第17章 協力者のあぶり出し
矢頭が一人暮らしだってことは知っていた。でもまさかマンションとは思わないじゃん?
最寄りの駅から徒歩数分。コンビニ、スーパー、ドラッグストアも数分圏内。バス停に至ってはエントランスの目の前という立地。至れり尽くせりすぎんだろ。高校生が一人で住んでいい物件じゃねえよ。憧れるけどさ。
今日、矢頭は学校を休んだ。んで放課後、俺たちはお見舞いにやって来たというわけだ。
メンバーは俺と莉愛と黒田と山城さん。いつもエタファンでパーティを組む面子だ。
名目上はお見舞いだけど、俺にとっては矢頭が協力者なのか見極めるための偵察でもある。もちろん莉愛には事前に説明済み。他の無関係な二人を連れてきたのは、万が一にも的中していた場合、こちらが疑っていることを悟られないようにカモフラージュするためだ。
三人ともマンションを見上げながら絶句していたので、俺は見舞いに行こうと誘った言い出しっぺとして、地図担当の莉愛に尋ねた。
「えーっと、莉愛さん? 本当にここが矢頭様のご自宅で間違いないのですね?」
「動揺して敬語になってんじゃないわよ、気持ち悪い。住所は間違ってないはずだよ。このマンションの十階が矢頭君の下宿先」
「迷い虎の莉愛って異名が伊達じゃないってのは幼い頃から知ってるからな」
「んじゃあ、うちに任せんなよ。住所は間違いないっつてんだろ」
やべぇ、マジギレさせちまった。怖いよぉ。
俺と黒田が足元から竦み上がっている中、山城さんが「まあまあ」と莉愛を宥めてくれる。あぁ~、山城さんマジ天使。本当に連れてきて良かった。二人きりだったら偵察前に殺されてたかもしれないからな。
「とにかく入ってみようぜ」
ゲームキャラみたいな黒田のセリフを合図に、俺たちはマンションへと足を踏み入れた。
オートロックのマンションを訪問すること自体が初めてなので、インターホンを押すだけでも戸惑ってしまう。だが俺たちの意気込みを嘲笑うかのように、矢頭の部屋からの応答はなかった。
「留守かな?」
「もしくは高熱で動けないとか?」
俺と莉愛が話している後ろで、山城さんが電話をかける。
「スマホの電源も切ってるみたいだよ」
「じゃあ病院とかかもな」
黒田が一人で納得する。が、俺はどうしても考えずにはいられなかった。
電源を入れていないのは、アロネが矢頭のスマホへモンスターを送り込むことを警戒しているからとか。いや、まさかね。
どちらにせよ、事前に連絡せず来たことが仇となったようだ。
途方に暮れる四人。
その時、ようやくインターホンから反応があった。
『もしもし』
「電話かよ!」
黒田が小声でツッコミを入れる。危ねぇ、被るところだった。
「もっしー! 矢頭君、お見舞いに来たよ」
『お見舞い? 別に病気とかはしてないんだけど』
「うん、声は元気そうだね。ほら、今日学校休んでたから心配になっちゃってさ」
『ああ……』
莉愛の言葉で訪問理由に合点がいったと言わんばかりの嘆息だった。
「もし都合が悪ければ今日は帰るけど……」
『……いや、よかったら上がっていってよ。部屋の番号はわかるかい?』
「うん。……うん?」
当たり前だ。じゃなきゃインターホンは繋がっていない。ボケてんのかな?
莉愛が首を傾げている間にも、オートロックが解除されたようだ。
「き、緊張するぜ」
「初めて入るダンジョンじゃないんだから」
黒田のボケにツッコミを入れるも、俺も決して緊張していないわけではなかった。
もし本当に矢頭が協力者だったら? 俺はどうすればいい?
日中、そればかり考えていた。
理由を聞く? 説得する? もし応じなかったら? っていうか、カレンが許すか?
しかも相手には明確な殺意がある。もちろん全力で抵抗するが、俺の方は相手を害するつもりなど一切ない。それが友人なら尚更だ。だから話し合いで解決できなかった後どう行動するべきか、俺は未だに決めかねていた。
ただ当然ながら、この悩みは矢頭が協力者だという前提の話。奴が無関係なのが一番いい。
それを証明するための方法もあるんだろ? なあ、アロネ?
