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第54話 洗濯が“順番で減る”

 干し場の朝は、風が先に来る。

 風が先に来ると、布が先に揺れる。

 布が先に揺れると、人の胸が勝手に「今日は洗える」になる。

 胸が勝手に洗えるになる日は、だいたい危ない。


「……今日は、風が勝ってる」

 タケルが真顔で言った。

「勝つとか言うな」

 ユリネが即座に刺す。

「……推測で、乾きそう」

「推測の使い方が雑だ」

 コトが笑って、ミナギが笑いそうになって飲み込んだ。飲み込めるなら勝ち。


 掛け板の札が、いつもより軽く揺れていた。

 洗。干。たた。

 数字がでかい。でかいから言わなくて済む。

 言わなくて済むと、逆に“全部やる”が出る。


 案の定、レンカが目を輝かせた。輝くな。


「今日は全部洗える気がする!」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で、全部洗える気がする」

「胸の中でも増やすな」


 シノが鼻をひくひくさせた。

「……石けん、いい匂い」

「いいって言うな」

「……胸の中で、いい匂い」

 シノが言い直して、でも指先は動かない。動かないのがえらい。匂いだけで落ち着けるのが強い。


 井戸へ向かう道が、いつもより早い足音で満ちていた。

 洗い籠。

 干し紐。

 洗濯ばさみ。

 そして、いつもの“ついで”。朝市の袋。


 水場に着く前から、声が混ざっている。


「先に洗ってから朝市!」

「いや、朝市から洗い!」

「風が良いから干しが先!」


 先、が増えると、だいたい詰まる。

 詰まると、桶が迷子になる。

 迷子になると、誰かが善意で動く。

 動く善意は、増える。


 水場に着いた瞬間、もう“多い”になっていた。

 桶が並ぶ。欠け桶が目印にいる。そこまではいつも通り。

 でも桶の横に、濡れ布の山。

 濡れる前の山もある。

 山が二つあると、手も二つ出る。手が二つ出ると、順番が薄くなる。


「……布が、山」

 ハルが小さく言った。

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で、山」

「胸の中なら勝手にしろ」


 山の横で、近所のおばさんが腕まくりをしていた。

「今日はまとめ洗いよ。風が味方だもの」

「味方にするな」

 ユリネが刺す。

「味方って言うと増える?」

「増える」

「……じゃあ胸の中で味方」

 おばさんが笑って、すぐ洗い始めた。笑いが刺さらない笑いだと、場がまだ丸い。まだ丸い今が勝負だ。


 干し場へ向かう道で、事故が見えた。

 干し紐が一本、通り道を横切ろうとしている。

 昨日の合流が、また戻る。戻ると、また豆が転がる。転がると拾う。拾うと声が増える。

 増やすな。


「張るな」

 ユリネが短く言った。

 短いから刺さらない。刺さらないのに、紐の手が止まる。止まれるなら勝ち。


「でも干し場が足りないんだよ」

 紐の人が言いかけて、

「足りないって言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で足りない」

「胸の中でも増やすな」


 足りないが出ると、増やしたくなる。

 増やしたくなると、紐を増やす。

 紐を増やすと、道が死ぬ。

 道が死ぬと、生活が詰まる。詰まると泣く。今日は泣かせない。


 コトが干し場の壁際を指でちょん、と示した。

 指先だけ。増えない合図。

「道は一本。干すのは壁際。欠けまで」

「欠けまで!」

 レンカが復唱して、口を押さえた。復唱して止まれるのはえらい。


 タケルが真顔で、干し場の入口に立った。

 立ち方が“壁”じゃない。“線”だ。

「通る人は外。干す人は中。しゃがむのは本人だけ」

 真顔の短文は強い。強いのに刺さらない。今日はそれが要る。


 ……それでも、根っこが残る。

 干し場が足りない。

 じゃあ増やす。

 その思考を止めるには、別の順番が要る。


 ユリネは掛け板の札を思い出した。

 洗、干、たた。

 札は順番を作る。

 でも今日は、その順番が“増える前”に刺さらない。


 水場に戻ると、洗いの札が先に尽きていた。

 1洗、2洗。

 もう取られている。

 取られているのに、布の山はまだある。

 山が残っていると「まだ洗える」が増える。増やすな。


「……洗い、札が先に消えた」

 レンカが言いかけて、口を押さえた。

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で消えた」

「胸の中なら勝手にしろ」


 ここで、ミナギが余計なことを言う。

「じゃあ札、増やせばよくない?」

「増やすな」

 ユリネ即答。

「えっ、でも3洗とか4洗とか作れば」

「作るな」

「じゃあどうすんの!」


 どうすんの、が出たら、答えは短く置く。

 短く置かないと、決まりが増える。

 決まりが増えると守れない。守れないと揉める。揉めると、風が良いのに空気が悪い。


 ユリネが指を二本立てた。

「干」

 一本目。

「取ってから、洗」

 二本目。


 それだけ。


「……え?」

 水場の人が固まる。固まると詰まる。詰まる前に、コトがすっと拾う。


