第二話「狂気」
私は手の中の物を落とさないように、息を切らせながらも走り続けた。無我夢中で走り続けた。だからだろうか、屋敷へ向かった時より早く感じたのは…。気が付けば私は宿屋に着いていた。
その時私はどんな顔をしていたのだろうか、店主が声を掛けづらそうに小さな声で大丈夫か…?と問うてきた。しかし私はそれには答えず、部屋へ駆け上がった。扉が壊れるんじゃないかという程に強引に開閉し、そのままの勢いでベッドに飛び込んだ。そして、泥のように眠りに就いた。
――……
ゆっくりと目を開けた。そこに写るのは先日、旦那様から休暇を取るようにと与えられた宿屋の天井。背中から伝わってくるベッドの柔らかさ。何も考えずに天井を眺めていると次々に思い浮かぶのは昨夜のことだった。夢だ、と何度も願ったが体に出来た小さな火傷の痛みが現実だと付きつけてくる。
それでも未だに信じることが出来ずにいると、かさっと耳元で音がした。目だけをそちらに向けると昨夜旦那様のデスクにあった物、それは写真だった。シンプルで綺麗な写真立てに飾られた写真には旦那様と亡くなられた奥様イレーネ様、ご子息のルディ坊ちゃま、見たことのない執事、そして…
「私…?」
…いや、正確に言うと私にとてもよく似た女性。世の中にはこんなによく似た人がいるのだろうか…と思ったが普通に考えて他人の空似でここまで似る確立は0%に近い。考えられるとすれば、親族、もしくは…母親。でも私には親族の記憶が無い。私は物心付く前からあそこに居たのだから。
「…それにしてもこの方は一体…。」
よく観察してみればその方はメイドなどの服は着ていない。むしろ高価な召し物で執事より一歩前に立っている。そして、旦那様やイレーネ様、ルディ坊ちゃまの近くに…。
まさか、と一つの考えが浮かんだ。
「お、譲様…?」
そんな筈はない、私は八年間メイドとして仕えてきた。旦那様の身の回りのお世話も大半は私に任せていただいていた。その私が知らないなんてことは…
「…。」
…心当たりがない訳ではない。私がメイドとして仕えて間もない頃、屋敷の者達が向けてきた好奇な目線。たまたま何かの立ち話を聞いてしまったとき、何の話かと訊ねてもはぐらかされていた。当時私は、何かを隠されている、教えられないことがある、と感じていた。これらが関係あるのか無いのか、知る術はもう無いが可能性が無い訳ではない。
とにかく、今のところ手掛かりはこの写真のみ。この女性と執事の男性を探してみよう。
目的ができたところで私はもう一度写真を見直す。早くしなくてはと思う反面、もう少しだけ旦那様を見ていたいと思った。旦那様は変わらぬ笑顔を、優しい顔をしている。それが昨夜の最後の姿と重なりどうしようもない感情が込み上がってくる。
ふと、違和感。
何かが違う。そう、何かが違うのだ。いまいちしっくりこない。私は何か見落としているのではないか、と考えた。そしてもう一度昨夜のことを思い返す。
赤く赤く燃え上がる炎。
赤黒く染まる屋敷。
フロアや廊下に転がる屋敷の者達。
大量の血。
そして、いつもと変わらぬ旦那様。
「…変わらない?」
屋敷の者達は皆、逃げようと抗った痕跡があり、表情も強張っていた。しかし、旦那様は抗った様子は何一つなかった。いつものようにデスクに腰掛け、表情さえも…。
「旦那様は…ご存知だったの、ですか…?」
この襲撃を…。
だが、旦那様は写真の中で笑うばかりで何も答えてくれはしない。私の頭の中で思考が巡る。
もしかしたら、彼女は私の母親かもしれない。
――……いや、私に親はいない。
もしかしたら、ただの空似かもしれない。
――……いや、ここまで似るのはおかしい。
もしかしたら、旦那様は知っていたかもしれない。
――……いや、それなら皆を逃がしたはず。
もしかしたら、旦那様は何か裏社会で失敗をして。
――……いや、旦那様はそんなお方ではない。
もしかしたら、私は…、
そこまで考えて私は思考を止めた。今考えても無駄だからだ。今は復讐のことだけを考えよう。早く、早く早く、復讐を。
「何をするにしても、まずは武器が必要ね。」
着慣れたメイド服に腕を通す。これが唯一残ったジルドール伯爵家の人間だと証明するものだから。いつものように着こなし、旦那様から頂いたリボンで髪をポニーテールに。プライベートの私からメイドの私に変わる瞬間。
すると、先程まで色んな感情に惑わされていたのが嘘のように、次第に喜びにも似た感情が溢れてきた。これから旦那様を殺した人間への復讐が始まると思うと笑いが止まらなかった。
「うふふ、ふふふッ、さぁ、待っていなさい。私が見つけて差し上げますわ…。」
今の私を動かすものは復讐心から生まれる
『狂気』
To Be Continued...