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ファンタジーホラー短篇集「凍てつく螺旋の獅子」  作者: ?がらくた


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凍てつく螺旋の獅子編 第1話 氷の魔女ども

神を模した人間の肉体を象ったとされる、秩序と模倣を司るイミタ。

森羅万象に意味を与えた概念の顕現で、肉体と霊性のバランスを重んじるシグニフィカ。

混沌と変容を体現する悪魔の如き存在にして、万魔を封じ込める無限の虚無でもあるメタモルフォシス。

ヴォートゥミラ三神への信仰が一般的なヴォートゥミラ大陸の東には、天使の聖地たる宗教都市ルシフェリアの信徒がおり、彼らは宗教の伝道師として大陸中に布教を行う。

西の最果てには死霊が闊歩し、混沌神が鎮座する城が建てられた常闇のノックスと呼ばれる街が活気づいていた。

そんな善悪が時に協力し、時に激しく衝突する混沌とした世界の狭間には、地図にも記されぬ土地がなお残されている。

いまだ人跡未踏の大地が人の到来を阻み、人知れず古来からの信仰が息づく場所が。


ヴォートゥミラ西方に位置する、濃密な樹海に抱かれた素朴な村ロクソリス。

その村には子供でさえ囁き声で語る、嘘か真かもわからない言い伝えが古くからあった。


〝この一帯には氷の魔女どもがでると〟


彼女たちは絹のように滑らかな深紅の薄衣の上から透き通る青の装束を纏い、宝石を鎖のように垂らして人を惑わすという。

その美しさは視線を奪うと同時に皮膚の下を這う寒気となって残り、夢の中でさえ指先を凍えさせ、標的となった者は至上の快楽と共に果てる。

地を引きずるほどに伸びた髪は抜け落ちた場所に悪魔を招き、そこは2度と陽が差さぬ呪われた地になると恐れられていた。 

薄い衣服でなぞられた身体の曲線は男の情欲を掻き乱し、誘われたが最後。

彼女らの要求を断るのは人が雲を飛び越えるほどの困難だと、喋る村人は顔を引き攣らせる。

近隣住民の失踪はすべてが氷の魔女によるものであり、その末路はあまりにも悲惨らしかった。

断定できないのは被害者がすべて氷の魔女どもの元から帰ってこず、真偽は不明だったからだ。


「カーター、気をつけてね」

「うん、いってきます」


ロクソリスで暮らすカーター少年は母親に注意をされ、勉学のために教会へ向かった。

道中、森の葉は不自然にも凍りついていた。

触れれば砕けそうなほど脆いにも関わらず、瞳にそれを映すだけで体の内部からじわりと冷気が滲み出し、指先の感覚を奪っていく。

それは自然というよりも―――名状しがたき何かの呼吸が少年の命を品定めするかのようだった。


教会に辿り着くと目の細いそばかすの少年が仲間を引き連れ、カーターに近寄ってくるや否や彼の肩を押す。


「悪い悪い」


形だけの謝罪。

悪びれる様子もない少年にカーターは内心不満を抱きながらも、いつものことだと冷静に流す。

父親が失踪してからというもの、氷の魔女どもが原因と囁かれた。

普通なら同情されるのだが、この村では既婚者にも関わらず魔女に誘われて、欲望に負けたのだと一家は笑いものだ。


「え〜、では次は⋯⋯」


文法の授業を受けている際に修道女が読み上げた内容は、生涯ヴォートゥミラ三柱神を讃えたという聖女の聖典に綴られた、青年が獅子の頭をした悪魔に凍らされたという逸話。




『スープラの福音書:第肆(四)章』

の聖なる神とも悪辣なる魔ともつかぬ御方は、白銀のたてがみを湛えた獅子のかおをして、極寒の玉座に座せり。

然れども其のまなこに慈悲の光なく、ただ万物をあるべき静寂へと誘う、絶対の凍気のみを宿せり。

獅子が其のあぎとを開くとき、吹き出すものは猛き咆哮にあらず。

それはあらゆる運動を否定し、原子の震えさえも圧し潰す停滞の吐息なり。


