吸血鬼は夢をみる
パパパッ、パパパッ
乾いた銃声が辺りに響いている。休みなく聞こえるその音も、ここ数ヶ月続く戦闘で戦場の兵士達にとっては羽虫の飛ぶ音ほどのものでしかなかった。当たれば当然痛みを感じ、命を落とすことだってあるが、彼らはそんな事も忘れてしまうほどに長く前線で戦っている。
ヴラド・シルヴェストリはライフルに弾をこめながら地べたに身を伏せていた。隣には同じ小隊の仲間二人がヴラドと同じように身を伏せている。
「おい、ジャック!今日の昼飯は何だ?」
日に日に激しさを増す前線の一角で、似つかわしくない声があがる。ヴラドの右隣のトニーの声だ。
「トニー、残念ながら今日も干涸びたパンと豆の缶詰だ」
ヴラドの左隣のジャックが答えた。
「くっそー!!早く帰ってうまい飯が食いてーよ!!なあヴラド?」
話を振られたヴラドは残りの弾を数え溜息をつきながら答える。
「俺に話を振るな。飯なんてなんでもいい」
「チッ、ノリの悪いヤツだ。これだからお貴族出身のヴァンパイア様はボッチなんだよ」
吐き捨てるように言われた言葉にヴラドは苛立った。が、無視して流す。
ヴラドは吸血鬼だ。両隣のトニーとジャックは人狼だ。この世の中には、人間達に紛れるようにして繁栄してきた闇の住人達がいる。本当なら吸血鬼と人狼や、他の闇の住人が手を取り合って戦うなんてことはしない。しかし、人間の人口の増加や文明の発達とともに彼らは住む場所や地位も権力も奪われていった。彼らは食いぶちを稼ぐために人間達に混ざって生きていくしか方法はなく、それができないもの達は容赦なく人間達に殺されていった。そうして生き残ってきた者たちも戦火からは逃れられず……おとなしく従軍している。
この頃、ヨーロッパの国々の間で複雑な同盟関係ができ、それによって産まれた対立関係が、大陸の他の国や遠く海を越えた大国までをも巻き込む大きな戦争へと発展していった。後に第一次世界大戦と呼ばれるこの戦争は、ドイツが主戦力となる中央同盟国とフランス、イギリス、ロシアを中心とした連合軍の二つに分かれ、今まさに戦局は苛烈を極めていた。
ヴラドはこの時たまたま住んでいたルーマニアの兵として戦場に出た。ルーマニアには異形のものたちが比較的多く住んでいる。未だ伝承や怪奇現象なんかが割と信じられていたりするここルーマニアは彼にとっても都合のいい国だ。間違って魔力を使っても、この国の人間達はあまり驚かないし話題にもならない。これがフランスなら間違いなく教会に捕まって火炙りにされるだろう。
そしてもう一つ。ルーマニアはヴラドの故郷でもあった。彼がこの世に生を受けたのは、もっと昔のことで彼が住んでいた屋敷などはもう残ってはいない。オーストリアと結んでいた同盟を反故にし勝手に中立を宣言し、新国王が即位するとその王妃がイギリス人だったために連合国側へと傾いていったこの国が戦場になるのは目に見えていた。そこまで愛着はないヴラドだったが、故郷の義理を感じたというのも戦場に出た理由の一つである。
軍備を固めルーマニアは満を持して六十万もの兵を用意し颯爽と参戦した。が……
「てかさあ、ルーマニア出身で有名なヴラドさんに聞きたいんですけどー。この戦いはかてるんですかー?」
トニーがニヤニヤした顔で言った。
聞く前から答えなんかわかっているだろうに。ヴラドはトニーを睨んだ。
ルーマニア兵六十万と言えば一大戦力かに思えた。しかしその中身はなんともお粗末なものだった。明らかに旧時代の軍備に、一般兵はおろか将校でも字が読めないものがいる有様だった。指揮系統などほとんど機能せず、戦いが始まる前から混乱していた。まるでライフルを持ったチンパンジーだ。当然のように負けるだろう。誰もがそう思っていた。
「まあ、悔しいのはわかるが仕方ない」
ジャックがそっとヴラドの肩に手を触れる。
「別に悔しくはないから!!触るな!!」
あきれてすぐさま振り払うが、ジャックはまったく気にしない。
