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ホットショコラは無言でいただく

読んで下さってありがとうございます☆

 サラマイン王国の冬が一番厳しい時期、だれが言い始めたのかわからない『ショコラデー』というものがある。冬の寒さを少しでも温かくと『ホットショコラ』を売っている店がはじめたというが、本当のことはわからない。


 『ショコラデー』にすることは、大好きな人と『ホットショコラ』を飲むこと。飲んでいる間は口を聞いてはいけないという決まりがあった。


 視線を絡ませて、ジッと見詰め合い『ショコラ』を飲むことは、乙女達の憧れでもあった。


 ただし、これは両想いの相手とだけしかできないことである。


 固形の『ショコラ』に思いを込めて、いつか二人の愛でこの『ショコラ』が溶けますようにという乙女の願いが込められたものまで売り出されたら、片想いの人々はちょっとでも美味しいもの、高価なものをと買い求めた。


 いつしか『ショコラ』をおもいっきり食べたいという乙女達の食欲や、もっと売ってしまいたいという店側の思惑もはらんで、友達にあげる『友ショコラ』、いつもお世話になってますの『ありがとうショコラ』なるものも出てきて、このイベントは過熱していく一方であった。


 この時期の街中は、甘い匂いが充満した『辛党』の面々ともらえる予定のない一人身には辛い時期ではあった。




 朝から忙しく王宮を駆けずり回っていたクレインの手には大きな袋がもたれていて、その中は溢れんばかりだった。王宮のいたるところをくまなく書類を手に走り回っていたのは、勿論仕事のためなのだが、普段騎士団のほうに詰めてデスクワークの多い彼が王宮の方に派遣されていたのは、きっとなにかしらの思惑があったのではないだろうか。


「満員御礼って感じだね」


 少し目を見開いて驚きをあらわにした王太子コンラートに声を掛けられて、クレインは慌てて頭を下げた。荷物が重たすぎて礼も取れないのを、「気にしなくていい」とコンラートは許した。


「そんなに食べたら、鼻血がでるよ」


 真剣に心配されて、クレインは少し身の置き場に困った。


「いえ、これらは孤児院の子供達に食べてもらう事になってます」


 この量を食べていたら、いくらクレインでも体型が崩れるんじゃないかと少し心配だったコンラートはホッとした。


「それは寂しいことだね。愛を受け渡すの?」


 意地悪くコンラートがそう言うと、「皆様の愛は広く深いのです」とコンラートでさえ絶句しそうな微笑を浮かべてクレインは告げた。


「とはいえ、受け取るときには了解をとってますよ。毎年のことなので私に贈ってくれるのは慈悲深い方ばかりです」


「はぁ、慈悲ねぇ」


 苦笑を滲ませながら、コンラートはその袋に一つ加える。


「王太子殿下?」


「私の妻からの慈悲だ。子供達によろしくっていってたのはそういうことなんだな」


 コンラートは納得していたが、クレインは少し固まった。


「あ、ありがとうございますと、お伝え願えますでしょうか」


 クレインの動揺を知ってか知らずか王太子コンラートは手を軽く上げて去っていった。


 そんな一日を送っていたからか、その後のデスクワークが多すぎたせいかクレインの帰宅は随分な時間だった。因みに、義兄であるアルフォードはもうとっくの昔に帰宅している。甘い時間を過ごしているのだろうと思うと少しだけムカついた。



「ただ今帰った」


 執事のバイエルは遅くなった主を迎えて、その重すぎる荷物を受け取った。この一週間に屋敷に運び込まれたショコラの数は小さな部屋を占領するほどだった。今日もって帰れなかった分は、明日の朝屋敷まで運んでもらうように手配している。


「旦那様……結婚しても相変わらずですね」


 バイエルの誇らしげな視線を振り払って「あの小説のせいで一気に増えたしな」と声をひそめる。『薔薇の園のしじま』と呼ばれるクレインも出演している男と男が恋に落ちるという小説のせいか、ずっとクレインに想いをよせていても見ているだけだった乙女達が、もはや演劇の男優に寄せるファン心理のようなものを持ったようで、見境なく「アルフォード様とお幸せに!」とかいってショコラを渡してくるのである。


「ああ、なるほど」


 笑いを堪える執事は、奥方であるアルティシアがソファで転寝をしていたので寝室に運んだと伝えた。勿論主人のヤキモチを回避するために運んだのは力持ちの女性である。アルフォードの妹にしては小柄なアルティシアだから運べるともいえるが。


「そうか。大分遅くなったしな。例のものはあるか?」


 クレインが聞くと厨房の方に用意していると優秀な執事は答えた。


「先に風呂に入ってから厨房にいく。置いといてくれ。もう寝てくれていい」


 バイエルは「では、下がらせていただきます」と主人であるクレインに頭を下げた。




 クレインが手早く風呂に入って、厨房で例のものを作って寝室を訪れたのは、もう少しで日が変わるような時間だった。


 寝台で眠る愛しい妻は、結婚してからというものとても顔色がよくなった。エリアルがあちこち連れまわしているし、友達も沢山できて、クレインから見ても楽しそうだ。

 昔は陽にあたる事も少なかったせいか青白いかったし、時折翳りのある表情も見せていた。


 こんなことならもっと早くエリアルに会わせていれば良かったと、クレインが後悔するほどアルティシアは変わった。


 エリアルは普通の女の子とは違うとクレインは思っている。妹なのか弟なのかわからなくなることもあるし、強い正義感がたまに鼻につくこともあった。

 アルティシアにエリアルを会わせたら、その太陽のような光に焼かれてアルティシアがしおれてしまわないか心配だったのだ。


 そんな杞憂は必要なかったと、アルティシアの懐の深さにクレインは再度惚れ直すことになった。


 伸びやかに走るエリアルを見ても、精霊のように踊るエリアルを見ても、アルティシアは見惚れていることはあっても羨むことはなかった。いや、羨んでハイルかもしれないが、それは負の感情ではないようだった。