『ないよ』
マジですか。
危うく狼狽が表に出そうだった。ちょうどエレベーターに乗ったところだったので、さすがに誤魔化しきれなかっただろうな。
『前にも言ったと思うけど、相手の中にカレンがいるかどうかなんて、こっちからじゃ判りっこない。だからナイトがたまにボクの姿を目で追っているように、矢頭君の些細な仕草で判断するしかないんだ』
けど、矢頭に何か別のものが視えてる、聞こえてるかもしれないからって、頭にプログラムがあるって証明にはならないよな?
『うん。本来ならエタファンアプリと通信して、モンスターが視えたりダメージを負って痛みを感じたりするはずなんだけど、矢頭君はそんな素振りを見せたことはなかったし……』
アロネの声が徐々に萎んでいった。単純に自信がないのだろう。
今の言葉だって俺が否定に使った内容そのままだったし、矢頭を疑った根拠も何かあった日に学校を二回休んだだけ。しかも矢頭は俺の友人だ。疑問をそのままにしておけないのがプログラムの本質とはいえ、アロネは俺に対して罪悪感を抱いているに違いない。
なら俺のやることは決まっている。俺はアロネが満足いくまで矢頭を調べ上げるだけだ。
アロネと話しているうちにも、エレベーターは十階に到着した。
地上十階ともなると、けっこうな高さだ。俺たちが通う高校の辺りまで、何の障害物もなく見通せる。俺も特別高所恐怖症というわけでもないが、あんまり下を覗きたくはないな。あ、いかん。とあるゲームで天空から大落下した時を思い出して玉ヒュンしてしまった。
「いらっしゃい」
部屋から出てきた矢頭は、特に体調が悪いようには見えなかった。
あえて言えば寝不足気味っぽい。普段よりも覇気がなく、気怠そうに前屈みになっている。けど、俺たちの中で寝不足は別段珍しいことではない。ゲームしているうちに日を跨ぐことなんて頻繁にあるからな。
「お邪魔しま~す」
案内され、続々と矢頭の部屋へ入っていく。
リビングは割と普通だった。広さは俺の部屋と同じくらいで、家財道具もテレビ、ソファ、テーブルと一般的な物ばかり。余計な装飾品などもなく、とてもシンプルに彩られた内装は、几帳面な性格が滲み出ているように整理整頓されていた。
ただ寝具が一切ないところを見るに、隣に寝室もあるみたいだからな。やっぱ高校生が一人で暮らす物件じゃねえよ。どんなブルジョアだよ。俺も住んでみたいなぁ。
『ナイト。感動するのもいいけど、矢頭君から目を離さないでね』
物珍しさから室内を見回していると、アロネに叱られてしまった。
そりゃそうだよな。アロネは自分の意思で見たい物を見ることができない。俺がカメラ役に徹しないといけないのだ。正直すまんかった。
「適当に座っててよ。何か飲み物を用意するからさ」
「あ、お構いなくぅ」
矢頭の気遣いに、莉愛がいつものノリで返す。
つーかコイツ、事情を知ってるはずなのに態度が変わんねーな。普通にすげえよ。俺なんて意識しすぎて未だに矢頭と会話できてねえし。俺は乙女か。
そんなこんなで、矢頭が用意してくれたジュースと見舞い品として持ち込んだお菓子を広げて、のほほんとした歓談が始まった。
「矢頭君。今日はどうして欠席したの?」
おおっと。意外にも山城さんがぶっこんできたか。
俺としては助かるけど、隣に座っている黒田がめっちゃ睨んでやがる。体調を心配してるだけなんだから、それくらい許してやれよ。
「ん、何となくだよ。ちょっと寝不足だったからさ」
「どうせ徹夜でゲームでもやってたんじゃねえの? 自己管理ができないなんて、だらしねえ奴だなぁ」
「はは、痛いとこ突くね。実はその通りなんだ」
ここぞとばかりに矢頭の株を下げようとする黒田。しかし矢頭は己の落ち度を認めることによって好感度を保つ。純粋な山城さんは病気じゃなくて良かったと安堵し、黒田は悔しそうに爪を噛んだ。なんだよこれ、地獄絵図かよ。
「あっ、そうそう。夜遅くまで起きてたんなら、矢頭君はドラゴン見たんじゃない?」
「ドラゴン?」