「干す札が取れた人だけ洗う。干せないのに洗うと、濡れ布が山になる」

 説明が長くなりそうで、最後に短く切る。

「山は増える」


「増えるって言いすぎじゃ……」

 誰かが言いかけた。

「言いすぎるくらいで止まる」

 ユリネが短く返した。刺さらない硬さ。


 おばさんが腕まくりを止めて、干し札を見た。

 1干、2干。

 先にそれを取ってから、洗い札へ手を伸ばす。

 順番が入れ替わっただけで、手の動きが落ち着く。

 落ち着くと、桶が迷子にならない。


「……なるほどね」

 おばさんが笑った。笑いが刺さらない笑いだ。

「干せる分だけ洗うってことね」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で、干せる分だけ」

 おばさんが言い直して、周りが少し笑った。刺さらない笑いが、水場の肩を落とす。


 ここで、さっきの紐の人が言った。

「じゃあ干し場が足りないんじゃなくて、濡れ布が多すぎたのか」

「言うな」

「……胸の中で、多すぎた」

「胸の中なら勝手にしろ」


 濡れ布が多い、は責めに見える。責めは増える。

 だから責めないで、順番だけ置く。


 結果が出るのは早かった。

 洗い札が取れない人は、洗わない。

 洗わない人は、布を抱えたまま朝市へ行くか、家へ戻って畳み直しをする。

 畳み直しは地味だ。地味だから増えない。地味は強い。


 干し場の壁際が、いつもより空く。

 空くと、紐を張りたくならない。

 張らないと、道が太い。

 道が太いと、朝市の袋がぶつからない。

 ぶつからないと、豆が転がらない。

 転がらないと、拾わない。

 拾わないと、声が増えない。


「……順番で、減る」

 ハルが小さく言った。

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で、減る」

「胸の中なら勝手にしろ」


 でもハルの小声は、当たっていた。

 濡れ布の山が減っていく。

 減ると、焦りが減る。

 焦りが減ると、洗い粉の匂いが優しくなる。

 優しくなると、シノの鼻が落ち着く。


「……匂い、丸い」

 シノがぼそり。

「丸いって言うな」

「……胸の中で丸い」

 シノが言い直して、欠け桶の縁をそっと撫でた。撫で方が奪わない。奪わない手は、増やさない手だ。


 昼前、干し場で小さな詰まりが起きた。

 洗濯ばさみが落ちて、道の真ん中に転がっていたのだ。

 転がると踏む。踏むと割れる。割れるとまた増える。

 増やすな。


「拾う!」

 ミナギが言いかけて、

「拾うな」

 ユリネが刺す。

「えっ、でも道の真ん中!」

「本人が拾え。落とした本人だけ」


 落としたのは、さっきの紐の人だった。

 顔が赤い。赤いと周りが助けたくなる。助けたいが増える。

 レンカが一歩出かけて止まった。止まれるなら勝ち。


 タケルが真顔で道を一本作る。

 足で踏まない位置へ、みんなを一歩だけずらす。

 ずらすだけ。拾わない。

 拾わないと、落とした本人が自分で拾える。


 紐の人がしゃがんで、ばさみを拾って、深く息を吐いた。

「……ありがとう」

 礼が増えそうになる。礼は増える入口。入口を閉める。


「礼は小さく」

 ユリネが言った。

「……ありがとう」

 紐の人が小さく言って終わった。終わると増えない。


 夕方、結び家が水場を通るころ、濡れ布の山はほとんど消えていた。

 消えた、と言うと増えるから、胸の中で消えた。

 干し場の壁際には、乾いた布が並ぶ。

 並ぶのに、道は一本のままだ。

 一本の道は、勝手に人を笑わせる。


「今日は、紐張らなくて済んだね」

 コトが言いかけて、

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で、済んだ」

「胸の中なら勝手にしろ」


 レンカが干し札を掛け板へ戻して、かたん、と鳴らした。

 戻る音があると、次が迷わない。

 迷わないと、明日が軽い。

 軽い明日は、だいたい強い。


 家に戻ると、鍋が鳴っていた。

 湯気が上がる。

 湯気は増えていい。増える湯気は生活の勝利だ。


 ミナギが椀を取ろうとして、

「順番」

 ユリネが一言。

「……はい」

 ミナギが言い直す。言い直せるなら勝ち。


 タケルが真顔で言った。

「干、取ってから洗、で減ったな」

「言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で、減った」

「胸の中なら勝手にしろ」


 ハルが小さく頷いた。

「……山、減った」

「減ったって言うな」

「……胸の中で減った」

 ハルが言い直す。言い直しがあると、明日が回る。


 レンカが小さく宣言した。

「今日、洗いを増やさなかった!」

「増やしかけた」

 ミナギが真顔で言いかけて、

「未遂って言うな」

 ユリネが刺す。

「……胸の中で未遂」

「胸の中でも言うな」


 刺さらない笑いが湯気に混ざって、台所が軽くなる。

 洗濯は減った。

 減ったのに、生活は減ってない。

 順番で減るのは、混線だけだ。


 ユリネが短く言う。


「飯! 湯!」

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