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第59話 洗濯の回収が“間違わない工夫”

 干し場の朝は、風が先に来る。

 風が先に来ると、布が先に揺れる。

 布が先に揺れると、みんなの胸が勝手に「今日は回収できる」になる。

 勝手になる日は、だいたい危ない。


「……今日は、取り込みたい日」

 レンカが言いかけて、口を押さえた。えらい。

「言うな」

 ユリネが即座に刺す。

「……胸の中で取り込みたい」

「胸の中なら勝手にしろ」


 干し場は壁際が長い。

 長い壁に沿って、紐が一本、ずっと続いている。

 続いているから、みんなが同じ場所に集まる。

 集まると、誰かが良い顔をする。

 良い顔は善意だ。善意は、ときどき混ざる。


 すでに何人かが、壁際の前でしゃがんでいた。

 乾いた布が、ふわっと軽い。

 軽いから早く終わりそうに見える。

 終わりそうに見えると、先に終わらせたくなる。

 先が増えると、事故も増える。


「今日は風が良いから、先にたたんであげるよ」

 近所のおばさんが笑って言った。

 言い方は優しい。優しいのに危ない。

 たたむ、は触る、だ。触るが増えると、間違う。


「触るな」

 ユリネが短く言った。

 短いから刺さらない。刺さらないのに、しゃがむ背中が一つ止まる。


「えっ、でも善意だよ?」

「善意は増える」

「増えるって言いすぎじゃ」

「言いすぎるくらいで止まる」


 タケルが真顔で壁際を見た。

 干されている布は似ている。似ている布が三枚並ぶと、みんな同じに見える。

 同じに見えると、手が同じに動く。

 同じに動くと、違う人の布が自分の束に混ざる。


「……今日は、間違う日」

 タケルが言いかけて、

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で、間違えそう」

「胸の中なら勝手にしろ」


 勝手にしろ、の間に、事件は起きる。

 事件と言っても、朝の事件はだいたい小さい。


 ぱさ。


 誰かが外した布が、風で一枚だけ膨らんで、となりの束の上に落ちた。

 落ちた布は白い。白い布は、だいたいみんなの家にある。

 あるから、分からない。


「それ、うちの……?」

 外した人が言って、言い切れない。

 言い切れないと、周りが言い切ってしまう。


「うちのも白いよ」

「こっちも白い」

「じゃあどれが誰の」


 口が増えかけた瞬間、レンカの肩が上がった。

 泣かせない係の肩だ。動くな。

 レンカは息を吸って止めた。えらい。止まれると場が戻る。


「……本人の手だけ」

 レンカが小さく言った。

 自分で言い直したのが偉い。泣かせない係が、増やさない係もできてる。


「本人の手だけ」

 ハルが小さく復唱した。

 復唱は作法になる。作法になると、手が引っ込む。


 コトが、落ちた布を指で示す。指先だけ。増えない。

「これ、いまは“どれでもない”。戻す」

「戻す?」

「戻す。外した人の場所に」


 場所。

 場所があると、布は迷子にならない。

 迷子にならないと、責任が生えない。

 責任が生えないと、喧嘩が生えない。


 タケルが真顔で、壁際の紐を見上げた。

 紐には、端にぽつんと“空ばさみ”が残っている区間がある。

 布が無いのに、洗濯ばさみだけが一つ、挟まっている。


「……あれ」

 タケルが指を差す。

「あれ?」

 おばさんが首を傾げる。

「空ばさみ。境目」

 タケルが真顔で言った。


 境目。

 境目が見えると、間違いにくい。

 見える境目は、合図の一種だ。増えない合図。


「誰か、わざと残してたのか」

 おばさんが笑って、でも声は増やさない笑い方をした。

「賢いねえ」

「賢いって言うな」

 ユリネが刺す。

「……助かる」

 おばさんが言い直して、また笑った。刺さらない笑いは、干し場に効く。


 落ちた白布は、その“空ばさみ”の手前に戻された。

 戻すと、誰の束にも入らない。

 入らないから、間違いが増えない。


 ところが、増えないはずのところに、増えるのが子どもだ。


「見て! 空ばさみ!」

 子どもが来た。

 来て、空ばさみを指で弾こうとした。

 弾くと落ちる。落ちると境目が消える。消えると間違う。最悪。


「触るな」

 ユリネが短く言った。

「えっ、でも遊び」

「遊びでも境目は触るな」


 子どもは口を尖らせた。

 尖らせたまま、シノを見る。シノは、止め方が静かだ。

 シノがぼそりと、子どもの手首の近くで言う。


「……空ばさみ、守る」


 守る、は強い単語だ。強いけど、子どもには効く。

 子どもが目を丸くして、言い直す。


「守る!」

「増やすな」

 ユリネが刺す。

「……守るだけ!」

 子どもが言い直して、背中に手を回した。えらい。早い。


 干し場は少しだけ落ち着いた。

 落ち着いたところで、次の混線が来る。

 “手伝い”だ。


「じゃあ私、取ったやつ、ここにまとめとくね」

 若い人が籠を出した。

 籠は便利に見える。便利は増える入口。

 籠に入れると混ざる。混ざると、また白布が迷子になる。


「入れるな」

 ユリネが短く言った。

「えっ、でも風で飛ぶし」

「飛ぶのは分かる。だから工夫だ」


 工夫。

 今日の題名が、ここで必要になる。


 コトが籠の縁に、洗濯ばさみを一つだけ挟んだ。

 布じゃなく、ばさみだけ。

 ばさみの口が、かちん、と小さく鳴る。

 小さい音は呼び笛にならない。けど見える。


「この籠は“置き場”じゃなくて“呼び場所”」

「呼び場所?」

「呼ぶのは一回。持ち主だけ呼ぶ」


 呼ぶ。

 増える入口にもなる。

 でも今日は、声を増やさない呼び方にする。


 タケルが真顔で補助する。

「籠に入れない。入れると混ざる。籠は“ここにいる”の目印だけ」