おお、ナイスだ莉愛。自然とドラゴンの話題に持っていったな。
もし矢頭がエンシェントドラゴンを召喚した張本人なら、少なからず動揺が表に出るはず。俺はわずかな仕草も見逃さないように矢頭を凝視した。
「ドラゴンって、もしかして朝のニュースでやってた謎の飛行物体のこと? あれ、やっぱりドラゴンだったんだ。僕は見てないなぁ。何とか流星群みたいに事前に報道とかあれば別だけど、いきなり真夜中に一分間ってのは、さすがにね」
矢頭の回答は至極まっとうなものだった。
当然と言えば当然だわな。ずっと起きてたからといって、天体観測でもしていない限り、普通は意味もなく夜空なんて見上げたりはしない。徹夜でゲームをやってたんなら尚更だ。
特に不自然なところはなかった。プログラムを刻まれた人間だけが知っているようなことを口走ったわけでもない。やっぱ杞憂だったかな。
まだ完全に疑いが晴れたわけではないが、俺は肩の力を抜いた。
と、その時だった。
違和感。ほんの些細な違和感が、俺たちの周りを包む。
コンコンコン、コンコンコン。
音だ。リズムよく刻まれる小さな音が、唐突に鳴り響く。
その発生源は、この場にいる誰もが気づいていた。テーブルの上に置かれている矢頭の人差し指が、忙しなく表面を叩いているのだ。
まさかコイツ……イラついてるのか?
違和感の正体はこれだ。おおらかな性格の矢頭が苛立っている姿など、今まで一度も見たことがない。だからこそ、みんな戸惑っているのだ。微妙に空気が悪くなり、自然と会話も途絶えてしまう。
「あー……。矢頭君もまだ体調が万全じゃないみたいだし、急にお邪魔して迷惑だろうから、早いけど今日はお暇しましょうか」
莉愛が目を泳がせながら言った。コイツが動揺してるなんてレアだ。
ただまあ、アポなしの訪問だったからな。矢頭が不機嫌になる理由もよくわかる。俺も同じ立場だったら心の底で舌打ちくらいはするだろうし、責められはしない。
「そうかい? 僕は別に構わないから、ゆっくりしていけばいいのに。エタファンの話もしたかったし」
よく言うよ。未だコツコツ叩いてんのに。まさか無意識なのか?
黒田と山城さんも莉愛の意見に賛成みたいだ。居たたまれなくなった表情をありありと感じさせたまま立ち上がった。
「ごめんね、矢頭君。急に訪ねちゃって」
「いや、いいよ。心配してくれてありがとう。明日はちゃんと学校に行くからさ」
そのまま完全に帰る流れとなったのだが……。
ただ一人。俺にしか視えていない少女は、驚愕の眼で矢頭を見つめていた。
『……モールス信号だ』
は?
『モールス信号だよ、ナイト。矢頭君が指で奏でていた音がモールス信号になってたんだ』
んな馬鹿な。
だとしても、モールス信号なんて解読できねえぞ。アロネはわかるのか?
『ううん、ボクだって知らないよ。でも三年も生きていれば、一番有名なやつくらいは嫌でも覚えちゃうよ』
一番有名なやつ?
矢頭の指はすでにテーブルから離れているため、さっきの音を記憶から呼び起こす。
けっこう規則正しいリズムで、短い音と長い音をずっと繰り返していたような気もする。
繰り返し?
まさか……SOSか!?
『うん』
アロネが頷く。モールス信号なんて、むしろそれしか知らないもんな。
だが、どうして矢頭が助けを求めてくるんだ? 特に危険に晒されてるようには見えないけど……水面下では何か起こってるのか?
そもそもなんでモールス信号なんだ? 口では言えなかった? まさか盗聴されている? いや、俺を含め誰も気づかなかったとはいえ、音量も仕草もあからさま過ぎる。盗聴相手に気づかれるリスクの方が高いだろう。
……そういえば、一人だけいたな。異世界人のカレンなら、モールス信号どころかSOSの意味すら知らないかもしれない。けどアロネと同じように、矢頭が助けを求めようとした時点でカレンに伝わっているはずだ。どうせバレるのであれば、わざわざ暗号にするんじゃなくて普通に口に出せばいいだけなのに。
なんだ? 意味も意図も何もわからんぞ?
