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「危険人物」として連行された筆談令嬢の私を、最強魔術師が手放してくれません  作者: 榛乃


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05

「――それで? 追手は何人だったんだい」

「四人でございます」


 立派な鵞鳥の羽で造られたペンを、少しの滞りもなくすらすらと紙に走らせたまま、彼は「ふうん」と軽い調子で短く答えた。背後の壁に設けられた窓から差し込む真昼の陽光が、男の美しいブロンドの髪を燦然と照らしている。


「殺したのか」

「いえ。ルシアン様のご命令で、全員生け捕りの後、地下牢に投獄しております」


 黒檀を贅沢に使った重厚なデスクの上には、書類の束が山のように積み上げられ、それが三つも、隙間なく並んでいる。


 しかし、目を通したばかりの書類を端に寄せ、新しく山の上から紙を一枚手に取る男の顔は、どことなく愉しげに笑っているように見えた。


「会場を出てすぐに後をつけてきたようですが……一定の距離を保つだけで、攻撃を仕掛けてくる様子はありませんでした」


 ただ尾行を命じられただけの下っ端――つまり、尻尾切りをしても構わない者たち――だったのだろうか、と、闇の中に身を潜めながら動き回る彼等の様子を思い出しながらクロエは思う。


 しかし、そんな彼女の考えを見透かしたかのように、男は書類の末尾に署名を綴ると、くつくつと喉を鳴らして笑った。色素の薄い睫毛に囲まれた切れ長の目の真ん中で、まるで青空を溶かし込んだかのような瞳がちらりとクロエを見上げる。


「連れ去る気でいたのは間違いないだろう。その為に、入念に計画を立ててもいたはずだ。……だが、彼等は運が悪かった――それだけさ」


 そこで漸く、クロエの脳裏に、ひとりの男の顔が浮かんだ。長い黒髪と、それに縁取られた白い肌、そして何より印象的な――うっかりすると吸い込まれそうになる――真紅の瞳をした男の端正な顔が。


「まさか、ルシアンが出てくるとは、考えてもいなかったんだろう。全くもって、爪が甘いね。念には念を……それこそ、成功の秘訣だと思わないか? クロエ」


 そう言って笑みを深める男に、クロエは是と答える他にない。


 指示を聞いた当初は、何故ルシアンまで出てゆくのか、と訝ったものだ。“危険人物”とされる伯爵家の娘――しかも、義妹とは違って大人しい性格をしていると聞く――ひとりを護衛するくらいならば、大魔術師を派遣するまでもないのでは、と。


 しかし、結果として眼の前の男の判断は正しかったのだ、と改めて確信する。


 “大魔術師”であるルシアン・オルフェインこそ、全ての要だったのだ。彼という“存在”がただそこにあるだけで、それはどんな防御魔法よりも頑強な障壁となる。よほどの命知らずや愚か者でもない限り、魔塔の頂に君臨する"天才"に挑もうなどとは思うまい。


「それにしても、ラヴァンド家もベルクール家も、揃いも揃って大馬鹿者ばかりで助かったよ。宝の持ち腐れのままでいさせるには、勿体ないからね」


 今日はえらく機嫌が良いらしい。書類を捌く手をとめぬまま、それでもいつになく饒舌な男の顔を見つめながら、クロエは心の裡で小さく溜息をつく。


 こういう時は、決まって何かを企んでいる時だということを、長い付き合いの中で彼女は知っていた。無論、良からぬ企みの方で。


「さあて。これからどうしたものかな」


 羽ペンを置き、彼は威厳もなくぐっと伸びをする。その動きにあわせて、艶やかなブロンドが微かに揺れた。


 この男――マティアス・ド・モンテヴィル王太子殿下に仕えて、早数年。飄々とした性格の彼に、初めの頃こそなかなか慣れず戸惑うばかりだったけれど。革張りの椅子から腰を上げ、背後に広がるアーチ窓へと歩み寄るマティアスの後ろ姿を見つめつつ、クロエはそっと密かに微笑んだ。


