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吸血鬼の初まり〜???年〜

 今から何百年も前。吸血鬼たちはその硬い結束力と圧倒的な力で他の種族よりもより人間的な生活を営み、衣食住を効果的に得ることができていた。有力な人間の貴族を取り込むために話し合いや交渉をする議会が生まれ、より力の強い吸血鬼が世襲という形で議席を埋めていく。そういった態勢が出来上がってしばらくたったこの時代。吸血鬼たちは議会とカルディアとの間で冷戦状態が続いていた。


「ヴラド、お前は何もするな。ただでさえお前は目立つんだ。これ以上ことを荒立てるようなことをすれば、議会はお前を地下牢に繋ぐことに決めるだろうよ」


 ドナシアン・バルリオスが槍を構えながら言った。


「はあ?俺は何もしてねえだろ。見た目だけで決めつけるのはやめてくれ。こんな姿に産まれたのは俺のせいじゃないからな」


 石塀の横を歩く二人は、夜だというのに松明一つ持ってはいない。吸血鬼にとって夜闇が視界を遮ることはないからだ。石塀に等間隔で取り付けられている松明で十分明るく感じる。それに、ヴラドが隣にいると尚更だった。


「いや、それはむしろ両親に感謝するべきだろ。お前ほど恵まれた容姿のものは、いくら吸血鬼とは言え珍しい」


 吸血鬼は夜の闇に紛れ、人間を補食する生き物というのが定説だ。まさにその通りで、人間を引きつけるために容姿の整ったものが多い。白い肌に綺麗な顔つき、闇に溶け込む暗い髪色など種族として共通しているところもある。が、ヴラドは吸血鬼としては稀な、金髪碧眼の持ち主だった。その金髪が松明の光を反射してキラキラと輝く。


「フン。そのせいで俺は政治の道具だ。手見上げの花かなにかみたいに、話し合いが終わるまで部屋の隅で佇むのが俺の仕事さ」


 ヴラドは自嘲するような薄笑いを浮かべて言う。外交という名の晩餐会や舞踏会にはヴラドのような容姿は役に立った。人間は綺麗なもの、美しいものに興味を抱く。自分たちには到底手にすることができないようなものを見た時、その対象を畏怖し、崇拝し、そこに溺れていく。ヴラドはそんな対象の一つとして、人間たちの心を虜にする。その蒼く澄んだ瞳を振り向かせたい、金色に輝く髪に手を触れたい。大理石のように一点の傷もなく滑らかな肌に指を這わせたい。人間はどこまでも単純で、故に貪欲だった。欲望を満たす為なら吸血鬼の言いなりになっても構わないという、愚かすぎる貴族どもばかりで、ヴラドは議会のいいように利用されている。


「いやいや、俺なんか家名は立派でも六男だ。さらに下に弟も妹もいる。こんなに価値のない家柄は他にないだろう?」


「はあ?なんの自慢だ。ドナは家柄がどうであれ関係ないだろ?」


「それはそうだが、持っているものが多い方がいいに決まってる」


 ドナは議会の兵士としてその地位を固めている。多少家柄が影響するとは言え、議会の信頼も厚く腕も確かだから、ドナの未来は安定したものになるだろう。が、それもヴラドに比べれば些細な力だった。ヴラドは容姿の他に、魔力の総量でも他の吸血鬼を遥かに凌いでいた。だれも敵わぬほどの力をヴラドは持て余しているな、とドナシアンは思っているが、ヴラドはまだ若い吸血鬼だ。自分の道は自分で見付ける。それは誰もが経験する悩みだ。