『ねえ、ナイト。お願いがある。ボクのために黒歴史を一つ増やしてくれないかな?』
はっ、バカ言っちゃいけねえよ。今までどれだけの黒歴史を作ってきたと思ってんだ。今さら一つ二つ増えるくらい訳ないさ。どうすりゃいい?
『この前みたいにナイトの装備をさせるから、剣で矢頭君を斬ってほしい。もちろんレベルは最小限に抑えるけど、少しは痛みがあるはずだから』
矢頭の反応を見るんだな? オーケー、任せとけ。
アロネが合図をすると、俺の身体が見慣れた鎧に包まれた。現代日本のマンションの一室にはそぐわない、コスプレじみた格好。だが俺以外の奴らはまったく反応しないし、矢頭にも視えている様子はない。
今までと同じだ。俺のスマホと矢頭が通信していない何よりの証明。
だが無駄になるとわかっていても、俺は躊躇いなく実行する。なんせアロネに頼まれちまったからな。
それに失敗したとしても、どうせ俺が恥をかくだけ。それってデメリットでもなんでもなくないか? 一番バカにしてきそうな莉愛は事情を知ってるし。
一列に並んで退室していくみんなの最後尾で、俺は振り返った。
友人を見送るため立ち上がった矢頭と、正面から向かい合う。
「矢頭、悪いな」
「うん?」
そして何も告げずに俺はライトソードを振りかぶった。
反射的に仰け反る矢頭。当然、ここまでは普通の反応だ。いきなり殴られそうになったら、誰だって咄嗟に防御姿勢くらい取るだろう。
だが俺たちの狙いはここからだ。
攻め込むのではなく、剣先が触れる程度に袈裟斬りにする。端からは俺が殴りかかって空振ったように見えるはずだ。矢頭が潔白なら、ただびっくりするだけ。
一連の行為が終わった後、何をバカなことしてるんだと蔑むような目で見られることを期待して、俺は矢頭を……斬った。
「うぐっ」
矢頭が呻き声を上げる。これは……どっちだ?
いや、矢頭の仕草や手応えなど、結果を確認するまでもなかった。イースドラゴンを攻撃した時と同じように、矢頭の頭の上で『10』の文字が跳ね上がる。誰彼構わず魔法で無差別に攻撃した時には見られなかった反応だ。
つまり矢頭は今、俺のスマホを通してエタファンと通信している!?
「な、なんで……」
疑問の波が押し寄せ、俺は剣を振り下ろした姿勢のまま硬直してしまった。
その間にも、矢頭はよろめきながら一歩一歩後退する。まさに斬られた部位である肩を手で押さえ、額に汗を浮かばせながら。
「矢頭……まさか、スイッチを……?」
苦悶の表情を露わにしながら、矢頭は忌々しそうに呟いた。
なんだ? 今、自分の名前を自分で口にしなかったか?
「……えっと。矢頭? 一応聞くけど、演技とかじゃ……ないよな?」
「ふふ」
斬られたフリだけなら俺の小芝居に付き合ってくれていた可能性もあったが、頭の上に出たダメージ表記は誤魔化しようがない。確認の言葉は、そうであってほしくないと願う俺の願望が無意識のうちに出していたものだった。
「やるじゃないか。学校に行けばボロが出ると思って休んでたけど、まさか休んだことで逆に怪しまれるとはね。やっぱり十日程度じゃあ完璧に常識を学ぶのは無理だったわけか」
「は? お前、何を言って……」
『待って、ナイト』
制止するアロネの声は酷く震えていた。
そして信じられないことを口走る。
『あれは矢頭君じゃない。……カレンだ』
「カレン?」
「おや、アロネは即座に理解したようだね。そうさ、私はカレン。協力者である矢頭の肉体を奪って現実世界へと舞い降りたのさ!」
「……は?」
ダメだ、マジで理解が追い付かない。
まず、カレンの協力者は矢頭で間違いなかったってことだよな? で、今はカレンが矢頭の身体を乗っ取っている? そんなこと……できるのか?