 少しは彼のことを理解出来るようになったのかもしれない、と思いながら。



***



 部屋から出ると、扉の正面の壁を背に、誰かが静かに佇んでいた。左肩に流して結われた、ゆるく波打つ赤毛が、黒いロングワンピースに映えてひときわ目を引く、年若い女性。


 彼女はオルフェイン卿へ目を向けると、淑やかな動作で頭を下げた。そんな彼女を、しかしオルフェイン卿はただ一瞥するだけで、すぐに顔を背けて歩き出す。廊下の右方、階下へと続く螺旋階段のある方へと向かって。


 彼を待っていたのだろうことは明白なのに、無視をするのは如何なものだろう。あまりに失礼すぎないだろうか、と不満に思う私とは裏腹に、女性は表情ひとつ変えることなく、オルフェイン卿の数歩後ろについて歩み始めた。


 私も慌てて、二人の後を足早に追う。先をゆく侍女の、凛と伸びた背筋がとても美しい、と密かに思いながら。


「表に馬車を用意しております」


 オルフェイン卿の大きな背中へ向かって、侍女は簡潔に要件を告げる。感情のうかがえない、淡々とした声で。


「……殿下には」

「既に手配済みでございます」


 馬車を用意しているということは、これから何処かへ出かけるということだろうか。そう疑問に思いながら、石壁に一定間隔で設けられたアーチ窓の外へと目を向ける。


 魔塔は陰鬱で不気味な場所だと、巷ではよく囁かれていたけれど――実際に足を踏み入れてみると、噂とは何もかもが違っていた。


 中庭には緑が生い茂り、所々に配されたパーゴラには蔓薔薇やハニーサックルが花を咲かせ、中庭を取り囲むようにして聳え立つ石壁には、盛りを迎えたウィステリアが鮮やかに群生している。


 建物自体には年季を感じられるものの、しかし陰鬱や不気味といった印象はなく、寧ろ長い年月をかけて積み重ねられてきたものだけが持つ、重厚な風格を纏っていた。


「護衛はいらねえと、クロエに伝えとけ」

「承知致しました」


 遣り取りが済んだのか、螺旋階段の手前で女性はぴたりと足を止めた。そのまま、階段を降りてゆくオルフェイン卿の背中を見送る彼女の横を、どうするべきか迷いながら通り過ぎる。


 今ここで、何も知らないのは私だけだ。ついてこいとも、ついてくるなとも、言われてはいない。それでも他にどうする術があるわけもなく、私はただオルフェイン卿の後を追うしかなかった。魔塔に来て、まだ半日。頼れる相手など、殆どいないのだから。


 急ぎ足で階段を五、六段降りたところで、後頭部に感じていた視線がふいと消えた。肩越しにちらりと背後を見上げれば、そこには既に彼女の姿はなく、澄んだ青空を切り取ったアーチ窓だけが、階段を降りゆく私たちを静かに見下ろしていた。


 エントランスホールを横切って、精緻な彫り込みや象嵌の施された重厚な扉を開けると、侍女の言葉通り、二頭立ての馬車が一輛停まっているのが見えた。昨夜乗ったのと同じ、何の飾り気のない黒塗りの馬車。


 柱廊を抜け、オルフェイン卿は何も言わないまま、さっさと階段を降りてゆこうとする。本来であれば、呼び止めるべきなのだろうけれど。声を発することの出来ない私には到底無理なことだ。“危険人物”として囚えられた身として、魔塔で騒ぎなど起こしたくはない。


