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潮風の匂いがする弁当箱

作者: 昼月キオリ
掲載日:2026/03/31



〜登場人物〜


⚫︎ 松寺流時まつでら りゅうじ(42)

お笑い芸人。仕事が減り気味で暇を持て余している。


⚫︎ 真白あずき(ましろ あずき)(30)

無職・実家暮らし。過去にうつ病を患い、今も心の傷を抱えている。


⚫︎ 神崎新一かんざき しんいち

松寺の友人。警察官。


⚫︎ 美濃翔子みのう しょうこ(36)

美濃翔琉の母親。数年前に夫と離婚し、息子を一人で育てていた。


⚫︎ 美濃翔琉みのう かける(16)

死亡。階段から転落死したとされた少年。


⚫︎ 月峰れん(つきみね れん)(29)

翔子の職場の後輩。翔子に片想いしている真面目で健気な男。




♦︎

潮風の強い午後、古びた防波堤の近くで二人は偶然出会った。


松寺流時は、漫才のネタ合わせを兼ねて一人で海辺を散歩していた。

真白あずきは、時折海を眺めに来るのが習慣だった。


他愛もない会話の最中、松寺の視線が防波堤の内側にある小さな窪みに止まった。

そこに、古びた弁当箱が置かれていた。潮風で砂埃をかぶっているが、最近置かれたもののように見える。


二人が近づき蓋を開けると、中にはほとんど手をつけられていないおかずとご飯が残っていた。

そして折りたたまれた二枚の紙が挟まっていた。


一枚は病院のリハビリ経過観察表。

もう一枚の小さな紙切れには、震える字でこう書かれていた。


『殺される。』


さらに、弁当箱が置かれていた窪みの壁には、小さな文字で「母さん」と書かれていた。


松寺が眉を寄せる。


「数日前にテレビで見たあの事件・・・他殺か?」


真白は少し青ざめながらも、静かに言った。


「自殺の可能性もあるかも。

うつ病って書いてあるでしょう?自分自身の闇に飲み込まれて死んでしまったのかもしれない。

わざわざ別の場所に母さんって書いたのも気になる。」

 