「……」


 しばらく無言で歩くと、石塀の終わりが見えてきた。松明が煌煌と照らす木の門は頑丈に閉じられている。門の前には二人、厳格な表情の門兵が直立している。


「ゴホン、我々は議会から派遣されてきたドナシアン・バルリオスと、こちらはヴラド・シルヴェストリだ」


 ドナが二人の前に出て言った。それをうさんくさげに見る門兵。しかし、ドナの後ろにいるヴラドを見て二人の兵は後ずさった。


「お、おい、お前があの、残虐非道な殺し方するっていうシルヴェストリか!?」


「はあ?俺がいつそんなことをしたんだ?」


「や、やっぱりお前が!?」


 はあ、とヴラドは溜息をついた。それから言い返そうと口を開く。が、言葉を発する前にドナが言った。


「待て。俺たちはケンカする為に来たんじゃない。お前たちの頭に書状を渡しにきた。中に入れてもらえるだろうか?」


 二人の兵は顔を見合わせた。それから一人が門を少し開けて中へ入る。残った三人の間に沈黙が流れる。ヴラドは大きな欠伸をした。


「ヴラド、お前に緊張感はないのか?」


「緊張?俺が?ナニに?」


 顔を顰めるヴラドに今度はドナが溜息をつく。


「あのな、ここは敵の本拠地だ。いつ何が起きるかわからんだろ?」


「ふああああ」


 ヴラドの二度目の大きな欠伸がその場の空気を和ませる。


「シルヴェストリ、お前って意外と面白いヤツなんだな……」


「面白くない。コイツはなめてるんだ。どうせ誰もヴラドには勝てないからな」


 ドナは門兵に言い返す。どうしてか議会はいつもドナにヴラドの面倒を押し付けるから、自由奔放な彼に怒り心頭だ。それを面白いなどと言われると腹が立つのだった。


「俺はそこまで人生なめてねえよ」


「あのさ、お前の噂は本当なのか?なんでも、敵とわかれば手当たり次第残虐な殺し方をするんだろ?」


「誰だよそんなこと言ってるヤツは。俺がそんなヤツに見えるか?」


 憤慨だとばかりに機嫌を悪くする。その表情を見て、門兵は言葉に詰まった。そんなヤツに見えるか?と言ったヴラドの顔には、不敵な笑みが浮かんでいたからだ。


「入れ」


 その時、門が内側から開けられて、もう一人の門兵が顔を出した。ヴラドに答えなくてすんだ門兵は心からホッとした。


「こっちだ。オレたちは忙しい。だから簡潔に必要事項だけ言ってくれと頭からの伝言だ」


「了解した」


 ドナはそう答えると中へ入る。もちろん持っていた槍は取られた。ヴラドもその後に続く。中はいたって普通の小さな城へ続く中庭で、所々に照らせれた松明がパチパチとはぜる以外は何の物音もしない。城の中に入ると、さすがに少しだが生き物の気配がする。それから人間の血の匂いも。


「ここで待て」


 そう言って通されたのは、それなりに広い客間だ。しかし、調度品はこの小さな城に合わせたかのような貧相なものばかりで、一見の価値もなくつまらない。そんなことを思っていると、扉が開いて武装した三人の男が入ってきた。先頭の頭と思われる人物は他の二人と同じ質素な装備を身につけ、違いがあると言えば首にかけた赤色の宝石のついた十字のネックレスだけだ。


「私はアイザック・ベックマン。君たち議会に反旗を翻そうとしているものだ」


「アハハハ、なかなかに秀逸な自己紹介ですね。俺はドナシアン・バルリオス。こっちはヴラド・シルヴェストリだ」


 名前を聞いて、アイザックの両隣の兵が身を硬くした。ヴラドの噂は、本当にいろいろなところにまで広まっているな、とドナは一人感心した。ヴラドの方は何も気にしていないようで、飄々とした態度は崩さない。


「ほう、貴殿が悪名高きシルヴェストリ家のご嫡男か。なんでも毎晩人間の血で満たされたバスタブに入浴するのが日課とか」


 ヴラドは口をへの字に曲げる。


「どんな噂だよ……俺がそんな非道なことしてるように見えるのか?」


「見えないな。もっと筋骨逞しい中年だと思っていたよ」


 フン、とお互いに鼻を鳴らす。こうしてやり取りしながら相手の力量を測っているのだ。ドナは呆れた表情が表に出ないようにつとめた。吸血鬼という種族は、大抵のものが好戦的なのだ。


「それで?議会は我らに何の用があるのかね?もっとも今更何を言われても、我々の意思はかわらんが」


「あくまで議会には従わないつもりだと?」


「そう言うことだ」


 ここ数百年、吸血鬼の間で議会に異を唱えるものたちが徒党を組む事案が時々起こっていた。こうしたものたちの先達となった組織がカルディアだ。力と血筋による絶対的な階級社会を形成するやり方に反発し、議会から初めて独立した組織だ。組織と言っても六人しかいないが、六人が六人とも一癖も二癖もあるような吸血鬼で、議会は彼らの独断行動を止めることができなかった。議会とカルディアの対立は今も続いているが、力が拮抗しているため冷戦状態にあるのが現状だ。


「なるほど。一応、議会からの書状を届けにきたんですけど……答えは出ているようですね」


「あいにくだが。それに近々、我々から議会に挨拶に伺おうと思っていたんだが……良い手土産ができそうだな」


「ほう」


 ドナは今度こそ呆れた表情を隠しきれない。第二のカルディアに、と考えるアイザックたちにとって、ドナシアンとヴラドの首を持って議会に突きつければ良い牽制になるということだろうか。効果的なのはわかるが、しかし彼らにヴラド・シルヴェストリを倒すことができるのだろうか。