「とりあえず、少しでも敵に痛手を負わせたいんだが何か案はないか?」
ジャックが言った。
「ハイハーイ!玉砕覚悟でヴラドを敵前線に放り込むってのはどうよ?」
「……お前にダイナマイトでも巻き付けて放り込んでやろうか?」
「オレ死んじゃう!お前と違ってバラバラになりゃ死んじまうの!」
吸血鬼はほぼ不死身だ。心臓さえ狙われなければ死なない。だからといって痛みを感じないわけではない。
「だいたいあの機関銃とかインチキだよな!?あんなもん食らえば文字通り蜂の巣だ」
トニーの言う通り、インチキだとヴラドも思った。高速で打ち出される銃弾を避け続けることは、いくら吸血鬼や人狼の卓越した身体能力を持ってしても不可能だ。毎分五百発もの弾丸を食らえば再生に時間がかかるし、心臓に当たる確率も高くなる。避けられない事もないが、真剣に避けると不審がられるだろう。
「おい、あっちの茂みの向こう、四輪車が何台か走っている音がする」
地面に静かに耳をつけていたジャックがヴラドたちの右側に広がっている茂みへ向かい歩きだした。確かに集中して意識を向けるとトラックが四台、その周りを三十人ほどが歩いているのがヴラドにもわかった。
「敵陣に向かっているようだな。ま、大方補給品だろう」
「よーし!ブッ潰しにいこうぜ」
そう言ってトニーはヴラドとジャックをおいて走って行ってしまった。ジャックは溜息をつき、ヴラドは呆れ顔でついて行く。
「てめーら止まれ!その荷をおいて消えろ!」
追いついたと思ったら、目の前の光景に二人は歩をとめる。まさか一行の真ん前で仁王立ちするヤツがいるだろうか。相手は人間と言えどライフルが約三十丁。ヴラドたちは弾切れ寸前のライフルが三丁。トニーのアホさには首のないデュラハンだって振り向くだろう。
「お前はバカか?アホか?あ?」
「うるせー!時代遅れの吸血鬼は黙れ!」
「……殺してやる」
「ハッ!やれるもんならやってみろよ!?」
もう我慢の限界、と、本気で殺気をみなぎらせるヴラド。
パアンッ
そこに敵の一人が発砲。幸い誰にも当たらなかったが、それを期に隊列を整えた敵兵がライフルをヴラドたちに向けて構え、発砲の合図を待っている。指揮官らしき人物がヴラドたちに何か言っている。
「なんか言ってるぜ?」
「ああ、なんか言ってるな」
二人は言い合いを止めて、真剣に敵の指揮官の声に耳を傾けるが、あいにく二人ともドイツ語はわからない。
「武器を地面に置いて両手を上げて投降しろ、だと」
ジャックが言った。
「さすがジャック!!ヴラドなんかより頼りになるぜ!!クソ長生きなくせにドイツ語もできねーのかよ?不死ってのもお前にはムダなんじゃねーの?」
まるで自分の手柄とでも言いたげなトニーの言い草に、今度こそ息の根を止めてやろうとヴラドが魔力をみなぎらせる。
「マジ殺す。ブッ殺す。今すぐ殺す」
パアンッ
が、またもや発砲音。放たれた弾丸は偶然だろうか、ヴラドの脇腹を貫通した。みるみる溢れ出る鮮血。腹部が真っ赤に染まっていく。
「ブフッ、撃たれてやんの!!」
プチン、ヴラドの中で何かが切れた。トニーが吹き出したのとほぼ同時にヴラドはトニーのニヤけた顔面に渾身の力を込めた右ストレートをお見舞いする。そしてそのまま間髪おかずに敵兵の隊列の方に向かって走り出す。
まず狙うは指揮官と思われる人物。ヴラドは両腕の袖口に仕込んでおいた、刃渡り十五センチほどのナイフでもってそいつの首をかき切る。なにが起こったかわからないとでも言いたげに口をパクパクさせながら、指揮官らしきその男は倒れた。
それを間近で見ていた敵兵は、一瞬の出来事に身動きができないようだった。が、勇敢なのか蛮勇なのか、一人の若い兵士が震える手でライフルを構え直し発砲。弾丸はヴラドの頬をかすめた。
「あっぶねー」
流れる血を手の甲で拭う。そしてニヤリと精一杯不敵な笑みを浮かべて、青ざめた兵士達を一瞬にして葬った。人間には到底把握できない速さだから、きっと痛みもなにも感じなかっただろう。