 時に逸るエリアルを押さえ、話を聞いて優しくエリアルを導くアルティシアにエリアルは心底懐いている。


 懐の深さは、アルフォードと共通していて、この二人の寛容さは血ゆえかとクレインは思っていた。


 けれど、クレインは知らない。アルティシアが何故負の感情に苛まれないのか、羨んで仕方がないはずのエリアルを恨むことはないのか。


 アルティシアには、クレインがいた。誰もが恋をして、どんな美姫ですら、高貴な姫ですら虜にしてしまうクレインが、ただアルティシアのみに恋焦がれ、その相手と相思相愛になったアルティシアには、人を羨んだり、自分を卑下する必要などなかった。


 色んな人に出会えば、嫌な人もいる。


「私が妻なら、クレイン様にそんな窮屈な思いなどさせませんわ」


 自分と一緒にいて窮屈な思いをするのだろうかと不思議には思っても、彼女達の言葉に惑わされることもない。


 アルティシアと一緒にいるときのクレインは、他でみせない顔をしている。言葉でもアルティシアのことを恥ずかしいくらい誉めそやすし、愛を囁く。



「シア、起きてください」


 クレインは寝台に腰掛けて、愛しい妻に声を掛けた。


「ん……」


 アルティシアは、ゆっくりと瞼を開けて、そこが寝台だということと夜着に着替えた夫がいることに驚いた。


 アルティシアがゆっくり身体を起こすと、クレインは「ただいま。遅くなってごめんね」と頬にキスをした。


「あ……、ごめんなさい。起きているつもりだったのに」


「いや、休んでいていいんです。貴女の寝顔を見るのも好きなので」


 目を細めて笑むクレインのほうから甘い匂いがした。


「こんな夜中に飲むのもどうかと思ったんですけどね。許してください――」


 『ホットショコラ』を手渡されると、アルティシアは「太りそうね」と呟いた。


「貴女はもう少し太ってもいいですよ」


「でも私が太ると抱き上げてくれる人が大変だもの」


 そういうと、クレインは「貴女が貴女である限り太る事はなさそうですね。でも、いくら太っても俺が抱き上げてあげますよ」とアルティシアの片手に唇を押し付けた。

 長いこと手の甲へのキスしか許してもらえなかったからかクレインはアルティシアの手にキスすることが大好きだった。

 手の甲に唇をつけて瞳を見詰めると、アルティシアはかならず目元を紅く染めて、「恥ずかしい人ね」と照れて可愛らしく詰るのだ。


「おれの作ったホットショコラ、飲んでくれますか?」


 アルティシアは「貴方が作ってくれたの?」と驚いた。


「ええ。ちゃんと作り方はハワードに教えてもらってますから、美味しいと思いますよ」


 自分が支援して成功したショコラ店の料理人の名前をだして、クレインは胸を張った。


「じゃあ、いただきます」


 温かなホットショコラは甘くて、一気に飲めるものではない。口に広がる甘い液体は、優しい味がした。


 ホットショコラを飲んでいる間はお喋りしてはいけないのだ。


 誰が考えたのかしら? こんな恥ずかしい決まりごとを――。


 アルティシアは、コップに注いでいた目線をあげると、楽しそうなクレインの顔があった。目というものは、何より感情を伝えることが出来る。


 口の中の蕩けるショコラよりもっと甘いものがその目には含まれていた。


 甘い――。甘すぎる――。


 言葉なんてないのに、「愛してる」と囁かれているような気がしてならない。


 同じように飲み干したのか、最後の一滴が口の中に零れたとき、クレインが自身の唇をペロリと舐めた。何故か、アルティシアの顔が真っ赤になってしまう。


「美味しそうだ―――」


 自分の唇だけでなく、アルティシアの唇をペロっと舐めたので、アルティシアは夜も遅いというのに思わず声を上げた。


「もおおおおお! 貴方はちょっと恥ずかしすぎるの!」


 アルティシアは恥ずかしさのあまり、牛のように叫んだ。


「美味しくなかったですか?」


 コップを取り上げられてサイドテーブルの上に片付けると、クレインはアルティシアの横に滑り込んできた。


「お、美味しかったわよ!」


「それは良かった――。じゃあ、ご褒美をくださいね」


 クレインがアルティシアの肩をそっと押すと、寝台に簡単に転がってしまう。


「ご褒美?」


「明日は朝から孤児院へ見舞いに行くので、安心してください」


「何が安心なの?」


 アルティシアは何がどうなって押し倒されたのかわからなかった。


「キスだけです……」


 クレインはちょっとだけ目線を逸らして言った。


「貴方のキスは……」


 息も絶え絶えになるから嫌だ――と、言おうとしたのに声にならなかった。


 

 ショコラデーに間に合って良かったと、クレインは日が変わりそうになる時計をみてほくそ笑むのだった――。

バレンタインには全く書く予定がなかったのですが、ちょっと逃避で甘いだけの話を書いてしまいました。クレインとアルティシアの結婚後の話です。

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