信徒らは見た。

かつては情熱に燃え、遍く神の愛に震えていた青年の肉体が、其の吐息に触れた刹那、大理石よりも冷たく硝子ガラスよりも脆き物体へと成り果てる様を。

其処には苦痛すらも留まるを許されず、ただ永遠の停止という名の完成のみが残される。

玉座の獅子は静かに口を開く。


「動くことなかれ。

望むことなかれ。

汝らが熱を求めるのは、己が未だ不完全なる証なり。

獅子のあるじは汝らから時間という名の不純物を奪い、何物にも侵されぬ、完全なる沈殿へと導かん。

星々は其の視線の下で凍てつき、銀河は巨大な氷の墓標と化す。

某は宇宙という名の熱き液体を一滴の揺らぎもなき、冷却された結晶へと醸造し続ける者なり。

我ら、其の冷徹なる抱擁を待ち望む。

肉の温もりを捨て、意思の火を消し、ただ静まり返った暗黒の宙のちりとして、獅子の腹の中に収まらん」




言葉が空気に落ちるたび、教会内の温度が下がるように感じられた。

そばかすの少年の視線が刺さると、カーターの胸の内に溜まっていたものが、ついに耐えきれず溢れ出した。

耐えられなくなった彼は教会を立ち去るのだった。

背後で鳴る鐘の音はもはや救済ではなく、告別の響きにしか聞こえない。

祝福ではなく葬送の予告のごとく、重低音が重く鳴り響く⋯⋯


家では心配性の母親の干渉、教会や村の子供との遊びでは父親への冷笑。

どこにも居場所のないカーターはここではない、どこかを求めていた。

朝昼でも薄暗い森を抜け、適当な理由をつけて早退したとでもいい、家に戻ろうとした矢先


「教会を抜け出すなんて……いけない子ね。何かあったの?」


カーターを呼び止める声。

少年が振り向くとそこには氷の魔女どもが立っていた。

切れ長の楕円の瞳のその女は噂に違わぬ容姿で、どこか憂いを帯びていた。

父親の失踪の原因かもしれない人物にカーターは


「まっ、魔女だろ。おまえなんか怖くないぞ!」


罵声を浴びせるも


「ダメでしょ、初対面の女の人にそんなこといったら。ねぇ、ご両親や兄弟は近くにいないの?」


と、なだめてくる。

その穏やかな声音に警戒がとけていくと、少年の心の中には人恋しさだけが残った。


「……私の家にくる、坊や?」


完全に心を許したわけではない。

だが少年がゆっくり頷くと、魔女の住処に案内された。

彼女の進む方向に後を追うとまだ朝露の名残があった翠の葉が凍り、辿り着いた先には一面雪景色であった。

冬ではないのにどうしてだろうか。

畏怖に混ざった、かすかな好奇心。

家の外には獅子の氷像が至る場所に置かれているものの、レンガ造りの住宅にさほど変わったところはなかった。

世間が呼ぶほど魔女は危険ではないのかもしれない。

扉を開けて歓迎されると、中には甘い香の煙が充満しており、いるだけで気持ちが安らいだ。

けれども暖炉の火が焚かれていないせいか肌寒く、少年は彼女は寒くないのかと疑問符を浮かべる。

信じるべきか、疑うべきか。

その狭間で揺れ動く彼に


「私も除け者扱いされて寂しいの。一緒にいてくれるかしら」


屈んでカーターに視線を送って乞う魔女に、思わず了承してしまう。


「優しいわね。なら今日の夜、一緒に流星群を眺めましょう。〝永遠〟を叶えるために」


少年はそのまま夜まで魔女の自宅にいると決めていた。

何故そうしたのかはわからなかった。

もうこの時には氷の魔女どもの吐く糸に、罠に絡まっていたのだろう。


「寒いでしょう。薬草の煎茶でも出すわ、ゆっくりしていって」

「わかりました」


言葉を交わし魔女が背を向けた瞬間、臓腑を射抜く何者かの視線に、滝に打たれたような汗が噴き出る。

おそるおそる窓へ目を向けると、氷を纏った獅子頭の半人半獣がこちらを凝視していた。


(この怪物は何だ、こっ、殺されるのか!)