松寺は彼女をじっと見た。


「やけに詳しいな。」


真白は目を伏せ、潮風に髪をなびかせながら小さく微笑んだ。


「私もありましたから。自分で自分を殺しそうになったことが、何度も。」


松寺は一瞬言葉を失い、

ただ「そうか。そりゃあ色々大変だったな」とだけ返した。


真白は不安げに弁当箱を見つめながら言った。


「ねぇ、松寺さん・・・。これ、私たちが首を突っ込んでいいことなんでしょうか・・・。」


松寺は肩をすくめた。


「さあな。」


その時、真白のスマホにニュース通知が届いた。

以前は16歳少年、階段から転落死としてか流れていなかったが、今回は詳細が書かれていた。


『16歳少年、階段転落死 母親を暴行容疑で逮捕』


記事には、美濃翔琉(16)が自宅階段から転落死したこと、

「来るな!」という息子の叫び声を隣人が聞いたという証言、

事件当時家にいたのは母親と息子の二人だけだったこと、

母親は離婚後一人で息子を育てていたことなどが書かれていた。

母親は取り調べに対し、否認はしていないとも報じられていた。


松寺は記事を読み終え、ため息をついた。


「こりゃあ、首を突っ込むしかなさそうだな。」


真白も静かに頷いた。


「そうですね。」


松寺はもう一度弁当箱を見つめた。


「このまま紙を警察に渡したら、母親が犯人だと確定しちまう。

もちろんその線もあるが・・・さっき真白が言った自分自身の闇に飲み込まれて死んでしまったって言葉が、妙に引っかかるんだよな。」


二人は目を合わせ、静かに頷き合った。


「お笑い芸人と無職の女の謎解き、始まりだ。」




♦︎

事件の捜査に協力する形で、二人は松寺の友人である警察官・神崎新一と、

美濃翔子の職場の後輩である月峰れん(29)を仲間に加えた。


美濃翔子は息子を亡くしたショックで取り調べにもほとんど抵抗せず、

「私が殺したようなものだ」と自分を責め続けていた。

翔琉が自分を嫌っていたと思い込み、離婚後の生活で息子を守れなかったと後悔していた。




♦︎

それから数日後。


隣人の証言は誤解だったことが判明し、事件は幕を閉じた。


四人は再び海岸の弁当箱が置かれていた場所を訪れた。


松寺が深いため息をつく。

謎解きと豪語していた手前、意気消沈しているようだ。


「はー・・・。」


真白が静かに言った。


「勘違いだったんですね。」


神崎が頷く。


「そういうことか。」


月峰は悔しそうに拳を握った。


「なんて人騒がせな・・・。」


松寺は翔子に向き直り、穏やかな声で言った。


「翔子さん、自分は無実だって言わなかったらしいな。

翔琉が死んだのは自分のせいだと思い込んで、殺したのは自分だって。

それに、息子に嫌われてるとも勘違いしてたんだろ?」


翔子はうつむいたまま、震える声で答えた。


「・・・はい。」


松寺は少し微笑んで言った。


「翔琉はあんたのこと、嫌っちゃいなかったと思うぜ?」


翔子が驚いて顔を上げる。


「え?」


松寺は弁当箱が置かれていた塀の窪みを指差した。


「ここ、よく見てみな。」


潮風に晒されながらも、はっきりと「母さん」と書かれた文字が残っていた。


翔子は息を飲んだ。


「どうして・・・。」


松寺は静かに説明した。


「手紙に『殺される』って書くなら、普通は『母さん』とは書かないだろ?

そんなことしたら、あんたが犯人にされかねない。

だから翔琉は、紙じゃなくてここに直接『母さん』って書いたんだ。

最後に、どうしてもあんたに想いを伝えたかったんだよ。」


翔子は目を見開き、その場に膝から崩れ落ちた。


「そんな・・・私、嫌われてると思って、あなたを遠ざけてたのに・・・。

翔琉、かける・・・かけるー!!」


潮風が強く吹き、母親の髪を激しく乱した。

海岸に響く翔子の悲痛な叫び声が、波音に混じって消えていった。

波だけが、変わらず穏やかに寄せては返していた。



♦︎

翔子が帰った後、四人は防波堤に腰を下ろした。


松寺が月峰をからかうように言った。


「ところで・・・月峰くん?君は翔子さんに告白しないわけ?」


月峰は顔を真っ赤にして慌てた。


「え!? な、なんでそれを!?」


松寺はにやりと笑った。


「見てりゃわかるよ。な?」


真白が頷く。


「うん。」


神崎も苦笑いしながら言った。


「バレバレだったな。」


月峰は頭を抱えた。


「うわぁ、マジかぁ・・・。」


松寺は腕を組んで言った。


「告白すりゃいいじゃん。」


月峰は真剣な顔で首を振った。


「できませんよ! あんな傷心中の翔子さんに!!」


松寺は呆れたようにため息をついた。


「ばかだな。傷心中だからこそだろ。

その方が漬け込みやす・・・惚れさせやすい。」


真白が即座に突っ込んだ。


「わー、松寺さん最低ー!」


神崎も言う。


「卑怯だな。」


「へんだ! 女を手に入れたかったらそれくらいすんだよ!卑怯だのなんだの言ってらんねーの!」


月峰は静かに、しかしはっきりと言った。


「確かに翔子さんを手に入れたいとは思ってました。

でも・・・こんな形じゃないです。」


松寺は少し意外そうな顔をしたが、何も言わなかった。



♦︎

解散後、松寺と神崎は二人で海沿いの道を歩いていた。


神崎がふと聞いた。


「なぁ、お前が月峰に告白するよう仕向けたのって、翔子さんのためだろ?」


松寺は面倒くさそうに答えた。


「なんだよ急に。」


神崎は微笑みながら続けた。


「あの母親、一人になっちまったから、息子さんの後を追うかもって心配だったんだろう?」


松寺は海の方を向いたまま、ぶっきらぼうに言った。


「俺はそんなお人好しじゃねーよ。」


神崎は小さく笑った。


「相変わらず素直じゃないね。お人好しじゃなきゃ、事件解決にわざわざ手を貸してくれなんて言ってこねーだろ?」


松寺は黙っていた。


神崎はさらに言った。


「自分を慕ってる後輩が自分を好きだって分かれば、

付き合うかどうかは置いといて、自殺は思いとどまるかも・・・って思ったんじゃねーか?」


松寺は照れくさそうに頭を掻いた。


「ばぁーか。俺にあんま期待すんな。」


神崎は肩をすくめた。


「へいへい。」


松寺は少し間を置いてから、いつもの調子で言った。


「ところで、この後一杯どうよ?」


神崎は笑って答えた。


「お、いいねぇ。」




♦︎

数日後。


美濃翔子は月峰れんと並んで海岸を歩いていた。

まだ心の傷は癒えていないが、彼女の目には少しだけ光が戻っていた。


「月峰くん、ありがとう。あなたも協力してくれて。」


月峰は照れながらも、優しく微笑んだ。


「いいえ、お役に立てて良かったです。」


潮風が二人の間を優しく通り抜け、遠くで波の音が静かに響いていた。


窪みに書かれた「母さん」という小さな文字は、

言葉にできなかった思いを、翔琉の最後の思いを、

母親に伝えたのかもしれない。


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