……答えは否だ。


「ヴラド、さっきも言ったがくれぐれもやり過ぎるなよ?」


「ハイハイ」


 気怠げに返事をする。ヴラドにとってはどうでもいいことだ。自分がドナに同行するように命令を受けたのは、議会の提案を受け入れなかった場合の武力行使に対応するためだ。


「おっさん、俺が来た時点でお前の負けだ」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ヴラドはその力を解放した。暴風のように荒く激しい魔力の奔流が客間の中を駆け巡る。調度品を薙ぎ倒し、窓ガラスは吹き飛んだ。


「ぐっ!!」


 アイザックは両足を踏ん張り、なんとかその場に立っていられるが、二人の付き添いは無様に尻餅をついた。


「お前たち、うろたえるな!!シルヴェストリなどただの若造だ!!こいつさえ殺せば……」


 アイザックの言葉が途中で途切れる。ゴトリ、と重たいものが床に落ちた。ゴロゴロ転がるそれが、尻餅をついて動けない付き添いの一人の方を向く。目が合った。


「ヒイッ!?!?」


 それは驚きの表情を浮かべたまま固まるアイザックの首だった。切り離された胴体は、ゆっくりと床に頽れる。ヴラドは血に染まった左手を嬉しそうに眺めている。その姿は妖艶ですらあるとドナは思う。


「吸血鬼の血の色がなぜ人間と同じ赤色か知ってるか?」


「あ、ああ……あ」


 二人は恐怖で身動きが取れない。


「それはさ、きっと殺しても罪悪感がないようになんだ」


 ヴラドはアイザックの首のない体の上に馬乗りになると、右手をアイザックの左胸に突き刺す。ギュチュグチュと吐き気を催す音が響き、引き出したヴラドの右手には心臓が握られていた。


「ほら、人間とかわらないだろ?吸血鬼だと気付きませんでしたって言えばいいんだよ!!」


「……ヴラド、もうやめておけ。まだ片付けることがあるだろ」


 ドナが溜息まじりに言った。正直、ヴラドの殺しの現場は見たくなかった。いつもこうして一方的に弄んで殺すのだ。それこそ、吸血鬼が人間を弄んで補食するのと変わりない。


「フン」


 ヴラドはアイザックの心臓を投げ捨てた。首の断面と左胸から大量の血液が流れ出し足下を染める。ドナは一歩後ろに下がって靴につかないようにした。それから、アイザックへと渡されるはずだった書状を開いてその内容を読上げる。


「えー以上の決定により、議会への反逆罪としてここにいる吸血鬼には死をもって厳罰に処す」


「待ってくれ!!お、おれたちはっ……」


 ザシュ、とヴラドが爪を突き立てて、尻餅をついている一人を亡き者にする。問答無用だ。残されたもう一人に近付くヴラド。その表情はどこか恍惚としている。


「や、やめろ……やめてくれっ!!」


「はあ?やめるわけないじゃん。死ね」











「ドナシアン・バルリオス、ヴラド・シルヴェストリ。ただいま戻りました」


 議会のある城に戻るころにはすでに明け方だった。門兵に挨拶をして入城許可を取る。中に入ると、所々にもうけられた木のテーブルで吸血鬼たちがそれぞれたむろしていた。


「ああ、やっぱりお前らか。どうりて血なまぐさいなと思っていたんだ」


 ハハハと笑いが起こった。老齢の吸血鬼たちが酒を飲みながら下卑た笑いを浮かべ話しかけてくる。


「お前ら、そんなに汚れ仕事が好きなのか?」


「今日は何人殺したんだ?同族を殺すって、どんな気分だ?」


 ゲラゲラと笑い声を上げる集団を無言でやり過ごし、二人は城へ向かって歩く。


「はあ。だから言っただろ?お前は目立ちすぎるんだよ……」


 ドナのぼやきはヴラドの耳には入らない。完全に知らないフリだ。


「だいたいよ、どうしたらそんなに血まみれになるんだ?もう少しお上品にできないのか?」


「アホか。どうせ殺すなら楽しんだっていいだろ」


 アイザックの一派はヴラドによって壊滅した。たった一時間たらずの間に三十八人もの吸血鬼を一人で倒し、石造りの堅牢な城を半壊させた。それをドナは見守ることしかできなかった。下手に手を出せば、自分まで巻き込まれることは明白だ。