驚目したカーターは全身の筋肉が冷え固まって凍りつき、逃げることも叫ぶこともできず、ただ状況を静観する他なかった。

しかしその怪物の動向に注視していても、何かをしてくるわけでもない。

むしろガラス越しの商品を品定めするように脚の爪先、膝関節ひざかんせつ、脚、胴体、腕、最後に頭と、舐め回す目つきでカーターの体を眺めてくるのみだ。

その意図がまるで理解できないが故に―――少年はその場から逃走しなければと呼びかける、理性でも感情でもない、もっと原初的なもの―――に駆られた。

ようやく肉体の主導権を取り戻したカーターは息を押し殺し、後退りするのだが床が軋むと、命の危機を感じて瞼を閉じる。

一向に動悸が収まらず、だがその息遣いだけが生を実感させる暗闇の静寂。

どれほど時が流れたかも定かでないが意を決して目を開くと、その異形の怪物は姿を消していた。

外はすっかり日が暮れてしまい、夜の森林に入れば迷ってでられないのは確実だった。


「まだ流星群は落ちてはこないわね。部屋で待っていて」


魔女は少年に言いつけた彼女は一室にこもり、物音を立てて何かに没頭しはじめた。

掃除でもしているのだろうか。

さほど気にも留めず指定された部屋に赴くと、天井から吊るされた瑞々しい草葉と、堆く積もった埃が少年を出迎える。

長らく使われていないらしいがベッドに毛布と、最低限宿としては機能していた。

今日は色々なことがありすぎて目が冴えてしまい、まだ眠れそうにない。

机に置かれた羊皮紙には先に見た魔物の挿絵に、魔術の実践を示唆する文言が記されている。

氷の魔女と呼ばれる彼女は一見友好的だ。

だが言葉にはしにくいが、何かが引っかかる。

少年の胸がざわめくと、心の衝動が魔女のいる部屋へと歩を進ませた。

この部屋でいったいどんなことが行われているのか。

そっと扉を開いて中を覗くとあらゆる生命が眠りについた冬同様、深海の底を彷彿とさせる静寂に支配されていた。

魔女は穏やかな微笑みを浮かべたまま、何もかもが白の部屋の奥にある、獣の牙にも似た氷柱の前に跪く。


「……ああ、子供は実に素敵だと思いませんか? 我が神ヴォルヴェンスよ」


彼女の手が熱を奪い去る氷の表面を愛おしげに撫でると、指先が触れた場所から細かな霜の結晶が落下した。


「あんなに温かな体温を持って、あんなに騒がしく心臓を打たせて。まるで自分の命がいつまでも続くものだと信じきっている……なんて無知で、なんて救いがないのかしら」


魔女はくすくすと笑い始めた。

その声は鈴の音のように澄んでいたが、響きには一切の温度がない。

ただただ少年が術中に嵌り、勝利の喜悦に浸っていた。


「ですから三神などという偽りの神の手ではなく、真なる神を知る私が助けて差し上げなくては。腐りゆく肉、濁りゆく記憶。刹那にうつろう、儚く美しい少年のすべてを真白に染めて……そうすればあの子供は2度と傷つかず、2度と老いず、終焉という名の神の愛を受け取り、永遠の幸福を得られるのだもの」


彼女は祭壇の奥に並ぶ、氷漬けにされた大小様々な動物の死骸を恍惚とした顔で眺める。

その中の一匹の鳥は飛び立たんと必死に翼を広げ、生命の熱が尽きる瞬間の輝きを保ったまま、永遠の命を授かっていた。


「……もう少しで外の薄汚れた熱を失い、私と同じ清浄なる冷気に馴染んでくれるはず。ふふ、楽しみです。あの驚きに目を見開いた表情が、氷の中で永劫に花開く瞬間が」


彼女はうっとりと目を閉じ、氷に頬を寄せる。

その唇から白い吐息が溢れ出すと


「嗚呼、偉大なる悪の父よ、凍てつく螺旋の獅子よ。今宵の背徳の、あなたさまへの最高の贄となりましょうぞ」


彼女が言葉を発すると、時空が裂けるかのように視界が歪んだ。


「あ、あの魔女やっぱり噂通りの⋯⋯」


信じがたい光景に何事かと取り乱し、呼吸を荒げて口にすると、獲物を前にしたヘビが睨むような魔女の視線。


(逃げなければ⋯⋯!)