血にまみれたナイフを服で拭う。その頃には、撃たれた腹部は完全に治りきっていた。ヴラドが二人のもとに戻ると、トニーが鼻から血を吹き出しながらうずくまっていた。ざまあみろと内心ほくそ笑む。
「ぐう……鼻が、折れた……」
「トニー、ヴラドに殴られて骨折ですんだんだ。ラッキーだと思うが」
ジャックの言う通りだ。吸血鬼のヴラドが本気になれば人狼といえど命の保証はない。鼻が折れた程度で済んでよかった方だろう。
「ヴラド、トラックの中は見たか?」
ヴラドは首を横に振った。そういや中身はなんだろうとジャックと二人、別々のトトラックに近づく。後部を開けて覗くと、中身はやっぱり大量の武器類だった。
「機関銃の弾が大量に、あとはダイナマイトでも作るのか知らんがニトログリセリンが大量だ」
「こっちも同じだ」
ジャックも他のトラックを見ながら言った。
さて、この大量の戦利品をどうしようか。二人が悩んでいると、
「このまま敵軍につっこもうぜ?大爆発が起きれば混乱してこっちにもチャンスが来るかも」
立ち直ったらしいトニーが鼻から流れ出る血をおさえながら言った。
「なるほど、案外いい案かもしれんな」
ジャックがあごに手を添えながら真面目な顔でうなずく。それから三人は、細かい打ち合わせをした。
「よし、じゃあ行くぞ」
三人はさっそく実行するため、トラックに乗り込もうとしたところ、自軍の方から飛行機が飛んで来るのが見えた。偵察機だろうその飛行機はちょうどこの三人の真上を通るようだ。
「あの飛行機、ちょっとおかしくないか?」
ジャックが眉間にしわを寄せながら飛行機を見て言った。
「ほんとだ、煙が出てるぜ」
トニーも同じように見上げる。ジャックは手で目元に陰を作りながら空を見た。吸血鬼は日光が苦手というのは当たっている。が、日光に当たれば死ぬ、という事はない。魔力の総量によって弱点も違う。彼は日光で死ぬ事はないけど、単に本来夜行性の吸血鬼は強い光が苦手なのだ。
その飛行機は確かにおかしかった。三人は揃って首を傾げる。すでにやたらと低空飛行なのにさらに高度が下がっている。それもかなりのスピードが出ているようだ。
「おいおいおい、ひょっとしてこっちに向かってきてねえ?」
「だな。ここに落ちそうだ」
飛行機はプスプスと明らかに故障した音をたてながらかろうじて飛んでいるが、フラフラと、しかし確実に彼らの上、それもトラック四台分の弾薬と大量のニトログリセリンの上に落ちようとしていた。
「よし、今すぐ逃げるぞ」
三人の意見が珍しく合致した。彼らはよく三人でつるんでいるのだが、種族の違いか単に性格が合わないのか、意見があうことは滅多にない。来た道を戻ろうときびすを返したそのとき。
飛行機は最後の力を振り絞るように唸りをあげ、スピードアップで急降下しだした。お前らだけ逃げるなんて許さんぞとばかりにニトログリセリンの海へと向かう。
「あああああヤバいって!!」
トニーが大声を上げて真っ先に逃げ出そうとした。それをヴラドが後ろから羽交い締めにする。
「おいおいおいこの低俗な人狼ヤロー!俺より先に逃げようってか?」
「テメコラ離せ!オレはお前と違って簡単に死ぬんだよ!」
「だからなんだ?」
「離せっつーの!!」
揉み合う二人に、確実に飛行機が迫る。ジャックは溜息をついた。どう考えても遊んでいる場合ではない。
「お前達が死ぬのはいいが、俺は巻き込まないでくれ」
そういってジャックは一人一目散に走り出す。自軍の飛行機に殺されるなど絶対に嫌だった。
「あ、まてコラジャック!!」
トニーが慌てて立ち上がり、走り出そうとしたところをヴラドが後ろから蹴り倒す。
「イッテー!!」
「ハッ、死ねこの犬ヤロー」
我先にともつれ合いながら逃げるヴラドとトニー。しかし、壊れた飛行機は止まらない。
二人が振り返るとちょうど飛行機がトラックにブチ当たるところだった。
体が再生したらとりあえず安全そうなブルガリアにでも逃げようか。ヴラドが逃げるのを諦めると同時に大爆発が起こった。