「楽しむって、わざわざ吸血鬼でしなくてもいいだろうに」


 ヴラドの来ていた白いシャツは、もとの色がなんだったかわからないほどに変色していた。顔や両の手についた返り血もそのままで、乾いて黒く変色している。肌が白い分余計に目立って見える。


「違う。吸血鬼が相手だからいいんだ。人間ほどすぐに壊れない」


 不敵に笑いながらそう言うヴラドを見て、コイツだけは絶対に敵にしてはいけないとドナは思った。


 城内の大広間には円卓と壁際に椅子が並べられていて、そのどれもが埋まっていた。吸血鬼という種族全てを裏から操っている議会の最高幹部たちだ。円卓につくことができるのは五家の家長とその跡継ぎが一名ずつの計十人。壁際に並んだ椅子にはその他の有力者が腰掛ける。彼らに発言権は無いに等しいが、それでも議会に参加できるだけで相当の名誉だと思っている。


「失礼します。ドナシアン・バルリオス、ヴラド・シルヴェストリ、ただいま帰還いたしました」


 居住まいを正すドナを尻目に、ヴラドは大欠伸をした。


「ヴラド、いくらお前でも失礼すぎるぞ」


「知らねえよ。こんなジジイババアの集まり、俺には関係ないな」


 円卓を囲む吸血鬼たちが皆一様に呆れた表情を浮かべた。その内の一人、ヴェルドーネ家の次期当主、リオネル・ヴェルドーネが笑みを浮かべながら言った。


「キミは相変わらずだな。羨ましいよ」


 ヴラドはニコリともせずに無視する。リオネルは気にせず続ける。


「キミもこの椅子に座っているだけでいいのに。どうしてわざわざ外に出るんだ?」


 十席ある席のうち、一つだけあいている席がある。それはシルヴェストリ家の跡継ぎが座るべき椅子だ。


「くだらねえ。そんな椅子、俺には何の価値もねえ。どうせ利用されてやるんだから、そこに座ろうが座るまいが同じだろ。俺はこんなクソみたいな部屋にこもってるのは嫌だからな」


 これが一介の吸血鬼の発言なら、その首は即座に切り落とされていただろう。そして心臓を潰し火にかけられて終わりだ。しかしそうならないのは、ヴラドを殺す為にはここにいる吸血鬼の半分は確実に犠牲になる。さらに、この議会を今現在仕切っているのはエヴァルト・シルヴェストリ、ヴラドの父親だ。


「フン、所詮は子どもの戯言。気になさるな。それからヴラド。お前のようなものにこの椅子に座る資格などない。お前は利用されているんではないよ。我々が利用してやっているんだ。その容姿と力を、我々が賢く使ってやっている。感謝するんだな」


 エヴァルトは手元の書類に目を通しながら言った。ヴラドのことを見ようともしない。それはいつものことで、ドナを含めここにいる全員が、エヴァルトとヴラドが親子として接しているところを見たことがなかった。ヴラドは父親を睨みつける。が、睨むだけでは何も起こらない。


「さて、用がないならお前は出て行け。ドナシアン、報告を聞こうか」


 チッ、と舌打ちを残し、ヴラドは大広間から出た。いくつもの視線が背中に突き刺さるが、扉が閉まるとそれも感じなくなった。


「クソが」


 廊下を歩きながらつぶやく。父親のこともだが、ヴラドは議会が嫌いだ。いや、単純に父親が嫌いだから議会も嫌いなのか。もはやヴラドには判別がつかないが、ともかくそこに利用されている自分自身のことも嫌いだった。父親が自分のことを見ないのは、似ても似つかない容姿のせいだとヴラドは思っている。エヴァルトとその妻リサは黒い髪に漆黒の瞳と実に吸血鬼らしい容姿なのだが、その子であるはずのヴラドは金髪に碧眼。産まれたときこそ愛してくれた母親も、ヴラドが大きくなるにつれて寄り付かなくなってしまった。自分は異端だ。吸血鬼であって、吸血鬼ではない。そんな思いが、いつしかヴラドと、他の吸血鬼の間に深い溝を作ってしまっている。加えて大きすぎる魔力も、その溝を深める要因の一つとなっている。強すぎるものは嫌われる運命なのだ。


 そんなことを考えながら適当に歩いてきたヴラドは、いつの間にか城の裏庭に出る小さな扉まで来ていた。そこから朝の日差しが城内を照らしている。たまには散歩でもしようか、と裏庭に出る。興味がないヴラドには何の花かわからないが、色とりどりの花が綺麗に咲いていた。しばらく歩くと、城壁に突き当たった。が、そこには小さな木の扉がついていて、森につながっていることを思い出す。これはもしもの時に城主が逃げ延びる為につけられた扉なのだが、この城が吸血鬼のものになってからは使用されていないようで、木の板は朽ちかけていた。


