葉がなぜアナスタシアを探しているのだろうか。
「アナスタシアさんに、世界の平和がかかってるんです。小野くんがヴラドさんじゃないと言い張っても、データ上その可能性があるうちは諦めません」
「データってなんだよ……」
「小野くんが自分の正体を明かしてくれたら教えます」
ヴラドは溜息をついた。この真面目な少女が一体何を考えているかまるでつかめない。しかし、これ以上聞くこともできない。
キーンコーンカーンコーン
と、チャイムが鳴った。授業が始まったようだ。
「小野くんのせいで授業に遅れてしまいました」
「俺のせいかよ!?」
「はい。ですが、小野くんから目を離すわけにはいきません」
「は?」
ヴラドは嫌な予感がした。
「本物のヴラドさんが見付かるまで、可能性のある人物を見張る。それが私の任務です。これからしばらく小野くんを監視しますので、よろしくお願いします」
深々と頭を下げる紅葉に、ヴラドは言葉をなくす。
「それと、私のことは紅葉と呼んでもらって構いません」
ああ、もうどうにでもなれよ、とヴラドは本日何回目かの大きな溜息が出た。