 どんどんと離れてゆく背中を眼で追いかけていると、悩んでいる暇などなかった。私は意を決してオルフェイン卿へと駆け寄り、彼の纏うローブの袖を指先でそっと摘んだ。


 漸く足を止めたオルフェイン卿が、無言で肩越しに振り返る。じっと見下ろしてくる真紅の瞳は、陽光のもとでは昨夜よりもずっと深く、美しい。


 私はスカートのポケットから手帳と万年筆を取り出し、手早く問いを書き付ける。


『私は、どうすれば宜しいのでしょうか?』


 頁に綴られた一文を一瞬で読み取り、彼はすぐに顔を背け、再び階段を降り始めた。一段、また一段と離れゆく度に、背中に垂れた三つ編みが揺れる。


「ついて来い」


 最後の一段を降り終えたところで、彼は振り返りもせずにそう言った。たった一言。御者以外には誰もいないのだから、間違いなく私へ向けて。


 指示に従い、私は手帳と万年筆を片手に、階段を駆け下りる。キャビンの扉は、既に開いていた。御者は、昨夜と変わらず、ただ前だけをじっと見据えている。その横顔に人間らしい生気がないことに、今になって初めて気が付いた。


 だから無駄な動作がないのか、と思いながらステップに足をかけ、キャビンへ乗り込む。昨夜と同じ座席に腰を下ろすと、後から入ってきたオルフェイン卿もまた、向かい側にどさりと座った。


 誰の手も触れぬまま扉が閉まり、馬車がゆっくりと走り出す。車窓から見える景色は、やはりと言うべきか、昨夜見たそれとはまるで違った。


『どちらへ向かわれるのですか?』


 手帳に問いを綴り、オルフェイン卿へと見せる。窓の外へと眼を向けていた彼の視線が、ほんの一瞬だけ頁へ向けられた。


 そのまま車窓の景色へと眼を移した彼の横顔には、いつものような面倒臭そうな表情も、苛立たしそうな表情も、殆ど浮かんではいなかった。ただ何かを考え込んでいるふうに、眉間に僅かばかり皺が寄っているだけ。そこから彼の感情を読み取ることなど、私には出来ない。


 またあの重苦しい沈黙が訪れるのだろうか。そんな一抹の不安が過ったが、しかし、意外にも彼はすぐに唇を開いた。


「――お前の実家」


 何を言われたのか、すぐには分からなかった。分からなかったと言うより、頭が理解を拒んだと言った方が正しいのかもしれない。彼の言葉が、頭の中でぐるぐると廻っている。まるで意味を持たない、ただの音の羅列のように。


 けれども悲しいかな、理解はすぐに追いついてしまった。意味が沁み込んでくると同時に、背筋に冷たい震えが走る。


 何故実家へ行かなければならないのだろう。その理由を尋ねたくとも、怖くて手が動かない。けれどもそれ以上に、父に、継母に、義妹に、否が応でも顔を合わせなければならないことの方が、よほど恐ろしかった。


 そんな私の心情を察したのか、オルフェイン卿は小さく溜息をついた。仕方ねえな、と、まるでそう言うかのように。


「べつに、実家に戻すわけじゃねえよ。ただ荷物を取りに行くだけだ。ベルクール邸から、そのまま連れて来ちまったからな」


 確かに、何も持たぬまま魔塔に連れて来られたのは事実だけれど――。微かに震える手元に視線を落としながら、私はぎゅっと唇を噛み締める。


 あの家に取りに戻るものなど、何もない。手元においておきたいと思うものも、なにひとつ。唯一の宝物だった母の形見は、もうこの世の何処にもないのだから。


 とはいえ、着替えがないのは不便だ。新しく買い揃えるだけのお金など、持ち合わせていない。今着ている――誰が用意してくれたのかも分からない――服を着回すわけには、さすがにいかないだろう。


「荷物さえ詰めれば、あとはもう用はねえ。さっさと帰るつもりだ」


 オルフェイン卿は長い脚を組みながら、ぶっきらぼうにそう告げる。けれど、気を遣ってくれているのは、素っ気ない言葉の裏から、なんとなく感じ取れた。


 いつの間にか、顔どころか身体中が強張ってしまっていたらしい。そんな私を、もしかしたら彼なりに安心させようとしてくれているのかもしれないと思うと、少しだけ心が、ふわりとあたたかくなったような気がした。


 ほんの少しずつ緊張の糸が解けてゆくのを感じながら、私もまた窓の外へと目を向ける。雲ひとつない澄んだ蒼穹に、小鳥が二羽、楽しげに飛んでいた。

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