「昔はもう少しまともな扉だったのに」


 幼い頃一度だけ来たことがある。が、この先の森には行かなかった。好奇心に駆られ、木の扉を蹴破って外に出る。地図上では、そこから雄大な北欧の森が広がっている。果てがないとも言われているが、そんなことはあり得ないとヴラドは思っている。しばらく歩くと、鬱蒼と生い茂る木々の合間に、銀色に輝く鏡のような湖が見えた。そこは野生動物の宝庫だった。鹿の親子が湖のほとりにいて、その頭上の木々には色とりどりの野鳥。さらに、リスやウサギなどの小動物まで見ることができる。


「のどかなところだな」


 その穏やかな光景を見つめる自分は、どうしてこうも汚れているのか。外見的に汚らしいだけではなく、心まで汚れきっている気がする。


「はあ……」


 湖のそばにちょうど良い岩があるのを見付けて、ヴラドはそこへ腰掛けた。自然と溜息まで漏らす。ヴラドは決して強いわけではない。力があり、その容姿のせいで冷徹で非情と思われがちだが、そんなことはない。彼にも心はある。この景色を見ていると議会や両親、一族との確執も、少しだけ忘れられる気がした。


「……綺麗」


 ふと、背後から女の声がした。気を抜いていたとはいえ、この自分が後ろを取られるなどとは思っていなかった。


「っ、だれだ!?」


「あ、動かないでよ!!せっかく描いてたのに!!」


 女は赤みがかった長い髪を耳にかけながら、ペンをヴラドに突きつけた。足下にはスケッチブックが置かれている。


「描いてたって、俺をか?」


「そうよ」


「なんで?」


 ムスっと頬を膨らます女は腰に手を当てて言った。


「なんでって、あんまりにも綺麗だったからよ!キミのその物憂げな表情と、この自然の風景が相まってあたしの美的センスに触れたのよ!」


「言ってることがわからん」


 ヴラドは眉根を寄せてその女を見た。魔力や吸血鬼独特の雰囲気は感じられない。年齢は二十歳くらいに見える。いかにも快活そうな表情で、いつも不機嫌な顔のヴラドとは正反対だ。正直苦手なタイプだとヴラドは思った。


「キミはこんなところでなにしてたの?血まみれみたいだけど自分の血……じゃないよね?」


「べつに」


 愛想の悪いヴラドだが、その女はめげない。ヴラドの横に腰掛けて顔を覗き込んでくる。


「答えになってない!キミさ、吸血鬼のいっぱいいる城から来たんだよね?」


「あの城を知ってるのか?」


「もちろん!この辺では有名だよ。何かと危ないからって」


 吸血鬼があの城に議会を設置したのは、今から二百年ほど昔の話だ。ヴラドが産まれる前だから、どういう経緯で手に入れたのかはわからない。近隣の村の人間たちは、なんとなく雰囲気が陰気だからと近付いてはこない。一部の人間は吸血鬼が住んでいると知っているようで、それとなく近付かないように促しているらしい。


「それに」


 その女は真っすぐヴラドの目を見て続けた。


「キミは吸血鬼だけど、それだけじゃないこともわかるよ」


 なぜか背筋が凍った。女のエメラルドグリーンの瞳に見つめられていると、自分の心の中まで見透かされてしまいそうだった。どう答えていいかわからない。


「あ、もうすぐお昼ね。そろそろ帰らなくちゃ」


 腰掛けていた岩からひょいと立上がった女は、ヴラドににっこり微笑んで森の中に入って行った。最後の言葉がヴラドをさらに困惑させた。


「また会いましょう、ヴラド・シルヴェストリ」


 どうして自分の名前を知っているのか。やはりあいつは人間ではなかったのか。だが何も感じなかったことは事実だし、自分ほどの力を持っている吸血鬼からその力の一切を隠すなど不可能に近い。できるとすれば、それはヴラドよりも強い吸血鬼ということだ。


「……ヤバ!!」


 ヴラドは慌てて立ち上がった。頭上に太陽が昇っているのが見える。そろそろ帰らなければ、午後からの任務に間に合わない。といっても自分は人間が外交と称して吸血鬼を招いて催す茶会で置物のように突っ立っているだけだが、規律の厳しい吸血鬼だ。遅刻は許されない。よく時間を偽って伝えられたりするヴラドだ。厳罰に爪を剥がれるのは地味に痛くて嫌だから、早めに行かなくては。


 フウと溜息をついて、ヴラドは来た道を戻って行った。

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