『……できる、よ』
アロネが小さな声で肯定する。視覚化している彼女は、俺と眼を合わせようともせず俯くばかりだった。
「ナイト、どったの? 帰るよ。……ナイト?」
呆然としていると、俺が付いてきていないことに気づいた莉愛たちが戻ってきた。俺と矢頭の間に漂う物々しい雰囲気を感じ取ったのか、三人とも部屋の入り口で立ち止まる。
すると矢頭……いや、矢頭の肉体に入ったカレンが窓を開け放った。
「本当はもっと念入りに準備をしたかったんだけど、バレちゃったんなら仕方ないわ。どのみち私の予定は狂わない。実行に移すのが少し早まっただけ」
そう言いながら、カレンはベランダに出る。
そして両腕を大きく広げた。
「何をする気だ?」
「テスト」
カレンが醜悪な笑みを浮かべた、その瞬間だった。
地上十階から一望できる俺たちの街。その至る所で小さな爆発が起こった。太鼓を叩いた程度の音だったが、数が多い。聞こえただけでも実に三十発以上。同時に、各地から悲鳴や破壊音が轟き始める。
「な、何をした!?」
「だからテストだって言ってるでしょ。元の世界へ戻る前に、『エターナル・ファンタジア』から召喚したモンスターの戦力を確認しておかないとね。今日は学校を休んで、街の至る所に召喚魔法陣を描いておいたのよ」
奴が自分の正体を明かした時以上に戸惑った。まったくもって意味がわからない。
だがアロネだけは何とか状況に追いついているようだ。
『昨日のエンシェントドラゴンみたいに、カレンが『エターナル・ファンタジア』からモンスターを召喚したんだ! 理由はわからないけど、街中で暴れさせるつもりみたい!』
「なんだって!?」
「ほう? その反応から察するに、アロネは大方の状況を把握できているようね。手間が省けたわ。後はアロネに聞きなさいな。私は退散させてもらうから」
カレンがベランダの手すりに足を掛ける。
そのまま躊躇うことなく向こう側へ飛び降りていった。
「バカ野郎! ここ十階だぞ!?」
慌ててベランダに駆け寄り、手すりから身を乗り出して真下を覗き込む。
カレンは地面に落下してはいなかった。巨大な鳥の背に乗って、悠々と大空を舞っている。
「あれは……怪獣鳥か!?」
間違いない。あれもエタファン内に登場する鳥型のモンスターだ。キャラを乗せて飛ぶという話は聞いたことないが、カレンが自在に操っているようにも見える。
「ちょっ、ナイトッ……!?」
「おい! 矢頭が落ちたぞ!」
状況を追い切れていなかった他の三人も、矢頭が飛び降りたという事実だけは目にしていたようだ。莉愛と黒田は俺と同じくベランダに駆け寄り、山城さんは部屋の中で口元を押さえて絶句していた。
ただ非常事態に足が動いた二人も、一変した風景を目の当たりにして言葉を失ってしまう。
街の至る所から上がっている黒い煙。逃げ惑う人々の悲鳴。響き渡るクラクションの音。そして何よりパニック映画やゲームでしか聞いたことのない怪物たちの咆哮が、そこらかしこから轟いていた。
まるで世界の終焉だ。
瞬きも忘れるほど絶望に浸っていた黒田が、ようやく言葉を絞り出す。
「何が……起きてるんだ……?」
「モンスターだ。エタファンから出てきたモンスターが暴れてるんだよ!」
「はあ!? ナイトお前、ふざけてる場合じゃ……」
行き場のないストレスをぶつけてくるような感じで、黒田は俺に食ってかかってくる。しかし、その言葉も最後まで続くことはなかった。
「きゃああああああああ!!」
室内から山城さんの悲鳴が聞こえ、俺たちは咄嗟に振り返った。
山城さんの視線の先。寝室らしき部屋の扉から、緑色の怪物が顔を覗かせていた。
「なっ……」
全体的な姿形だけは人間と同じだ。しかし肌が深い緑色をしており、異様に分厚い脂肪が全身を覆っている。身に着けている物はこん棒と腰蓑のみ。
現実離れした光景に目を疑ってしまったが、間違いない。こいつもエタファンに登場するモンスター、ジャイアントトロールだ!