咄嗟に少年が出入り口のドアに急ぎ、手をかけると寒さではなく、むしろ脳を突き抜ける熱を駆け巡る。


「……っ!?」


咄嗟に手を引こうとしてカーターが生き延びたと確信した時、走り去ろうとしても動けない自分に気がつかされた。

指の腹が、手のひらが、まるで強力な接着剤で塗り固められたかのように、取っ手に吸い付いて離れないのだ。

皮膚の水分は一瞬で氷へと変容して無理に引き剥がそうと力を込めると、メリメリという嫌な音が鳴った。

指の皮が薄い氷の膜ごと持っていかれるような、鋭い痛みが走ると、涙をこらえきれなかった。


(なぜ、なんで、どうしてっ!)


しかし彼の流した一雫も、背中の汗も、雪山に放り出されたかのごとく白い氷晶へと変化してしまう。

ふと何処かから見られている奇妙な感覚を覚えたカーターが窓に視線を遣ると、先に見た半人半獣の獅子が腹を空かせたように口を開き、そこに立っている。


(動け、動け、動け!)


なりふりかまっていられない。

叫び声を上げながら、ありったけの力を振り絞る。

すると天井から何かが落ちて額にぶつかり、床に転がる。

目線を下げると床には、ぶくぶくと肥えた緑の芋虫。

どうして昆虫がなど考える間もなく奮闘すると、視界の端で部屋の四隅の影がざわりと波打った。

最初は自分が家を揺らし、埃が舞っているのだと思った。

だが目を凝らせばそれは、おぞましい数の蟲の群れだった。

シャ、シャ、シャ、シャ⋯⋯緑、褐色、黄色の色彩豊かな芋虫たちは合唱を奏でるように、異音を立てる。

数えきれないほどひしめきあう、本来ならば冬を越せずに死に絶えるはずの命。

だのに氷の魔女の極寒の部屋では、まるで時間が止まったかのような鮮明さを保っていた。

もう生き残れない……悟った少年が震えていると魔女が背後から彼を抱き寄せる。


「寂しかったのね。でも怖がらないで」


足元から徐々に凍えていく少年の肉体。

反面、魔女の抱擁に彼の胸の内が暖かくなっていた。


「お姉さんもね。ずっ〜と寂しかったの。だけどね、西ノックスにある混沌神様の大きなお城にいったら、〝みんな〟と〜っても歓迎してくれたの。坊やもいってみたくない?」


魔女の問いに答えるより早くカーターの思考は鈍り、やがて込み上げる奇妙な安堵と強烈な恐怖の感情と共に、彼の意識は白に溶けていく。

最後に魔女から与えられた優しさでさえ、温もりを失った者だけが抱く錯覚だったのだ。

悲鳴すら上げることもなく凍結し、氷像と化した少年を外に飾ると、獅子頭の怪物が彼女に歩み寄る。

筋肉質の雄々しい肉体に手を伸ばし、魔女は蕩けた顔をしながら舌を露出させ


「ねぇ、いいでしょう? 意地悪しないで。ちょうだい⋯⋯」


そう猫撫で声で甘えるや否や割れた腹筋を撫で、貪るように体を舐め始めた。

陶酔しきった雌の瞳には、もう少年の存在など映ってはいない。

これから獣人とどう甘美な夜を過ごすかで、頭はいっぱいだった。

声もなく抱き返した獣の合意に、魔女は魔物をベッドへと案内すると、ヴェールと共に偽りの自分を脱ぎ捨てるのだった。

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