「目印だけ」

 ハルが小さく復唱した。復唱は作法になる。


 若い人が籠を持ったまま止まる。

「じゃあ、どうやって渡すの」

「指で示す」

 ユリネが短く言う。

「本人が外す」

 続けて言って、増やさない。


 結局、こうなった。

 干してある布の束の前に、空ばさみが一つ残る。

 それが境目。

 境目の前で、持ち主が自分の布を外す。

 外したら、自分の抱えに入れる。

 他人の抱えに入れない。

 手伝いは指で示すだけ。

 声は一回だけ。


 それだけで、間違いが減る。

 減ったって言うな。胸の中で減る。


◆(神界・短カット)


 申請受付審査室。

 チヨが机に突っ伏していた。泣いてない。泣いてないのが怖い。


「……欄じゃなくて、合図が増えた気がするんですぅ……」

「気がするって言うな」

 ナギが淡々。

「でも、気がするんですぅ……」


 マドカが廊下から刺す。

「合図を欄にするな」

「してないですぅ……! してないけど……書くところが無いんですぅ……!」

「だから欄にするな」

 三人で言って、三人で疲れた顔になった。


 チヨは結局、紙の端っこに小さく書いた。

 合図(増えた気がする)

 括弧が多い。括弧は増える入口。増やすな。



 干し場に戻る。

 空ばさみが“境目”として働き始めると、もう一つ良いことが起きた。

 誰がまだ取り込み中か、見て分かる。


 空ばさみが残っている区間は、まだ終わってない。

 空ばさみが無い区間は、もう終わった。

 終わったなら、人は寄らない。

 寄らないと、背中が詰まらない。


「……見える一言、これだ」

 レンカが言いかけて、口を押さえた。えらい。

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で見える一言」

「胸の中なら勝手にしろ」


 ところが、境目が見えると、境目を増やしたくなる人が出る。

 増やすな。


「じゃあ空ばさみ、もっと増やせばもっと分かりやすいんじゃ」

 ミナギが言いかけた。

「増やすな」

 ユリネ即答。

「えっ、でも……」

「一個で足りる」

 ユリネが切る。

「足りる」

 ハルが小さく復唱した。足りるは強い。強いけど静かだと効く。


 その時、また小さい事件が起きた。

 子どもが背中に回していた手をほどいてしまって、空ばさみの下に落ちていた小さい布切れを拾ったのだ。

 布切れは雑巾の端。

 端は端で似ている。似ているとまた迷子になる。


「それ、どこから」

 誰かが言いかけて、口を押さえる。

 言いかけは増える入口。止まれるなら勝ち。


 シノがぼそり。

「……端」

 端、と言うだけで、みんなの目が壁際へ向く。

 壁際の端っこに、小さい雑巾が一枚、落ちかけている。

 落ちかけているのを、持ち主が見つけて、自分で取った。

 自分で取ると終わる。終わると増えない。


 干し場の回収は、昼前には終わった。

 終わったのに、誰の束も混ざってない。

 混ざってないと、午後が軽い。

 軽い午後は、飯の準備が早い。早いって言うな。胸の中で早い。


◆(神界・短カット)


 にこにこ怖い院代が通りがかって、机の端のメモを一瞥した。

 合図(増えた気がする)


「括弧を増やさないでください」

 一言だけ。

 チヨが机に額を当てた。

「括弧が無いと、断定になっちゃうんですぅ……」

「断定しないでください」

 にこにこで去っていった。

 去り際に、ゲンの朱肉の匂いだけが残った。

 印は押されない。押されないのが助かる日もある。



 夕方、結び家の台所は、干し場の軽さのまま回っていた。

 濡れ布が残っていない。

 取り込みの山が小さい。

 小さい山は、誰も焦らせない。

 焦らないと、湯屋までの道が柔らかい。


 レンカが布をたたみながら、ぽつり。

「今日、間違わなかった」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で間違わなかった」

「胸の中なら勝手にしろ」


 ミナギが空ばさみを指でつまんで、言いかける。

「これ、便利」

「便利って言うな」

「……助かる」

 ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。

「助かるのは一個だけの方だ」

 ユリネが短く釘を刺す。増やさないための釘。


 鍋が鳴る。湯気が上がる。

 湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。


 ミナギが椀を取ろうとして、

「順番」

 ユリネが一言。

「……はい」

 ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。


 タケルが真顔で言った。

「空ばさみ、境目、効いたな」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で、効いた」

「胸の中なら勝手にしろ」


 ハルが小さく頷く。

「……手が増えなかった」

 シノがぼそり。

「……匂い、混ざらなかった」


 レンカが小さく宣言して、すぐ自分で口を押さえた。

「今日、善意で混ぜなかった!」

「混ぜかけた」

 ミナギが真顔で言いかけて、

「未遂って言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で未遂」

「胸の中でも言うな」


 刺さらない笑いが湯気に混ざって、台所が軽くなる。

 工夫は増やさない。

 一個で足りる。

 それが今日の回収だった。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

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