表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/66

第61話 欠けまでが増えそう

 井戸の朝は、音が先だ。

 ぎい。きゅ。ぽちゃん。

 それが揃うと、胸が勝手に「回る」に落ち着く。


 今日は揃っていた。揃ってるって言うな。胸の中で揃ってる。

 揃ってるのに、別のものが揃いすぎて危ない。


「……木片、増えてる」

 ハルが小さく言った。

「言うな」

 ユリネが即座に刺す。

「……胸の中で増えてる」

「胸の中なら勝手にしろ」


 水場に着くと、欠け桶はちゃんと井戸の横に座っている。

 その縁に、昨日みたいに小さい木片が一枚。洗濯ばさみで挟まっている。

 欠けまで。

 短い。いい。


 ……だけじゃなかった。


 井戸の支柱に、別の木片。

 ここまで。

 さらに、別の人の桶の取っ手に、布の切れ端。

 みず、ここ。

 そして極めつけに、子どもが持っている木片。

 おおめ。


「おおめって言うな」

 ユリネが刺した。

「えっ、でも多めに入れたら足りるじゃん!」

「足りるって言うな」

「……胸の中で足りる!」

「胸の中でも増やすな」


 当番の人が、眉をひそめた。

 昨日の当番だ。今日はちゃんと欠け桶を置いている。置いているのに、目が泳ぐ。

 泳ぐ目は、また見落とす。見落とすのは水じゃない。言葉だ。


「……これ、どれが正しいの」

 当番の人がぽつりと言った。

 正しい。

 危ない単語。

 正しいは、秤を呼ぶ。秤は揉める。揉めると井戸が井戸じゃなくなる。


「正しいにするな」

 ユリネが短く言った。

 短いから刺さらない。刺さらないのに、当番の口が止まる。止まれるなら勝ち。


 でも止まったところへ、善意が滑り込む。


「昨日の“欠けまで”良かったから、みんなで作ってきた!」

 近所のおばさんが、笑顔で木片の束を出した。

 束。

 束は便利に見える。便利は増える入口。


 ミナギが目を輝かせた。輝くな。

「うわ、配れるやつだ!」

「配るな」

 ユリネが刺す。

「えっ、でもみんな助かるし」

「助かるって言うな」

「……胸の中で助かる」

「胸の中なら勝手にしろ」


 コトが、木片の束を見て、笑顔のまま首を傾げた。

「言葉が増えると、目が迷うかも」

「迷うって言うな」

 ユリネが反射で刺して、すぐ言い直す。

「……迷わせるな」


 すでに迷いは起きていた。

 ここまで、を見て桶を満たす人。

 欠けまで、を見て止める人。

 おおめ、で溢れそうになる子ども。

 違う線が並ぶと、人は勝手に比べる。比べると「自分が損した気がする」が芽を出す。


「え、私の桶、少なくない?」

 誰かが言いかけた。

 少ない、は足りないを呼ぶ。足りないは公平を呼ぶ。公平は秤を呼ぶ。

 やめろ、増える階段を登るな。


「言うな」

 ユリネが短く切った。

 短いから喧嘩にならない。喧嘩にならないと、井戸の音が死なない。死ぬって言うな。止まる。


 タケルが真顔で一歩だけ前へ出た。

 足元を指で示す。指先だけ。増えない合図。


「見るのは一個」

「一個?」

「欠け」

 タケルは欠け桶の縁を、ちょん、と叩いた。


 コン。

 小さい音。呼び笛にならない。


「欠けが一つあるなら、言葉はいらない」

 言い方が真顔で怖いのに、刺さらない。生活の怖さだ。


「でも、木片あると分かりやすいよ?」

 おばさんが困り顔になる。困りは刺さる。刺さると善意が走る。

 レンカの肩が上がりかけた。泣かせない係が走る肩だ。止まれ。


 レンカは息を吸って止めて、言い直した。

「……分かりやすい、は増える入口」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で、入口」

「胸の中なら勝手にしろ」


 当番の人が、木片の束を見て、欠け桶を見て、また木片を見る。

 目が迷う。迷うって言うな。胸の中で迷う。

 迷っている当番は、当番として一番つらい。つらいと声が大きくなる。大きい声は増える。


 コトが一歩だけ近づいて、当番の人の手元を見た。

 当番の手元には洗濯ばさみがある。

 ばさみは、境目を作るやつだ。昨日、干し場で効いたやつ。


「木片、使うなら“一枚だけ”。当番が挟む」

「一枚だけ」

 ハルが小さく復唱した。復唱は作法になる。


 おばさんが言い返しかける。