カレンはあらかじめ寝室にも魔法陣を描いてたってことなのか!?
デカい図体にとって人間用の扉は小さすぎるのか、通り抜けるのに苦戦している様子。頭や肩が枠に突っかかっているにもかかわらず、無理やりくぐろうとしているため、部屋全体が揺れている。そして最終的に壁を破壊することで、リビングへと足を踏み入れてきた。
トロールが目指す先は、肉食獣に追い詰められたウサギのように震えている山城さんだ。
「山城さん!」
俺は反射的に駆け出していた。
その行動が功を奏したかどうかはわからない。が、少なくとも俺の目的通りとなった。
山城さんに向いていたトロールの足が急に反転し、俺の方へ襲い掛かってきたのだ。
まさか……俺にタゲが移ったのか? 声を出したことでヘイト値が上がったから? 行動パターンはゲームと一緒なのか?
余計なことに思考を回している余裕はない。今度はこちらに向かってくるトロールの対処法を考えないと。
だが、ここが屋内だったことが災いした。唐突に現れたトロールとの距離があまりにも近すぎたのだ。
一歩踏み込んだトロールが、こん棒を薙ぎ払う。
回避行動など取れるわけもなく、持っている盾を咄嗟に構えたのだが……何の意味も為さなかった。
当然だ。俺が手にしている盾は、エタファンから通信しているデータに過ぎない。データとして出現したモンスターの攻撃は防げても、実体として召喚されたトロールの一撃を防御できるわけがないのだ!
盾を貫通したこん棒は、俺の腕を小枝のようにへし折っていく。
それで終わりではなかった。想像以上の衝撃は、体重六十キロ以上はある俺の身体を、まるで野球ボールのように軽々と吹っ飛ばした。
そして、今の俺には運もなかった。
床から離れる足。開け放たれた窓。地獄の底へ向けて、全身が浮遊感に襲われる。
「ナイト!」
気づけば目の前に大空があった。莉愛の顔がゆっくりと遠のいていく。
死ぬ。と、本能的に悟った。だってここ、十階だもんな。
高速で駆け巡る思考。死ぬ前に走馬灯が過るのは、危機から脱する方法を過去の記憶から探し出そうとしているという説があるらしい。しかし今の俺には必要がなかった。だって、どう足掻いても俺はもう助からないのだから。
というわけで、俺が考えるべきなのはただ一つ。
スマホの電源って入ってたっけ?
……ああ、大丈夫だ。今もキャラの武器や防具を装備してるんだから、ちゃんとスマホはエタファンと通信しているはず。アロネの逃げる道は生きている。
なら後は頭を守るだけだ。
アロネが危機を察して、すでに俺の頭から脱出してくれたのならいい。けど、まだ逃げていないのなら、俺は少しでも永く生きないと。五秒だ。地面に叩きつけられた後、何が何でも五秒間だけ生き延びてやる。アロネを逃がすためにも、即死だけは回避しない――とッ!!?
衝撃。意識的に頭を庇っていたためか、『死』は腹からやってきた。
高圧電流が流れたような痛みが全身を駆け巡る。
身体が動かない。呼吸ができない。思考がめちゃくちゃに混乱している。激痛で脳が裂けそうだ。たぶん、すべての臓器がぐちゃぐちゃになってるんだろうなぁ。
でも大丈夫。まだ生きてる。俺はまだ生きている。
アロネ。今のうちにエタファンへ逃げてくれ……。
『ナイト! 大丈夫!? しっかりして!』
バカ野郎……何してんだ。早く逃げろ!
『でも、ナイトが……』
俺はあと数秒で死ぬ。その前に、アロネだけでも……。
『…………』
混濁する意識の中では、それが何秒だったのか正確に計ることはできなかった。
沈黙していたアロネが、ゆっくりと頷いたのが聞こえた。
『……うん、わかった。ボクが……ボクが必ずナイトを助けるから!』
アロネの声が途切れるのと同時に、頭の中が軽くなったような気がした。
ああ、アロネが逃げてくれた。アロネだけでも生かすことができた。
安堵した俺は、激痛に身を委ねたまま、確実に訪れる『死』の中へと落ちていった――。