「でも、みんなの桶に付けたら」

「付けるな」

 ユリネが即答。

「えええ」

「付けると、違う言葉が増える」

「増えると守れない」

 タケルが真顔で続けた。

「守れないと、揉める」

 真顔の列挙は怖い。怖いけど想像できる怖さは止まる。


 子どもが小さく手を上げた。

「じゃあぼくの“おおめ”は?」

「捨てろ」

 ユリネが言って、強すぎるからすぐ直す。

「……外せ」

「外す!」

 子どもが復唱して、自分で木片を外した。外せるなら勝ち。

 外した木片はポケットに入れる。増やさない場所へしまう。偉い。


 当番の人が、木片の束から一枚だけ選んだ。

 字はこれ。欠けまで。

 他の言葉は選ばない。選ばないのが一番大事。


 当番の人は、それを欠け桶の縁に挟み直した。

 そして、残りの木片の束を、おばさんに返した。

「ありがとう。でも、今日は一枚で回したい」

 言い方が柔らかい。柔らかいのに線がある。線があると、場が落ち着く。


 おばさんが口を尖らせかけて、笑った。

「はいはい。じゃあ束は、胸の中にしまっとく」

「胸の中なら勝手にしろ」

 ユリネがいつもの調子で返して、周りが少し笑った。刺さらない笑いは、井戸の水面に落ちる。


 井戸の音が戻る。

 ぎい。

 きゅ。

 ぽちゃん。


 欠けまで。

 止まる。

 こぼれない。

 こぼれないから、拭き手が増えない。

 増えないから、当番の目が落ち着く。

 落ち着くと、見落としが減る。減ったって言うな。胸の中で減る。


 そこへ、朝市の籠を抱えた人が来て言った。

「葉っぱ、ここで洗っていい?」

 また来た。

 でも今日は、当番が当番の声で返せる。


「今日は汲むだけ」

 一語じゃないけど短い。

 短いと揉めない。揉めないと井戸が井戸のままだ。


「……わかった」

 その人は言い直さずに頷いて去った。頷きは増えない。


 ミナギがぽつり。

「木片増えると、欄みたいになるな」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で欄」

「胸の中でも言うな」

 ミナギが口を尖らせたまま、欠け桶を見て黙った。黙れるなら勝ち。


◆(神界・短カット)


 申請受付審査室。

 チヨが机に突っ伏して、顔だけ上げた。

「……地上、木片を増やしそうになって止めたんですぅ……」

「良い」

 ナギが淡々。

「こっちは止まらないのに……」

「止めろ」

 廊下からマドカ。

 チヨが小さく言い直す。

「……胸の中で止めたい」

「胸の中なら勝手にしろ」

 三人が同じことを言って、なぜか静かに笑った。刺さらない笑いは、職員室にも効く。



 昼前、当番の人は欠け桶の木片を外した。

 外して、ポケットに入れた。

 当番が終わったら外す。

 外せる仕組みは、増やさない仕組みだ。


「……外すの、えらい」

 レンカが言いかけて、口を押さえた。

「褒めるな。増える」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で褒める」

「胸の中なら勝手にしろ」


 帰り道、レンカが欠け桶を振り返って小さく言った。

「言葉は一枚。あとは欠け」

「言うな」

「……胸の中で一枚」

「胸の中なら勝手にしろ」


 家に戻ると、汲んだ水が鍋に入る。

 野菜が入る。豆が入る。

 ぐつ、ぐつ。

 湯気が上がる。湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。


 ミナギが椀を取ろうとして、

「順番」

 ユリネが一言。

「……はい」

 ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。


 タケルが真顔で言った。

「今日、木片を増やさなかったな」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で増やさない」

「胸の中なら勝手にしろ」


 ハルが小さく頷く。

「……見えるのは欠けで足りた」

 シノがぼそり。

「……手、増えなかった」

 コトが笑う。

「増やさないの、上手になってるね」

「言うな」

「……胸の中で上手」

 コトが言い直して、刺さらない笑いが湯気に混ざった。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